13-3話
「オクトお嬢様あぁぁぁぁ!!」
「ぎゃうっ」
走ってきた犬耳メイドに吹っ飛ばされるような勢いで抱きつかれて、私は危うく昇天しかけた。
「おかえりなさいませ。中々こちらへ来て下さらなくて寂しかったですぅぅぅ」
「やめっ……内臓出る」
ぎゅうぎゅうと獣人族の力で抱きしめられると、私のやわな筋肉でははじき返す事も出来ない。
「ペルーラ。今日は魔法の練習に来たんだから離しなさい」
「ああ。旦那さま。おかえりなさいませっ!!」
ペルーラはパッと私を離すと、頭を下げた。……どうにも伯爵邸とは雰囲気が違うよなぁ。
今日は魔法の実践練習の為に、アスタの本当の家である子爵邸へ来ていた。本当の家の割には宿舎で過ごす日の方が多く、近場にある割に私もそれほど来た事はない。
では何故今回子爵邸へ来たのかといえば、屋敷の中に魔法を遮断する練習室が作ってあるからだ。どうやらアスタの息子が昔使っていたらしい。失敗しても大丈夫な安全設計だ。
「ペルーラ、俺とオクトの荷物を先に部屋まで持っていってくれないかな?」
「承知しました!」
ペルーラは荷物を持つと、脱兎のごとく走っていった。……結構重いはずなのに、流石獣人。
「オクト、大丈夫?」
ペタリと地面に座り込んでいた私は、アスタの手を取って立ち上がった。
「段々ペルーラの力が強くなってる気がする」
「ペルーラはオクトが大好きだからね」
まあ、懐かれている自覚はある。
子爵邸は、アスタがほとんど帰らない事もあり、使用人は最小人数しかいない。そんな使用人達は伯爵家ほど洗練されていないというか若干無法地帯よりだが、仕事は伯爵家よりずっと早かった。後は客が来た時だけはビシッとするので、なんというか外面がいい面々だ。
その中でもひときわ問題児……いやいや、元気がいいのがペルーラだ。初めて会ったの時は、村から奉公に出てきたばかりで食が細くなっていたらしくフラフラだった。貧血症状が出ていたので、レバーを食事に取り入れさせたり、ほうれん草を食べる時は動物性たんぱく質と一緒にしたり、紅茶を食事中に飲まないようにと食事改善するうちに、あら不思議。何故か懐かれたというわけだ。
今ではすっかり元気というか、私よりも元気だ。
「さあ、練習室に行こうか」
私はコクリと頷いた。
アスタの休日をわざわざ一日貰ってしまったのだ。きっちり学べる事は学んでしまわなければ。それに初歩さえ学んでしまえば、今後自分で自習練もできるし――。
「しばらくは1人で練習は駄目だからね。もししたら、実技練習止めて、また理論から勉強してもうから」
「……はい」
見抜かれていたか。私はそれほど要領が良くないので、練習が中々できないと、取得までにどれぐらい時間がかかるのだろう。
「それとできるようになっても、俺が使っていいと許可するまでは、絶対使うなよ」
私は素直に頷いた。魔法に関してはアスタに逆らってもいい事はない。千里の道も一歩から。昨日まで実技は全くできなかったのだから、制限が色々あっても大きな進歩だ。
アスタが案内してくれた場所は、玄関から入って、ずっと奥に位置する部屋だった。というか――。
「体積がおかしいような」
周りから見た光景と、内面積がイコールにならない。今居る位置からすると、ここは壁だ。
「魔法で空間を広げてるからね。ここは龍玉とある意味切り離された場所になるかな。だから、魔法の練習をしても問題ないんだよ」
テラチート男め。
魔法を勉強しはじめてから、私はアスタがチート能力の持ち主だという事に気がついた。
例え説明されても、私では凄いという事しか分からないのだ。どんな理論で組み立てられた魔法なのか、考えるのも無駄なぐらいレベルが違う。まあ羨ましがっても仕方がないので、私は中に入る。
部屋の中は体育館のような作りだった。床は板張りになっており、天井が高く、とにかく広い。広い事以外普通の部屋なはずだが、何だか不思議な場所に感じた。何でだ?
少し考えて、窓がないのに明るいからだと気がついた。
「オクト、魔法の作り方は覚えているかい?」
「えっと、魔法は魔法陣を設計し描く事で発動する」
突然の質問に、私は慌てて本で丸暗記した内容を答えた。ここで間違えたら、やっぱり止めようと言いだしかねないので、答える方は必至だ。流石最高の魔術師というか、魔法に関してアスタは妥協というものを知らない。
それだけ扱いが難しいという事だろうけれど。
「そう。魔法陣を設計しなければいけないのは、魔力を使う内魔法、魔素を使う外魔法のどちらも同じだったね。今回は魔力バランスの練習も兼ねて、内魔法を練習をしよう」
「はい」
私が返事をすると、アスタは何処からともなく、紙とペン、それにコンパスと定規を取りだした。さっきまで持っていなかったので、召喚魔法の類だろう。さりげなく凄い魔法を使っている。
「魔法を使う時に魔法陣は実際に書いてもいいし、思い浮かべるだけでも構わないけれど、どちらも正確でなければいけない。思い浮かべるだけで使うには何度も練習が必要だから、オクトはまず描いて発動させよう」
「はい」
というか、描かなければ絶対無理だ。大抵の魔法使いは、すでに魔法陣の描かれた杖や札などの道具を使って魔法を発動する。それよりも凄い魔術師でさえ、思い浮かべる魔法陣を簡略化する為にそういった道具を使う者の方が多いのだ。
すでに描かれているという事は応用が利かないのが難点だが、それでも道具に頼らざるを得ないぐらいに、魔法陣の設計は難しい。何の道具も使わず様々な種類の魔法を使うアスタは、一体どんな頭の中身をしているのか……。天才なんて嫌いだ。
「オクトは、風魔法を使って小さな風を起こしたいんだったね」
「そう。部屋で使いたいから、そよ風ぐらいがいい」
できたら強弱をつけたり、タイマー機能もつけたいところだが、まずは風を起こす事が先決だ。機能を増やせば増やすほど魔法陣の構築が難しくなるので描くだけで時間がかかってしまう。魔法を使う練習ならば、できるだけ簡易な方がいいはずだ。
「オクトは風属性を持っているから、属性転換は考えなくていいよ。今回みたいに、ただ風を起こすだけならば、円の中に風の幾何学模様を描いて。それができたらもう一回り大きな円を描いて、円と円の間に規模と場所を記載して。規模は……3ぐらいで、場所は魔法陣の上にしようか」
アスタに言われて、私は床に紙を広げると魔法陣を一生懸命描く。アスタは簡単に言ってくれるが、描くのは結構難しい。一か所でも間違えると、全く意味をなさなくなるのだ。発動しないだけならまだいいが、変に発動して大事故になることもあると聞いている。
「アスタ。これでいい?」
15分ほどかけてようやく1枚完成したのをアスタに見せる。
「うん。大丈夫。頑張ったね」
アスタはにこりと笑うと頭を撫ぜた。勉強ができて褒められるのは結構嬉しい。
「ここからは、感覚で覚えてもらうしかないんだけど体の中をめぐっている魔力をこの魔法陣に必要量込める事で発動するんだ」
「えっと、……どうやって?」
体の中をめぐる魔力と言われても、さっぱりだ。手を上げろとか、足を動かせという事ならできるが、魔力を出せと言われても理解し難い。
「魔力を体外にだす事だけなら、一度やってしまえば簡単だよ。オクト、両手を前に出して」
言われた通り手を出すと、その手をアスタが握り返した。
「目を閉じて、俺の手に意識を持ってきて」
良く分からないが、言われるままに目を閉じ、アスタの手を意識する。
アスタの手は私より熱かった。私の方が子供体温なはずなのにおかしいなと思っていると、その熱いものが自分の方へ移動する。熱いものは心臓を通り反対の手へまわると、今度は外へ……アスタの方へ抜けていく。
驚いて目を開ければ、笑顔のアスタとばっちっと目があった。
「今のが魔力。どう分かった?」
「……たぶん」
感覚でいえば、興奮して顔が火照るのに良く似ている気がする。それが顔ではなく手になっただけだ。
「じゃあ、魔力を込めてみようか。紙に手を置いて。規模が小さいから、送る魔力はごく少量でいいよ。発動タイミングが掴みにくければ、呪文を唱えるとやりやすいかな」
ドキドキする。
初めての魔法だ。完璧に成功するとは思っていないが、魔法陣は間違っていないので、怪我だけはしないはず。
「我が声に従い、風よ動け」
ポンッ。
小さな爆発音がしたと思うと、紙が粉々になった。風はまったく吹いていない。……あれ?
「失敗だね。魔力の込め過ぎだよ」
えっ。
ほとんど込めてないんだけどなぁ。しかし実際に、必死に魔法陣を描いた紙は粉々になってしまっている。折角綺麗に描いたのに……。
「はい。紙は何枚もあるから、頑張って」
差し出された何百枚とありそうな紙の束を見て、私は魔法が使えるまでの道のりの長さを思い知った。