11-3話
部屋の中が静まり返る。
……外したかなとチラッと嫌な考えがよぎって、ドキドキした。賢者は流石にまずかっただろうか。大体、自分で賢者と名乗るってどんな羞恥プレイ。
今のは冗談と言って誤魔化してしまいたい気持ちを必死に抑える。
内心あたふたしていると、すっと伯爵がしゃがんだ。
「アーチェロ伯爵?」
「どうか……、どうか。私の弟の病気を治して下さい」
そういって伯爵が頭を下げた。まさか膝を折られるなんて思ってもみなかった為、私は固まった。
「私は悪魔に魂を、……色々なものを売りました。ですが、弟には何の罪もないのです」
「いや、待って。懺悔されても困る」
私は神様でも聖人君子でもない。自分の命大切さに、取引しようとする俗物的な人間だ。
しかし伯爵は顔を上げなかった。
「お願いします。賢者様、どうか弟を助けて下さい」
血を吐くような、悲鳴のような言葉に聞こえた。ああ、本当に大切なんだ。自分にはそんな相手が誰もいないから、少し羨ましく思えた。
「……病名は気管支炎喘息」
本当ならば先に自分を解放することを約束させるべきだ。もしくは足枷外せとか言うべきだと分かる。それでも先に伝えたくなるほど悲痛なものだった。
まあ、仕方がないか。
「キカンシ?」
「そして原因は、動物性アレルギー。エストはたぶん馬のアレルギーを持ってる」
と言っても、私も医者ではないので絶対とは言えない。しかしエストが体調不良になるタイミングを思い出すと、そこには馬が関わっていた。
乗馬で倒れたのは、アレルギーが発症したから。そしてアーチェロ伯爵が近づくと発作が出るのは、アーチェロ伯爵が乗馬した後にエストに会いに行くから。馬のアレルギーならば説明がつく。
「アレルギーとは何ですか?」
あー……そうか、説明はそこからになるのか。抗体とか免疫云々の話をしても、たぶん余計に混乱するだろう。Ⅰ型とかそういう話も取り除くべきか。
「……ごく稀に毒ではないものを毒と体が判断する事がある。そのショック症状がでることをアレルギーと呼ぶ。エストは馬のフケもしくは、そこから発生するダニを毒と判断しているのだと思う」
流石に馬アレルギーは、日本では早々お目にかからないが、きっと犬猫アレルギーと似通っているはずだ。
「まさか、馬が?」
信じられないとつぶやく伯爵に私は頷いた。伯爵にとっての気分転換がまさかエストにとっての毒とは、中々理解しがたいのだろう。
「アレルギーの完治は難しいが、改善はできる。馬に近寄らない事。馬を清潔にしておく事。それと乗馬後は入浴し、服を着替えてからエストに会えば伯爵が近づいても発作は起きない」
食物性のアレルギーならば、食べない事が絶対条件だから、この対処療法で問題はないはずだ。後は――。
「それとアレルギーは、体調が悪いと特に酷くでてしまう場合がある。エストは子供だから、体が弱いと引きこもるのではなく、体力作りをする事をお勧めする」
小児喘息ならプールに行けという、話もあるぐらいだ。あれはきっと呼吸機能の向上と体力づくりを狙っているのだろう。あまり調子が悪ければ運動などできないが、元気な時のエストを見る限り、運動など問題なく行えそうだ。
「治療法は以上。……足枷を外して」
「そうですね。乱暴な真似をして済みませんでした」
伯爵はポケットから鍵を取り出すと、足枷を外した。金属ですれた部分が、少し赤いがこれぐらいば、すぐに治るだろう。
「あれ?もう和解しちゃったんだ」
突然誰もいない空間から声が聞こえたかと思うと、カミュ王子とライ、それにアスタが現れた。たぶん転移魔法だけれど、実際傍から見ると凄くびっくりする。
目がおかしくなったんじゃないかと数回瞬きをしたが、彼らが消える事はなかった。どうやら幻ではないようだ。
「……遅い」
「悪い悪い。こっちも色々証拠集めとかに手間取っていたんだよ」
全然悪いと思っていないような笑顔でライが言えば、その頭をアスタが叩いた。……叩いた?!
あの全然、怒らないアスタが?
「お前は。全然反省していないらしいな。オクトから目を離してまんまと攫わせた事、俺はまだ許してはないんだけど」
「反省してます。してますからっ!!ちょ、マジでその笑顔止めて。カミュも何とかしろって」
「さてアーチェロ伯爵、少しお話を聞かせて欲しいんだけど」
「おい、無視するなって!!」
巻き込まれたくないと思ったのだろう。カミュ王子はにっこり笑ってライではなく伯爵を見た。
「吸血夫人について、色々聞きたい事があるんだよね。いいかな?」
語尾は疑問形になっているが、王子の言葉には強制力があった。あれ?でも、伯爵は混ぜモノの血の噂は知らなかったはずで――。
「カミュ王子、伯爵は――」
「オクト疲れただろ。ここは王子達に任せて、行こう」
すっと私はアスタに抱きかかえられると、ドアの方へ歩き出した。
「えっ、アスタ?ちょっと」
私の声など聞こえないかという様子でドアを開けると外へ出る。そこは最初と変わらず、伯爵の屋敷のようだった。殴られてから、それほど遠くへ運ばれたわけではないらしい。
扉が閉められた所で、私は話を聞かせない為に連れ出されたのだと気がついた。私も巻き込まれたくはないのであえて聞きたいとは思わない。思わないが……伯爵は本当に吸血夫人だったのだろうか?
何かがおかしい気がする。
そもそもカミュ王子は、王子なのにどうして伯爵邸に押し入って調べるという事をしなかったのだろう。貴族とはいえ、王家に仕えるもの。こんなまどろっこしい真似をしなくとも、もっとシンプルに問い詰められたのではないだろうか。
もしかしてカミュ王子が犯人と思っている相手は、アーチェロ伯爵ではない?そしてそれは、王子でも中々調べる事ができない相手――。
「オクトちゃん、ごきげんよう」
思考の渦にはまりぐるぐる考えていると、可愛らしい女性の声に呼ばれた。声の方を見ればそこにはローザ様がいた。ああ、そういえば、ローザ様と一緒に乗馬をしに来たのだと今更思い出す。彼女がまだ滞在しているという事はそれほど長く気絶していたわけではないのだろうか。
「公爵家のご令嬢が何故こちらに?」
「きっとカミュが私に会いに来るから、ここで待っていたの。アロッロ子爵、カミュと会う前に少しオクトちゃんと2人っきりでお話させていただけないかしら?」
「申し訳ありませんが、オクトはまだ5歳ですので、そろそろ寝かせたいのですが」
はっ?
今まで放任主義だった奴とは思えない言葉に、唖然としてしまう。寝かせたいって何?
「そんな睨まなくても、何もしないわ。それにすぐ終わるから」
「……オクト、どうする?」
どうすると言われても。
アスタに聞かれて私は首をかしげた。寝かせたいと言うぐらいだから、アスタがさっさとこの屋敷から離れたいと思っているのは分かる。ただ公爵家令嬢に対し、はいさよならでは、少し礼儀に反している気もした。
「少しなら」
そう言うとアスタは私を下に降ろした。
「すぐに帰して下さい。5分たったら迎えに行きますから」
「分かったわ」
瞬きする間に、目の前からアスタの姿が消えた。
2人っきりという言葉を叶える為に律義にどこかへ暇をつぶしに行ったらしい。
「オクトちゃんは、あの魔族にかなり愛されてるのね」
「えっと、そうでしょうか?」
私を寝かせたいという言葉は、ただの言いわけに違いない。私という存在をいいように使っているように思う。でもそんなこちらの事情など、ローザ様が知りようもないのでそう思われても仕方がないのだけど。
「ええ。でも魔族に愛されるのは大変よ。あの種族は、執着心が強いもの」
「はぁ」
その辺りはたぶん大丈夫じゃないだろうか。
アスタが自分に執着するとか、想像がつかない。というか、むしろいつ用済み扱いされるかとビクついているのは私の方だ。
「えっと。私を呼びとめたのは、その件でしょうか?」
「いいえ。時間もない事だし、単刀直入に聞くわ。混ぜモノの血に力があるという噂は本当?」
「……たぶん、真っ赤な嘘かと」
噂は出回ってなかったわけではないらしい。となると伯爵の場合は、真面目な彼女が激怒しそうだったので、誰も耳に入れなかったのだろう。
「やっぱりね。そうだと思ったわ」
「えっと、何故それを私に?」
混ぜモノだからだろうか。いやいや、混ぜモノだったら余計に自分の不利になりそうな噂なら嘘をつくだろう。
かといって他の理由も思い浮かばない。5歳児に聞くよりは、王宮に勤める魔術師に聞いた方が信頼度も高いと思う。
「だってオクトちゃんは賢者様なのでしょう?」
そっちの噂は一体何処まで広がっているのだろう。さっきは場合が場合だったので、自分からそう名乗らせてもらったが、改めて聞くと恥ずかしい。
「ねえ。賢者様は、私の事何歳だと思う?」
「……16歳ぐらいでしょうか?」
唐突に話が変わり驚いたが、私は失礼にあたらないように答える。彼女ぐらいの年齢だと、大人っぽく見られたいのか、それとも若く見られたいのか微妙なラインだ。
「やっぱり、そう思う?私はね、カミュと同じ12歳よ」
12歳?!
それにしては、出るところが出ているし、大人っぽく感じる。身長だってカミュ王子より高いのではないだろうか。女の子の方が早く成長するとは言うが、それにしても差が大きい。
「魔力が強いと成長がゆっくりになるのだけれど、そうでなければ翼族は成長が早いの。私はね、生まれる前はカミュの婚約者だったわ。でも生まれてすぐ、魔力が弱い事が分かって婚約を解消されたの。生きる長さが違うから仕方がない事なのだけどね」
ローザ様は少しさびしそうに笑った。もしかしたら、婚約者だったカミュ王子の事が好きなのかもしれない。
「私は年を取りたくないわ。年を取るという事は、できそこないという事だもの。だから美容にいいとされるものは色々試したわ。けれどどうしても時は止められないの。ねえ、賢者様。どうしたらヒトは年を取らずにいられるのかしら」
ローザ様の緑の瞳に少しだけ狂気のようなものが混ざった気がした。
公爵家の令嬢というものはきっと大変なのだろう。色々な期待を背負っているに違いない。そしてローザ様はそれに答えようと頑張って、頑張りすぎているように思う。プライドの高い貴族が、自分をできそこないと言うのは、どれだけつらい事なのか。
しかし私は、年を取らない方法など知らなかった。
「それは……無理です」
「どうしても?」
「……ヒトの時が止まるのは、死んだ時だけだと思います」
前世でも、不老不死は夢物語だった。老化しないという事は死であり、死なないという事は老化していくという事。両立など無理だ。
こんな答えでは賢者失格と言われてしまうだろうかとローザ様を見ればくすくす笑っていた。笑っている彼女は先ほどよりもすがすがしいような表情をしているように見える。
「そうね。……本当にその通りだわ。ありがとう賢者様。そろそろ、カミュに会いに行くわね。きっと私の事を待っていてくれているから」
「はい」
笑うローザ様はとても可愛く見えた。魔力が低いだけで、婚約を破棄するなんてもったいない事をするものだ。私が男なら、彼女を好きになったかもしれない。それぐらい一途で、可愛らしかった。
「さようなら、オクトちゃん」
そう言ってローザ様は私が監禁されていた部屋の方へ歩いて行った。
その後、私が吸血夫人に関わる事はなかった。