24‐3話
しまった。割れる。
手からこぼれ落ちたカップに気がつき、そう思ったが後の祭りだ。私の平凡な反射能力ではもう一度掴むことなどできない。カップが落ちる様を私は凝視する。
高価なものだったらどうしよう。
しかしいつまでたっても、カシャンという陶器が砕ける音はしなかった。危険が迫った時にスローモーションに感じるのともまた違う。明らかに落ちるまでの速度が遅い。
「オクト、しっかり持たないと火傷するぞ」
目の前で、カップとお茶が空中遊泳をしているのを見て、私は目をこすった。しかし幻を見ているわけではないようで、消えることなく2つは浮かんでいる。何が起こったのかとカンナを見れば、いたずらっ子のような表情で笑っていた。
「まだ熱いんだからな」
カップはカンナの指の動きに合わせて、くるくると回転すると、カチャリと音を立ててソーサーの上に再び乗った。そしてカップを追いかけるようにお茶も中に入る。……嘘。
「今のって……」
「俺の魔法」
カンナがさも当たり前のように答えたが、私にとっては当たり前ではなかった。魔法が当たり前の世界だが、今の動きの魔法陣を設計するのは並大抵のことではない。少なくとも、紙に書かず、一瞬で操れるような類の動きではないと思う。
カップなどを浮かせるぐらいならできなくはなさそうだが、まるで手で運ぶかのようにカップを正確に動かすってどうやるんだろう。風を指の動き通りにピンポイントで操るなんて、魔法というよりも、超能力を見ているかのようだ。
「オクトさん」
咳払いと共に名前を呼ばれて、私ははっと顔を上げた。
そうだった。今は魔法の検証をして、カップをにらめっこをしている場合ではない。先ほどカンナの口からもっと重大な情報が飛び出て来たはずだ。……いや、こんな魔法がある事も私にとっては十分重大なんだけど。
「あの。姪って、どういう意味ですか?」
「セイヤ……えっと、確か途中から名前を変えたっけ。とにかく、オクトの母さんが、俺の姉妹なんだよ」
ママの姉妹?
風の神であるカンナが?!
「嘘」
「嘘じゃないって。こんな事で嘘をついて、何になるっていうんだよ」
その通りだ。
私に嘘をつくメリットなんて何もない。でも理解し難い言葉だった。神様が姉妹なんてありえない。
「なら、……何か勘違いされていると思います。ママは、精霊族と獣人族のハーフで……龍神じゃないです」
もしもママが神様だったら、あんな消えるように死んだりしないはずだ。
あの時の事を思い出そうと記憶を遡った瞬間、ママが消えた時のどうしようもない悲しさが一緒によみがえってきた。私は苦しくなってうつむくと、首からかかっているお守りを、服の上からぎゅっと握りしめる。
大丈夫。落ち着け。思い出してはいけない。
私はゆっくりと息を吐き出した。こんな所で心を乱して暴走なんてしたくはない。全ての苦い思い出と共に息を吐き出すと私はもう一度顔を上げた。
「その辺りの事は、私から説明させてもらいますわ。さあ、カンナちゃんも席について」
「はいよ」
カンナはひらひら手を振ると、ハヅキに従い、私の斜め前に座った。
「本当は順を追って説明するつもりだったのだけど、ごめんなさいね」
「いえ」
ハヅキがあまりに申し訳なさそうな顔をするので、私の方が申し訳ない気分になってくる。混乱はしているが、謝られるような事ではない。
「まずオクトちゃんの勘違いから解きますわね。ママが龍神ではないからカンナちゃんとは姉妹ではないといいましたけど、そもそもこの世界に龍神族や神族なんて存在はいませんの」
「……へ?」
龍神族はいない?
生き神がいるというのがこの世界の常識だったはず。だったら、目の前にいる、ハヅキやカンナは何だというのだろう。
「正確にいえば、神は一族を指す言葉ではないという感じかしら。私とカンナちゃんは家族のようなものだけど、血のつながりとか、そういうものは一切ありませんわ。神は継承されて続いていく力ですから、親族だからといって神を継げるわけでありませんの」
「俺とセイヤは双子で産まれたけれど、色々事情があって、俺は精霊の方に、セイヤは獣人の方に引き取られたんだよ。で、引き取られた後、俺は風の神に抜擢されて、引き継いだってわけ」
「はあ」
私の相槌は酷く間の抜けたものとなった。
だって親戚は神様でしたって、なんの冗談だといった感じだ。しかもママの生き別れの双子の姉妹って、まるでファンタジーで現実味がない。ただ現実味がなくて受け入れにくい話しでも、これは現実だ。
「風の神がオクトさんの叔母だという事は分かりました。でもどうして、今更オクトさんの前に現れたんです?」
おや?
カミュの言葉に何処か棘があるような気がするのは気の所為だろうか?
でもカミュが神様に喧嘩を売る理由はないだろうし、きっと純粋な質問だろう。私もどうして今更呼び出されたのかがさっぱり分からないので知りたいところだ。面識のまったくない姪っ子にどんな用事があるというのか。
「俺だって、会えるものだったら、セイヤが生きている間に会いたかったさ。でも……セイヤとオクトが何処にいるか分からなかったんだよ。ようやくセイヤが旅芸人に身を置いている事が分かって会いに行ったけど、もうセイヤは居なかったし」
「えっと……そうなんですか?」
神様なのに?
そもそも、ママと私は、そんな行方不明な状態だったのか。確かに国を渡り歩く旅芸人の居場所を掴むのは、砂漠の中で一粒の砂金を探し出すようなものだとは思う。でもカンナは神様だ。何か裏技とか持っていたっておかしくはない。
「俺は探偵じゃないんだからな。そんな簡単に見つける事ができるはずないだろ。神様を見くびるな」
カンナはそう宣言すると、胸をそらした。
「カンナちゃん、それは自慢できる事ではないですわよ。品性が疑われますので、変な言いまわししないで下さいな。でもカンナちゃんの言う通り、私達は万能ではありませんわ。魔法を勉強している貴方達なら分かるでしょうけど、この世界の魔法と私達は同じですの」
魔法という言葉だけを聞けば万能な凄いモノだと思ってしまう。しかし魔法を勉強し始めて分かった事は、科学と同じで万能ではないという事だ。魔法にも法則があり、できる事はできるが、できない事はできない。
つまりそう言う事だ。
「俺がオクトを見つけれたのは、本当に最近なんだよ。だけど神に親族はいないという事になっているから、すぐに名乗り出る事ができなくてさ。それでハヅキに協力してもらったわけ」
「えっと……でも今名乗ってるんじゃ?」
「言わなきゃばれないって。精霊は俺らに甘いし、ここなら洩らす奴もいないからな」
カラカラっと笑って、カンナは言った。
いいのかそれで。
精霊はよくても、もしも私やカミュがぺらぺら喋るようなタイプだったらどうする気だったのか。実際は面倒な事に関わりたくないので洩らす気はさらさらないし、カミュも同じだろうけど。
「住む大地も違う、接点のないカンナちゃんがオクトちゃんを呼びだすのは無理がありましたの。私なら、緑の大地に住んでいるという接点がありましたから。それに――」
ハヅキがカミュの方を見た。
どうしたのだろうと、私もカミュを見る。
「オクトは……娘はやらんからなっ!!」
カンナは立ち上がると、正義は我にありと言わんばかりの様子で、カミュに向かって指を指した。カミュが何事かと、ぎょっとした顔をする。
「……えっと、私は娘ではないですが」
「ノリだよノリ。一度言ってみたかったんだよな。後は、『俺はお前のお父さんじゃない』とかな」
どんなノリだ。意味が分からない。それに口調は男っぽいが見た目はそうでもないので、カンナがお父さんと呼ばれて否定するなんて事には普通ならないはずだ。
そもそも娘はやらんって……ん?このセリフって、まさか?!
「ああああああっ!!」
「どうしたんだ、いきなり叫んで」
「デマ、デマです。それっ!!」
カンナの言葉は十中八九、彼氏が結婚を認めて下さいといった後の親のセリフだ。意味深なハヅキの視線も相まって、第一王子が言っていた、消えた計画を思い出した。
カミュとの結婚話があった事を、やっぱり神様は知っていた。
「デマ?」
状況が理解できていないカミュが聞いてきたが、私に答える余裕はなかった。
「サリエルちゃんが言っていたから、決定なのかしらと思っていたのだけど」
サリエルって……確か第一王子の名前だ。第一王子すらちゃん付け。樹の神ってなにげに凄い。って、今はそこに驚いている場合じゃない。
「いいえ。デマです。それに私では荷が重いです」
そんな大荷物、背負う気はまったくない。というか、第一王子も血を分けた弟なんだから、もっと大切にしてやれよと思う。混ぜモノと結婚なんて、カミュの人生台無しだ。
このまま勝手にハヅキやカンナが祝福とかしちゃって、カミュが断れない状況になったら非常に不味い。危険性が少しでもあるフラグは、バキバキのボキボキにへし折っておくべきだ。
「オクトさん、デマって?」
「カミュは気にする必要ない。くだらない噂」
「噂?僕が知らなくて、オクトさんが知っている?」
ヤバい。
明らかにカミュが怪しんでいるのが分かった。情報通なカミュは知らないのに、友達の数が圧倒的に少ない私が知っている噂って普通はありえない。
第一王子に会った事はいまだに内緒にしているので、この話の出所を知られるわけにはいかなかった。とにかく噂で通さなければ。
「くだらないから、たぶん皆、カミュに黙っていたんだと思う。そ、それより。えっと、私が呼ばれたのは、カンナ様にお会いする為と、噂の事実確認の為でしょうか?」
「俺の事は様づけするなよな。オクトはセイヤの子供なんだし」
「あら、でしたら私の事も様は止めて下さいな。これから長い付き合いになるかもしれませんもの」
長い付き合い?
ふと、ハヅキが可愛い物好きだという話を思い出して、私は少しでもハヅキの視線から逃げるようにソファーの隅に移動した。長い付き合いって、まさかの神隠し予告ですか?!
黄色信号な発言に顔が引きつる。これは聞き流してしまった方がいいのか、それともちゃんと話を聞いて、御断りをした方がいいのか。
「オクトは今は楽しいか?」
「はあ」
カンナの休日のパパのような質問に、私は訝しげながらも頷いた。
楽しいかと言われれば……楽しいとは思う。つらい事がないというわけではないけれど。
「楽しいならいいんだ」
カンナはそう言うと、再びソファーに腰を下ろした。何処か気まずげにそわそわすつつ、カップのお茶を一気飲みする。
今の質問は一体何だったのか。さっぱり分からない。
「カンナちゃん」
「仕方ないだろ。オクトが楽しいって言ってるんだし、こういうの苦手だし……」
ハヅキは何か言いたげジッとカンナを見つめた。最初はいいわけっぽく喋っていたカンナもハヅキの視線に負けたのか口を閉じる。そして、深く息を吐いた。
「……オクト、この世界は俺らと同じで不完全だから」
何の話だろう。
ただカンナが真面目な顔をするので、私もジッとそれを聞く。
「だから、もしも楽しくなくなって、逃げ出したくなったら、いつでも俺の所に来い。俺がオクトの居場所を作ってやる」
「あの……」
それはつまり、私を引き取るという話だろうか。理解が追いつかず、言葉がでてこない。
「オクトちゃんは混ぜモノでしょう?だからカンナちゃんが心配していましたの。この世界は少し歪で、オクトちゃんにとっては生き難いはずだからと」
「ほら、セイヤの子供だし、俺も面倒をみる義務があるというか……みたいというか……。とにかく、今が楽しいなら、気にするな。ただ辛くなったらいつでも俺の名前を呼べ」
少し顔を赤くしたカンナの顔は、ママとどこか似ている気がした。