31-2話
「……ここは」
目をあけると見知らぬ天井がみえた。ゆっくりと瞬きをして、ここがドルン国の城の中だと気がつく。とても怖い夢を見た気がする。寝汗でぐっしょりだ。動こうとすれば、体の節々が痛く重い。
まるで熱でもあるかのようだ。
とにかく水でも飲もう。声がかすれて、喉がひりひりと痛む。もしかしたら、本当に風邪をひいたのかもしれない。
枕元に置いてあるコップに手を伸ばしたところで、私は動きを止めた。布団から外へ出した腕には、鎖が絡みついたかのような痣がみえる。こんな痣、今までなかった。
「……そうか」
私はコップに伸ばした手を止め、もう一度布団に顔を埋めた。夢ではなかったんだ。
コンユウが剣を私に向けたのも、アスタがそれに刺されて、心臓を止めてしまったのも、全て現実だ。しかし私の感情は麻痺をしたかのように、よく分からなくなっていた。悲しいのか、痛いのか、苦しいのか。ただ、酷く疲れたのだけはたしかだ。
「オクトさん?」
ベッドのそばから声が聞こえた。
そちらへ視線を向ければ、カミュと目が合う。何だか久々に会ったような気分だ。驚きで黄緑色の目を丸くしたカミュの顔は何処かやつれたように思った。
「……よかった」
何がよかったのだろう。
全然よい事なんて何もない。それなのに、今にも泣きそうな顔のカミュを見ると、彼の言葉を否定するのは憚られた。
「目を覚まさなかったら、どうしようかと思ったよ。……本当によかった」
「……えっと……泣くな」
カミュの目からしずくがこぼれ落ちた瞬間、私は私はどうしていいのか分からなくなる。カミュが泣くなんて今まで想像した事もなかった。カミュはいつだって私の前では不敵に無敵に笑っていた。
「泣きたくもなるよ。ずっと死んだように眠り続けられたらね」
「ずっと?」
「そうだよ。襲撃があった日からずっと、オクトさんは眠ってたんだから」
「襲撃?」
何の話をしているのかさっぱり分からない。私の残酷な記憶には、襲撃なんて単語は含まれていない。
「……オクトさん、僕の名前、分かるかい?」
「カミュエル」
「僕の国の名前は?」
「アールベロ国」
「自分の種族は何?」
「エルフ族、人族、精霊族、獣人族の四つの血が混ざった混ぜモノだけど。……一体何?」
カミュの話の意図がさっぱり読めない。
よく分からない話をしたと思えば、いきなり質問。
「いや、もしかしてオクトさんも記憶喪失なのかと思って」
「……大丈夫。ちゃんと覚えているから」
本当は何が起こったのか、全て忘れてしまいたかった。コンユウに剣を向けられたとか、アスタが倒れたとか、思い出すと吐き気がする。
どうしてこんな事になってしまったのだろう。
「――ごめん」
「えっ」
カミュが突然頭を下げた。
さっきはいきなり涙をこぼすし、一体どうしたというのか。いつものカミュらしくない。
「今回の犠牲は、全て僕の采配ミスだ。相手を甘く見ていた」
犠牲って、まさか。
その言葉に、体が震える。もしかして、アスタは……。
「その結果この城が魔法使いに襲撃され、犠牲を出してしまった。混ぜモノが居るから、無茶なことはしないだろうという予定で軍人を配置したからね」
「えっ?襲撃って……ここが?」
「そうか。混融湖のほとりでオクトさんは発見されたけれど、襲撃前に外に出たんだね」
そんな話は知らない。
だって周りから疎まれて、狙われているのは私のはずで。なのに私が居ない間に、襲撃って……。
「ペルーラは?!」
どうしてここに彼女が居ないのだろう。
その事実に気がついた瞬間、手先がどんどん冷たくなっていく。まさかと、最悪の状況が脳裏をよぎる。
「大丈夫だよ。近くの病院に居るはずだから、安心して。命には別状ないはずだし。ただオクトさんも病院に運びたかったけれど、何処もベッドがいっぱいで……」
たぶん私が混ぜモノだから、受け入れを拒否されたのだろう。
でもそんなのどうでもよかった。私の所為でペルーラが死んでいない事の方が大切だ。私は、大きく息を吐いた。
「そう。それならいい」
「メイドは、オクトさんの事が心配なようで、ベッドから抜けだしては看護婦に叱られているよ」
そうか。ベッドから抜けだせるならば、元気ではあるのだろう。よかった……。本当によかった。
もう誰かが私の所為で傷つくのは見たくなかった。
「オクトさん」
改めてカミュに呼ばれて、私は彼をまっすぐ見返した。カミュはとても真剣で、それでいて切なそうな目をしていた。
「思い出すのは辛いかもしれない。でも襲撃を受けたあの日、オクトさんは一体何をしていたのか教えて欲しいんだ。アスタリスク魔術師は話せるような状態ではないし、……何かを知っていそうな、コンユウとエストは行方不明なんだ」
えっ?
とんでもない話に、私は再び固まった。
◇◆◇◆◇◆
カミュにあの日の出来事をひとしきり喋った私は、休憩という事で、パン粥を貰った。どうやら、あの日からすでに3日経っており、私はその間ずっと眠っていたらしい。
精霊と契約したのだ。この程度で済んだ事の方が奇跡だとカミュに言われたが、私もそう思う。本当はこの命ごと、全ての魔力を持っていってくれても良かった。でも生命維持装置の役割を果たしている私が死んだら、アスタまで死んでしまう。だとすれば、どれだけ辛くても、私は生きるしかなかった
「まさか2人が行方不明なんて……」
匙で皿の中身を混ぜながら、カミュと話した内容を思い出す。
カミュが襲撃の知らせを聞いて、城に到着した時には、すでにコンユウとエストは行方不明扱いになっていたそうだ。
コンユウが剣を私に向けた、あの日が襲撃の日だとしたら、私が暴走しかけるまでは一緒にいた事になる。しかしその後どうなったのか。
危険だと判断して逃げたのなら、それでいい。私は……どうしてもコンユウを嫌いにはなれなかった。でも逃げたわけではないとしたら。
あの時、私はどうしてアスタの治療に専念できたのだろう。コンユウが私に向かって、立てとか言った気がするが、その後どうしたのか。
思い出し、状況だけ考えると、苦しい結論が導き出され、私は深く息を吐く。今は絶対自分の魔力や精霊を暴走させるわけにはいかなかった。私の命はアスタに直結しているし、この城にはカミュが居る。私は感情をできるだけ鈍らせるように努めた。
「コンユウとエストが、湖に落ちたなんて……何の冗談だ」
あの時、誰かがコンユウを止めようとやってきた気がする。それどころではなかった私は、その状況をまったく見ていなかったけれど、怒声だけは耳に残っていた。そしてその後続いた、何かが落ちたような水音も。
あの時コンユウに言われるまま、私は混融湖を囲う柵よりも中に入っていた。柵がある理由は、湖に誤って落ちる事を防ぐため。それより中に入れば、その危険はぐんと上がる。ましてや暗い中揉み合いになれば……。
混融湖に落ちたら浮ばない。沈むだけだ。運があればコンユウのように生きたまま何処かに流れ着く事もあるだろう。しかしそれはどれほどの確率なのか。
私の話を聞いたカミュは何処かに流れ着いていないか、確認を取りに行ってくれた。だから私は待つしかできない。まだ彼らが死んだと決まったわけではないのだ。
「エスト……コンユウ……」
きっとエストは、私とコンユウが出かけた事をペルーラに聞いて、探しに出てくれたのだろう。
カミュから聞いた話だと、エストはカミュから密かに私を守る様に言われていたそうだ。コンユウの育ての親が反王派の過激派に属している魔法使いである事を伝えた上で。
親友を疑い続けるのは、どんな気分だったのだろう。あの日、私とコンユウが夜遅くに外に出た事をペルーラから聞いた時、どんな気持ちだったのだろう。そして剣を私へ向けているコンユウを見た時は――。
「エスト、ごめん……」
どうして、気がついてあげられなかったのか。
もちろん、カミュからの密命だ。まったく危機感のなかった私に知られるほど、お粗末な隠し方では問題だろう。でも何とかしたかった。
ただし今は、エストの話を聞きたいと願っても……聞く事はできない。だから、どうか無事でいて欲しい。私はまだエストに、何も伝えてないのだ。
それに私は、本当にコンユウが私を殺そうとしたとは思えなかった。結果はアスタが刺され、私は暴走しかけるという、これで殺意がなかったと証言するには少々おこがましいあり様だ。
でもただ私を殺すだけが目的ならば、色々おかしい点がある。
あの日、コンユウが私を混融湖に誘い出さなければ、私は城の中で襲撃を受けていただろう。そして自他共に認める最弱な私では、さっくり殺されるか、暴走して他者を巻き込んだ盛大な自滅をしていたはずだ。それなのに、何故誘い出したりしたのか。
例えば、混ぜモノを殺すのは俺だとコンユウが思っての行動だったとしよう。だったら、どうしてアスタが刺された後、呆けていた私を殺さなかったのか。あの状態なら、私を殺すのはとても簡単だったはずだ。それなのに、わざわざ立てって、意味が分からない。
もしかしたらコンユウは、私を逃がそうとしたのではないだろうか。育ての親を裏切る事はできなくて、でも私の事も大切だと思っていてくれて……。だって、コンユウはずっと何かを悩んでいた。
育ての親を裏切る事はできないから私に何も話す事ができなくて、だから脅すふりをして剣を向けたのではないだろうか。そして私の事を心配して追ってきたアスタが、私を庇うために転移をして、あの惨劇は起こったのではないだろうか。私の何処かにアスタはGPSを付けているのだし、エストより早く私を見つけたのも納得できる。
そしてあの暗闇だ。しかも私とコンユウはとても接近しており、近くには混融湖もあった。きっとアスタは私を巻き込まずに攻撃する事はできないと判断したのだろう。その結果、私達の間に転移して、私をかばったのではないだろうか。
でもこんなのは全部私の妄想にすぎない。誰も語れる者が居ない今、それを実証する事は難しかった。
「馬鹿コンユウ」
私にあの状況でそれを悟れとか無理だと気が付け、馬鹿。
もちろんコンユウは、ただ私を殺そうとしたけれど、想定外の事が起こってパニックになって、立てとか妄言を吐いた可能性だってある。だとしたら、もっと上手くやる方法をとくとくと語ってやりたい。私の気を失わせて混融湖に放り込むという荒技だってあるのだ。自分で言うのもなんだが、これが一番、あとくされのない混ぜモノの殺し方ではないだろうか。
だから、私を殺そうとしたのでも、助けようとしたのでもどちらでもいい。とにかく話したかった。
私もコンユウもエストも、もっと色々語り合うべきだったのだ。そうすれば、こんな苦しい結末なんて生まれなかった。
「どうか……2人の命を助けて」
私は目を閉じ祈った。
この世界の神様に、ヒトの生死や運命を操れるモノは居ない。かつて12柱居た時代なら、また違っただろうが、今は願える相手はどこにもいなかった。それでも願わずには居られなかった。
混融湖に融けた女神様。
どうか慈悲を下さい。もう一度やり直せるチャンスを下さい。この結果を招いたのは、全て私がしっかりしていなかったからで、コンユウやエストは巻き込まれただけなんです。
お願いします。どうか、2人の命を湖に溶かさない下さい。
その代わりに、私の命を上げますとは言えない自分が苦しかった。
私には何もささげられるものがない。
着ている服や食べ物は私以外のヒトが用意したモノで、私が自分のモノだと言いきれるのは命だけだ。でも今の私の命は、アスタのものでもあって。……彼らの代わりにアスタを殺す事はできなかった。
神でもないのに、命を天秤にかけ、そしてアスタを選ぶ自分のなんと醜い事か。それでも私は必ず助けられる方を選ぶしかなかった。
「オクトさん、入るよ」
「うん」
ドアの向こうからカミュの声が聞こえて、私は返事した。
「ちゃんと食べてる?」
「……これから食べる所」
部屋に入ってきたカミュは、まったく減っていない私の皿を見て、咎めるように聞いてきた。分かっている。私は首を振ると、ゆっくりとパンをすくって口に運んだ。
生ぬるく甘ったるいパン粥は、とてもおいしいと思えなかったが、それでも食べなければと機械的に飲み込む。食べなければ死んでしまう。死ねないのならば食べるしかない。それが、今の私にできる唯一の事なのだ。
「そうだ、カミュ」
「何?」
私はこれまでの事を考えて、自分なりに一つの結論を出した。先ほどカミュから聞いたアスタの状況を踏まえた、自分の今後の身の振り方。
私はもうこれ以上、私の所為で大切なものが壊れるのは嫌だった。
「頼みがある」
それは幸せに繋がる道ではないかもしれない。でも最善であると信じて、私は口にした。