26-3話
「お嬢様、どうかされました?」
「……人づきあいって難しいなぁと思って」
正直人づきあいって面倒――いやいや、人づきあいは面倒じゃない。そこまできたら色々、ヒトとして不味い。面倒なのは恋愛について考える事だ。
久しぶりに子爵邸の方で泊まる事になった私は、勉強机に向かいながら大きなため息をついていた。
「ペルーラは好きなヒトいる?」
「私はオクトお嬢様が一番好きです」
「ありがとう」
ペルーラはまっすぐな瞳でそう言ってくれた。その言葉自体は、とてもうれしいが、聞きたかったのはそれじゃないんだけどなぁ。
かといって、恋愛的にどうだとか、聞き直せない。私のキャラじゃないし、無理だ。そもそも、どうして私がこんなに考えなければならないのか。何だか悔しくなる。
考え事が、答えの決まっている数学だったらどれだけよかったか。
「お嬢様……もしかして」
「いや。いない」
妙な勘違いをしかけたペルーラに、私は力なく首を振った。私が愛だの恋だのに悩まされているのは、別に好きなヒトがいるからというわけではない。
館長が変な事ばかり聞いてくるからだ。……愛だの恋だのに興味がない私はおかしいのだろうか。混ぜモノだし普通だと思うのだが、エストの事もあり、若干心配になってきた。
「そうですか。でも素晴らしい旦那様がお義父様ですし、そういうものかもしれませんね」
「へ?」
素晴らしいお義父様?義父という事はアスタの事だろう。そこまでは分かるが、今の会話から、どうしてアスタの話になるのか。
「旦那様はとても素晴らしい方ですもの。王宮の魔術師であり、ご自身の力で子爵の地位をいただいた大変優秀なお方です。さらにご実家は伯爵家。容姿も端麗ですし、オクトお嬢様が恋ができないのも納得です」
納得できません。
誰だ、そのヒト。いや、経歴を聞けばアスタなのだと分かる。職場のヒトに迷惑をかけたりもしているが、王宮の魔術師なのは間違いない。子爵邸に住んでいるのだから、子爵なのも本当だ。実家の伯爵家にも、年に1回は一緒にあいさつにいっているので、これも本当。容姿もかなり整っている。
……そういえば、最近すっかり忘れていたが、アスタは私という混ぜモノの子供がいる事をいいわけに、縁談を全て断っている優良物件だった。
「えっと、私は別に――」
このままではペルーラの中で、ファザコン認定されてしまう。いやいや私はファザコンじゃない。たとえアスタが優良物件だったとしても、そんなしょっぱい生物ではないはずだ。
「オクトお嬢様はとても大切にされていますし、旦那様がいては、他の殿方に目が向けられないのも納得です」
大切にされているのは間違いない。
むしろ、甘やかされ過ぎだ。あれでヘキサのような真面目の塊な息子を育てたというのだから、子育てって謎だ。よほどヘキサの母であるクリスタルが厳しい方だったのだろうか。
「アスタの事は尊敬してるし……好きだけど。いや、でも違うというか……」
上手く言えないが、違うのだと声を大にして言いたい。
私が恋愛とかそういった事を不毛だと思うのは、混ぜモノだからだ。アスタと比べて、アスタより凄いヒトがいないからではない。……そうではないはずだ。
落ち着け私。
よし自分の周りのヒト達を整理しよう。魔法の腕前は、一番はもちろんアスタだ。というかアスタからこれを取り上げたら何も残らない気がするのでここだけは譲れない。
でも武術ならライを上回るヒトはいないし、身分だったら王子であるカミュが一番だ。性格ならエストだし、可愛さ&絵の上手さならミウである。アスタが全てにおいて一番だという事はない。容姿だけでいうなら、エルフ族という美形揃いの種族がいたはずだ。
アスタが一番だなんて、幻想である。それに、料理、掃除が全く駄目で、それどころか髪の毛も自分で拭く事ができない男だ。しかも対人能力も私と同じで底辺をひた走る偏屈者じゃないか。
ほらアスタなんてまったく完璧じゃない。……って、アスタを貶めてどうするんだ。
別にアスタの事が嫌いというわけじゃないのだと心の中でいいわけしておく。髪の毛が拭けなくても、料理、掃除が全く駄目でも、私ができるのだから問題ない。私が居なくったって、メイドを雇うお金もあるのだから、どうしようもない欠点というわけでもないし――。
「オクトお嬢様?どうかされましたか?」
「……あ、うん。なんてもない」
ぐるぐると思考の渦の中にはまりこんでいたらしい。気がつけば、ペルーラが心配そうに私を覗き込んでいた。
「お嬢様は、色々、難しく考え過ぎだと思います」
「そう?」
「ええ。そうです。旦那様が嫌いなヒトなんていませんわ。仕方がない事だと思います」
「いやぁ……それはどうだろう」
ファザコンが仕方がない。
そう思うには、アスタの欠点が見えすぎ、私のプライド的な問題で許せそうになかった。
◇◆◇◆◇◆
ファザコン。
私が、ファザコン。……ないわぁ。
「はぁ」
「オクト、どうかしたのか?」
諸悪の根源の髪の毛を拭きながら、私は深くため息をついた。
子爵邸に居るにもかかわらず、娘に髪の毛を拭かせる駄目父。そんなアスタにコンプレックス……いやいや。まさか。
「最近考えさせられる事が多いから……」
自分の価値観がおかしいとか、愛は世界を救うとか……自分がファザコンかもしれないという危機とか。
何故私がこんなに色々考えているのだろう。そもそも人づきあいってやらなければいけないのだろうか。分からない事だらけで、ヒトと関わるのが、少々面倒になってきたのが億劫になってきた。
でもこのまま引きこもるわけにはいかない。対人関係音痴の称号を貰ったままでは、独り暮らしをする上で、色々問題がある気がする。
「そういえば、アスタの奥さんってどんな人?」
「えっ?クリス……えっとクリスタルの事?」
何をいきなりというような顔をしたアスタに私は深くうなづいた。
結婚をしたという事はアスタだって人並みに、恋愛をしたはずなのだ。色々考える参考になるかもしれない。
それに、ここで奥さんの話を聞いて嫉妬しなかったら、ファザコンではないという証明になるのではないだろうか。ファザコンではないという事が分かったら、少しだけ心労が減るような気がする。
本当はどんな恋愛したのかとかそういう話を聞きたいが、私の柄じゃない。あまり踏み入り過ぎた質問をしては、アスタに頭を心配させるのがオチだ。それはちょっと痛過ぎる。
「オクトがそんな事聞いてくるなんてめずらしいな」
うぐっ。それですら、珍しいか。
私は相変わらず、相手の過去とか家族とか、個人的な事を根掘り葉掘り聞く事が苦手だ。どこでどんなディープな話題になるかも分からないのだから仕方がないと思う。
別に親密になるのが面倒とかそういうのではない。そこまで、ものぐさではないつもりだ。頑張れ私。
「クリスは、ヘキサとは真逆の性格だったな。世話焼きな部分は似ているが、喋り出したら止まらない女だったし」
「似ていないんだ……」
ヘキサの母親なので、きっと物静かな方だろうと思っていた。もしかしてヘキサは父親似だろうか。
「逆にヘキサの父親は、おっとりとした、どんくさい奴だったなぁ。ん?じゃあ、ヘキサは誰に似たんだ?」
「……さあ」
ちょっと、アスタを含めた全員が反面教師となった結果ではないかと思ったが、それは黙っておく。母親が喋る分、ヘキサが喋らなくなった説が一番有力だ。
それにヘキサの性格と言えば、あの氷のような真面目さは、他に見かけない。きっと、色々親の背を見て苦労されたんだなと思うとほろりと涙がこぼれそうだ。
「というか、ヘキサ兄さんの父親とも知り合いなの?」
まさかの略奪愛?アスタが?
今一ピンとこないが、状況的にそうなる。
「ヘキサの父親であるトールとは、軍で知り合ったんだよ。クリスはその後に紹介されたんだ。トールはどうして軍に入ってしまったのかと思うぐらいどんくさかったから、結局戦死してしまったけどな」
「そうなんだ」
戦死か。
きっと友人であるトールさんに、奥さんやヘキサの事を頼まれて、アスタは結婚する事になったのだろう。親友の奥さんと結婚なんて、色々複雑だっただろうに。
「どんくさいくせに、トールの奴は、わざわざクリスタルに、俺の事を頼むと遺言していきやがったんだ。今考えてもムカつく。そんな事するぐらいなら、生き伸びろって感じだろ」
「えっ……、奥さんの方?」
聞いてみなければ分からないものである。
確かに、アスタを一人にするのは心配だというのも分からなくはない。アスタの生活能力は限りなくゼロに近い。ただアスタはアスタで、トールさんの事をどんくさいとか、ぼろくそに言っている。一体トールさんとはどんなヒトだったのか。
一つだけわかるのは、アスタにとってトールさんは、死んでほしくない、大切な友達だったのだろう。また奥さんに託すぐらいだから、トールさんにとってもアスタは特別であったに違いない。
「アスタはトールさんが好きなんだ」
「えー……あー……うん。まあな」
私の言葉に、目をそらしたり、百面相をしたアスタだったが、最終的には素直にうなずいた。そして若干照れたように苦笑いを見せる。
「最初は嫌いだったけど……たぶん好きだったんだろうな」
その言葉を聞いた瞬間、ズキリと胸が痛んだ。
その痛みに、私は戸惑う。いや、そんな、まさか。
「そう」
私は自分の変化に気がつかれないように相槌をすると、髪の毛を拭く手を止めた。そしてゆっくり深く息を吐く。
「じゃあアスタ。お休み」
「えっ、もう?」
「明日、早いから」
それだけ言うと、私はアスタを見ないようにして、外へ出た。そしてそのままずるずるとしゃがみこむ。自分の反応が信じられなくて、手で顔を覆った。
「どうしよう。もしや……私は本当にファザコンなのか」
自分が、自分で信じられない。しかし私は、アスタと対等な友人だった、見た事もないトールさんが羨ましいと思った。自分では永遠になることができない立場のヒトに……嫉妬したのだ。