30-3話
「ちょっと付き合ってくれないか?」
のんびりと龍玉語で書かれた、混融湖伝説の本を読んでいると、コンユウに声をかけられた。コンユウが声をかけてくるなんて珍しい。
特に最近は元気がない事が多く、いつもなら突っかかってくるだろう場面ですら、上の空なのだ。それなのにどんな風の吹きまわしだろう。
「付き合うのはいいけど、何処に?」
すでに夕食も食べ終わり、各自自室に戻っている時間だ。たまたま私は、昨日聞いた混融湖の物語が気になって、書斎と思われる場所で本を読んでいた。
この城にあるものは自由に使ってもいいという事なので、本を自室に持ちこんでもいいはずだ。しかし借りたはいいが、汚したりしたら申し訳がないと思い、私は書斎からできるだけ持ちださないようにしていた。
「混融湖までだ」
「……混融湖?」
こんな時間に?
まだ寝るには早い時間だが、外はかなり暗くなっているのではないだろうか。部屋や廊下はランプがすでに灯っている。
「今見ておきたいものがあるから」
見ておきたいねぇ。
まあコンユウにとっての混融湖は、私達よりもずっと意味のある場所だろう。混融湖の近くで魔法使いに拾われているようだし、時属性は混融湖ととても関わりが深いはずだ。
「いいけど、何で私?」
「……オクトなら、気を使わなくてもいいだろ」
あー、はいはい。混ぜモノですもんね。
確かにコンユウの立場からすると、この旅に来ているヒトで誘えるのは私かエストとなる。そしてエストは親友だからこそ、あまり遅い時間の出歩は誘い難いのだろう。
その点私は、コンユウからしたら、気を使う必要のない混ぜモノだ。人選的に分からないわけでもない。少し答えるまでに間が開いたのが少し気になるが――。
「べ、別に嫌なら1人で行くからいい」
「いい、行く。1人だと危ない」
観光客も多い場所だが、イコール治安が良いわけではない。どんな国だって、柄の悪いヒトは必ず居るものだ。特にコンユウは身長もあまり高くないし、絡まれたらすぐ負けそうだ。
その点2人なら、何かあれば、最悪どちらかが転移して助けを呼びに行けばいい。もっとも混ぜモノ相手なら、手を出してくるヒトなんてほとんどないのだけど。
「今、俺が弱いとか、失礼な事考えただろ」
「えーっと」
このまま『弱いね』なんて言った日には、コンユウが怒り狂うのは目に見える。でも強くはないのは確かだ。コンユウの身長は私より高いが、ライやエストと比べると低い。多分魔力が大きいから成長が遅いのだろう。そして体格が小さければ、普通に考えて力も弱い。
もちろん小さい時から、アホみたいに体術が強いライという存在もいるけど、あれは例外だ。
「ほら、ヒトは誰しも得手不得手があり……」
「アンタに比べればマシだ」
「まあね」
コンユウの言葉に私は肩をすくめた。それに関しては、言い返す言葉がない。
どう考えても、一番の最弱は私だ。時間さえくれれば、色々身を守る魔法を作りだせそうだが、危険な時こそ、そんな時間はない。武術を学ぼうとまでは思わないが、せめて逃げ足だけでも早くしておいた方がいいだろうか。
小さいという事は体が軽いという事だ。つまりは、練習次第で素早い動きができる。危険が起これば、裸足で逃げ出す俊敏さ。どんな時でも退却魂。うん。いいかもしれない。
いや待てよ。そもそもそんな危険な事態にならないように、回避する方が最善じゃないか?
「別にっ。お前が悪いわけじゃないから。だから……」
考え込んでいると、いきなりグイッと腕を引っ張られた。どうやらコンユウは、私が落ち込んだと思ったらしい。
「いや、この体力のなさは私が悪いかと」
どう考えても、このひ弱な体は、外で遊んだりするのをサボってきたツケである。子供が外で遊ぶのは、とても大切な事なんだなぁと、12歳で悟る事になるとは思わなかった。若干子供の仕事とされる遊びを馬鹿にしていた部分もあるので、こうなったのはまさしく自業自得だ。
でもまだ若いのだし、これから頑張れば、何とかならないだろうか。
「とりあえず、外は少し冷えるだろうから、外套取ってくる」
私はそう言って一度部屋へ戻った。
◇◆◇◆◇◆
外へ出ると思った通り、結構風が冷たかった。今まで夜は外に出たりしなかったので、どうかなと思ったが外套を羽織ってきて正解だ。これがなかったらきっと、涼しいを通り越し、寒くなって風邪を引いたに違いない。まあ、自国の耳がちぎれると思うような冬よりは全然マシな寒さなんだけど。
それにしても、夜ってこんなに暗かったんだなぁ。
月明かりとペルーラが持たせてくれたランプのおかげで何とか躓かずに歩けているが、外灯などがまったくない為、少し心もとない。
ただし外灯なんてよっぽど大きな街でもなければ存在しないので、普通と言えば普通だ。昔旅芸人として国を渡り歩いていたころも、こんな感じだった気がする。
「星……凄い」
空を見上げれば、今にも落っこちてきそうなぐらい、いっぱい輝いていた。
そういえばアスタに引き取られてからは、夜空を見上げる事なんてほとんどなかったなぁと思う。昔はこの星空が天井だったはずなのに、感動できてしまうとは思わなかった。それだけ昔の記憶が薄れてきているという事だろうか。
「確かに星神がよく見えるな」
「星神?」
なんだそれ。
首かしげてコンユウを見れば、コンユウは空に向かって指差した。
「あの良く輝いている星の近くにある、あの星の事だ。どの時間になっても、必ずあの場所に居て旅人の道しるべとなるんだ」
「へぇ」
コンユウが示した場所には、少し淡く光る星があった。ずっと同じ場所から動かないなんて、まるで北極星のような星なんだなぁと思う。
前世の私はあまり星などは詳しくなかったようで知識としては少ないが、北極星が船乗りに方角を教えていたという話は知っていた。
この世界は、意外に地球によく似ている。異世界といっても、ヒトが居るのだから、環境としてはそれほど差異がないのかもしれない。
「って、神様は龍神じゃないの?」
「星神も龍神だ。もっとも、地上から旅立った龍神だけどな」
「地上から旅立った?」
「オクトも龍神が元々12柱いた話は聞いた事があるだろ。星神はその中の1柱なんだよ」
12柱いたのは、微妙に授業で聞いたり、本を読んで知っていたが、流石にどんな神が居たかまでは覚えていない。コンユウがそれほど神話が好きとは知らなかった。いや、この場合は……。
「もしかして、コンユウって星が好きとか?」
「別に」
コンユウはぷいっと顔をそむけたが、この動きは好きという事でまず間違いないだろう。何年も一緒にアルバイトしてきたので、それぐらいは分かった。
ただ星が好きだという事を恥ずかしがっている理由が、さっぱり分からないけれど。
「……大体、星なんて知ってたって、何にもならないし」
何にもならないかぁ。
うーん。天文学は私もあまり知らないので、役に立つのかどうか分からない。前世なら、果ては宇宙飛行士とか夢のある職業にもつけたが、この世界ではどうだろう。少なくともロケットが飛んだという話は聞かない。
「あの星は、何で光ってるのだろう」
「はあ?」
「どれぐらい遠い場所にあるのだろう。星はどう動くのだろう。何故動くのだろう」
私は空に手を伸ばして、パッと思いつく疑問を口にした。そんな私をコンユウが怪訝そうに見る。私が今口にした疑問は、地球ではすでに解明されている事だ。
天動説とか地動説とか地球は青かったとか、きっと星が好きだったヒトが分からないから調べて考えて、1つ1つ答えを出していったのだろう。
日本には魔法なんてなかった。でもまったくそれを不便に思わなかったのは、科学があったからだ。先人が疑問を1つ1つ解き明かし、科学を発展させてくれたから地球は魔法がなくても不便ではない世界となった。
「私は星の事は分からないし、疑問も多い。だから少しでもそれを減らしてくれれば、とりあえず私には役に立ってる」
空が見たいから望遠鏡ができて、ロケットができて、衛星が飛んで……科学の発展は決して無駄ではないはずだ。すぐには結果がなくても、星が好きでコンユウが調べ続ければ、魔法があるこの世界は、また地球とは違う発展をするだろう。
無駄だと言って、恥じる必要はない。
「オクトの役に立ったからってどうだって言うんだ」
「まあね」
コンユウならそう言うと思ったよ。実際私の役に立ったから何だというのはある。私の疑問が減るメリットは、私のストレスが少し減る事ぐらいだ。確かに無意味っぽい。
コンユウは私の答えに、深くため息をついた。
「……どうして、オクトは混ぜモノなんだろうな」
「そんなの、先祖に言え」
唐突に、一体なんなんだ。もしかして、適当な事を言ったから、嫌がらせ?
生まれなんて私が決めたわけではない。というか、決められるなら、もっと楽に生きられる人生を選んでいた。
もちろん、この人生が悪いとかは言わない。でも混ぜモノというだけで、マイナス人生だ。
「そうだよな。生まれは選べないもんな……」
コンユウはそう言うと、無言になった。
本当に、一体何なのだろう。ただ私もコンユウが無言になると、話す事もなくて、同じく無言で後ろをついていく事になった。周りは獣の鳴き声や水の音が聞こえるだけで、とても静かだ。
一体どこまで行くのだろう。
混融湖の近くまで来て、コンユウが柵を乗り越えた所を見て、私はぎょっとした。この柵の中は、混融湖での採掘許可が下りているヒトしか入ってはいけない場所だ。許可のない私達は不法侵入である。
「待って、コンユウ。何処まで行くつもり?」
「……俺は、混融湖に流れ着いて、魔法使いに拾われたんだ」
コンユウは私の質問と若干違う答えを返した。
「流れ着いた?」
混融湖の中では何も浮かばない。でもモノが流れ着いてくるというならば、ヒトだって流れ着ついてもいいはずだ。あの湖の中がどういう仕組みになっているかは知らないが、生きモノだけが別という事はないだろう。ただし浮かぶ事ができないので、流れ着いた時に生きている可能性はとても低いけれど。
「ああ。流れ着いた俺は、名前も年齢も住んでいた場所も、何も話せなくて色々迷惑をかけた」
そういえばコンユウは幼い時の記憶がないと、エストが言っていた。混融湖に沈んで流れ着いたのならば、記憶喪失程度ですんだというのは奇跡に近い。もちろん記憶喪失だって大変だろうけど、少なくともコンユウは五体満足だ。
「だから、もう少し近くで見てみたい」
昼間だとヒトの目もあるので、柵の中に入る事は難しい。許可をとればいいのだろうけれど、その為にはお金も時間もいるし、ちゃんとした理由も必要だ。
まあいいか。
私もよいしょと柵に足をかけると中に入った。私たって、混融湖が実際どうなっているのか気にならないわけではない。どうしても日中は柵の向こうから採掘現場を眺めたりするしかできないのだ。
柵の中に入って歩き続けると、波の音が大きくなった。湖なのに波?と思うが、波があるから異界の物が流れ着くのだ。
だったら混融海という名前にすればよかったのに思うが、そうではない。もしかしたら混融湖の水は真水なのかもしれない。流石に飲む勇気はないが、折角ここまで来たなら混融湖の水を持って帰って、明るい場所で調べてみたいものだ。
「そういえば、コンユウの保護者は、異界屋か何か?」
混融湖でコンユウは拾われたと言ったが、こんな場所に来るのは、特殊な職業のヒトぐらいだ。落ちたらほぼ即死という危険な湖に近づく旅行客はまず居ない。
「ああ。そんな感じだ。異界のモノを見に来て……俺を拾った」
ヒトが流れ着いた所を見たなら、さぞかし驚いた事だろう。
「元々は王宮で働いていたらしいけど、上手くいかなくて止めたらしい」
「へえ。ならアスタの知っているヒトかも」
アスタもすでに80歳を超えているわけだし、王宮で働いている期間は長いはずだ。それならば、どこかで顔を合わせている可能性が高い。
「そうだな」
答えるコンユウの声は何処か暗かった。
今の会話の中に不快になる言葉なんてなかったように思うので、やはり混融湖が近いからだろうか。混融湖に流れ着いたという事は、一度は落ちたという事で。浮かぶ事ができないというのは、さぞかし怖かっただろう。
「どうして、オクトは王宮魔術師の娘で……混ぜモノなんだろうな」
「へ?」
唐突に足を止め振り返ったコンユウの手には、いつの間にか剣が握られていて――。
次の瞬間、私の目の前は赤く染まった。