31-3話
この世界の神様は無慈悲らしい。
混融湖を探し始めてから2日ほど時間が経過したが、エストとコンユウが見つかったという吉報は結局聞く事ができなかった。それでも引き続きカミュはドルン国で探し続ける事を約束してくれている。
もちろん水の中で人間が息を止められる時間などたかが知れているし、これ以上は無駄な努力なのかもしれない。それでも2人が落ちたのは、混融湖なんていう不思議がいっぱいな湖なのだ。もしかしたらがあるかもしれない。
それにコンユウの養い親は罪人として捕まり今は城の牢屋の中だ。またエストの親はすでにおらず、唯一の肉親である姉はまだ服役中。私が諦めたら2人を待つモノが居なくなってしまう。だからなおの事、私は僅かな希望を捨てる事ができなかった。
しかし混ぜモノである私は、そろそろドルン国に滞在し続ける事は難しくなってきている。もう少し滞在したかったが、私は混融湖のほとりで暴走しかけたのだ。強制退去をさせず、未だに滞在させてもらえている事に感謝した方がいいだろう。自分とアスタが発見された場所を見に行ったら、隕石が落ちたかのような大きなクレーターができていた。うん。あれはない。……私なら、即行で国外退去を命じたはずだ。
いやでも、不安定な混ぜモノを無理に移動させるよりは、少なくとも首都ではないここでしばらく待機させて、落ち着いたころに国外へ移動してもらった方が安全なのか?まあ、どんな思惑があったにしろ、目が覚めて動けるようにはなったので、そろそろこの国にいるわけにはいかなくなってきた。
だからこそ、今やらなければならない事は、早く終わらせなければならない。
「オクトさん。本当にいいの?」
病院へやってきた私にカミュは声をかけた。私はカミュの言葉に深く頷く。それを見たカミュは、小さく眉をひそめた。
どうやらまだカミュは私のお願いごとに納得しきっていないらしい。
あの時も私のお願いごとにカミュは難色を示した。それでも最終的には聞いてくれたのは、私に対する罪悪感からか。
「決めたから」
目的の部屋の前へ来ると、くらりと目まいがした。
精霊と契約をしてからというもの、体のけだるさが一日中付きまとう様になっている。たぶん契約料金的な感じで、精霊が毎日魔力を搾取してくれているのではないかと思う。腕の痣が消えないので、まだ契約は続いているようだし。本当は今だって、動くのも億劫だった。
……いや、これは逃げているだけか。
できるだけ先延ばしにしたい内容だからこそ、体がだるいだのなんだのと理由を付けて逃げているだけだ。それは自分が一番分かっている。
ゆっくりと息を吐き、心を落ち着かせる。大丈夫。私はやればできる子だ。
そして私は『アスタリスク・アロッロ』と書かれた病室の扉をノックした。
「どうぞ。開いてるよ」
聞こえてきた声は、いつものアスタの声だった。それだけで涙腺が緩みそうになるが、絶対泣くわけにはいかない。そんな事をすれば、アスタは驚くし、不信がるだろう。
「失礼します」
扉を開け、私は一礼をした。アスタの目が一瞬丸くなったが、すぐにエセっぽい笑顔に戻る。ああ、この顔は知っている。内心を隠したい時にアスタがよくする表情だ。きっと初めて混ぜモノを見たから、驚いたのだろう。
「君が、暴漢に襲われた俺を助けてくれたお嬢さんかな?」
「はい」
まるで私を初めて知ったかのような言葉に、冷やりとしたものが心臓に押し込まれたような感覚に陥る。でも大丈夫。これは事前にカミュから聞いて分かっていた事だ。私はできるだけポーカーフェイスを心がけた。私が動揺したら、この作戦は全てパーだ。
心臓を一突きされた衝撃か、はたまた倒れた時にぶつけた場所が悪かったのか、目を覚ましたアスタはここ数年の記憶を失っていた。その為、アスタは私の事をまったく覚えていない。それどころか何故ドルン国にいて怪我をしているのかも分かっていなかったそうだ。
聞いた瞬間、胸を締め付けられるような苦しさを感じたが、それと同時に何処かホッとしている自分が居た。
もしもアスタが私の所為で死んでしまっていたらと思うと、今も怖くて仕方がない。もう一度同じ事が起これば、私は今度こそ世界と一緒に無理心中するだろう。それぐらい私の中をアスタが占める割合は大きかった。
だから私は大切なものを壊してしまう前に、手放してしまう事にした。アスタの記憶がないと聞いた時、私はこれでもう、アスタを私の人生に巻き込まずにいられるのだと思った。
私とアスタの縁は、結局アスタが私を養女にしているからで、それをアスタが覚えていないのだとしたら後は簡単だ。
カミュに頼んで、私とアスタの養子縁組を破棄して貰い、周りには口止めをしてもらう。それだけでなかった事にできる。
こうやって考えると、縁なんて簡単に壊れてしまうものだなと感じた。とても手放しがたいものだったはずなのに、なんてあっけないものなのだろう。
「初めまして。私はオクト……オクト・ノエルと申します」
アールベロ国は、平民でも苗字を持っているモノが多い。下手に突っ込まれる前に、私はママの名前を苗字として使う事にした。今の私はただのオクトだ。アロッロは使えない。
それに私は嘘はあまり得意ではないので、できる限り真実のみで誤魔化そうと考えた。苗字は○○さん家の子という意味で使われているので、ママの名前を苗字変わりにするのは、まるっきりの嘘ではない。
「俺は、アスタリスク・アロッロという。君は……魔法学校の学生かな?」
「はい。ウイング魔法学校の魔法薬学部に通っています」
アスタは私を奇妙な生物でも見るような目で見てきた。薬学に進学するヒトというのは少ないし、珍しいと思ったのだろうか。
「すでに専門分野に進学をしているなんて、優秀なんだな。今回、俺を助けてくれた時つかった魔法も、精霊魔法なんだって聞いたよ」
「いえ。私は、まだまだです」
ああ、驚いたのは、私の見た目が幼いからか。
でも私が、本当に優秀だったとしたら、アスタが怪我を追って記憶を失う事なんてなかったのだ。
何がいけなかったのか、何処をどう選択し間違えてしまったのか未だに分からない。あの時コンユウと一緒に外に出かけなければ良かったのか、ちゃんとコンユウに第一王子の味方ではないと伝えれば良かったのか。それとも第一王子に魔法を見せなければ良かったのか、それともそもそも会わないようにもっと努力するべきだったのか、それ以前にアスタに引き取られるべきではなかったのか。
後悔はどれだけでも出てくるけれど、何が最善だったのか分からない。例え過去に戻れたとしても、きっとまた同じ過ちを繰り返してしまうような気がした。
だから私は決して、優秀などではない。愚かで、どうしようもない、混ぜモノだ。
「アロッロ様のお元気な顔が見れて良かったです。中々見舞いに来る事ができず申し訳ありませんでした。そろそろ国に戻らなければなりませんので、この辺りで失礼します」
これでアスタと会えるのも最後だ。そう思うと、名残惜しくて、本当はアスタの事を知っているのだと叫びたくなる。でもそんな事をしたら、私が私自身を許せなくなる。
だからまだここにいたいと思うと同時に、早くここから出てしまいたかった。
「待って」
踵を返すと、呼び止められた。私はできるだけ何でもない様なふりをして振り返る。
「はい?」
「あー……えっと。もしかして……俺は君と何処かで会った事はないかな?」
「いいえ」
記憶がなくても、何かが引っかかったらしい。しかし私は、きっぱりとそれを否定した。もしかしたら記憶は戻るかもしれない。それでも私はアスタが大切で、好きで仕方がないから……もうこれ以上、一緒に居る事はできなかった。
「そうか。呼びとめてごめんね。わざわざ見舞いに来てくれてありがとう。それじゃあ、小さな賢者様。またね」
「……失礼します」
『また』はきっともうないから。私はそう思いながらも一礼し、再び廊下に出て扉を閉めた。
苦しかった。
どうしていいのか分からないくらいに苦しくて……とても眠かった。きっと魔力が足りていないからだ。だから……。
「オクトさんお疲れ」
全てが終わり、壁にもたれかかっていると、カミュが私の肩を抱いた。その腕がどうしようもなく温かくて、余計に意識が沈みそうになる。
「いいよ、そのまま寝てて。今日は特別にベッドまで運んであげるから。目が覚めたら、アールベロへ一緒に帰ろう」
カミュの有難い申し出に、私はこくりと頷く。
瞼を開けているのが辛くて、ぼやけた視界をそのまま閉じた。少しだけ楽になった気がする。何だか色々考えるのが酷く億劫だ。もう何も考えたくない。
「オクトさん、何度も聞くけど……いいの?」
「……うん」
カミュが私の事を心配しているのはとても良く分かった。でも色々考えて、私はアスタを巻き込まない、これが最善だと思った。だから仕方がない。
「私は……この思い出があれば十分だから」
アスタに引き取られて、アホみたいに甘やかされた数年間の記憶。伯爵邸や子爵邸、宿舎で過ごした日々。嫌な事だってなかったわけではないけれど、とても大切で優しい思い出。もうそれだけでもう十分だ。
例えアスタが覚えていなくても、私が覚えていれば、いつかアスタに恩返しする事だってできる。なんら問題はない。
もしも今後アスタが思いだしたとしても、記憶のないアスタを見捨てた不義理な娘として、私の事などそのまま捨てておいてくれるだろう。私は自分の為に、そういう選択をしたのだ。
だから、聞かないでほしい。お願いだから、決心を鈍らせないでほしい。
私はその願いを口にしたかどうか分からないまま、意識を闇へと沈める。とてつもなく体がだるく、とても起きてはいられなかった。
目が覚めたら全部夢だったらどれだけ良かっただろう。
でも夢ではないと知っているから、私は私の世界を、自分の手で壊した。