31-1話 無慈悲な終わり
何が起こったのか分からなかった。
ただ、何かが私の方へ倒れてきて、それと一緒にどさりと地面に倒れ込む。手に持っていたランプが指の隙間から滑り落ち、地面を転がった。
最後に見た色は赤い何かで……、その何かを思い出そうとすると、心臓が苦しいぐらい早鐘を打つ。
一体ソレは何なのか。考えるたびに体が震え、その答えを拒絶しようとする。
できるだけ考えないようにして、私は這いずる様にして、上に乗った何かの下から抜け出ようともがいた。しかしどれだけ無視しようとも、重たく温かなソレから意識をそらし続けるのは続けるのは難しい。倒れた何かからはぬるりとした生温かいモノが流れ出て、鉄の匂いが私の鼻を刺す。
目をそらしたい。でも知らなければ後悔する。そう思うのは、きっと私が答えを知っているからだ。
何とか抜け出て、転がったランプに照らされたソレを見た瞬間、私の血の気は音を立てて一気に引いた。
「――アスタっ!!」
私の悲鳴にアスタは何の反応もしなかった。瞼は閉じたまま、ピクリとも動かない。薄暗い所為で顔色は分からなかった。しかし血色がよいという事はないだろう。
だってアスタの胸のあたりからおびただしい量の赤い血が流れ出ている--。
何で、どうしてっ。
頭が真っ白になる。さっきまで、私はコンユウと一緒に歩いていたはずで。それなのに、どうしてアスタが血まみれで横たわっているのか。意味が分からない。
「……こうなりたくなかったら立て」
一体コンユウは何を言っているのだろう。こうなりたくなかったらって、もっと具体的に言ってもらわなければ困る。それではまるで、コンユウがアスタを切り付けたみたいではないか。
視線をあげた先には、月明かりで鈍く光る刃があった。
その切っ先には、ぬるりとした何かがついていて……、反対側はコンユウの手で握られている。その切っ先から徐々に視線を上げたが、コンユウの顔は陰になってよく見えない。
「あっ……」
何を言おうとしたのか、自分でも分からない。ただ自然とこぼれ落ちたその音は、またたく間に自分の中を駆け巡り、反響するようにさらなる音を鳴らした。
「ああああああっ、嫌あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
嫌だ。理解したくない。
理解したくないのに、分かってしまう。コンユウが私へ剣を向け、そしてそれから、私を守ろうとしたアスタが刺されたのだ。
私の所為で、アスタが死んでしまう。
その事実は、鋭い刃のように私に突きささる。痛くて痛くて、苦しくて仕方がなくて、叫んでいなければ、死んでしまいそうだ。
「おいっ。殺されたくなかったら、叫んでないで――」
「コンユウ、何してるんだっ!!」
悲鳴の向こうで、雑音が聞こえた。
でもそんな雑音を気にかけられるほどの余裕が私にはなかった。何処かで水音が聞こえた気がしたが、かまってられない。とにかく苦しくて悲しくて、辛くて、誰かに助けてもらいたかった。
嫌だ。こんなの嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だっ!!
必死に拒絶するのに、誰も助けてはくれない。
だって、いつだって私の味方で、助けてくれた大人は――ここで死んでしまったかのように倒れている。
「あああああああああああっ!!」
頭の中で火花がちる。嵐のように感情が駆け巡り、焼け切れてしまいそうだ。
嫌だよ。助けて。誰か助けてっ!!
目頭が熱くて、何かがこぼれ落ちて行く。そして何かがこぼれ落ちていくたびに、自分の中身が空っぽになっていく気がした。
このまま、なくなってしまえば楽になれるのだろうか。全てをなかった事にしてしまいたい。
何でこんな辛い思いをしなければいけないのかと誰かがささやく。もういいじゃないかと、何かが呟く。
全て消してしまえば、何も考えなくてすむのだと――そんな声を聞いた気がした。
何かが軋み壊れる音がして、徐々に苦しさが消えていく。それと同時に手足から力が抜けていった。もう何も見たくないと、瞼が自然に閉じていく。
このまま眠ったら、もう痛いとか、辛いとか、何もなくて、とても楽になれるはずだ。
そう思ったのに、沈む意識を邪魔するように何かがトンと胸にあたった。
もう一度目を開けるのは、とても億劫だ。それでも小さな衝撃が、私の中で波紋のように広がる。今目を覚まさなければ、本気で後悔するような気がした。もうこれ以上後悔する事なんてないはずなのに。
何が当たっているのか――。
「――お守り」
それが何か気がついた瞬間、一気に私の意識が戻った。苦しくて悲しくて、辛くて仕方がないけれど、私ははっきりと目を見開いた。
「……何これ」
目の前はおびただしい数の精霊で溢れかえっていた。
初めて精霊を見た時の比ではない。あの時よりも多く、そして強く輝いている。いや、輝いているのは精霊だけではなく、私もだ。
私から溢れだす光に導かれるように、どんどん精霊の数が増えていく。そして精霊は光を吸い込むたびにどんどん存在感を増し、光を強くする。
これが暴走か。
まだ飽和状態にはなっていない。でもこのまま私から魔力があふれ出ていき、精霊が吸いきれなくなったらどうなるのだろう。
異常な魔力や精霊は、この街を滅ぼすのだろうか。はたまた、この国を消しさるのか。それとも、この世界ごと無に帰そうとするのだろうか。
正直、国も世界もどうでもよかった。私は、私の小さな世界を守りたかっただけなのだと今更気がつく。
学校でライやカミュと会って、図書館でエストやコンユウと仕事をして、たまにミウと遊んで……家にはアスタがいる。ただそれだけで、私は満たされていた。満たされているから、誰かに嫌われるのだって、混ぜモノだと指を指されるのだって我慢できたのだ。
この小さな世界を守る為なら、誰にも迷惑をかけずひっそりと息を殺して生きたって構わない。そう思っていたというのに--。
それは壊れてしまった。きっともう元には戻らない……戻れない。
だったらと思うのに、このままではいけないと、理性が止める。何故止めるのかと考えれば、終われないからだと続く。何故終われないのかと考えて……私が触れているアスタの体がまだ温かい事に気がついた。
「アスタ、目を覚ませっ!!」
このままじゃ、暴走してしまう。分かっているけれど、かき乱されたこの精神状態でどう落ち着けというのか。きっとアスタなら、何か方法を知っているはずだ。
アスタは無駄に長生きしていて、凄く頭がよくて、魔力の強い魔族出身で、王宮で研究をしている凄い魔術師である。私なんかより、数倍凄いヒトなのだ。
「アスタっ!!」
叫んだ所で気がついた。
アスタの胸が上下していない事に。このままでは酸欠になって死んでしまう。そうだ、心臓は?
私は急いで胸に耳を当てた。いつもなら聞こえたはずの音が聞こえない。体はまだ温かいのに、心臓は静かに鼓動を止めていた。
改めて知った絶望的状態に、私の心臓まで止まってしまいそうだ。さっきみたいに、苦しくて泣きわめきたいけれど、ぐっと我慢する。今は泣いている場合じゃない。
後悔なんて後でもできる。
心臓が止まって呼吸をしていないならば、心臓マッサージと人工呼吸だ。ありがたいことに、頭の中にその知識はちゃんと詰まっていた。でも心臓マッサージなんて、かなり強い力で押さなければいけない。今の私にそれができるとは思えなかった。
ああ、ここにAEDがあれば……。
「そうだ。魔法」
AEDは高圧の電気だ。
そして魔法を使えば、雷を作り出せる。それに空気を肺の中に送り込む魔法を作れば、人工呼吸器役だって私1人でこなせるはずだ。
でもそれをするには、ちゃんとした魔方陣の設計が必要となる。そしてその設計をするには、時間が必要で。何か、ないだろうか。
瞬時に、魔方陣なんて考えなくても、好きな魔法を好きなだけ使う方法は――。
「あった」
頭をフル回転させて、一つだけ方法を思いつく。それは本で読んだだけの魔法だ。
ハイリターンである代わりに、ハイリスクを背負う事になるから、一生使うつもりはなかった魔法だ。でもこのまま私の世界が全て壊れてしまうくらいならば、どんなリスクだって背負える。どうせこのままなら、世界と一緒に死ぬという道づれバッドエンドだ。何もやらずに、アスタの死を後悔して死ぬぐらいなら、何かやって死んだ方がマシだ。
それに、魔力が有り余った今なら大丈夫な気がする。
「精霊達。私の魔力をどれだけ使ってもいい。だから、私の命令を聞けっ!!」
精霊との契約。これでいいのだろうかと思ったが、私の言葉に従う様に鎖のような魔力が腕に巻き付いた。それと同時にずんと体が重くなる。重力に任せて地面に倒れてしまいたいが、根性と腹筋で上半身を支えた。
……これが精霊魔法。まだ魔法を使ってもいないのに、契約だけでこれほど魔力を使うなんて。でも今は、精霊魔法について考えている場合じゃない。
「精霊よ。小さな雷を起こして、アスタの心臓に落とせ」
アスタの胸のあたりに魔法陣が輝いたと思うと、ドンっという音と共にアスタの体が小さく跳ねた。上手くいっているのか分からない。でもやるしかないのだ。
「風の精霊よ。肺の中を出入りしろ。ただし肺を壊すな」
次はアスタの口の上で魔法陣が輝いた。
魔法を使うたびに意識を持って行かれそうになる。さっきまで溢れるほど魔力があったのに、一気に目減りしているのが分かった。本気で精霊魔法は効率が悪い。きっと精霊は、魔力や魔素を節約するとか考えないのだろう。何といっても、彼ら自身、魔力の塊なのだ。
でも、もう遅い。止められない。
気がつけば、血がドロリとアスタの中から溢れ出てきた。慌てて首で脈を測れば、生きている証を指先に伝える。心臓が動いた。
一筋の希望に、心臓が早鐘を打つ。でも喜ぶのはまだ早い。
「水の精霊達。破れた血管から血が出てこないようにして、心臓に合わせて血を体中に巡らせろ」
自分でも何て無茶ぶりな命令だと思う。怪我の部分が塞いでいるならまだしも、そうではないのに、出てくるなと命令し、それでも流れを止めるななんて。血圧とか考えれば、これだけ大きな傷口から血が出てこないなんて常識の範疇を超えている。
しかし青く輝く魔法陣が現れると、アスタの服の染みは広がるのを止め、この世界の法則さえも歪めた。
後は……そうだ。流れた血の分を増やさなければ脱水になってしまう。外に流れ出た血は、土とかそういったものと分離できるだろうか。もしも無理なら、生理食塩水を滴下して……えっと生理食塩水はたしか0.9%の塩水で……1リットルに9グラムの塩……でも全部入れたら、血液が薄まり過ぎるから……。
まだやらなければと思うのに、どんどん意識が遠のいていく。
自然の法則を歪めた水の流れは、雷や風よりも魔力の消費量が大きいらしい。一生懸命意識を繋ぎとめようと努力するのに、どんどん遠のいていく。
「私の命が続く限り、……傷がふさがり、自然に動き出すまで……アスタの生命活動を止めるな」
最期の命令と同時に、体が支えきれないぐらい重くなり、私はその場に倒れ伏す。地面に体を付けてしまうと、もう指一本すら動かすのが億劫になった。
……ここまでか。でもどうか、アスタの命だけは――。
眠る様に横たわるアスタを目に焼きつけながら、私は意識を手放した。