17-3話
「しばらくお待ち下さい」
全ての授業が終了した放課後。私たちは、受付のお姉さんに図書館にある1室に案内された。たぶん客室みたいな部屋なのだろう。トロフィーや賞状などがショーケースに飾られている。
問題ある生徒が4人も居るので、中にはいるのだけでも一苦労で、館長とも会えないかと思ったのにとんだ肩透かしだ。まあ、これにも理由があるんだけど。
「……大人って汚い」
「こうやって、ヒトは成長していくんだよ。オクトさん」
袖の下、鼻薬、山吹色のお菓子。言い方は色々だが、全て意味は同じ。つまりは賄賂を受付のお姉さんに渡したのだ。カミュの手さばきは素早かった。プロである。
「そうだよオクトちゃん。お金で解決できる事はそれで良いの」
まさかミウにまで諭されるとは。
もちろん私よりも年上なんだけど。ちょっと衝撃が大きい。
やはりアスタの下で生活するようになって、私は少々箱入りになっているのかもしれない。それ以前の生活では、賄賂とか関係する年齢でもなかったし。そもそもお金を持っていなかった。
それにほら。賄賂と考えるから気分があまり良くないのだ。前払い制のチップとか、前払いの御捻りとか心付けと思っておけば、あら不思議。心がこんなに軽く……なるわけがない。賄賂というと、どうしても悪いイメージしかないので、慣れるまで少し時間がかかりそうだ。
「はっ」
無知な箱入り娘が的にコンユウに鼻で笑われたが、無視しておこう。うん。それがいい。関わると面倒そうだ。流石に全てのヒトと仲良くなれるなんてお花畑な幻想は持ち合わせていない。
とにかく、アスタが着いてしまう前に、全てを終わらせる方が大切だ。
しばらくすると、扉が開いた。ようやく館長のお出ましか。
しかしそこには白い毛むくじゃらな何かがいるだけだ。小柄なそれは生きモノではあるようで、肩で息をし、杖をついている。
「君らがわしに会いたいというもの達かね」
毛むくじゃらな何かは、ゆっくりとした口調で龍玉語を話した。えっ……もしかして館長?
今、『わし』って言ったよね。
「はい。初めまして、クロワ館長。僕は3年2組のカミュエルと申します。今日は急なお呼びだしに答えていただきありがとうございます」
やはりこの毛むくじゃらは、館長らしい。
白髪は伸び放題だし、眉毛もひげも伸び放題なので、ヒトかどうかすら怪しいと思ったが……一応ヒト科には属しているようだ。
「うむうむ。君の事は知っておるよ。確か3年の主席だったね。一度留年したが、最近は真面目に出席しておるし、結構な事じゃ」
クロワ館長は、カミュの前でしきりに頷いたと思うと、たぶん顔があるのだと思われるあたりをライの方へ向けた。
「君は3年のライ魔法学生じゃね。武術の腕は見事じゃが、勉強もせんと、ろくな大人にならんぞ」
もしかして、カミュとライは有名なのだろうか。
この学校ではまだ2人以外と喋る機会がないので、彼らに関する噂などに触れるタイミングがない。でもこれだけ学生が沢山いる学校で、名前を知られているというのはすごい。
「後は1年のミウ魔法学生、コンユウ魔法学生、エスト魔法学生。それに3年のオクト魔法学生じゃね。皆、真面目に授業に出ておるようで、結構、結構」
自分の名前まで当てられて私はどぎまぎした。もしかして私も混ぜモノだから有名なのか。そう思ったが私はすぐにそれを否定した。
ミウやコンユウは特徴的な外見をしているので、私と同じく当てやすいが、エストは髪や目の色も普通だし、翼族なので同じような外見的特徴の人物がこの学校の中にも何人かいるはずだ。この爺さん、もしかして全ての学生を覚えてるんじゃないだろうか。
「流石クロワ館長です。僕らの事はすでにお知りというわけですね」
「いやいや。わしが知っているのは紙の上の事。百聞は一見にしかず。今この瞬間知ったといってもいいのう」
つまり、知ってるやん。
私は心の中で力いっぱいツッコミを入れた。もちろん顔はポーカーフェイスを崩さずにだ。ここで下手にツッコミを入れてへそを曲げられては困る。
私は進行役をカミュに任せてだんまりを決めた。一番交渉事に強そうだし、できる限りスピーディーに事を終わらせたい。
「ご謙遜を。賢者と呼ばれるクロワ館長なら、僕らがここへ来た理由も分かって見えると思いますが、単刀直入に申し上げさせていただき――」
「嫌じゃ❤」
なんとも可愛らしく館長はカミュの言葉を遮ったが、実際問題まったく可愛げのない言葉だ。さっくりと切られたカミュの口元が若干引きつっている。
「何でだよ、爺さん」
「だって、君らに協力したとして、わしに何のメリットもないんじゃもん」
もんじゃない。
可愛い子ぶりながら、館長はソファーに腰掛けると、足をぶらぶらさせた。若干イラッとくるが、我慢だ。我慢。
図書館が使えるかどうかは、このふわもこ館長の肩にかかっているのだ。……もこもこしていて、何処が肩かちょっと分かりにくいが。
「館長様。初めまして。ミウと言います。私達、どうしても図書館が使いたいんです。なのに私が獣人族だから使えないなんて酷いと思います。種族なんてどうしようもないじゃないじゃないですか」
「ふむ。何故獣人族はダメかじゃが、獣人族の生徒は必ずといっていいほど、図書館の備品を壊すからじゃ。最近じゃと、20年ほど前にピティという学生が暴れてな。その前にもちらほらと、獣人族の被害にあった書物があったのう」
ひげを触りながら館長は懐かしそうに喋る。少なくとも20年以上前から、ここに居るらしい。見た目は20年といわず100年ぐらいはいそうな雰囲気を醸し出しているけれど。
「じゃから、わしは獣人族が信用できん」
「そんなぁ」
きっぱりと言われて、ミウはウサギのような長い耳をシュンと垂れた。不謹慎だが、少し可愛い。
それにしても、頑固な爺さんだ。こんな可愛いウサ耳娘を虐めるなんて。こんなに可愛い子が図書館で暴れるなんて思えない。
「そんな目で見ても、駄目なもんは駄目じゃ」
「チッ」
あれ?今、ミウ、舌打ちしなかった?
おかしいな聞き間違えかな?っと思っていると、ミウは『うわーん』と泣きながら私に抱きついてきた。うん。やっぱり聞き間違いに違いない。
「それにわしは犯罪者の弟というのも、信用できん」
「爺さん、そんな言い方ないだろ?!」
その言葉にエストが顔色を変える事はなかった。むしろエストの代わりとばかりにライが憤る。しかし館長もまた態度を変える事はなかった。ライの様子に全く怖がるそぶりをみせない。
「百聞は一見にしかず。わしはまだ彼らを紙の上でしか知らんのじゃ。じゃから。これからの生活態度を見させてもらって決めたいと思う」
「つまり、生活態度が問題なければ、緩和してもらえるんですね」
「しち面倒くさい制限などせんでも済むのが一番いいからのう。とりあえず、放課後の時間制限だけは緩めるよう伝えておこう」
言動にイラッとくる事はあるが、わりかし話の分かるヒトのようだ。メリット云々といっていたが、悪ぶっているだけで、意外にいい人かもしれない。
「なら、俺は――」
「ふむ。コンユウ魔法学生は近年前例がない属性じゃしのう。混ぜモノであるオクト魔法学生も同じじゃ。例え2人は生活態度に問題がなくても、暴走されると止めるのは一苦労じゃしのう」
確かに。
国で一番の蔵書という事は、とても貴重な書物もあるわけで。もしもここで魔力を暴走させたら、その損失はどれぐらいのものになるのか。ちょっと怖くて聞く事すらできない。
しかしだとすると、やっぱり私が図書館を利用するのは難しそうだ。
「そこでじゃ。わしも君らの事を知りたいし、ちーとばかし図書館でアルバイトをせんか?」
「へ?」
アルバイト?図書館利用すら難しいのに?
想像もしていなかった言葉に私は館長を見返した。
「館長。勝手にそのような事をされては困ります」
「いーじゃん。なにもボランティアをしろと言っているわけじゃないんじゃし。特に混ぜモノは、色んな意味で注目を集めて、大半の者に毛虫のごとく嫌われておるからのう」
さらりと失礼な事を言ってくれるが、間違ってはいないだろう。
コンユウのように私の事を一方的に嫌っているヒトは多そうだ。なんといっても、義兄にまで出会った当初は問答無用で睨みつけられたわけだし。
「それに中立な立場であるわしが、確認した上で安全性を保証した方が色々都合もええじゃろう」
「しかしですね」
「わしは今、カミュエル魔法学生ではなく、コンユウ魔法学生と、オクト魔法学生に聞いておるんじゃ。口をだすでないわ。2人ともどうかのう?」
どうかのうと言われましても。
はたして私にアルバイトが可能だろうか。そもそも図書館の利用方法すら教えられなかったという事は、コンユウ達よりさらに立場は悪いような気がする。
「アルバイトって何をやるんですか?」
「なーに、簡単じゃよ。本を運んだり、本の修繕をしたり、索引を書いたり、まあ色々じゃな。それとわしと一緒にたまにお茶をしてくれればそれで構わんよ。勤務はわしがおる日に限るがのう。ただし勤務時間で仕事が早く終わればその後は本を読んでも構わん」
聞いた限り、一緒にお茶というのは変わっているかもしれないけれど、その他は拍子抜けするぐらい普通である。しかし普通すぎて、何かあるのではないかと私はいぶかしんだ。
「俺はやります」
私が色々考えている隣で、コンユウはあっさり承諾した。結構男らしい。
「オクト魔法学生はどうかね」
「えっと、少し理解が追いついていないので申し訳ないですが、私がしてもいいのでしょうか?その……アルバイト中に絶対暴走しないという保証もないと思うのですが」
「わしが居るから大丈夫じゃよ。他には?」
何処から出てくるんだろう、その自信。
まあ図書館利用ができるならしたいのは山々だが……でもなぁ。
「後は……義父に今は送り迎えをしてもらっていますので、確認してしてみないと」
アルバイトをするとなれば放課後だ。
授業が終わってすぐに迎えに来てくれるアスタの了承がいる。私の一存で決められる話ではない。
「なんじゃ、あの鼻たれ。そんな事もやる様になったのか。少しはヒトらしくなって、結構結構。やはり紙の上じゃ分からん事は多いのう」
……鼻たれ?
衝撃的な単語に、私は固まった。
話の流れ的に、鼻たれと称された単語が指し示すのは一人しかいない。しかし脳みそがそれを拒絶する。
「師匠を鼻たれって」
「あんなの鼻たれ小僧で十分じゃ。アスタリスク魔術師の事は、ここへ入学した時から知っておるしのう」
えっと、アスタってたしか80を超えたおじいちゃんだったよね。それを鼻たれ小僧って……。
一体このもうふもふした爺さんは、いくつなのか。前世の常識にとらわれてはいけないと分かってはいても、何だか目まいを起こしそうだ。
「館長。俺の娘を返してもらいたいんだけど」
頭を抱えていると、バンと背後にあるドアが開かれた。働かない頭のまま振り返れば、その先にはアスタがいた。
しまった。もう時間だったか。衝撃的な話をしていたせいで、時間を見るのを忘れていた。
「アスタ、ごめん」
「オクトは謝らなくていいよ。で、話が終わったなら、俺は娘を連れて帰りたいんだけど」
アスタはずかずかと中に入ると、私の隣までやってきて、館長を睨みつけた。
「おお、噂はしてみるものじゃのう。今、ちょうど君の事を話しておった所じゃよ」
「俺の話?」
「ところで君にもオクト魔法学生の事で話があるんじゃが、ちょっとばかし一緒に来てはくれんかのう」
「なんで――」
「色々積もる話もあるしのう。どうじゃ?」
館長は可愛らしくアスタにおねだりをした。しかしアスタは毛虫でも見たかのように凄く嫌な顔をしする。
アスタの事だし、きっと断るに違いない。面倒事も嫌いだし――。
「……分かったよ。オクト、少し待ってて。すぐ終わらせるから」
――断らなかった。あのアスタが、嫌味一つ言わず、断らなかった。大切な事なので2度呟いてみる。もしかして明日はやりが降るのだろうか。
私の頭を撫ぜてアスタが館長と一緒に図書館を出ていくのを、私は茫然と見送った。
えっと……あの館長一体何者だろう。