断念
「むうー」
目の前の大盛りパフェを睨みながら、思わず唸り声を上げた。
「唸っていないで、さっさと食え」
二杯目のコーヒーに口をつけながら、彼が呆れたような口調で促して来る。
「だって、この量だよ? いくら食べても減らないんだよ?」
雑誌でもテレビでも紹介された事があるこのお店の売りは、この大盛りのプリンパフェ。ボリュームは普通のパフェの三倍あるのに、お値段は一.五倍という魅力的な設定だ。今まで普通サイズのパフェは食べた事があったのだけれど、大盛りパフェには今日初めてトライした。
「だから無理だと言っただろう」
「だって、どうしても食べてみたかったんだってば」
「ダイエットしていたんじゃなかったのか。まあ、必要ないとは思うが」
「そ、そうだけど、今日だけは解禁なの! 見えない所にお肉がついちゃっているんだから」
「今日だけ、ねえ」
テーブルの上に広げた雑誌からわずかに目を上げ、物言いたげな視線を投げて来る。
わたしだってこれがどれだけ無謀な事なのか、分かってはいるのだ。でももともと甘い物には目がないわたしの事、乙女の憧れとも言えるこのパフェにトライしたい誘惑に勝てなかったのだから仕方がない。
「手伝ってくれる気、ない?」
「無謀な事に加担する気はない」
そう。彼は、たまに男性に見かける、甘い物が苦手な人なのだ。父も兄も弟までもが甘い物好きという環境で育ったわたしにとっては、とても珍しい嗜好に思えてしまうのだけれど。
「潔くあきらめろ」
「だって、もったいないじゃない」
「この後に控えている飯が入らなくなってもいいのなら、粘り通せばいいが」
呆れ気味の口調でのその言葉に、わたしの心に迷いが生じる。実はこの後の飯というのが、今日のデートの本命なのだ。
「う。分かった。泣く泣くあきらめる」
「出るぞ」
あきらめると言ったとたんに、彼は伝票を手に立ち上がってしまう。よほど飽きていたらしい。
「これにこりて、次からはレギュラーサイズにするんだな」
会計を終えた彼が、わたしの手を握ってにやりと笑った。
「むう」
唸るわたしを尻目に、手を繋いだまま彼の足が向かうのは、繁華街とは反対の方向。その先にあるはずの物に気がつき、わたしの足が止まる。
「とりあえず腹ごなしに、運動でもするか?」
彼の背後に見えるのは、遊園地と見まごうばかりのきらびやかなネオン達。
「運動? って、まさか」
嫌な予感がして、彼の顔を凝視する。不自然に顔が引きつっているだろう事が、自分でも想像できた。
「すぐそこに、時間制のレジャー施設があっただろう」
「は?」
「ボウリングでもなんでも、一時間も体を動かせば、少しは腹の中もこなれるんじゃないのか」
そういえば、ネオンの手前で右に曲がってまっすぐに進んだ場所に、最近そんな施設ができたはずだ。オープン時の広告を片手に握った母が嬉しそうに、父を誘っていた記憶がある。
「そ、そそそ、そうよね。健康的に汗を流しに行きましょう!」
握られた手をそのままに歩き出せば、今度こそ彼が吹き出した。
「おまえ、手と足が逆だ」
右手と右足が同時に前に出ていたわたしは、二重の恥ずかしさに、顔にかーっと熱が集中する。
「いったい、何を想像していたんだ?」
絶対に気付いているのだろう。にやりと持ち上げられた彼の口角が、その事を物語っている。
「いえ、なにも!」
「ご期待に応えてもいいんだが」
彼が顎で指し示すのは、間違いなくネオンも美しいホテル街。
「いいいいいええええええ、ご遠慮、いたします!」
「想像していたって事は、否定しないんだな」
ますますおかしくて仕方がないと言わんばかりに笑い始めた彼に、わたしは瞬時呆然とした。けれどすぐに彼の言葉の意味を把握して、顔から火が出そうになる。
「冗談だ。見えない所にどれだけ肉がついたのかを調べるのも一興だが、ああいう場所に行くのは、またの機会にな」
言いながら服の上からウェストの身をつままれ、短い悲鳴を上げた。
引きずられるように右に曲がって行きながら、わたしの頭の中には「またの機会っていつですか」という言葉が渦巻いていた。