25‐1話 戸惑いだらけな新学期
神様と出会ってから季節は流れ、私は11歳となった。
結局私はカンナの申し出を、丁重に断わり家に戻った。カンナには悪いが、私にはアスタがいるので、今更親代わりとかいらない。それでも時折連絡を取り合いたいと言われたら、私は断る理由を見つける事ができなかった。
ただし連絡を取り合うといっても、神であるカンナと私に血のつながりがある事は公表してはいけない事には変わりない。というわけで、再び一つアスタへの内緒ごとが増えた。頭の痛い話である。
また11歳になった私は、念願の魔法薬学部に進学した。
魔法薬学部では、いままでの基礎的な授業が減り、専門的な薬草や薬についての授業や、実験学が新たに加わった。実験学は前世の科学みたいなものかなと思ったが、どちらかというと、家庭科の調理実習に近く、科学のような精密さはない。
まだ作った事のある薬が、飲み薬ではなく、塗り薬の類だからかもしれないけれど。
「おいっ、ニガヨモギは――」
「すりつぶしておいた」
そう言って私は、鍋の中にニガヨモギなるヨモギっぽい薬草を入れた。すると鍋の中身が深い緑色に染まる。現在は実験学の真っ最中で、これからこの鍋の中身がどす黒くなるまで煮詰める予定だ。この実験のおかげで、教室の中は、葉っぱの青臭い強烈な匂いが充満していた。最初はきつかったが、すでに私の鼻は麻痺している。
「コンユウ、後よろしく。洗い物をしてくる」
そしてもう一つ大きく変わったのはクラスメイトだ。カミュは魔法学科に進学し、ライは魔法騎士学科という、卒業後、軍に配属される事を希望するヒトの多い学科に進学した。そして担任であったヘキサは、私が進学すると同時に学校を辞め、今は伯爵家で伯爵の勉強中だ。
何だか知り合いが皆遠くに行ってしまったみたいで寂しいが、カミュやライは同じ学校には違いないし、ヘキサとも公爵家にいるので実際はそれほどバラバラになったわけではない。ただ、クラス替えをしたら友人が誰も居ませんでした的な状況を味わっているだけだ。
ただ代わりと言ってはなんだが、コンユウが一年飛び級を果たし、私のクラスメイトとなった。
「水よ、盥の中に集まれ」
洗い場まで来た私は魔法で盥の中に水を溜めた。これができないと、外の井戸まで水を汲みに行かなければならないのでとてもありがたい。
というか人体に一番必要な水を操れるって、実は自給自足の中で一番都合のいい能力ではないだろうか。この水属性と風属性があれば……洗濯に便利そうだ。自分が混ぜモノでなければ、クリーニング屋さんになれたのになぁと思う。
「あ、あのさ」
「ん?」
「悪いけど、俺も水をもらっていい?」
器具を洗っていると、隣から灰色の髪をした人族の青年に声をかけられた。断る理由もないので、私は同じように魔法で彼の盥にも水を張る。
「ありがとな」
「うん」
進級してから、少しずつだが、私はクラスメイトと話すようになった。まだカミュやライのような友人はできていないが、少なくとも業務的な内容は話せる。かなりの進歩だ。
カミュに人間関係音痴の烙印を押されたが、ここでこうやって武者修行していれば、いつかは改善されるのではないだろうか。クラスが離れてからというもの、カミュ達は心配してよく私の所へ来るが、私だってもう11歳だ。頑張らねば。
「オクト、早く来い」
コンユウの声が聞こえて、私はため息をついた。
叫ばなくったって、遊んでるわけではないので、ちゃんと戻る。たぶん色が変わる前に思った以上に水が蒸発してしまったのだろう。私も失敗して最初からというのは勘弁したいので、洗い物の手を止める。 実験は、原則2人ペアでやる決まりなので、私にビビらないコンユウと組むのが常だった。その為コンユウの失敗は私の失敗だ。
「じゃあ」
「おう」
隣にいた青年に声をかけてから、洗いかけの器具を残して席へ戻る。
「どうしたの」
「水入れろ。思ったより、蒸発が早い」
やっぱりか。
私は魔法でビーカーの中に水を溜め、少しずつ鍋の中に入れた。鍋の中身はヘドロのようにドロドロしていたが、まだ色が緑色だ。加熱時間が足りない。ぽこぽことできては弾ける泡を見ていると、なんだかと未知の生命体がココから産まれてきそうだなぁと思う。
やっている事は料理っぽいが、出来上がりは黒魔術だ。
「悪い。多分、火加減間違えた」
「……こ、コンユウが謝った」
気分はクララが立っただ。
これは早速、エストに報告しなければ。きっとエストはお母さんのようにコンユウの成長に涙してくれるだろう。
「俺だって謝るっていうか、俺の事何だと思ってるんだよ」
そんなの、リアルツンデレに決まっている。ちなみにツン:デレの割合は、9:1の黄金比タイプだ。2次元では萌要素だが、3次元では残念要素でしかない。ただしこれを言うと、たぶん怒り狂って、今作成している薬の終了の合図となってしまう。諦めたらそこで試合終了だったらいいが、実験学ではできるまで作り直せという残念なお知らせがあるので困る。
「いや、ほら。コンユウは私の事が嫌いだから」
嫌いだから悪い事しても謝らないというのはいささか子供っぽいが、それがコンユウだと私は理解している。あれ?でも、いつだったか、私に謝ってきた事があったなぁ。ツンデレだけど、コンユウってば意外に素直だ。ツンデレ、素直、さらに寂しんぼうがプラス。……これで金髪ツインテールだったらいう事なし――いや、話がずれた。
「……じゃない」
「えっ、何?」
考え事をしていた所為で聞き逃してしまった。聞き返すと、コンユウがキッと睨みつけてくる。
「あ、アンタがそんなだから、俺はっ!!」
「えっと。ごめん。だからかき混ぜる手を止めないで」
「謝るな、馬鹿っ!!」
じゃあ、どうしろと。
しかしコンユウもちゃんと私がいいたい事だけは理解してくれたようで、鍋をかき混ぜる手を再開させた。
「あっ、大分と色変わった」
さっきまでの緑のアメーバーが、いつの間にか完璧なヘドロに変わっていた。うん。気持ち悪い。とにかく色が変わったので、今度はヘビゴケの実という、苔なのか蛇なのか果実なのかよく分からないもののしぼり汁を鍋の中に一滴ずつ滴下した。
中々色は変わらなかったが、ある瞬間突然色がエメラルドグリーンに変わった。成功だ。
私はいそいそと煮沸消毒済みの薬瓶を取り出すと、粘性のある液体を瓶の中に収めきっちり蓋をした。
「シップは需要があるし、結構売れそう」
今回の実験で作ったのは、湿布薬だ。これを布につけ貼り付けると、いい感じらしい。材料はそれほど高価ではないし、この辺りの山には普通に生息しているそうなので万々歳だ。
今のところ実験で作り方を覚えた薬は、毛生え薬と化膿止め、そして湿布薬だ。どれも絶対売れそうなので、とてもうれしい。ただしこの世界の薬は前世よりよく効きすぎているような気がして、ちょっと怖かったりする。
特に毛生え薬の威力はとんでもなくて、授業中に実際に付けたヒトが、坊さん系からビジュアル系髪型を通り越し、いつの間にか雪男系にまで大変身した。流石にちょっと引く。うねうね生えてきた毛を見た時はトラウマになりそうだった。
それにしても、あまり強い薬は、体のトラブルも多そうなイメージなのだが、実際のところ副作用はないのだろうか。何かあって訴えられても困る。
「金以外の事も少しは考えろ」
「何をいう。お金は大事」
「そうかもしれないけど、オクトは貴族の娘なんだろうが」
「一寸先は闇。貴族だからといって、いつまでもお金があると思うのは間違い」
私の場合は、特に家を出る身だ。ちゃんと食べていけるよう考えなければいけない。お金では買えないものがあるというヒトも居るだろうが、お金でなければ買えないモノだってあるのだ。
私としてはついでに授業で、この薬の値段がどれぐらいかとか、薬に税金がどのように付加されるのかとか、商業的な方面も取り扱って欲しかった。
「アンタって貴族らしくないな。貴族のお嬢はそういう事考えないだろ」
「貴族の産まれじゃないから」
貴族に引き取られたのだから、貴族の生活習慣は尊重する。尊重はするが、理解できるかどうかは、また別問題なのだ。
「コンユウは貴族?」
「いや。師匠はただの魔法使いだし貴族じゃない」
師匠はという言い方をするという事は、コンユウはもしかしたら貴族出身なのかもしれない。でも自分が貴族だとも言わないところを見ると、きっと貴族には戻れない理由があるのだろう。
時属性を持っているし、複雑そうだ。
「……そう。じゃあ洗い物してくる」
しかしこれ以上深い話を聞いていいものか迷い、私はとりあえず鍋を洗いに行く事で、この話題から逃げる事にした。全く気にならないといったら嘘だが、根掘り葉掘り聞かれるのは気分のいいものでもないだろう。私だってこれ以上、コンユウに嫌われたくない。
「俺も洗う」
鍋を持って移動すると、コンユウもついてきた。こういう時、コンユウって律義というか、いい奴なんだよなと思う。図書館の仕事でも、たとえ嫌いな私とペアだとしても、仕事を押しつけてトンズラするなんて事は一度もなかった。
「お前の為じゃなくて、早く終わらせたいだけなんだからな」
「分かってる」
そんな事わざわざ言わなくても、勘違いしないというのに。
はいはい、ツンデレ、ツンデレ。
私は先ほど洗いかけだった器具の所まで来ると、汚れを落とす為、洗剤代わりの樹液をしみ込ませたスポンジで擦った。するとコンユウが盥に用意した水で擦り終わった器具を濯いでいく。
仲が良くなくても強制的に図書館でペアを組まされてきたおかげで、こいう時はあうんの呼吸だ。言わなくてもお互い何をすればいいかが分かってしまう。
……傍から見る限りは、世間一般でいう仲良しの枠組みに入れられてしまいそうだ。それもあって、実験のペアがいつもコンユウなのだろう。実際は、一方的にギスギスしてるんだけど。
もしかしたらコンユウのツンデレ発言は、周りへの牽制もあるのかもしれない。仲がいいわけではなく、仕方がなく付き合っているんだという事のアピールみたいな。コンユウの嫌味を脳内でツンデレ発言に変換してやり過ごすのは私ぐらいのものだろうし。
「あの、コンユウ。混ぜモノに水を――」
てきぱきと片づけをしていると、隣にやってきた青年がコンユウに話しかけた。しかしコンユウはギロリと青年を睨みつける。まるで研ぎ澄まされたナイフのような目だ。関係ない私まで鳥肌が立つ。
話しかけた青年は、明らかにコンユウより体格がいいにも関わらず、雰囲気にのまれて顔を青くしていた。
「何か言ったか?」
「い、いや。別に……」
何故脅す。
少し考え、コンユウも私と同様に友達づくりが下手だいう事を思いだした。そりゃ、声をかけてくるヒト、かけてくるヒト、こうやってガンつけて脅したら、友達なんてできるはずがない。
お前は何処の不良だと言ってやりたい。
「水だったら入れる。盥をそこに置いて」
「あ、ああ」
たぶんコンユウに私への橋渡しをして欲しかったのだろう。そう理解した私は、穏便に事を済ませる為、さっさと水を盥の中に満たした。
「あ……ありがとう」
「ん」
盥を持って離れた場所に移動していった青年を見送って、私はすすぎ終わった器具を拭く。すると不機嫌そうなコンユウと目があった。
「どうして水やるんだよ」
「へ?何で上げないの?」
ここが砂漠で生死がかかっているなら別だが、幸い今は水をどれだけだって出せる。わざわざ意地悪をする理由が分からない。ジッと見つめると、もういいと言ってコンユウは顔をプイッとそむけた。
「何で機嫌が悪いか知らないけど、誰かれ構わず喧嘩売ったら疲れると思う」
「……アンタは、オクトなんだろ」
「そうだけど?」
それだけ言うと、コンユウは貝のように口を閉ざしてしまった。
これ以上何か言っても無駄そうだが、今の情報だけでは、何が言いたいのかさっぱりだ。どうやら私の対人スキルは、まだまだ底辺をひた走っているようである。