チームの成長
4月下旬から5月にかけて、春季大会の
本番を迎えた。
安田は、有望な下級生の多いこのチームを長い目で育てようと
考えていた。
そのためには、右の本格派の田所一人では、
甲子園への道は開けない。
安田は、春季大会や練習試合を通して、
2番手の投手を育てようとしていた。
その筆頭が、左のサイドスローの坂本だった。
坂本は冬の走りこみなどを通じて、
球速、変化球の切れ共に、勢いを増していた。
安田は春季大会でも、坂本を先発で起用する事に決めた。
それと平行して、チーム内で肩の強い遊撃手の西城と
センターの三島にもピッチング練習を始めさせた。
何としても、田所、坂本以外に数イニングは、
持ちこたえられる投手を作っておかないと、
炎天下の夏の大会は乗り切っていけない。
雄介は、各投手の球を投球練習場で捕球し始めた。
特に、雄介は西城のボールを 直接受けて、
その球の伸びに驚いた。
西城自身も、野球を始めてから、
一度はマウンドに上がってみたいという
希望を持っていたという話だった。
春季のN県の県予選が開幕した。
この大会は県内で一位にならないと各県の代表が
集まる地方大会に出場する事は出来なかった。
ただ、甲子園を最終目標にしている私学の強豪校などには、
春の大会をいろんな選手を試す、プロ野球で言うところの
オープン戦のような目で見ている学校が多かった。
甲子園帰りのK大付属も、エースの斉藤を温存して、
出さないようにしていると、
試合を見学に行った伊藤やマネージャーの大塚由美子が、
報告した。
そんな中、大村高校は勝ち続けた。
背番号10の坂本が秋以降の成長を近隣の
高校相手に見せつけた。
左のサイドから繰り出す坂本のカーブに、
相手の左打者は腰を引き、
右打者相手には丹念にアウトコースの低めを
突く速球で、内野ゴロの山を築いた。
リリーフに出た西城や三島も、エースの田所を
出すまでもなく、相手打線を抑えた。
打線も3番の佐々木、4番の西城、そして一年で
抜擢された5番の三上が打ちまくり、
1、2回戦は快勝し、ベスト8に駒を進めた。
また、安田監督のの檄が飛んでから、
チーム内の雰囲気も変わり始めた。
良い意味でのお互いに対する厳しさが出始めた。
味方の選手の失敗に対しても容赦のない野次が、
飛んだ。
「何だ、そんな簡単なバントも出来ないのか」
「今の走塁は何だ。きちんと全力疾走しろよ」
手を抜く選手には容赦のない罵声が、ベンチから飛んだ。
その結果、試合に出ている選手も出ていない選手も、
一体感や集中力をより強く感じ始めていた。
準々決勝の相手は、甲子園の常連の星村学園だった。
県の代表が集まる秋の地方大会で敗れた星村学園は、
この春の大会を「チームの再生」と位置づけ、
本気で臨んでいた。
エースに成長した外山の投球をバックネット裏で偵察した伊藤は、
「球速が145キロは出ているようだった」
と報告した。
安田は、相手がその気なら、こちらもエースの田所を出して、
本気で戦おうと決意した。
この頃から大村高校の地元のM町でも、雄介たちの
チームに期待を寄せる人が増えて、試合を見に来る観客も
増え始めた。