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 ぎらぎらと照りつける真夏の太陽に焼かれ、ユウナの肌はこんがりと色づいた。林の木々は濃い影を落とし、蝉はひっきりなしに鳴きつづける。

 背にしたかごいっぱいに、島みかんが獲れた。青い果実を指で撫で、トキは食べるかなと思いを馳せる。

 星読みの家からの帰りみち、トキと言葉を交わしてから、いまだ彼には会えていない。ちがう村の所属だからばったり会うこともなく、だからといってわざわざ約束を交わすほど親しいわけでもない。

 家へもどり、背かごからかたちのよいみかんを選び、べつの小さなかごに取り分けた。灯台まで届けに行くことに決めたのだ。

 迷惑かもしれない。まだ昼間だし、トキがいるかどうかもわからない。会えなければ、だまって引き返せばいい。長い散歩に出るつもりでいれば落胆もすくなくてすむだろう。

 ときめく胸とはやる心をなだめつつ、ユウナは、林の洞窟そばの泉水に立ち寄り、水筒に水を汲んだ。サトウキビの畑に囲まれた道を過ぎ、岬へつづくわき道へそれる。アカギの木が生い茂る林のなかを進む。急坂がつづく。灯台は小高い山のてっぺんにある。

 やがて木々がとぎれ、白ちゃけた、ごつごつした岩たちがあらわれた。その向こうに石積みの塔がある。塔、――灯台――の下は海、いわば断崖絶壁のうえに建っているのだ。

 灯台のすぐそばに離れがある。粗末な、小屋と呼ぶほうがふさわしいような家だ。ユウナは駆け寄った。

 引き戸がわずかに開いている。その隙間から中に向かって声をかける。

「……こんにちは」

 反応がない。声が小さすぎてだれも気づかないのだろうか。

「こんにちは」

 思い切って、さきほどより大きな声を出す。やはり反応はない。

 留守だろうか。引き戸の隙間にユウナはそっと手をかけ、引っ込め、また手をかけ、と繰り返す。すうっと息を吸い込み、少しだけ、引き戸を開けた。少しだけ。

「……あの。だれか……」

 ユウナの、消え入りそうにかぼそい声に応じるものはいないが、陽のささない薄暗い家の中で、何かがうごめく気配がある。かすかに、音。衣擦れのような……。

「こんにち、は」

 勇気をふりしぼって大きな声を張り上げる。奥の暗がり、扉の向こうから、だれ? と声が返ってくる。女の、声だ。

 ――トキには母親はいないと言っていた。お姉さんもいないはず。じゃあ、あの声は……。

 固まって動けないユウナの耳に、ささやくような会話がとどく。

――だれか来たみたいよ。

――いいさ、ほっとけ。

――女の子の声よ。あんた、まさか。

 と、背後から、突然、腕をひかれた。ひっ、と声が出そうになるけど、大きな手で口をふさがれる。ふり返ると、トキがいた。

「何してるの」

「…………」

 答えようにも声が出せない。

「こっちにおいで。今、とりこみ中だから。見ないほうがいい」

 そう言って、トキはユウナの口から手のひらを離す。

「トキ」

「こっちへ」

 トキに腕を引かれ、ユウナは家から離れた。来た道を少し引き返し、林のなかへ。トキは道をそれ、木々の隙間の、急斜面のけもの道を下って行く。

「気をつけて」

「……うん」

 トキはユウナの手を引いて、ときおり彼女を振り返りながら、慎重に歩く。山を下るうちに潮騒の音が近くなり、やがて海に出た。いくつも転がる大きな岩たちの隙間をくぐって進めば、そこは真っ白い砂浜だ。

「ここ、知ってる」

「うん。いつか、きみが寝てた浜だよ」

 トキがいたずらっぽい笑みをうかべた。

「もう。その話、蒸し返さないで」

 ユウナはむくれる。

「よくこの浜に来るの?」

 トキはうなずいた。

「昼間はいつも、ここで貝がらを拾うか、向こうの岩場で釣りをするか、だ」

「貝がら? からを拾うの? 食べられないのに?」

「たしかに、食べられないけど」

 トキは笑いをこらえている。

「きみっておもしろいんだね」

「なにが? どこがそんなに、おかしいの?」

 ユウナはむくれたまま、首をひねった。食べられないぬけがらを拾うほうがよっぽど変わってると思う。

「貝がらを細工して飾りをつくるんだ。首飾りや髪飾りや、腕輪なんかを、ね。親父が村に下りて売ったり、作物と交換したりする。きみは興味ない?」

「興味……ない」

 ぷいっと視線をずらす。視界の端で、澄み切ったコーラルブルーの海の切れ端がちらちらまたたいて、まぶしい。

「ところで、きみ。どうして、灯台に」

 はっと顔を上げ、ユウナは、みかんの入ったかごを差し出した。

「……これ」

「くれるの?」

 うなずくと、トキは、「ありがとう」と言った。やわらかい声だと思った。

 浜辺と林のさかい目にはヒルガオがはびこり、ふたりはそこに並んで座り、島みかんを食べる。潮のにおいにみかんの酸っぱい香りがまじり、溶けていく。

「ん。うまい」

「酸っぱいよ」

 口のなかにひろがる酸味に、ほおがきゅっとすぼまる。

「……ごめんな」

 出し抜けに、トキがつぶやいた。

「なにが?」

「いや。親父たちが、その……」

「お父さん? 家のなかにいたの、お父さんだったの?」

「ん。親父と、その女」

 トキは二個目のみかんに爪をたてる。

「人嫌いで通ってるくせして、女は途切れないんだよ。ある種の女を引き寄せるなにかがあるんだろうな」

 皮をむく手をとめて、海へと視線をとばした。

「赤ん坊のおれの世話をしてくれたのも、たぶん親父の女だ」

 ユウナは何も言えなかった。トキの栗色のみじかい髪が、潮風になぶられて揺れるのを、ただ、見つめるだけ。

「や、ごめん。こんな話」

 ユウナのほうに顔を向けたトキの瞳に、さきほどまで浮かんでいたさびしい色はなかった。ただただ、あの海のように、澄んでいる。

「トキ、あの」

「なに」

「あたしでよければ、その」

「ん?」

「なんでも、話、ききたい」

 どうしてこんなに顔があつく火照ってしまうんだろう。ユウナは思う。これは、浜に照りつける太陽のせいじゃない、焼かれた砂の熱のせいじゃない。自分自身の内側からわきあがる熱。

 ユウナは水筒の水をごくごくと飲んだ。ふいに、自分に向けられたやわらかいまなざしに気づく。

「トキ?」

「きみっていくつ?」

「じゅう、ろく」

「おれのふたつ下だ」

 ユウナはうつむいた。トキは十八。星読みのリゼと同い年だ。

 リゼのことが好きだと言ったことばに嘘はない、それなのに彼女のことを思うと胸の奥がちくりと痛む。

 ユウナは気づかないふりをする。あのひとは自分をたすけてくれた。やさしく手をにぎってくれた。いい友達になれそうな、そんな気がする。なのに。

「――感じかな」

「え?」

 風にまぎれて、トキの言葉が全部聞き取れなかった。

「妹がいたらこんな感じかなって。思った。きみを見てたら」

「…………やだな。あたし、末っ子で、お兄ちゃんもお姉ちゃんもふたりずついるし。もういらないよ、お兄ちゃんなんて」

 拗ねると、トキは笑ってユウナの頭を撫でた。それは、家を出てそれぞれ別の所帯をかまえている兄たちがよくする仕草そのもので。ユウナはなんだかおもしろくなくて、むくれた。

――もう十六なのに、みんな、あたしのこと子どもあつかいする。かと思えば父さまたちはいきなり嫁に行けなんて言い出すし、あたしってなんなの?

「あたしにだって。お嫁にもらいたいって言ってくれるひと、いるんだよ」

 気づいたらそんなことを口走っていた。

「へえ」トキは目をまんまるく見開いた。

「お嫁にいくの?」

「行かないよ。あたしのこと好きなくせに、直接あたしに言いにこない意気地なしのとこなんて。それに、あたしにはちゃんと運命のひとがいるんだから」

「ふうーん」

 口もとをゆるませておもしろがるようなトキのそぶりに、いらいらする。

「リゼが言ってたんだもん。あたしには結ばれるべきひとがいるって、言ってたんだもんっ」

 足もとに這っているヒルガオのつるを、ぶちっとちぎった。トキはなにも言ってこない。からかってもこない。そっと彼の横顔を盗みみると、口を引き結んで、じっと海の果てを見つめている。

――しまった。リゼの名前、出すんじゃなかった。

 聞いてみたいけど、聞く勇気が出ない。トキだって触れられたくない話に決まっている。

 リゼとトキの関係。ユウナの勘が正しければ、ふたりは恋仲で、だけどリゼは、

「そうか」

 トキのつぶやきがユウナの思考をさえぎった。

「早く出会えるといいね、きみの、運命のひとに」

 トキはそう言って立ち上がった。ユウナも立ち上がろうと腰を上げて、その途端、軽い眩暈がして視界が暗くなる。

「だいじょうぶ?」

 とっさにトキに手をひかれ、ユウナは倒れずにすんだ。そのかわり、よろめいた勢いでトキの胸に包まれるようによりかかってしまう。

 ユウナはすぐにからだを離した。

「あ。あり、がと……」

 どきどきしすぎてトキの顔が見れない。うつむいたユウナの頭のうえに、そっと、大きな手のひらが乗った。



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