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 坂道を下り、照葉樹の森を抜けると、空は朱に染まっていた。丸い陽があかあかと燃えて落ちていく。ぬるく湿った風がふく。ユウナはもう一度きびすを返し、こんもり茂る森を見つめた。森の奥はさらに深い、ガジュマルたちの森。星読みだけが踏み入ることのできる神聖な場所。

――ふしぎなひと、だった。

 しばらくぼうっとたたずんで、ユウナはリゼとの時間を反芻していた。白い小道が夕陽に照らされて、ユウナの影が長く伸びる。ふと気づけば、ユウナの影のそばに、もうひとつ、ひときわ長い影があった。

 思わずふり返る。あっ、と声をあげそうになってあわてて口を押える。

 あのひと。

 夜の浜で会ったときよりも背がのびて、すっかり青年らしくなっているが、あの海色をした瞳のかがやきは変わらない。こんな、こんなところで会えるなんて。

 青年はふいに視線を落とすと、ユウナと目を合わせた。

「こんにちは」

「……こんにちは」

 どきどきしていた。ほおが熱いのは、きっと夕陽に照らされているせいだ。ユウナはそう自分に言い聞かせる。

「森のそばへ、行っていたの?」

「……はい」

「そう」

 彼の澄んだひとみが揺れる。さびしげに伏せたまつげの影。あの、とユウナは思い切って切り出した。

「おぼえていますか。ずっとずっと前。あたし、あなたに会ったことがあります。浜で。溺れたのかって、心配してもらって、」

 たどたどしく言葉をつなぐユウナの顔を、青年はじっと見つめ、ややあって「ああ」と口をひらいた。

「浜辺で寝てた子だ。あのときは本当に、びっくりした」

「あの。あたし、ごめんなさい。心配かけたのに、逃げるように走っていっちゃったから。あのときは、その……、あまりに恥ずかしくて」

 今だって思い出すと顔が熱くなる。濡れた着物に砂が貼りついて、ひどいすがただったにちがいない。

「そうか。てっきり、怖がらせちゃったのかと思って」

「怖がる……? どうして……?」

「気持ち悪くないの? おれの、目」

 青年はそのみずいろの瞳をくもらせた。ユウナは吸い込まれるように見入ってしまう。

「とても、きれい」

 思ったままを、素直に口にしてしまう。あまりに率直すぎたと、ユウナがわれにかえってふたたび赤面していると、青年は、びっくりしたように目を見開き、やがて、

「ありがとう」

 と、笑った。

――笑ってる。笑うとまゆが下がって、ちょっとだけ、困ってるみたいな顔になる。

 ユウナはそんなことを考えていた。心臓はうるさいくらいに高鳴って、顔も手も足も火照って熱くてたまらない。それなのに胸の奥のほうがきゅうっと縮んで痛いような、苦しいような、息ができないような、味わったことのない感覚に戸惑ってしまう。

 どこから来たのと問われて、みずからの村の名を告げる。ふうん、とだけ青年は言って、森に背を向け、そのまま歩きだした。ユウナはあわてて追いかける。もう二度とこんな偶然はありえないような気がした。青年は歩をゆるめ、ユウナの歩く速さに合わせた。

 あたりにはふたりのほか、だれもいない。暮れなずむ白い道を、肩をならべて歩く。ややあって、青年が遠慮がちに口をひらいた。

「きみは、その、何をしに、森に」

「……相談、に。星読みのところへ」

 正直に告げると、青年は口を引き結んで、だまりこんでしまった。あなたこそあんな場所でなにを、と、聞き返すこともできたが、しなかった。わかっているから。

 彼は、リゼを。リゼのおもかげを追って、だけど踏み入ることはできなくて、森の入口でひとり、たたずんでいたのだろう。ユウナには、わかってしまう。はじめて彼を見たときからずっと、わかっていたことだ。

 うつむいて歩く青年は自分のなかの迷宮に入り込んでしまったがごとく、何もことばは口にせず、それどころか、となりにユウナがいることすら忘れてしまっているようだ。

「あの。灯台守、の」

 なにかに急き立てられるように、ユウナは思いついた単語をそのまま口にしてしまう。サリエが言っていた、彼は灯台守の息子だと。青年は少しだけ口の端を上げる。

「おれは有名人なのかな。ほかの村にまでうわさが広まっているなんて」

「そんな、こと」

 しまったと後悔していた。青年は村のものたちから避けられているという話だ。自分が皆に良く思われていないことを、だれよりもこの青年自身がわかっているにちがいない。

「あの」

 何を言えばいいんだろう。何を。

「ひと晩じゅう、薪を燃やし続けるんですか」

「ん。まあ、ね。親父と交代でやっているよ。日没に火をともすのは親父、夜明けとともに火を消すのは、おれだ」

「たいへん、ですね」

「そんなことないよ。ひとりじゃないし……。星読みにくらべれば」

 どきりと心臓がうずく。ユウナは彼の顔を見ることができない。たんたんと、青年はつづける。

「皆と同じじゃいられない人間は、忌み嫌われるか、聖なる存在として崇められるか、そのどちらかだ。結局どちらも、隅に追いやられて避けられる」

 感情のこもらない平坦な声に、ユウナは胸がくるしくなる。

「村から追い出して、あの森に縛り付けて。そのくせ、自分たちのいいように、利用だけはする」

 皆とちがう髪の色、瞳の色。皆とちがう、未来を見通すちから。星読みなんてかわいそう、と言っていたサリエの声。彼の話はしないほうがいいと釘をさされたことも。よみがえって、ユウナは、くるしくなる。

 自分はいまだかつて、そんな風にうとまれたことも避けられたこともない。なのに彼らは。

 着物の生地をぎゅっとにぎりしめる。

「あたしは」振り絞るように声を出す。

「あたしはリゼが好きです。今日、会って、好きになりました。あたし、は」

 自分がなにを言っているのかわからない。

「あたしは、避けたりなんか、ぜったい、に」

 鼻の奥がつんとする。

「したく、な、い」

 あなたのことも。声にならないつづきのことばを、彼は汲んでくれたのだろうか、困ったように眉を少しだけ下げて、ふっと、笑った。

 灯台のある岬へつづくわかれ道で、ユウナは彼の名を聞いた。

 トキ。灯台守のシュウキの息子。母親はいない。自分がシュウキの本当の息子かどうかわからない、村人はみんな拾われた子だと噂する。自分でも真実はわからない、と言った。となり村に住むユウナの耳にだって、いずれはトキに関するさまざまなうわさ話がはいるだろう。それを見越して、彼は自分の口から率直に事実を告げたのだった。

「きみは」

「え?」

「名前」

「……ユウナ」

 島はたそがれ。空と海のさかい目に、夕陽のなごりの赤がうっすらと残り、天頂へむかってうす紫からみずいろへとグラデーションをえがく。昼と夜のあわい。

 花のなまえだ、とトキは言った。ちいさくほほえむと、気を付けて、とだけことばを残して、彼は、自分の住む場所へと帰っていった。ユウナも、また。自分の村へ、両親の待つ家へ戻る。

 星読みに言われたことばを両親に告げると、予想どおり、「それならば仕方ない」と縁談はあきらめてくれた。星がさだめた相手が、ほかにいるというのならば。


 その夜ユウナは眠れず、浅いまどろみをうつらうつらとさまよって、夜明け前に身をおこして外へ出た。村に面した海辺と反対側、森のほうから日はのぼる。ユウナはひとり浜に出て、じっと、となり村と自分の村をへだてるちいさな岬の先端を見つめていた。夜明けとともに火を消すのは、トキ。空が白み始め、息を詰めて見つめるユウナの瞳にうつるちいさな灯りが、ふっと、消えた。

――おやすみなさい、トキ。

 浜にはやさしい風が吹いている。太陽が海を照らしはじめ、ユウナは、砂地を駆けた。また会いたいと思った。彼に。会いたいと、思った。



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