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 つぎの日。村の長老の妻であるおばば様が、浜へ出て祈祷をし、海へ酒をささげた。みな、男も女も老いも若きも幼いものも、白い着物を着てこうべを垂れ、祈祷を見守った。

 おばば様は巫女である。がしかし、星読みのような特殊能力はない。その村でいちばん年長の女がいちばん霊力が高いとされているのだ。島では、神事にたずさわるのはすべて女、それも年かさのいった女だ。巫女はあらゆる祭事にかかわり、日常ではまじないを施すこともある。病を治したり、けがや精神的な衝撃から、抜け殻になってしまったもののたましいを呼び戻したりするのだ。

 儀式が終わると、長老の宅で村の者たちに酒や魚料理がふるまわれた。広いとはいえない屋敷に村中の人間が収まるわけもなく、みなめいめいに外へ出てむしろを敷き、そこで飲み食いし、騒ぐ。夕闇が訪れるころには、大人たちの酔いがまわり、歌い踊るものもあった。

 島の若い娘たちとともに炊き出しを手伝っていたユウナは、ひさびさにサリエと話した。赤子はずいぶん大きくなっている。

「かわいい。抱っこさせて」

「いいわよ、そのかわり、重いよ」

 愛くるしい赤ん坊を胸に抱き、その目をみつめて、ばあ、とあやして遊ぶ。きゃっきゃっと声をたててサリエの赤ん坊がわらった。

「ユウナのこと好きみたい、この子」

「そうならうれしい」

「ユウナもきっと、いいお母さんになるわ」

「やだ、サリエったら」

 赤ん坊のふくふくした小さな手をやさしく握りながら、ユウナは笑った。

「まだまだ先だよ、お母さんになるだなんて」

「あら? だって、縁談がまとまりそうなんでしょ?」

「は?」

 目をぱちくりとしばたいて、きょとんとするユウナに、サリエはさらにたたみかける。

「とぼけたってむだよ。ライラが、あんたのこと嫁にするって言いまわっているらしいじゃない」

「何それ、知らない」

「……ほんとに?」

「うん。あたし、そもそもライラと話したこともないし、顔だってよく覚えてないんだよ。それに、一度、縁談を断って、彼の家も納得してくれたの」

「でも」

 あばば、と赤ん坊がユウナの顔に手をのばす。よしよし、とサリエがユウナから我が子を受け取った。

 大きなアコウの木の根元で、酔って赤い顔をした大柄な男が豪快な笑い声をあげている。あれがライラよ、とサリエはささやいた。

「……笑いかた、お父さんにそっくり」

「え?」

「お父さんのことは知ってるの。気さくで飾らない感じの人だけど」

 ……だけど。

「ふうん。ま、息子のほうは、いかにも強引に女を手籠めにしそうな感じにみえるわね」

「ええ? まさか。だって、ライラ本人からは何も言われてないんだよ、あたし。お父さんのほうがね、息子があたしのこと、その、気に入ってる、とか言ってくるんだけど……本当なのかどうか」

「そうなの? ふうん。じゃあ普段はおとなしいのかしら。酒が入ると気が大きくなるのかもね」

 ひそひそとささやき合う。赤子が泣いたので、サリエは乳を飲ませに長老宅の中へ戻った。

 ユウナがひとりになるのを待ち構えていたかのように、近寄るものがあった。ライラと一緒に飲んでいた若者だ。

「ユウナさん、でしょう。ほら、こちらへ来て一緒に飲みましょう。恋人がお待ちかねだよ」

「はあ? 何言ってるんですか?」

 若者はひどく酒臭い。ユウナの手を強引に引いて、アコウの木のもとへ無理やり連れて行く。

「はなしてっ」

「やだなあユウナちゃん。おれが悪いことしてるみたいじゃないかあ」

 へらへらと赤い顔をして笑う男に、鳥肌がたちそうになる。むしろの上にどっかりとあぐらをかいていたライラが、ユウナを見るとぱっと目をかがやかせ、こっちに来いよと言った。

――なに、その言い方。まるで恋人気取り。はじめてことばを交わすというのに!

 あぜんとしていると、取り巻きの男たちに背中を押され、ライラのとなりへ強引に座らされた。ライラはずいっとユウナへ自分の顔を近づけた。反射的に身をよじり、そらす。

「ほんとにかわいいなあ、おれのユウナは」

 などと言う。あんたのものになったおぼえなんかないと、はねつけようとしたが、一瞬躊躇してしまう。怖かったのだ。ライラの顔は赤く、目もすわっている。酒のにおいがきつい。相当酔っているようだ。サリエの言うように、酔って人格が変わるたぐいの人間なのかもしれない。とても、恋の告白を親まかせにした男とは思えない。

「婚儀はいつにする」

「は、はあ? あたし、一度、ちゃんと断ってますよね?」

 つとめて冷静に告げようとこころみるも、どうしても怒りが湧き上がってくる。

「あんな星読みの言うことなんか真に受けるな。あれは力がないんじゃないかとみんな疑ってるぞ。先代の星読みにどうやって取り入ったのか知らないが、見てろ。そのうち森から引きずり出して化けの皮をはぎとってやるからな」

 ライラの目が蛇のようにぬめって、ユウナはぞくりと冷えた。硬直したからだに、武骨な大きな手が伸びてくる。その手はユウナの太ももを這いまわった。

「いやあっ!」

 ユウナは叫んで、ぱしんと手を払いのける。立ち上がり、ライラを睨みつけた。

「ごめんなユウナ、急ぎすぎたな。まだ男女のことは何も知らないのだろうに。夫婦になってから、おれがゆっくり教えてやるから、な」

 下卑たうす笑いをうかべながら、なおもユウナのほうへ手を伸ばす男のことを、心底気持ち悪いと思った。怒りにからだはわななき、頭は沸騰し、気づいたら、酒を。海へ捧げられた神聖な酒と同じ、長老さまからふるまわれた、酒を。ライラの頭のうえに、どぼどぼと流していた。

「ユウ、ナ?」

「気持ち悪い。あたしの名前呼ばないでよ」

 さあっと潮が引くように、まわりの若者たちが静まり返っていく。

「あんたの嫁になるくらいなら、舌を噛み切って死んだ方がましだわ!」

 大声で叫ぶと、ユウナは一目散に駆けだした。

 集落を出て、林を抜ける。細い糸のような月が追いかけてくる。夢中で駆ける。海へ出る。湿った砂浜を蹴って駆け、勢いはそのままに、夜の海へと身を投げ出した。

 秋の海は冷たかった。着物が濡れ、髪も濡れ、じんじんとからだが冷えて行く。

 洗い流したい。あの男が触れた場所を、洗い清めたい。

 つめたい波にもまれ、ユウナは泣いた。あの男の家は豊かで力がある。父親も息子に甘いようだ。強引に推し進められるだろう結婚の話を、両親がはたして断り切れるだろうか。

 このままどこか遠い場所へ流されてしまいたい。あの、やさしい銀色のかみさまがいるところへ行きたい。

 波の音がひびいている。この海の果てを自分は知らないし、これから知ることもない。つまらない男のもとへ嫁がされ、つまらない一生を終えるだけ。

 ふと、視界のはじに、小さなひかりがともった。顔をあげると、岬の端で、灯台のひかりがふわふわと浮かんでいる。

――トキ。

 ユウナはまた、泣いた。自分の胸にいつの間にかともってしまった、消せない火のことを思って、涙を流した。


 ユウナがライラに派手な啖呵をきったことは、あっという間に村中に広まった。

 母とふたりで食事をとっている最中に、市へ出かけていた父が帰ってきた。眉を下げ、「まったく、針のむしろだ」と苦笑する。

「……ごめんなさい。とうさまとかあさまの顔をつぶしたことは、悪かったと思う」

「まあ、そんなに深刻になるな。向こうさんも悪かったと言ってくれている。親父さんが、息子は酒癖が悪くて、とこぼしていたよ。本当に失礼なことをしたと、ライラがえらく沈み込んでいるらしい」

 具体的になにがあったのかを聞かないところは、父のやさしさだった。

「本当に反省しているのなら、どうしてあたしに直接あやまりに来ないのかしら」

 ――いつも父親が出しゃばってくるじゃない。

 普段、父の影にかくれて何も言えないからこそ、酒がはいるとあそこまで傍若無人になるのだろうか。

「ユウナ。あちらさんは、お前のふるまいを水に流すと言ってくれているんだぞ」

「向こうだって悪いのに、ライラの家のほうが立場が上なのね。水に流すだなんて」

――あたしは簡単に流せない。許せないわ。

「やっぱり少し頭を冷やす時間がいるな。それからだな、……ライラの家族と会うのは」

「会う? ライラたちと?」

「ぜひ嫁に、と」

 目の前が真っ暗になった。父は苦々しげに眉をよせる。

「頑として聞かないらしい。……どうしたものか」

 ユウナはふらりと立ち上がり、膳を片づけはじめた。母が顔をあげる。

「ぜんぜん食べてないじゃないか」

「いらない。……ごめんなさい」

 ユウナはそのまま、外へ出た。

 浜辺で、ひざをかかえて、海で跳ねる光の粒を見ている。秋の午後の、やわらかな光。今宵は新月だったかしら、ぼうっとそんなことを考える。

「ユウナ」

 呼ばれて振り返る。母が追ってきていた。

「大丈夫かい」

「……うん」

 母はユウナのとなりに腰を下ろした。

「何があったか知らないが、ライラは悪い子じゃないんだ。真面目でおとなしい青年だ。ゆうべは酒が行き過ぎたんだろう」

「でも、いくら酔っぱらってても、心のなかにない言葉は出てこないはずよ」

 逆に言えばあれがきっと本心なのだ。自分にたいして下品なふるまいをしただけじゃない、リゼのことも悪しざまに罵っていた。

「ユウナ。どうしても、お嫁にいくのは嫌かい」

「嫌よ」

「相手がライラじゃなくても、かい?」

「…………」

 考えるまでもなくわかっていた。相手が誰でも、嫌だ。

「母さんもね、ユウナが納得できる相手と一緒になるのがいちばんだと思う。ライラのことがどうしても嫌なら、無理強いはしない。のらりくらりとかわすさ。だけど、な」

 母のふかい吐息が聞こえる。

「あれはだめだ。灯台守の息子は」

「かあさま」

「あれはよそ者だ。どこの生まれかもわからん。溶け込もうという気持ちもない。村の神事にもいっさい出てこないらしいじゃないか」

「どうして、そんなこと」

「みな、うわさしとる。あれの育ての親もろくなもんじゃない。ぐうたらで、昼間は家によその嫁を連れ込んでいるといううわさだ」

「ぜんぶ、人から聞いたことじゃない。それに、育ての親って」

 トキ本人から聞いてはいたが、母がくだらない噂話をあっさりと鵜呑みにしているのが解せない。

「見ればわかる。まったく似ていないからな。あの髪の色、目の色、この島のどこにそんな人間がいる。それもそのはず、赤子のとき浜に打ち上げられていたという話だよ。わざわいをもたらすといって皆が持て余していたら、変わり者の灯台守だけが引き取るといって手をあげたそうだ。あれには家族がないから、身の回りの世話をさせたり、灯台の番をさせたりしたかったんだろう」

 赤子のとき浜に打ち上げられていた……。ユウナはサリエの赤ん坊のことを思い出していた。まんまるく澄んだひとみで、手のひらは信じられないぐらい小さく、声をあげてわらい、張り裂けんばかりに泣く。守ってあげたいと思わせる、いとおしい存在だ。なのに、そんな小さな赤ん坊にたいして、わざわいをもたらすなどと、どうして言えるのか。

「ひどい。みんな、ひどい」

 こみあげるやるせなさに、胸がしめつけられる。

「みんな、どうしてトキのほんとうのすがたを見ようとしないの?」

 やわらかい笑顔、やさしく下がる目じり、海の果てをみつめるくもりのない瞳。率直で、するどく刺さる言葉。なにかを押し殺すかのように、ときおり、遠くを見やるその横顔も。みんなみんな、なにも、知らないくせに。

「会うなとは言わない。無理やり引き離しても火に油だからね。だけど、結婚は許さない。それは肝に銘じておきなさい」

 有無を言わせない母の言葉。心配しなくても、結婚なんてありえないわと思う。トキにとって自分は妹のような存在であり、けしてそれ以上にはなり得ないこと、ユウナは痛いぐらいにわかっている。

――トキはリゼのことを思っている。あたしにはわかる。ふたりはどこか、似ている。

「今夜は新月、か」

 重い空気を振り払うように、母が話題を変えた。

「星読みは新月の夜に塔へのぼるのでしょう?」

「ああ。……しかし。あれもかわいそうな娘だ」

「リゼのこと?」

 母はうなずく。

「完全に星読みとしての信用を失っている。まだ十八だ、みな気長な目で見てやればよいものを、嵐や大波がかさなって余裕がないんだよ。森から出して予言をさせようとか、力があるのか証明させようとか、息まいているらしい」

 ライラやライラの父の言葉が脳裏によぎる。

「となり村ではリゼの実家がいやがらせを受けているらしい。嵐ですべてを持って行かれたやるせなさの、ぶつけ場所がほかにないんだろう。それにしたってひどい話だよ」

 母は立ち上がって着物の砂をはらった。

「いつまでもさぼってないで畑へ行かないと。ユウナは、そうだね、貝や魚を獲ってきな。晩のおかずにしよう」

 そう告げて、浜を去った。

 言いようのない不安が、ユウナの胸に満ち満ちる。

 日が暮れて、月のない、リゼが星に祈りをささげる夜、ユウナもまた浜へ出て海へ祈った。幼き日に出会った銀色の大きなもの――ユウナだけのかみさま、に。トキは神などいないと言ったし、大きな存在自身も、みずからを神ではないと言った。それでもユウナは祈るよすがが欲しい。


――おねがい。守って。リゼを守って。トキを守って。おねがい、おねがい――



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