30‐1話 些細なきっかけ
「ここが混融湖……」
私は目の前に広がる湖に圧倒された。海ではない証拠に、対岸が薄ら見える気がするが、本当にぼやっとしか見えない。海だと言われれば、絶対信じたと思う。
子爵邸を出発して3日目。私達はようやく混融湖までたどり着いた。といっても、最初に想像したよりも徒歩での移動は少なく、それほどキツい旅ではなかったように思う。
というのも、大半がアスタの転移魔法だからだ。
ただし一日何度も転移魔法を使ったり、あまり遠い場所まで一気に転移をすると、体への負担が大きいという事で、休み休みにここまで来た。
「アスタ大丈夫?」
しかし転移魔法をし続けたアスタは別だ。長距離運転をし続けてきたお父さんのように疲れた顔をしている。せめて途中転移魔法を代わりたかったが、初めて行く場所に上手く転移ができるかというと疑問だったため、結局何の手伝いもできなかった。
「おー。少し休めば大丈夫だ」
猫背で石の上に腰かけていたアスタだったが、私に対してへらりと笑う。そんな無理に笑わなくてもいいのに。
「とりあえず、水」
私は鞄の中からコップを取り出すと、その中に魔法で水を集めて差し出した。本当はお茶を入れてあげたいところだが、そこまでするのは手間がかかる。
アスタはコップを受け取ったのとは反対の手で私の頭を撫ぜると、水を飲んだ。
「ありがとう」
「オクト、あそこで採掘しているみたいだよ!」
「へえ」
エストのいつもよりはしゃいだ声に、私は振り返える。するとエストは私の腕を引っ張った。エストがはしゃぐなんて珍しい。いつもは保護者なエストも子供だったんだなぁと思うと、何だかほのぼのした気持ちになる。
旅行は友人の知らない顔を見せてくれるし、いいものだ。
「オクト」
「ん?」
アスタに呼びとめられて、私は立ち止まった。
「……あまりはしゃぐと危ないから、気をつけろよ」
「うん」
何故かアスタの言葉が一瞬詰まったような気がしたが、なんだろう。まあ確かに混融湖ではしゃいで、湖にどぼんしたら、そこで人生終了だ。かなり危険である。
とはいえ、混融湖は柵で囲われており、よっぽど横着をしなければ、湖にどぼんと落ちるような場所まで行く事さえできないのだけど。
「えっと、それで採掘って……エスト?どうかした?」
さっきまではしゃいでいたはずのエストが、今度はどんよりとした顔をしている。今の一瞬で何があったのだろう。
「うん。自分の未熟さを思い知っただけだから、大丈夫だよ。気にしないで」
気にしないでって……。一体、何処でどうやって思い知ったというのか。そもそもエストが未熟なら、それ以下のヒトが、私を含めごろごろ居るように思う。
「エストはそんな未熟じゃないかと。コンユウもそう思う――コンユウ?」
コンユウを見れば、コンユウも何処かぼんやりとした様子で柵にもたれかかっていた。何だろう。もしかして転移酔いでもしたのだろうか。
「コンユウ、水」
私はアスタと同じように、コンユウにも水を差しだした。
「……ああ。悪い」
「体調悪い?」
「何でもない」
水は受け取ってもらえたが、どうも心ここにあらずだ。そういえば、子爵邸を出発する時から何処か落ち込んでいたように思う。もしかしたら、混融湖にいい思い出がないから気分がすぐれないのかもしれない。かといって何でもないと言われれば、これ以上聞くのは難しい。
かくいう私も、混融湖を見たら、前に自分の時属性を見た時のように嫌な気分になるかと少し心配していた。しかし意外に大丈夫なものだ。今のところ混融湖を見ても、綺麗で大きな湖だなぁと思うだけである。トラウマとはよく分からない。
「おーい。まずは今日から泊まる所へ行くぞ」
混融湖の周りに居たヒトに道を訪ねていたライが手を振った。私も了解の意味で手を振る。さて、今日は何処に泊まらせてもらえるのだろうか。
初日はまだアールベロ国だった為、ライの家の別荘に泊まらせてもらえた。2日目はすでにドルン国にすでに入っており、妙に高級そうな宿泊施設に案内された。しかも、たぶんあれは貸切だったように思う。……自分が混ぜモノだし仕方がないと思っても、どれだけ金が動いているのか考えると、血の気が引きそうだ。
「お嬢様、荷物は私達に任せて、先に向かって下さい」
ペルーラの言葉に甘えて私はライの後を追いかけた。たぶん私の力と体力では、手伝ったとしてもペルーラやライが連れてきた使用人に迷惑をかけるだけである。
「この辺りは観光地で宿泊施設が並んでいるけど、俺らが泊まる場所はそこから少し離れているみたいだな」
ライが持っている地図を覗き込むと、確かに民宿らしきものが立ち並んでいる場所から少し離れた所に×印がついていた。一軒だけポツンと離れていると、何かいわく付きではないかと思えてくる。ホラー映画とかサスペンス系のドラマでありそうなシチュエーションだ。
「結構離れているけど、この国の貴族の邸宅か何かですか?」
「元々はここの領主が住んでいたけど、今は街に近い場所に移したらしいぞ。今日から貸してもらえるのはその空き家だと。まあ空き家といっても、領主も年に数回は混融湖の採掘を視察に来るから、まったく使ってないわけではないようだけどな」
なるほど。
程よく民宿からも離れているし、ただの空き家なら、混ぜモノ相手でも比較的貸しやすい場所なのだろう。私は元々自分の身の回りの事は自分でできるし、一応ライも使用人を連れてきてくれたので、家を貸してもらえた方が過ごしやすそうだ。
しかし数分後、私はさっき過ごしやすそうだと思った自分を殴りたくなった。
あの時、私が想像していたのは古めかしい、少しこじんまりとした邸宅だったのだ。しかしライの案内で少し坂道を登った先にあったのは……少し小さな城だった。
◇◆◇◆◇◆
「どれだけビップ待遇なんだろう……」
というか、こんな城を空き家にするんじゃありませんと言ってやりたいが、ここは混融湖から流れ着いたモノが売れるし、観光地ともなっているので、かなり景気がいいのだろう。年に数回しか使わない城を綺麗な形で残しておけるなんて普通ない。
私が使う事となった一室は、茶色を基調とした落ち着いた部屋だった。凄く広いわけではないが、ただ泊まるだけと考えると、結構広いのではないだろうか。この国のヒトの体格が大柄なのか、それとも領主の金回りがいいからか、ベッドは結構広く大きかった。ドアや天井も少しいつもより高い気がするので、大柄なのは間違いないだろう。
一応事前に私達が使う事が決まっていたからか、シーツが張り替えられており、ほこりっぽいという感じはない。
少し変わっているのは、部屋の中に廊下とは繋がっていないドアがある事ぐらいだ。何処に繋がっているのか開けてみると、隣の部屋に繋がっている事が分かった。どうやら使用人の控室らしく、夜間でもすぐ誰かを呼び出せるようにする為に作られたようだ。たしかに夜間にベルを鳴らしたとしても、使用人の部屋が遠ければ、来るまでに時間がかかるだろう。
とはいえ、そんな緊急で呼び出すなんて一体どんな時だろう。今一ぴんと来ない。
「でもこれなら、ペルーラとのんびり話したりできるか」
たぶん今の流れから考えると、ペルーラはこの隣の部屋で休むのではないだろうか。
なんなら、私の部屋でペルーラと一緒に寝るのもいいかもしれない。ベッドは明らかに私とペルーラが一緒に寝ても問題ないようなサイズだ。気になるようならば、隣にあるベッドを勝手にこの部屋へ移動してしまえばいい。
のんびりと部屋に備え付けられた家具などを確認していると、ノック音が聞こえた。
「は――」
「おお。ここがオクトの部屋か。結構広いな」
「……ライ。せめて返事を待ってから開けよう」
ノックをすれば開けていいというわけではないと思うんだけどなぁ。
もしも私が着替えている最中だったらどうするつもりだったのだろう。……まあ現在の私の子供体型な体を見たところで、なんだという話かもしれないけれど。ライは時折、私が女であるという事を忘れるみたいだし。
「悪い悪い。ただ、早めにオクトに話しておきたい事があってさ」
「いいけど。どうぞ」
私はライに椅子に座ってもらい、自分自身はベッドに腰かけた。ライも長旅に疲れただろうに、着いて早々に訪ねてくるなんて、どうしたのだろう。
「カミュからの伝言だけど、えーっと、何だっけなぁ。ああ、そうそう。ヒトを信じるなだとさ」
「おいっ」
伝言でいきなりヒトを信じるなって……何その人間不信発言。
「いや、信じすぎるなだったかな。とにかく、近しいヒトでも疑ってかかれって事だ。ちょっと今回の第一王子の件で、魔法使いの中の過激派が不穏な動きをする可能性が高いからな」
「えっと。ここ外国だけど」
「あいつ等にとって場所なんて関係ないさ。魔法が使える事こそ一番だと思っているからな」
うわー。なんて迷惑。
確かに魔法は万能的に色々な事ができるが、欠点もある。剣と魔法が対決したら、すぐに首を切り落とせる剣が勝つのがいい例だ。また魔力不足や魔素不足など、無策で使えば魔法なんて簡単に使えなくなる。
そもそも魔力の元である魔素が何処で生まれ、使った後はどうなっているかとか解明できていないのに、そんな不確定要素が一番だなんてよく思えるものだ。
「とにかく気をつけろという事だ。知り合いでも疑ってかかれ。知らない奴なら信じるな」
「知り合いでも疑えって……」
私の知り合いなんて、凄く少ない。しかもこの旅での知り合いなんて、ライとアスタ、それにエストとコンユウ、後はペルーラだけだ。
全員昔からの知り合いだし、今更疑えと言われても難しい。
それに混ぜモノに危害を加えようなんて、魔法に詳しい魔法使いなら普通――。
「……もしかして、また囮?」
「てへ」
「可愛くないから」
ぺろっと舌をだしたが、成長期を迎えた男のそんな動き可愛くもなんともない。しかも自分が再び囮にされていると分かるとなおさらだ。
民家や町から離れたこの場所なら、もしも混ぜモノが暴走したとしても大丈夫だと思う魔法使いもいるかもしれない。被害があると言っても混融湖だけだし、特にここは彼らには関係がない国である。もしも戦争になっても構わないと思っているならば、何か仕掛ける場所としてはうってつけすぎる。
「あー、もちろんオクトの為にも、ほとぼりが冷めるまでは学校から離れた方がいいってカミュは言ってたから……な?」
「まあいいけど。でもライが護衛か……」
「不満かよ。俺って、結構優秀なんだぞ」
「いや、色々悪夢がよみがえるというか」
昔拉致監禁された時の護衛が、ライだったように思うのは気のせいだろうか。
あの時よりライも成長したし、私も成長した。でも不安に思うのは致し方がないと思う。
こうして不安を抱えたまま私の混融湖旅行はスタートした。