33-1話 新たな未来へ向けて
コンユウからのメッセージを読んだ私は、色々覚悟を決める事にした。
図書館でまどろむのはとても楽だけど、エストが作ってくれたこの時間をそれだけに使うわけにはいかない。日が昇ってから、一度仮眠を取った私は、腫れぼったい目のままベッドから起きあがった。
「水よ。ここへ」
命令しただけで、盥の中になみなみと水が溜まる。その水で顔を洗うと、眠いながらも若干スッキリとした気分になった。
「……でも、面倒」
生きるって面倒だ。
誰かに関わるって、本当に面倒だ。それでもここで逃げ続けたら、もっと面倒な気分になるのだろう。
コンユウからのメッセージは、何というか、手紙というよりも情報の羅列だった。
戦が何処で起こった。どういう陣形だった。新しい魔法を見つけた。古代魔法を見つけた。賢者を見た。混ぜモノが居た。
世界を旅して、時を旅して、分かった事を書き込んでは本として残し、そして再び混融湖へ飛び込む。そんな生活を繰り返しているのだけは分かった。そこには、コンユウの目的は何も書かれていない。でも何かを変えようとしている。それだけは痛いほど伝わってきた。
そして最後に一言。自分の現在地と、『お前ら、首を洗って待っていろ』という言葉で締めくくってあった。
良し。その喧嘩買った。でも、ただ待つだけと思うな。
エストは未来を目指して過去を生き、コンユウが時間を渡るというのならば、私は彼らの作ったこの世界で彼らを見つけよう。
この時間が何処かで繋がっているというならば、きっと彼らの為に何かができるはずだ。その為には、私は私が生きられる場所を作らなければないない。
どれだけ頑張ったって、私が最弱だという事は変わりない。だから、まずは自分の事からだ。
私は久々に制服に腕を通した。そしてその上に、白衣を着こむ。
学校で勉強できないというのならば、自分で勉強するしかない。幸い、ここには数多くの文献がそろっている。薬学の本は魔法の本に比べてとても少ないけれど、分からなければ、自分で研究だってできるのだ。
「後は――」
私は時計を見て時間を確認した。もうすぐ、アリス先輩が図書館へやってくる時間だ。白衣をひるがえし、館長室を出て、図書館の受付へ向かう。
ああ。体がだるい。重い。正直今すぐ寝たい。
館長室を出ると心細くなって、もう一度引きこもりたくなる。最弱、怠け者、対人関係音痴。でも仕方がない。これが私である。だからそれを認めた上で、最善を目指してできる事をするのだ。
「あら?おはよう。こんな時間に珍しいわね」
受付へ近づくと、アリス先輩は私に気がつきほほ笑んだ。しかしすぐにぎょっとした顔で私に近づいてくると、ガシッと手で私の両頬を押さえた。
「ちょっと、どうしたの?!」
「へ?」
「凄い顔じゃない。ちょっと来なさい」
おや?
色んな覚悟を決めてきたはずなのに、私は先輩に引っ張られて事務処理をする部屋に連れ込まれた。
「ほら。これで少し目元を抑えなさい。冷めたら今度冷たいの渡すから」
渡されたタオルは適度に温かくなっていた。ぼんやり貰ったタオルを見ていると、グイッと腕を掴まれて顔に当てられる。
「あつっ」
「ぼんやりしない。朝は戦争よ。とにかくオクトちゃんも一応女の子なんだから、すこしは身だしなみを気にしなさい」
「えっと……はぁ」
ああうん。まあ、先輩にとっての朝の時間が大切なのは分かる。現在ほぼニートである自分とは違いとても忙しいのだから、戦争というのも間違っていないだろう。
ただ私を女の子扱いするのは如何なものかと……。でも目が腫れたまま、ミウにあった日には、過剰なぐらい心配するだろうし、そう考えれば、少しは身だしなみを整えた方がいいかもしれない。
「髪の毛も、寝ぐせだらけじゃないっ!」
「これぐらいならいいかと……痛タタタタッ」
温かいタオルで顔を押さえていると、今度は髪の毛を引っ張られた。
「ちゃんとお風呂は入っているの?!」
「あー……一応魔法で、垢は落としています」
えっと、駄目じゃないですよね。
恐る恐る先輩を見ると、とても微妙な表情をしていた。
「まあ、現状じゃそれも仕方がないのかしら。でも図書館で働いている以上、最低限の身だしなみは整えなさい」
「はい」
確かに浮浪児のような格好でフラフラするのは、あまり良い事ではないだろう。これでも一応、制服に着替えたりして気を使ってみたのだが、しばらくヒト前に出ない間に、感覚が大分と退化していたようだ。
「折角、可愛い顔で産んでもらえたんだから、大切にしないと」
「そうですね」
「あら、珍しく自信満々じゃないの」
「いや。これは先祖の努力の結果ですし」
顔立ちに関する事は、私の努力ではない。それに私も混ぜモノ特有の痣さえなければ、整った顔をしていると思うし、美醜の判断ぐらいはできる。
たぶん美形系統の顔立ちのヒトは、先祖が面食いだったのだろうなぁと思う。
「……オクトちゃんにかかると、そういう意見になるのね」
何だか疲れたような言葉に、私は首を傾げた。こういう意見ではなければ、どういう意見を望んでいるのだろう。
「そうだ。先輩。少し確認したい事がありまして」
「何かしら?私で答えられる事なら、何でも聞いてちょうだい」
「えっと、今、館長って誰になっているんですか?」
一応現在アリス先輩が館長代理という役を務めているが、代理はあくまで代理で館長ではない。もしも空白ならば、このままだと中立を保つのは難しくなるだろう。魔法使い側、王族側、どちらも図書館の技術は欲しいはずだ。
「そんなの、オクトちゃんに決まっているじゃない。館長が指名したんだもの。私はあくまで代理よ、代理」
やっぱりか。
館長が次の館長に指名したのは、私とコンユウだ。その内、コンユウが居なくなってしまえば、残るは私しかいなくなってしまう。
「なら、ちょっと館長として命令というか、お願い事があるんですけど、良いですか?」
私は顔からタオルを外すと、先輩をまっすぐに見た。
「ええ。館長が貴方を指名した時点で、ここはオクトちゃんのものよ。何でも言ってちょうだい。お風呂が欲しい?それとも、キッチンをもう少し充実させたい?」
「……あの、私、ここに住み着くつもりはないですから」
ここにいるのは、一時的なものであって、永遠ではない。そんな工事されても正直困る。
「ええ。良いじゃない。いつだって好きな本が読めて、引きこもっていられるのよ」
「まあ、それは魅力的ですけど、それもどうかと。ヒトとして色々なくしてしまうと言いますか……」
引きこもりを推奨しないで下さい。本気で引きこもりたくなってしまいますから。折角このままじゃいけないと、部屋から出てきたというのに。
「ちっ」
「舌打ちしないで下さい。一体、何なんですか」
そんな私の自堕落生活を肯定された上に勧められるのは、正直困る。誘惑度合いが高すぎるのだ。
「まあこれは私の見解でしかないんだけど、風や水の属性を持っているヒトってね、中々一か所に留まれない気がするのよね。特に風の属性のヒトが顕著な気がするわ」
「はあ」
血液型占いならぬ、属性占い的なものだろうか。私の場合は、風と水の属性が確かに一番大きい。でも引きこもり気質なので、そんな事もない気がする。あと風の属性と言えば、コンユウか。彼の場合は時を駆け巡っているので、あながち属性占いも間違いではないが……うーん。
この国は比較的色んな属性のヒトが居るので、そういう感じに見えるのかもしれないが、黄の大地は風の属性のヒトが多いというし……眉唾ものな気がする。
「だからね。風の属性のヒトに対しては、少し重石があるぐらいでちょうどいいと思うのよね。ここを住みよい環境にしたら、オクトちゃんも出ていきにくくなるでしょ?」
「……それ、先に言ったら駄目な話な気がするんですけど」
普通、引くと思う。
というか、そういうのはこっそりやるべき事ではないだろうか。気がついたら雁字搦めというのも、かなり怖いので、あれなんだけど。
「あら。オクトちゃんは、こうやって誰かが行かないでほしいと思っているというだけでも、十分重石になると思うのよね。それに、言わないと気がつかないタイプだし」
良くご存じで。
たぶん、言われなければ、凄く過ごしやすいなぁだけで終わった気がする。きっと混ぜモノだから、暴走しないように色々気を使ってくれているんだろうなぁなんて呑気な事を考えている自分が想像できた。
流石先輩だ。ヒトの事を良く見ている。
「それで、もっと過ごしやすくしたいわけじゃなかったら、何をしたいのかしら?」
そうだった。
私は改めて、先輩をまっすぐ見る。
「館長の権限で、次の館長にアリス先輩を指名します」
「は?」
アリス先輩は、想像もしていなかったようで、ぽかーんとした顔をして私を凝視した。まあそういう反応だよなとは思ったので、仕方がない。
「館長が次の館長を選べるんですよね」
でなければ、私が館長になるはずがない。
「ええ……そうだけど。ええっ?!ちょっと、何?!どういうこと?」
「色々考えた結論です。私よりアリス先輩の方が相応しい」
「ちょっと、何言っているの?!私は、時属性を持っていないのよっ!」
悲鳴のように叫び慌てふためくアリス先輩を見るのは初めてだった。慌てるとこういうヒトだったんだなぁと思うと、少し可愛らしい。どうにも先輩は、初めて館長室に案内してくれた時の印象が強くて、冷静沈着なイメージなのだ。
「そして私は、館長を引退して、図書館の協力者になります。引き続き時魔法は継続しますし、私がもし時魔法を維持できなくなった時の対策も考えておきます」
「そんなのオクトちゃんが館長をして、新しく時属性の子を探していけば――」
「いつまでも時属性にこだわっていたら、ここを維持していくのは難しいと思う」
私は駆け引きとか、そういう事に向いていない気がする。そんなヒトが館長になれば、数年で図書館は魔法使いか王家のモノになってしまうだろう。
ここはエストが皆に残してくれた逃げ場なのだ。私を含めて、勢力争いに利用されやすい何かを持つ生徒が、ここで働いている気がする。だからなくしたくない。
その為には、対人スキルが底辺な私では駄目なのだ。
「だから先輩お願いします」
私は頭を下げた。
私は図書館を失いたくない。ここはいっぱい思い出が詰まった場所だから。館長が居なくなったのだから変化はしてしまうだろうけれど、それでも消えて欲しくない。
「混ぜモノというカードは先輩にお任せします。好きに使って下さい」
もしも先輩が、魔法使い側についたり、王家側についたら、それまでだ。でも私という存在を利用してここを存続できるなら、私は――。
ぐにっ。
「ふへ。へんはい?」
突然、私は頬を引っ張られた。そのまま顔を上げると、怖いぐらいの笑顔の先輩と目が合った。
「何勝手に1人で盛り上がっちゃってくれているのかしら?」
ぐにぐにと私の頬を引っ張る先輩は何処までも笑顔だ。頬を引っ張る力は痛くて仕方がないというほどでもないが、その笑顔は怖い。
「あのね。オクトちゃんがこの図書館を大切に思っているのと同じぐらいに、私というか、私達もこの図書館を大切だと思っているのよ」
「はあ」
なら、丁度いいのではないだろうか?
でも笑顔の先輩からは、怒気のようなものを感じる。
「でもって、大切な図書館というのはね、この場所を表しているんじゃなくて、貴方を含めた皆がいる図書館を指しているの。もしもここの職員が、オクトちゃんを犠牲にする事を良しと思っていると思うなら、全員に頭を叩かれて、怒られてきなさい」
「へっと、ほれは、ちょっと……」
全員に叩かれて、怒られる。私の頭は太鼓ではないので、勘弁してほしい。
「まあ正直、館長が居ない図書館だと、それぐらいの強みを持っていないとやっていけないのも確かかもしれないけどね。でも自分を安売りしないで大切にしてちょうだい」
そう言って、先輩は私の頬から手を放すと、抱きしめた。
「貴方は、この図書館の大切な仲間なんだから」