山中の事情
「どうしたんだ、山中」
日が暮れていく校庭の隅で、雄介が最初に声を掛けた。
「俺が母子家庭だという事は皆も知っているだろう」
雄介もその事は聞いていた。山中は幼い時に父親を病気で亡くし、
母親が必死に働いて、家計を支えてきた。
山中も新聞配達のアルバイトをしていた時期もあると言う。
「でも、母さんは、俺に普通の家の子と同じ夢を見てほしいと
存分に野球をさせてくれたよ。
俺もそのおかげで、今まで皆と野球を楽しむことができた。
その母さんが、最近、体調を崩して、病院で見てもらったら、
内臓を悪くしていて、何ヶ月も入院生活が必要だと言うんだ。
俺には、まだ、中学一年の妹もいる。
今度は、俺が野球を辞めて、家計を支えたいんだ」
山中は、そういうと少し涙ぐんだ。
周囲に沈黙が流れた。
しばらくして、西城が沈黙を破るように言った。
「なあ、山中、俺たちに何か協力できる事はないか。
このまま、お前と野球が出来なくなるなんて、残念でならないよ」
「そうだ、この9人、いや、マネージャーの二人も含めて、
俺たち一年生の11人は3年の最後の夏まで、一緒に野球をやろう」
三島も続けた。
「皆の気持は嬉しいけど、俺と皆とでは家庭の事情が違うんだよ」
山中は寂しそうに笑った。
「馬鹿野郎」
いきなり、井口が怒鳴るように言った。
「そんなのおかしいじゃないか。だって、誰も自分の家庭環境なんて、
選んで生まれてこれないことなんてわかりきっているじゃないか。
そんな事で、差がついてたまるかよ」
「井口の言う通りだ。俺の家は八百屋をやっているけど、最近は、
大きなスーパーが地方にも出てくるだろう。
父さんも母さんも何も言わないが、俺には店の経営が
苦しいのはわかっているんだ。
だから、俺はレギュラーポジションをまだ貰えてないが、
いつか、俺が活躍する事で、家族に恩返しをしたいと思ってるんだ
山中のお母さんも同じ気持じゃないかな」
と、いつも明るい伊藤も激しい口調で言った。
「そうだよ、お前と妹さんの二人になるなら、
俺たちが泊まりに行って、協力できる事があれば何でもするし、
何とかなるよ」
田所も言った。
「そうよ、妹さん、中学生なんでしょう。
困ったことがあったら、私と照子が妹さんの相談相手になるわよ」
大塚由美子も笑顔を見せた。 坂本と上田も口々に言った。
「何も結論を急ぐことはないだろう。明日、監督と部長に相談しよう
きっと、何か、いいアドバイスをしてくれるはずだ」
「そうだ、俺たちは特待生を受け入れている都市部の裕福な学校とは
違うけど、小さい町の人間でもここまで出来るんだ、と言う所を
見せたいと思っている部分もあるだろう。
ここで、お前が辞めたら、俺たちが野球を続けている意味はどうなるんだ」
「皆、本当にありがとう、そこまで俺のことを心配してくれて
監督と部長にも相談して、何とか野球を出来ないものか
俺も考えてみるよ」
ようやく山中も笑顔を見せた。
翌日、山中は自分の家庭の事情を安田監督や竹村部長に話した。
竹村と安田は、入院中の母親や山中の親戚と連絡を取って、
学費の援助などをしてもらう事で、
山中もどうにか野球が続けられることになった。