33-2話
「とうとう、来てしまった」
魔王のお城とかに行く勇者ってこんな気持ちなのかなぁと現実逃避をしながら、海に面した建物を見上げる。まさかこの忌地にもう一度足を踏み入れる事になるとは思わなかった。ザザーンっと聞こえてくる波のBGMが余計に困難に立ち向かっている気分にしてくれる。
というか、普通に考えて、拉致された場所……しかも犯罪者の集う海賊の基地にもう一度戻るなんて完璧自虐趣味だ。我ながら、選択肢のありえない少なさに涙が出そうである。でも混ぜモノである私が住めそうな場所はここしかない。
先輩に図書館の事をお願いした私は、次に自分が住む場所を探しに出かけた。永住するなら山奥と心に決めているので、そこはぶれていない。しかしまだ学校で勉強をしなければいけないと考えると、あまり学校から離れるのは得策ではなかった。
もちろんあのまま図書館に住みつくのも一つの手だが、あそこは居心地が良すぎて、いつまでたっても前に進めない気がする。それどころかこのままでは、引きこもりニートだ。
「ああ、でも……うーん」
今なら引き返せる。
この場所はいくらなんでも早まり過ぎな気がしてきた。かといって、混ぜモノに部屋を貸してくれる所がまったくないのも現実だ。
例えば、伯爵様であるヘキサ兄――ああ、今は兄じゃないか――にお力添えしてもらって、何処か空き民家を借りるという手もある。一応元教え子だし、少しは融通してくれるのではないだろうか。でも伯爵領の近くには魔の森がある為に転移が難しいし……うーん。かといって、自分の叔母に頼むのもちょっと……。流石に神様と同居も色々マズイ気がするし。
当たって砕けるか、それとも逃げて引きこもるか。これがゲームなら、セーブしてから決められるのだが、生憎とここは現実だ。
「あれ?もしかして、先生じゃないっすか?」
「ひっ?!」
ぐるぐると考え込んでいると、ぽんと肩を叩かれ私は反射的にのけぞった。心臓が飛び出るかもしれないと心配するぐらい心拍数が上がる。
肩を叩いた相手は、赤髪をポニーテールに結んだ、何とも派手な格好の青年だった。見覚えはあるようなないような……。でも『先生』という単語には聞き覚えが合った。
私がその単語で呼ばれていたのは、海賊でだけだ。
「ほら、俺っす。ロキっす。覚えてないっすか?」
「えっと、ロキ?」
そういえば、その人のよさそうな顔は、私の記憶を刺激するものがあった。厨房で困っていた時に、よく助けてくれた海賊の青年によく似ている。ただこんなに派手っこい恰好のヒトだったっけとも思うが、なにぶん5年以上昔の話だ。変わっていたっておかしくない。
「もしかして、俺らに会いに来てくれたっすか?嬉しいっす。遠慮せず、入るっす」
「えっ、いや。あの――」
どうしようと悩んでいるだけだったはずなのに、ぐいぐいと中に押しいれられてしまった。ひ弱なもやしっ子な私と、肉体労働どんとこいな海賊では、力の差など歴然としている。
「先生が帰ってしまった後、皆先生に会いたがっていたっすよ」
「……へぇ」
本来ならとてもうれしい言葉であるはずだ。しかし海賊に会いたかったと言われると、ぞくりとしたモノを感じるのは何でだろう。
「あれ?副船長、お帰りなさい。そっちのちっこいのは、誰なんすか?もしかして、コレ――」
「馬鹿っ。副船長の趣味はボンキュボンだってーの!」
小指を立ててニヤリと笑った青年を、別の青年がどついた。相変わらず、賑やかな海賊たちだ。
ん?でも、今変な単語が聞こえたような?副船長とか、なんとか……。
「後で紹介してやるから待ってろ」
ロキはヒラヒラっと手を振ると、私の手を掴んでずんずんと奥に進んでいく。
「えっ、あの。待って、ロキ」
「あいつ等、先生が居なくなった後に入った新人なんっす。後で躾けておくから、勘弁して欲しいっす」
「いや、そうじゃなくて……えっと、副船長なの?」
すると、ピタリとロキは足を止め、へらっと笑った。ゆるい笑顔は、年上なのに何だか可愛くて癒される気分になる。
「俺、頑張ったっすよ」
「へぇ」
「そうっす。だから、ちょっと他の船員が居る所では少し恰好つけるっすけど、先生は黙っていて欲しいっす」
なるほど。だから、さっき口調が違ったのか。
青年なのに、何処か可愛らしさも兼ね備えたロキの言葉に、私はコクリと頷いた。別にロキの事を言いふらしたところで私に利点があるわけでもない。
「やっぱり先生は、優しいっすね」
よしよしと私の頭を撫ぜると、ロキは再び私の手を掴んだまま、歩き出した。
流石に5年も前だと、建物の中の構造は忘れてしまっているようだ。こんなんだったっけと思いながら、周りを見渡す。
「そういえば、何処に向かってる?」
「船長の所っす。見かけたら、ぜひ立ち寄ってもらえって言われてるっす」
「げっ……」
ロキの言葉に背筋がぞくぞくし、鳥肌が立つ。何でだろう。どうしてもロキの言葉の裏から『見つけたら、連れてこい』というセリフが聞こえてくる。
やっぱり選択肢を間違えたかもしれない。
船長という言葉だけで、反射的に脳裏に学校までの転移の魔法陣が浮かんだのは仕方がないと思う。まあでも、今なら転移もできるし、いつだって逃げ出せるじゃないか。大丈夫、大丈夫。
そう自分に言い聞かせるが、足取りがさっきよりも重くなった気がした。
どうしよう。やっぱり、学校へ戻るべきか――。
「『げ』はないだろ、『げ』は。相変わらず、失礼極まりない混ぜモノだな」
低い男の声に、ざわざわっと鳥肌が立った。
「あれ?船長。部屋にいたんじゃなかったんっすね」
「ああ。さっき上からお前らの姿が見えたからな」
ぎぎぎっと、油切れのような音がしそうな動きで声の方を見上げれば、黒髪黒目の男と目があった。この年齢不詳で性格の悪そうな顔は、しっかりと記憶に残っている。
反射的にロキの後ろに隠れてしまったのは仕方がないと思う。あれだ。きっと、この顔はトラウマなんだ。
「お前、まだ人見知りをしているのか?」
いや、人見知りとか、そういう次元じゃないから。
三つ子の魂百まで。苦手なモノはいつまでたっても苦手なんだから仕方がない。
「船長、先生を驚かせたら駄目じゃないっすか」
「むしろ俺は、何故お前の後ろにかくれるのか理解に苦しむんだが」
「人徳っす」
ロキの言葉に、コクコクと頷く。昔仕事を手伝ってくれた優しいヒトと、仕事をおしつけた上に約束を破ろうとしたヒトが居たなら、前者を信頼するに決まっている。しかし船長であるネロは、残念そうな目で私を見た。
「相変わらず、見る目がないな」
どれだけ自信過剰なんだよ。
どうしてそんな結論になるのか呆れたが、私の感覚の方が正常だと思うので、とりあえず無視する。いちいち付き合っていたら疲れるだけだ。
「それで、今日は何の用だ?就職活動か?」
「それだけは、絶対ない」
どうして就職活動で、海賊の根城に近づくのだろう。就職試験の内容が、海賊の撲滅だったとか?うん。ないわ。誰が悲しくて、そんな恐ろしい試験をする場所に就職をするものか。
もちろん、海賊は職業と認めていないので、そういったボケは受け付けていない。
「相変わらずだな。それなら、何の用だ。ただ懐かしみに来たという事だけではないだろう?」
そりゃそうだ。
拉致監禁を懐かしんでそこへ行くって、それはマゾ過ぎる。流石にそんな自虐趣味はない。私はぐっと手に力を込めると、ロキの後ろから前に出た。折角怖い思いをしてここまで来たのだ。ちゃんとやる事だけはやらなければ。
「取引したい」
私は誤魔化されないように、しっかりと目を見開いてネロを見た。今回はあの時のように助けが来るとは限らない。むしろ保護者不在の状態なので、助けはないと思った方がいいだろう。
取引は細心の注意をはらう必要がある。
「ほう」
ネロがニヤリと笑った。
◆◇◆◇◆◇
「これが、俺らが使っている船っすよ」
「へぇ」
海賊の船ってどんなのだろうと思ったが、意外に普通だ。頭の先に羊やライオンがついていたりしない。……ああ、違った。これは前世の漫画の中の話か。
まあその代わりと言ってはなんだが、先頭に女の像が飾られていた。これが海賊のシンボルか何かなんだろうか。
「あれは水の神の像っす。女の形とは限らないんっすけど、どんな船でも守り神として水の神をモチーフにしたものを、必ずつけていると思うっすよ」
私がマジマジと女の像を見ていると、ロキが説明してくれた。
船長との取引で、私はとりあえず仮の住処を得る事ができた。
その代り私はここで掃除などの雑務を行い、以前と同様に厨房に入るように言われている。もっと難しい事を言われるのかと思っていたので、想像よりも大した事のない内容にホッとした。海賊になれはないとしても、海賊の為に魔法を使えぐらいの事は言われるのかと思っていたが……。船長って以外にいいヒトだったりするのだろうか。いやいやいや。おいしい話には裏があると言うし、もっと気を引き締めなければ。
とにかく滞在中に雑務を行う為には、ちゃんと海賊の陣地を知っておかなければいけない。その為ロキに海賊船まで案内してもらっていた。以前は厨房と部屋を行き来するだけの生活だったので、海賊船を見るのは初めてだ。
「旗は?」
「ああ、旗は出港する時に掲げるんっすよ。先生は船は初めてっすか?」
私はコクリと頷いた。
動力は風だけなのだろうか?それとも蒸気船みたいな仕掛けが何かあるのだろうか?今まで海に遊びに行ったりする事もなかったので、全てが真新しい。
そもそも一番近くにいた時は、自分が助かる事が優先で、そんな事考える暇もなかったしなぁと思う。海は混融湖同じように波打っているが、あの時とは違い磯の匂いがした。やっぱりこっちの水は塩水なのだろう。
「じゃあ、折角っすし乗船し――」
「ああああああっ!!」
突然ロキの声を遮る様に、頭上から叫び声が聞こえて、私は顔を上げた。声がした方は丁度太陽が昇っており、眩しくて上手く対象を見る事ができない。一体なんだろう。
「ちょ、副船長っ!その子っ!!」
どうやら、叫んでいるのは少年のようだ。混ぜモノが珍しかったのだろうか?私は太陽の光に眉をしかめながら首を傾げた。
すると誰かが船から身を乗り出し、飛び降りた。
その様子を見て、ぎょっとする。船の高さは結構高い。飛び降り自殺をするには低いが、普通に考えたら怪我をする。
しかし飛び降りた少年は、屈んだような格好で身軽に着地した。ドスッとか鈍い音は一切聞こえなかったように思う。まるで忍者だ。
飛び降りた少年は、背中に大きな剣を背負っていた。高い身体能力から獣人かとも思ったが、黒髪に獣耳らしきものはないし、尻尾などもズボンから飛び出ていない。
何が何だか分からず、私はさっとロキの後ろに隠れた。ロキの事を副船長と呼んだから、たぶん海賊何だろうけれど……。
観察していると、特に足を痛めた様子もなく、少年は上体を上げた。
「ちゃんと階段使わなきゃ駄目っすよ」
「いや。だって、それどころじゃなくてさ……」
そう言って少年は黒い瞳で私をマジマジと見つめた。その瞳を見ていると、何だか懐かしい気分になる。……はて。前に海賊に来た時に、こんな少年いただろうか?
「もしかして、オクトじゃないか?」
私は少年の言葉に、コクリと頷いた。