部長の教え 2
翌日も選手達は、安田の運転するバスで、
ある場所に向かった。
竹村部長も何も話さなかった。
バスは、30分ほど走ると、
山道に入った。
森林の中を縫うように、
バスは頂上に向かって上がっていく。
やがて、山中にある
小さな寺に到着した。
雄介達は、バスから降りた。
猛暑のはずなのに、一帯を冷気が
包んでいる気がする。
蝉の鳴き声が一層大きく
聞こえてきた。
竹村は、選手達を境内の中に
先導した。
本堂のある階段の下に竹村と同年輩の
住職が立っていた。
竹村が言った。
「ここの住職は、こう見えても、
昔、俺と野球をした仲間だ。
今日は、静かな森の中で、
君達に自分自身と対話してほしいと思って、
ここに来てもらったんだ」
住職は静かな笑みを称えたまま、
「さあ、どうぞ」
と選手達を本堂に案内した。
本堂の中に入ると、
雄介たちは畳に正座して、
一列に並んで座った。
本堂の裏手からは、静かな小川の
せせらぎが聞こえてくる。
「今から、皆さんに座禅を組んで
頂きます」
住職はそういうと、一つ一つ
の所作を説明して言った。
「おへその下の辺りを丹田といいます。
まず、そこに自分の気を集めるように
してください。
それから、胸にたまった毒を、
外に出すように大きく息を、
吐き出してください。
後は鼻で楽に呼吸を
続けて・・・」
住職の説明は続いた。
背筋を伸ばし、目は薄目を開けて、
少し、前方を見つめる。
雄介たちは住職のいう通りに、
座禅を行った。
不思議な時間だった。
雄介は自然に頭の中が、
静まってくるような気がした。
ただ、自然の森の音だけが聞こえ、
今まで、戦ってきた疲れや胸の支えが、
スッと抜けていく気がする。
どれ程の時間が過ぎただろうか。
「はい、いいですよ」
と住職は言った。
「どうです。気が楽に
なったでしょう。
他にも、精神修養の方法としては、
写経をしたりするやり方もありますが、
君達の年齢で、まだ、そこまで
考える必要はないでしょう。
私は、こんな寂れた寺を、
一人で守っていますが、
いつも、心がけているのは、
不動心ということです。
物に動じぬ心。
どんな状況になっても、
自分を信じて、周囲の環境に
押し流されない。
その気持を、座禅を通じて、
竹村君も、君達に伝えたかったの
でしょう」
住職は、竹村の顔を見て、
微笑んだ。
竹村は、本堂から外に出ると、
階段に選手を座らせた。
「俺が、高校3年の時、
県予選の2回戦で、逆転
サヨナラ負けをした事がある。
遊撃手をしていた俺の前で、
ボールが跳ねたんだ。
皆は、お前のせいじゃないと言ってくれたが、
俺は自分を責めた。もっと、冷静にボールが
見えていたら、もっと勝ち進めていたんじゃ
ないかって。
ここの住職もその時のメンバーでな。
この寺は、当時住職の親父さんが守っていた。
俺をこの寺に連れてきて、
今日と同じように座禅を組ませてくれたんだ」
竹村は、昔を思い出すような目をしていた。
「こうして、森の中で静かに座禅をしていると、
自分の悩んでいる事なんか、小さい事のような
気がしてくるだろう。
人生、失敗する事もある。
しかし、それもまた、
自分の糧にして生きれば、
自分自身も成長出来るんだ。
それ以来、俺は目先の事に捉われて悩んでしま
った時には、 ここに来させてもらってるんだ。
監督に無理を言って、この二日、
時間を作ってもらったのも、
君らに野球の技術だけじゃない
人間力を育ててほしいと思った
からなんだ」
竹村は、一人一人の選手の顔を見回した。
「この二日の事は、俺の独断でした事だから、
君達も頭の片隅に留めておいて、
くれればいい。
また、明日から監督の下で、
厳しい練習が始まるだろうが、
住職の言った不動心を自分の中に
植えつけるつもりで、
頑張ってほしい」
帰りのバスに揺られながら、
雄介は、伊藤達と週に何回かは、
練習の後に座禅を組んで、
その日の反省やイメージトレーニングに
つなげようと話し合った。