32-1話 僅かな希望
「オクトさん、生きてる?死んでいるなら返事して」
「反応がない。ただの屍のようだ」
「生きているみたいだね」
「いや死んでるから」
私はカミュにそう答えると、もぞもぞと布団の中にもぐりこんだ。朝日が見え始めた所で、ようやくうとうとし始めたばかりで、眠くて仕方がない。今なら永眠してもいいと思えるぐらいに、ベッドが恋しくてたまらなかった。
たぶん今、日光に当たったら、私は確実に溶ける気がする。
「ちゃんと規則正しくご飯を食べないと駄目じゃないか」
「……後で食べるから」
そう言って私はもぞりと寝返りを打つ。するとドサドサと何かが崩れる音がした。ああ、しまった。さっきまで読んでいた本に当たってしまったらしい。
「その発言を聞くのは、何回目だと思っているのかな?」
「ぐう」
文句とか聞きたくない。寝不足の所為で頭痛がするのだ。
しかし私の反抗を意ともせず、カミュは布団をひっぺがした。天井に飾られた魔法石の光が瞼越しに網膜を突き刺し、私は頭を抱える。
「カミュ……本当に勘弁……」
「食べたら寝ていいから。ほら起きて」
「いや、でも。図書館での飲食はちょっとどうかと」
「そんな事気にするぐらいなら、もう少し本を大切に扱ったらどうかな?ああ、またこんなに積み上げて」
私がもぞもぞと起きあがり目をあけると、カミュが崩れた本を拾い集めているのが見えた。……第二王子のくせに、なんか庶民臭い。
「今、庶民臭いとか思わなかった?」
「……さあ」
「誰の所為でこうなったと思っているんだい?」
そんなの自分の所為に決まっている。やだやだ、勝手にヒトの所為にする男は。こういう女々しい男は、モテないんだよな。ああ。だからカミュの周りにハーレムが築かれないのか。
そんな事を思いながら、私は少しだけ慣れてきた、館長室で大きく背伸びをした。
アスタの娘ではなくなった私は、とりあえず色々整理がつくまで図書館に身を寄せる事となった。幸いなのか、今図書館に時属性を持っているヒトは私しかいない。そこで、時魔法を使うためという名目を振りかざし、私は図書館の住人となった。
以前は何故か恐ろしく感じた時属性の魔力だったが、あの時よりもっと怖い事を体験してしまった私には、どうってことはなかった。恐怖さえ感じなければこっちのモノで、少々癖がある魔力ではあるが、使いこなすのにそれほど苦労はない。流石アスタに魔力の使い方をスパルタで習っただけある。
そんなこんなで図書館に住み始めた私だが、精霊魔法の所為か、以前に比べてしょっちゅう眠くなる様になった。気がつくと階段で眠っていた事もあるので困りものだ。また色んな本に囲まれていると手当たり次第に読みたくなり、実際読む事ができるようになると、いつしか本を読むか寝ているだけの、完璧な引きこもりとなっていた。
そんな私を心配して、カミュやミウ、それにライが交代交代でご飯を持ってきがてら、様子を覗くようになったのは仕方がない流れなのかもしれない。それでも私は、現実を忘れていられる、本を読んでいる時間を失う事はできなかった。
「まったく。オクトさん、ウチに来ればいいのに」
「その選択肢は絶対ない」
カミュの家イコール王宮だ。それだけは選択肢の中で、絶対ない。何で私がこんな引きこもりになってしまったのか。元をただせば、王家と魔法使いの仲が悪く、私が王家の手持ちのカードになってしまいそうになったのが原因だ。だとしたら、これ以上王家に近づくわけにはいかない。
それと同時に、学校の寮も除外だ。卒業後に魔法使いの学校が示した場所で数年働かなくてはいけないとか、危険な香りがぷんぷんする。
いつまでもこのままというわけにはいかないというのも分かっている。それでもしばらくは、ゆっくりと休みたかった。
もっとも、引きこもりになったのは、私の性格の問題でもあるのだけど。
「最近、図書館に館長の幽霊が出るって噂になっているよ」
「へ?」
「真っ白な人影が夜な夜な歩き回るんだって。オクトさんは、僕らが口酸っぱくして言っている通り、ちゃんと夜は寝て規則正しく生活しているはずだよね?……オクトさん。この噂の出所はどこか知らないかな?」
「さあ」
私はそう言って、カミュが持ってきたサンドウィッチにかぶりつく。どうやらピーナッツバター味だったようで口の中が甘くなる。
「それ、ミウって子が作ったものだよ。授業が終わったら来るっていってたから」
「……甘い」
何でこんなに甘いのだろう。
甘くて、甘くて、苦しくなる。
私には誰かに優しくしてもらうような、そんな価値などないのに。でもそんな事を言ったら、きっと彼らは否定するのだろう。そしてそれに安堵してしまいそうな自分が嫌で、彼らの前で自分を卑下する事はできなかった。
◇◆◇◆◇◆
混融湖の旅行から帰ってから、私の生活は本一色の生活に一転した。
学校では、混ぜモノが暴走しかけたという噂が立ってしまい、今は通うのも困難な状態だ。ただしカミュの大嘘で、図書館の中にいれば、混ぜモノの暴走は図書館の中だけで納まるという話になっている。……バリアとかそんな便利な魔法のない世界なのに、どうしてそんな話を信じられるのだろう。誰かツッコミを入れて欲しい。時魔法とか追跡魔法とか、色々変わった魔法が多い場所だけれど、そんな便利魔法、私は知らなかった。
もちろん図書館で働く人達は、私と同様そんな魔法がある事なんて、まったく信じていない。しかしアリス先輩は、私の事を信じると言って私が館長室に滞在する事をあっさり認めた。一応今はアリス先輩が館長代理となっているので、アリス先輩の意見に逆らうヒトもいない。
時魔法の件もあり、私はずるずると滞在する事になっているが……本当にいいのだろうかと、常々思っている。私は私の事を、信じるに値するようなヒトとはとうてい思えなかった。
またカミュは、第二王子の権限で混ぜモノの存在を秘匿とすると、学校を含めた私の存在を知っている場所に通達した。理由はドルン国での暴走の件から、このままでは多大なる混乱を招く為とし、私は今はいないヒトとなっている。
まあこれのおかげで、アスタとの養子縁組の破棄もすんなりいったようなものだ。そしてアスタが混ぜモノを養子とした事は、誰も口にしてはいけないとカミュは全ての知り合いに命令した。
こうして私の望みは叶ったわけだが……、同時にできた問題もある。いないヒトである私は、学校で授業を受けるのが難しいのだ。かといって、薬学を学べないのは、今後の生活に支障をきたす。暴走の噂が消えた後も今のままなのはマズイ。
一応カミュがその辺りも交渉すると言っていたが……どうなる事やら。
私はシーツを被ったまま、今日も夜な夜な図書館をふらつき、ため息をついた。
「上手くいかない……」
どうしてこうも上手くいかないのか。
そんな色んな不安や苦しさを消す為に、私は日に日に本にのめり込むようになった。本を読んでいる間だけは、何もかもを忘れる事ができる。まるで麻薬のような中毒だ。
特にミウは本に依存している私を心配している。それは十分分かっていたが、それでも止められない。今まっすぐと現実と向き合ったら、自分が壊れてしまう気がしたからだ。本に依存している今だって、ゆっくりと壊れていっているようなものだ。それでもゆっくりとまどろむ様に壊れるのならば、暴走の心配だけはしなくてすむ。
「エスト」
こんな私を見たら、エストはどう思うのだろう。心配するのだろうか。それとも、そんな時もあるから好きなだけ落ち込んだっていいと言ってくれるのだろうか。
第一王子に会ってしまった時や、神様に会う事になってしまった時など、困った時はエストが相談に乗ってくれた。でも今はいない。エストに貰った髪飾りに手をやって、私はため息をついた。
「コンユウ」
きっと辛気臭いや鬱陶しいなど、私をいらつかせる言葉をコンユウならぶつけてくるだろう。そしてイラッとした私もいつしか口喧嘩するようになるのだ。
……コンユウのツンを見たいなんて、どうかしている。
思い出すと、もっと胸が締め付けられるように苦しくなった。ああ、駄目だ。これ以上感情を乱してはいけない。
私はフラフラと本を選びに夜の図書館をさまよう。とにかく今は忘れなければ。2人が見つかったという吉報は相変わらずないのだから。
小説から魔法の専門書まで、数冊手に抱えた所で、ふと『ものぐさな賢者』を思い出した。エストが好きだった混ぜモノさんの原書とされる本だ。
結局私はあの本を読めていない。今なら時間はどれだけでもあるのだし、古文を読むというのもいいだろう。抱えた本を一度机の上に置き、私は階段へ向かった。
上へ登る階段は真っ暗で、流石に何かで照らさなければ足を踏み外してしまいそうだ。
「光の精霊よ。私の手にともれ」
私の言葉に従って、前にかざした掌が、ぽうと発光した。
本来ならば光の属性を持っていない私は、自分の魔力から属性を消して加工するという作業をしなければならない。しかし精霊と契約してしまった今は、私が願いを言うだけで精霊が勝手に魔法を使ってくれる。
消費は普段よりも大きく、体がだるくなるが、徐々に扱いにも慣れてきた。他属性の魔法など加工が面倒なものは、よほど大掛かりな魔法ではない限り、精霊魔法の方が便利だ。図書館全てを明るくしようとすればまた倒れてしまうだろうが、ランプや懐中電灯代わりの光を作るぐらいならば、特に問題はない。
ただし、あまり多用すると、そのうち精霊魔法以外の魔法の使い方を忘れてしまいそうなので気をつけなければいけないだろう。
ものぐさな賢者の本が置かれたエリアまで階段を上ると、流石に息が切れた。少し体力が落ちているかもしれない。特に今は家事とかもほぼやっていないに等しいのだ。たまには階段の上り下りぐらいの運動はするべきかもしれないなぁと遠くを見た。運動は嫌いだが、今より体力がなくなったら、山奥での隠居生活なんて、夢のまた夢となってしまう。
とりあえず階段を下る為に、少しでも体力を温存しようと、掌から光を消した。
私はずるりずるりとシーツを引きずりながら私は図書館の中を歩いた。シーツは重く邪魔だが、日が落ちた後の図書館は少し肌寒い。
窓から入る月明かりで映った自分の影を見て、私は苦く笑った。確かに今の私は、幽霊のようだ。姿もそうだし、私という存在も。
元々混ぜモノだなんていうありえない存在である上に、いないモノとして秘匿された存在。いないはずなのに居る。まるでそれは幽霊のようではないか。
本当に幽霊だったらどれだけ良かったのだろう。誰にも見られず、誰とも関われず……彼らは怖がられはするがとても無害だ。私もそうであったら良かったのに。
「……ごめんなさい」
生まれてきてしまってごめんなさい。不幸にしてしまってごめんなさい。
目の辺りが熱くなってきた所で、私はその思いを断ち切り、本棚へと向かった。落ち着かなければ。泣けば、また感情が乱れてしまう。とにかく、本を読んで忘れよう。
台の上に乗って、目的の本を手に取った時、ふとその奥に何かがあるのに気がついた。前見た時はこんなものあっただろうか?
不思議に思った私は、周りの本を退かし、奥ににひっそりと隠されるように置いてある箱を取り出した。
「何これ」
それほど大きくはない木製の箱を私はしげしげと眺めた。あまり真新しいものには思えないし、前の時は見落としてしまったのだろうか。
でも何のためにこんな所に置いてあるのか。
……タイムカプセル的な感じとか?
良く分からないと思いながらも私は埃を払い、中身を確認するために箱を開けた。箱の中には、これまた古ぼけた紙が入っている。
まさか本当にタイムカプセルだろうか。もしそうなら、ちょっと痛いなぁと思いつつ私はその紙を手に取った。そしてその文字を見た瞬間、固まった。
「えっ?」
どうやら紙は手紙だったようで、入っていたものは封筒だった。その下にはお守り袋のようなものが入っている。
私は別にお守りが入っている事にびっくりしたわけではない。……まあ、お守りというと何だか念のようなものが詰まっていそうで、深く考えると少しアレなのだけれど。
だが今はそうではなく、その封筒に書かれた名前にドキリとした。
『オクトへ』
薄暗いために見にくいが、確かにそう書いてある。何処かで見た事があるような文字に首を傾げながら、差出人の名前を確認するために裏面を向けた。