28‐3話
館長が再び倒れてから、図書館は一段と慌ただしくなった。
今のところは図書館が休館になるとかそういった事態は起こってない。ただ今まで館長が行っていた時魔法の管理が、全てコンユウへと移行された。また蓄魔力装置も全て設置され、もしもの時の準備が進んでいる。
館長が死ぬ事を待ち望んでいるわけではない。しかし全ては、その時の為に動いていっているようで、まさしくその通りだったりする。
主治医の先生が言った、余命幾何もない絶望的な言葉の為に。
「館長……、私かコンユウがこの図書館を継ぐとか無理ですからね」
ベットの上で、こんこんと眠る館長にぽつりとぼやく。
自分自身にかけた時魔法が切れてからも、館長は中々起きず、眠る時間が長くなった。時折目を覚ましてはご飯を食べたり、薬を飲んだりもする。しかし量があまり入らぬまま、すぐに眠ってしまう。主治医の先生は、無理に館長を起こして薬を飲ませたり治療するのではなく、本人の望むようにしてやりなさいとアドバイスをした。
そこで図書館の職員で話し合った結果、館長の看病は図書館で交代で行うという事になった。きっと館長は最期まで図書館にいたいのだろうから。
「だからちゃんと元気になって、先輩が後継者になるように話をして下さい」
アリス先輩から、館長がもしも亡くなったら、私かコンユウに図書館の館長を継いでもらいたいと言われていた。もちろん、通常業務はアリス先輩が今まで通り館長代理を行ってくれる。しかし時魔法に関してさっぱりなアリス先輩は、館長にはなれないというのだ。
かといって、私とコンユウに館長の仕事ができるとも思えない。多分ベストなのは、アリス先輩が館長となって、私達が協力者となる方法だと思うのだけど……。
とにかく館長に、後任者を決めてもらう事が、もめごとにもならずいい気がする。
「皆、心配していますから」
何処から館長が倒れた事を知ったのかは分からないが、館長のお見舞いへ、様々なヒトがやってきた。
一体どういう繋がりだったのかは分からないが、軍人っぽいヒトから商人っぽいヒトまで様々なヒトがお見舞いをしにやってくる。つい最近やってきた緑の髭を生やした男は貴族っぽかったし、種族も年代層も多種多様だ。
とにかく立て続けにヒトがお見舞いに来るので、館長室はプレゼントで溢れかえる事になった。花なんてすでに館長室だけでは飾る事もできない量になってきているので、図書館中に飾ってある
これが、長きにわたって生きてきた館長の人徳というものかもしれない。もしも私が倒れたとしても、こんなに見舞いに来てもらえるとは思えなかった。
「……――ここは」
「館長?!」
ぶちぶちと眠り続けている館長に文句を言っていると、ふとかすれた声が聞こえた。近くの椅子に腰かけていた私は、慌てて館長の近くまでかけより、顔を覗き込む。
するとうっすらと開いた瞼の下から、紫色の瞳が私を見返した。
「気分は大丈夫ですか?今、先輩呼んできます」
とにかく館長が目を覚ましたと先輩に伝えなければ。慌てて呼びに行こうとしたが、館長の手が私の腕を掴んだ。
腕は枯れ木のように細くなっていたが、その手の力は、見た目以上にあった。少しだけ爪が食い込み痛い。
「館長、どうかされましたか?」
無理に振り払ったら折れてしまうのではないかと思い、私は仕方がなく館長にされるがまま、この場に留まる。もしかしたら喉が渇いたとか、何か言いたい事があるのかもしれない。
「喉が渇いたのなら、お茶をお持ちしますし、お腹が空いたなら何か食べられるものを持ってきますけれど……」
「……君は――」
館長の口から、再びかすれた声が出てきた。2日間は眠りっぱなしだったので、声が出にくいのも仕方がない。
「お茶どうですか?水なら枕元にレモン水がありますし……」
しかし館長は私の言葉に答えることなく、ぼんやりとしている。もしかしたら寝ぼけているのかもしれない。
「えっと、特になければ、先輩を呼びに行きたいんですけど」
そっと腕を掴んだ手をはがそうとするが、中々上手くいかない。ぼんやりとしているのに、何故か腕を掴む力だけは強かった。
「――にとって……は――だろうか」
「はい?えっと、なんです?」
ぼんやりとしていた館長からぽつりと言葉がこぼれ落ちた。何か質問っぽかったが、か細い声の所為で上手く聞き取れず、私は聞き返す。
「――にとって、この世界は少しはマシになっただろうか」
へ?
私は想像外の言葉にキョトンとする。何か質問だとは思ったが、世界について聞かれるとは思わなかった。マシも何も、世界は世界だ。私に評価できるものではない。
ああ、でも……。
切ない声に、これは私に宛てられた言葉ではないのかもしれないと気がつく。もしかしたら館長は、私を誰か別の人物と勘違いしているのではないだろうか。
一番考えられるのは、館長の待ち人だ。もしかしたら、直前までそのヒトの夢を見ていたのかもしれない。最近眠る頻度が高くなったので、夢と現実が混ざってしまったとしても仕方がない気がする。
ふてぶてしかった館長が、弱弱しくなっていく姿は寂しい。だけどそれを受け入れないわけにはいかない。これが現実なのだ。
私は手をはがすのを諦め、もう片方の手で館長の手を握った。
館長はどんな言葉を望んでいるのだろう。きっとマシかどうかを聞いているのだから、待ち人にとってこの世界は生き難い世界だったのではないだろうか。
「……楽しいですよ」
色々考えたが、結局、私の感想を述べるだけしかできなかった。
何に比べてマシなのかも分からないので、答えようがない。待ち人についても貧乏くじを引きそうなヒトだという情報しかないので、どんな答えを館長が望んでいるのか分からなかった。
ただ私に言えるのは、この世界は、館長が思いつめるほど悪い世界ではないと思う。もちろん嫌な事だってあるだろうけれど、全てが嫌なわけではない。
きっと待ち人にとって、生き難い世界だったとしても、ただ辛いだけの世界ではなかったのではないだろうか。少なくとも心配してくれる館長が居たのだ。
「そうか。よかった……本当に良かった」
館長の手から力が抜けた。
私はそのすきにさっと腕から手をはがす。今度は何の苦もなく、その手は離れた。よっぽど待ち人の事が心配だったのだろう。
離れる瞬間、少しだけ館長を騙してしまった事に罪悪感を感じる。
「……先輩呼んできますから。まだ寝ないで下さい」
私は部屋を出ると、先輩のいる受付カウンターまで急いで走った。
◆◇◆◇◆◇
館長と少しだけ会話をした数日後。館長は眠る様にこの世界から旅立たれた。
死因は老衰。主治医の先生が言うには、これほど長く生きてきた事の方が奇跡だったらしい。実際館長はとても無理をして長生きをしていたのだろうと私も思う。
そこまでして生き続けた理由は、先生もご存じないようだったが、私は待ち人のためだったのではないかと思っている。待ち人は館長の初恋の人らしいが、具体的に聞いてみればよかったと思うのは、もう聞く事ができないからだろうか。
「もっと、何かしてあげられたのかなぁ」
館長が死んでも図書館は残る。その為、私は普段と変わらず図書館の業務をこなしながら、館長を思い出してた。
もちろん、過去を後悔したって、仕方がない話だ。それぐらいの分別はつく。
ただ今思うと、食事が食べられなかったのならば、胃の中に食べ物や飲み物を転移させる事もできた。息が上手く吸えないならば、風の魔法で空気を肺に送り込む事もできる。館長を延命させる方法はまだあったのだ。しかしすでに限界まで使った体に、さらに鞭をうつ事が、果たして館長にとって良い事なのかと言われると答えに窮するのだけれど。
だからというのもおかしな話だが、これでよかったのだと思うしかない。
「十分だろ」
「……十分って」
「あんな穏やかに逝けたんだ。しかも館長が望んだ通りの形で」
確かに戦争や病気ではなく、穏やかに老衰まで行けたというのは、この国ではかなり幸せな最期だと言える。ここは日本ではないのだ。
「そうだけど――……」
反論を言いかけて、コンユウは家族を混ぜモノの所為で失ったと言っていた事を思い出した。確かにそれに比べれば館長はいい死に様だ。こんな事、比べるようなものではないだろうけど。
「それに俺は……オクトも館長の為に十分やったと思うから」
「へ?」
「十分だって言ってんだろっ!!」
怒鳴らなくてもいいのに。
しかしコンユウの耳が真っ赤になっているのを見て、照れているのだという事に気がつく。という事は、やはりさっきの言葉は褒め言葉だったのだろう。
嫌いな混ぜモノでも褒める事ができるなんて、コンユウも成長したんだなぁと思う。昔ならツン100%で、何があろうとも、褒めたりしなかったはずだ。
「ありがとう」
「べ、別に。オレは本当の事を言っただけで、アンタを喜ばせようと言ったわけじゃなくてだな――」
「分かってる。だから、ありがとう」
コンユウだからこそ、お世辞でもなんでもなく、素直な感想だと分かる。ヒトに評価されたから、館長に十分な事をしてあげられたというわけではない。それでも少しだけ心が楽になった気がする。
「俺だけじゃないから。エストとか先輩とか、皆、アンタが館長の為に何もしなかったなんて思っていないから」
「うん。分かっている」
この図書館にいるヒトはとても優しい。だから、もう少し何かできなかったのだろうかと、私に対して思うヒトはいないだろう。
そんな優しいヒト達と出会えた図書館で働かせてくれた館長には、感謝の言葉しかない。だからこそ、私は館長に対してもっと何かをしたかっただけだ。
「そういえば、オクトはこの図書館を継ぐ気はあるのか?」
「いや。私では無理」
色々あれから考えたが、やはり混ぜモノである私では、この図書館を継ぐのは難しい。もしも私が時魔法を使う事ができたとしても、問題の種にしかならないだろう。
「コンユウは?」
「まだ分からない」
アリス先輩は、私達が卒業するまでにどちらが継ぐのかを決めて欲しいと言ってきた。私としては、全ての業務をそつなくこなせる、先輩が継いでしまうのが一番だと思うけれど、館長の意思だというのだから仕方がない。
「俺は……自分が館長の代わりになれるとは思えないから」
「うん」
「少しは否定しろよ」
「館長は凄いヒトだったと思うから、館長と同じ事をするのは難しいかと」
葬儀の時に集まったヒトは、お見舞いに来たヒト以上に多く、また学校中の生徒が館長の為に花を手向けた。それほどの人脈を持ち、中立を保ち続けたという館長。その代わりができるヒトなど、いないだろう。
「でも……私は、コンユウが館長になった図書館も見てみたいと思う」
不器用だけど、素直で、優しい彼なら、また今とも違う図書館を作っていくのではないだろうか。そしてきっとそんな図書館も、きっと悪くはないだろう。
館長が選んだのだ。
「私はその為なら、力を貸す」
「そうか」
コンユウの耳が再び赤くなったが、私は見なかった事にしておいた。