悪の御嬢様
――人気服飾店 「ファッションチェック」
店主が店に入ってきた二人へ鋭い目をやり、上から下まで一瞬でチェックする。
黒い髪に、見慣れない服――完全に他国の人間であった。
とは言え、この街は他国の人間には非常に寛容だ。交易で持っている街なのだから当たり前とも言えたが、気質的にもこの街は明るい。
だが、店主が眉を顰めたのは――その後ろに居る子供だ。
乞食一歩手前、とも言えるような粗末な服を着ている。前の男と比べれば、そのアンバランスさはどうにも拭い難い。
(奴隷か……?)
幾ら他国の人間であっても、奴隷は不味い。
本来なら街の外で待機させるなり、預かって貰うなり、あからさまにはしないのが最低限のルールだ。
この客の身なりは非常に良いが、その辺りの暗黙の了解を知らないのだろうか?
「いらっしゃいませ、今日はどのようなものをお探しでしょうか?」
にこやかな営業スマイルを浮かべ、男へ話しかける。
会話の中でそれとなく探り、指摘するしかないだろう。下手にこちらにまで飛び火してきたら堪ったものではない。
「すまんが、この子に似合う服を用意してやってくれ」
「ど、いえ……こちらのお客様に、で間違いないのでしょうか……?」
「うん? そうだが」
奴隷に服を用意する?
もしかして、そういったプレイでも楽しんでいるのだろうか。良い服を買い与え、それを無理やり破い……いや、そこまで深く考える必要はないだろう。
商売は商売だ、金を払うと言うなら藪を突く事はない。後は、奴隷でない事を確認すれば良いだけの事だ。
「私は人の服を選ぶのが苦手でな。プロに任せるよ」
そう言って男が懐から皮袋を取り出す。
見た目からして、かなりの重さがありそうだ。思わず、喉がごくりと鳴る。
もしかすると、この客は金貨の一枚でも落としてくれるのではないか?そんな嫌らしい予感が胸をよぎる。
「これが一番、大きいな……こいつで頼む」
男が無造作に取り出したものに、仰天する。
取り出しただけで、店内が明るくなる程の眩さ――「大金貨」であった。
「な”っ……お、お客様……そ、それで選べ、と……?」
「うん……? 足りないのか?」
「滅相もないっ! 今すぐに、すぐに、御用意させて頂きます!」
物珍しそうにあちこちを見ていた“高貴な御嬢様”をエスコートさせるべく、全従業員を呼び付ける。念の為、今日は休日の者も呼ぶように指示を伝え、同時に飲み物を用意させた。
人生で今、一番頭が回転しているかも知れない。
「それと、煙草を吸いたいんだが、灰皿を」
「この手にッ! どうか、この手に灰を落として下さいませっっ!」
「怖ぇーよ! そういうのじゃなくて、普通の灰皿と、何処か座れる椅子を」
「この背にッ! どうか、この背にお座り下さいませッッ!」
「怖ぇーよ! 何だ、この店!?」
二人が無限ループを繰り返している間、アクは店員にエスコートされ、見た事もないような沢山の服に囲まれる事となった。
■□■□
店内が見た事もないほどの活気に包まれている。
休日であった者も駆り出され、五人もの店員が慌しく走り回っているのだ。
それらがアクに張り付き、あれよこれよと様々な服やアクセサリー、帽子などを持ち寄って時ならぬ大騒ぎとなっていた。
無理もない、魔王が――「大金貨」を出してしまったのだから。
智天使が残した、数が限られている「ラムダ聖貨」を除いては一番上の通貨なのだ。大金貨など、国を代表するような大商会の者でなければ、お目にかかる事はあるまい。
店主が奮発し、アクが気に入った服を運んだ者には銀貨一枚の臨時ボーナスを出すと言った事で、店員達の目にも完全に火が灯ってしまった。
そんな事も知らず、魔王は窓の外に目をやり、活気に満ちた大通りの風景を見ては頬を緩めている。
どうやら、賑やかなのが嫌いではないらしい。
異世界へ来た事を、しみじみと実感しているような姿であった。暫くすると、後ろにかかっていたカーテンが開かれ、アクが姿を現す。
「ぁ、あの……に、似合いますか……?」
「お、おう……」
白いドレスを身に纏ったアクに、魔王が密かに息を呑む。
妙な所で大雑把な魔王は、アクの性別も知らないまま適当に店に入ったのだ。
そして、出てきたのは――小さなお姫様である。
「如何でしょうか、お客様……良ければ、他の物もお持ちしますが」
「そ、そそそうだな……似合うものは全て貰おうか」
動揺した魔王が煙草の灰を床に落としたが、店主の動揺の方が大きかった。
「す、すすす全て、でございますか……お客様……」
その言葉にアクが何か言いそうになったが、店主の声の方が遥かに早かった。
「みんなっ! 早くッ! 御嬢様に、最高の服をッッッ!」
「「はいっ!」」
こうして数え切れない程の服や下着、靴などが次々と購入されていく事となった。何を見ても、魔王が「似合う」と言った為である。
確かに、アクは何を着てもよく似合うのだ。
可愛らしいものだけでなく、ボーイッシュなものを着ても非常に合う為、得な顔をしているとも言える。
購入した物が次々と宿へと運ばれ、宿屋の主人まで目を剥く事となった。
だが、何と言っても最高級の部屋に泊まる“お大尽”である。さもありなんと頷き、上客の到来に思わずガッツポーズを作った。
こうして、魔王とアクは一瞬で「他国の王族」「北方の大富豪」などと噂されるようになり、その周辺は益々騒がしくなっていく。
魔王が聞けば大笑いし、アクが知れば失神するだろう。
■□■□
買い物を終え、宿屋ググレに連結しているレストランに二人が現れた。
魔王はいつものスーツではなく、白いシャツの上に黒いタキシードを着ている。
胸元にもポケットチーフを入れ、中々の伊達男っぷりであった。アクも最初に着た白いドレス身を包み、目を奪うような可憐な少女となっている。
店内の客達は嫌らしくない程度に二人に目をやり、話題のタネの一つとした。
「余り見慣れない服だが、あれが北方の流行なのか?」
「都市国家郡で、似た服を見た事があるぞ」
「あの二人、親子かしら?」
「いや、違うな。そんな空気じゃあない」
「噂じゃ、小国の王族らしい」
「とんでもない富豪と聞いたぞ。さしずめ、商売の下見ってところじゃないか?」
「あの少女の服の為だけに大金貨を使ったとか?」
「よほど、溺愛しているようだな……」
其々が好き勝手な事を話す中、二人がテーブルに着き、メニューを広げる。
魔王はボーイへ適当に注文すると、先に一番良いワインを持ってくるように言った。遠慮もクソもない態度である。
その姿を見て、余計に周りの勘違いが進むのだが、本人はそんな空気を知りもせず、実にマイペースであった。
「入るなり、一番良いワインか」
「商人ではなく、鉱山の主かも知れんな」
そんな声を尻目に、魔王がおもむろに煙草へ火を点けた。
この世界でも葉巻めいたものがあるが、れっきとした交易品であり、一本で幾らといった値段が付けられる高級品である。
彼の持つ煙草は見た事のない白色であり、それだけで人の目を引いた。
全員が密かに注目する中、彼は運ばれたワインに口につけると「合わんな」と一言洩らしたのだ。一体、普段は何を飲んでいるというのか。
しかも、何を思ったのか一番安いエールを注文し直し、それに口を付けるとニッコリと笑顔を見せたのだ。
「うん、リーマンにはやっぱりこれだな。最初の一杯はこれに限る」
リーマンという聞き慣れない単語であったが、地方の名なのだろう、と客達は勝手に脳内で変換する。
何せ北方は10ヶ国近い国が群雄割拠しており、北東には都市国家郡まである。
聖光国からすれば、他国は未だ野蛮な――乱世の状態であった。
■□■□
(格好付けるとロクな事にならんな……)
“俺”はエールで口直しをしながら、運ばれてきた肉を切り分け、口へ放り込んだ。こっちは中々にいける肉だ。昼間食ったモノとは違う。
本当はGAMEで使われていた大帝国製の物を食ったり、飲んだりしたかったが、SPの消費は出来る限り避けなければならない。
「本当に、夢、みたいです……」
「……うん?」
前を見ると、アクはテーブルの上の料理に何も手を付けていなかった。
真っ白なドレスに、頭には王冠のようなティアラまで載せられており、何処かのお姫様のようにも見える。
「ありがとうございます。僕なんかに、こんなに、一杯……」
「気にするな。それより、冷めない内に食おう」
「気に――しますよ」
アクから向けられる、強い視線に思わず手が止まる。
左右の異なる瞳――赤と碧の光に、思わず気圧されたのだ。見ているだけで何やら神秘的なものを感じてしまい、つい視線を逸らしてしまう。
「どうして、こんなに良くしてくれるんですか?」
「……別に、良くしたつもりはないが」
実際、良くしたつもりなどない。
俺のやった事と言えば、襲ってきた化物をブチ殺して、挙句に軽い放火魔と化し、聖女にスパンキングをして金を強奪したに過ぎない。
改めて並べると、酷いもんである。
自分のやってきた所業に思わずエールを噴き出しそうになった。正当防衛とはいえ、鬼畜と呼ばれても仕方があるまい。
「この恩を、どう返せば良いのか分からないんです」
「別に返す必要など無い。そもそも、恩なんて与えたつもりもないしな」
言いながら、次々に肉を口へ放り込む。
冷めた肉とぬるいビールは、この世で俺が最も嫌うものだ。
特にぬるいビールは酷い。愛する酒がこの世で最も不味くなる様には、人生の無常さすら感じてしまう。
「魔王様、何でも言って下さい。僕に出来る事なら何でもしますから」
「ん? 今、何でもするって言ったよな?」
その言葉と同時に、店の入り口から大きな声が響く。
それどころか、ドアが蹴破られていた。
「――見つけたわよ! 魔王っ!」
そこには先日、スパンキングをした聖女が顔を真っ赤にして立っていた。
心なしか息も荒く、興奮しているようだ。
故に、俺が返す言葉は一つしかなかった。
「また君か。ストーカーを注文した覚えは無いんだが――」
第二次聖女大戦の開幕である――