16‐3話
ありえない。ありえない。ありえないぃぃぃぃ!!
枕に渾身の一撃を加えて、私はポテリとそのまま横になった。渾身の一撃といえども、たかが8歳児の力だ。特に大きな音がなる事もない。一応気を使って、八つ当たり対象を枕にしたのだからなおさらだ。
「憂鬱だ」
折角魔法学校に通える事になったのに、いきなり進級。それどころか変な国の裏事情に関わってしまうなんて。これからどうなってしまうのだろう。
カミュ達が、屋上に連れ出し語って聞かせた内容を思い出すと、めまいがする。ついでにストレスでお腹も痛くなりそうだ。胃痛持ちの8歳児。……何だか凄いな。
ちなみにカミュ達が3年生だった理由は国家権力云々は全く関係なく、ただ単に単位を落として留年したそうだ。ちょっぴり、『ざまあ』と思ってしまった自分は結構心が狭いのだろう。そんな自分が情けなくて余計に胃が痛い。混ぜモノな上に心が狭い……ヒトから好かれる要素が皆無すぎて泣ける。
これは早々に虐められフラグが立つかもしれない。そもそも飛び級なんて嫉妬や妬みの対象だ。流石に混ぜモノに対して暴力は振るわないだろうから、あるとしたら、シカトとか靴がなくなるとか陰湿なタイプだろう。
「でも飛び級をすれば、それだけ早く独立できるし、ある意味いいのか。うん、授業料も安く済むって事だよね」
なってしまったものは仕方がない。前向きに考えよう。そもそも混ぜモノなんだから、虐められフラグは最初からあったんだろうし。
とりあえず、靴がゴミ箱に入れられても回収できるような魔方式を組み立てよう。他にもトイレで水をぶっかけられた時の対応とか考えておくと便利かもしれない。どんな水でもH2O。水は弾いてしまうのが一番か。幸い前世で虐め系の漫画を呼んだ事があるから、ありとあらゆる虐めは思い浮かぶ。もっとも魔法学校では上履きは使わないんだけど。
でも全て回避できたら、それはそれで爽快かもしれない。うん。私は虐め回避の神になるっ!!
『コンコン』
そんなくだらない現実逃避をしていると、ドアがノックされた。
こんな時間に誰だろう。ペルーラだろうか。
普段ならアスタ一択なのだが、学校がある日は子爵邸に泊まる事が決まり、今日は子爵邸だ。本来ならこっちが本宅なので泊まるという表現は変かもしれないけれど。
子爵邸に泊まる事が決まった理由は、アスタに学校へ送り迎えをしてもらうとなると、どうしても夕食の準備や買い物が難しくなる為だ。何だか迷惑をかけているようで心苦しいが、アスタは気にしなくていいというし、ペルーラもすごく喜んでくれていたので良しとした。
それにここで意地をはったら、余計に迷惑がかかってしまう。それぐらいならば早く薬師になって、アスタの手助けをした方が堅実的だ。
「オクト、起きてる?」
「アスタ?起きてる。……ちょっと待って」
私はベッドから下りると、部屋のドアを開けた。
そこにはすでに黒色のパジャマを着たアスタがいた。髪の毛からポタポタと滴が落ちるので、お風呂上がりなのだろう。
それにしても――。
「そのままじゃ風邪引く。座って」
確かタオルがあったはずと、私は眉間に皺をよせながら衣装ケースを漁った。あんな恰好でフラフラと。ここまで来る間に、絶対使用人に咎められただろうに。そんなに急ぎの用事だったのだろうか。
ふかふかのタオルを手に取り振り返ると、アスタは私が言うままに大人しくソファーに腰掛けていた。
ん?何だか大人しい?
私はアスタの後ろに回ると、タオルで髪の毛の水分を丁寧に拭きとる。身長が伸びたおかげで、髪を拭くのは苦痛でなくなったのは幸いだ。
「アスタ、どうかした?」
珍しく元気がないように思うのは気のせいではないはずだ。アスタが髪の毛をちゃんと拭かずに家の中をフラフラする事は、元がお坊ちゃんだからか結構あるのだが、終始無言というのは珍しい。
「オクトこそ、学校で何があったんだい?」
「あー……」
やっぱり気がつかれてたか。
流石に心配をかけるわけにはいかないと、カミュ達に言われた事は黙っていたのだが。
「全然何も言ってくれないし。何だかオクトが遠くへ行ってしまったみたいで寂しい」
「……アスタ、お酒飲んだ?」
メソメソと今にも泣きそうな声を出されて、状況を理解した。
たぶん今のアスタは風呂に入り、その後に水と間違えて、何かお酒を飲んでしまったのだろう。魔族としては珍しいタイプらしいが、アスタはそれほど酒に強くない。以前もこんな感じで、最終的に添い寝した事があった。凄い魔術師なのに、お酒を飲むと寂しんぼう。……逆にこれはこれで、お姉さま方にモテるんじゃないだろうか。ギャップ萌みたいな。性格に難ありでも、顔がいいというのは得である。
「オクト、学校が嫌ならいつでも止めていいからっ!」
「ちょっ、いきなり振り向かない。まだ髪の毛拭けてないから」
私は少し乱暴にタオルを動かした。
本当に、この義父さんは私に甘い。まだ学校に通い始めたばかりだし、ここは何が何でも学校に行けという場面ではないだろうか。
「学校は行く。じゃないと、薬師になれないし」
そう。私は薬師になる為に学校へ通うのだ。カミュ達には悪いが、私は私の為に生きさせてもらう。空気を読むのは得意だから、これからは上手くフラグを回避させてもらおう。
「入学していきなり3年だったのと、公爵家の次男のふりをしたカミュが同じクラスだったから、少し驚いただけ。私は大丈夫」
「俺は大丈夫じゃない」
おいおい。
娘が大丈夫だって言っているのに、この酔っぱらいは。
「何か酔いざましの薬貰ってくる」
「いい、いらない。行かないで」
アスタは私の頭を抱きしめた。……ちょっと、動けないんですけど。誰だ、アスタに酒のませた馬鹿は。
あー、でもここの使用人は、皆ザルだっけ。もしかしたら、誤って酒を出しっぱなしにしてしまったのかもしれない。よし。明日、ペルーラに犯人を探しておいてもらおう。もちろん犯人は禁酒だ。
「アスタ、髪の毛拭けない」
「何処にも行くな」
「……行かないから、髪の毛を拭かせて」
というか行けないから。アスタに引き取られた当初よりは背も伸びたし、力も強くなった。それでも大人の男に勝てるほどではない。
私の言葉に反応して、アスタはそろそろと私から手を放し、再びきちんとソファーに座りなおした。うん。気持ち悪いぐらいに素直だ。
「そう言えば、アスタは私が3年生に編入する事を知ってた?」
「もちろん。入学には保護者の同意がいるからな」
だよね。
どうやら気がつかなかったのは私だけらしい。間抜けすぎて涙がチョチョ切れそうだ。まあいまさらどうにもできない事を嘆いても仕方がない。
「学校に行くのは反対だったのに、飛び級はいいの?」
「いいよ。だって学校に行く期間が短い方が、俺と一緒に居る時間が増えるだろう」
おや?
どうもアスタの頭の中の構想では、私が卒業後もアスタの家で暮らしている予定になっていそうだ。そんな迷惑かけられないのだが……まあ、その辺りはアスタが素面に戻ってから追々話し合っていくべきだろう。
私も卒業後のプランを完璧に決めているわけでもない。
「学校に行っても行かなくても、それほど変わらないと思うけど」
もちろん家事があまりできなくなって迷惑をかけてはいるけれど。
でも元々アスタは日中仕事をしていたので、一緒に居る時間というのはそれほど変わらない。
「変わるよ……オクトが、変わってしまう」
再びメソメソモードに入りそうな酔っ払いの頭を私はできるだけ雑に拭いた。痛みで少しは正気に戻ってくれないものか。
「変わったとして、何か問題ある?」
「問題……」
「私は少なくとも学校に行く間は、今までと変わらないよ。帰る場所はアスタの家しかないし――って、寝るな、アスタ!!」
話している間に船をこき出したアスタの肩を慌てて揺すった。
どう頑張っても私の力では、アスタを部屋へ運ぶことなどできない。
「んー」
「せめて、ベッド。ほら、起きて」
ぼんやりと寝ぼけまなこなアスタは、言われるままに私のベッドに倒れ込んだ。寝起きが悪いアスタである。……これは、朝まで起きそうにない。
仕方がないか。本当に困った義父だ。
「アスタ、お休み」
体が小さくてよかった。
私はアスタの隣にもぐりこむと、光を消す。
こうして私は魔法学校に無事入学を果たした。