11‐1話 残酷なヒト
「……どういう事?」
吸血夫人と伯爵。全くイコールで繋がらなかったのに、まさかの弟さんからのカミングアウト。殺されるとは、穏やかな話ではない。
……本当に伯爵が吸血夫人なのだろうか。短い付き合いだが、私にはそうだと思えなかった。
「姉上は、僕が嫌いなんだ」
「そうなの?」
「うん。だから姉上は僕を殺そうと呪っているんだ」
呪いねぇ。
どうも乗馬大好き体育会系な伯爵のイメージとは合わない言葉だ。それに私は前世の記憶があるせいか、呪いというあいまいな分野をあまり信じられずにいた。もちろん魔法ありの不思議世界なので、本当は凄い呪いがあるのかもしれない。しかし海の精霊の呪いの事を思い出すと、どうも迷信という言葉が先にでてきてしまう。
「どうやって?」
ここで女の人の血を使ってとか具体的な話が出てこれば、私の仕事は終わりだ。呪いは信じていないが、呪いを信じている人がこの世にはいる事を私は知っている。
「分からないけれど、姉上が呪い殺そうとしているのは間違いないんだよ」
「何で?」
「僕、本当は病弱なんかじゃないんだ。でも姉上が近づくと呼吸が苦しくなるんだ。本当だよ」
エストは真剣な顔で私を見た。呪いかどうかは別として、エストが本気でそう思っているという事は分かる。
呼吸が苦しいかぁ。
姉が近づくと苦しいなんて、精神的なもののようだが……はて。もしも精神的なものならば、どうしてエストは伯爵が怖いのだろう。もしかして伯爵は内弁慶で、家族にはきつく当たるとか?
今一ピンと来ず、私は首をかしげた。
「もういいよ。オクトも、僕の事信用してくれないんだ」
「いや、信用しないというか。私は呪いというものを知らなくて。近づくと苦しくなる呪いとは、どうやってやるのだろうと考えていた」
「……信じてくれたの?」
「嘘じゃないんだよね」
エストはパッと顔を輝かせると、コクコクと何度も頷いた。
原因はどうであれ、苦しいには変わりがないだろう。エストが言う事が嘘だと否定できるほど、私も情報を持っていない。
「信じてくれたの、オクトが初めてだ。使用人はみんな、姉上の味方なんだ。だれも僕の言う事信じてくれなかったんだよ」
確かにあの伯爵を思い出すと、呪いには程遠い人のように思う。混ぜモノに対してさえ、あれほどに優しいのだ。使用人にも人気があるに違いない。
だからこそ使用人達は、エストが構って欲しいがために嘘をついていると判断したのだろう。
「そう。エストは伯爵の事は嫌い?」
私の言葉にエストは困ったような表情をした後、首を横に振った。
「嫌い……じゃないよ。ただ姉上が、僕を嫌いなだけ」
しょんぼりとする姿は、まるで犬のようだ。不謹慎だが、少し可愛らしい。しかしだ。嫌われているからしょんぼりすると言う事は、エストはかなり姉の事が好きなのではないだろうか。なのにエストが伯爵に怯えて気分が悪くなる……なんでやねん。
思わず関西弁でツッコミを入れたくなるぐらい、おかしな話だ。ここは嫌いと聞かず、怖いと尋ねれば良かったのか。
「エストは伯爵が呪いをするところを見た事はあるの?」
「ないよ。でも夜いない事があるから……きっと、その時にやってるんだ」
夜にいないかぁ。
そのフレーズと呪いという言葉だけ聞けば、吸血夫人につながりそうな話だよなとは思う。ライの方をちらりと見たが、ライは使用人らしくまるで話など聞いていないかのように立っていた。
コンコン。
「エスト、入ってもいいだろうか?」
扉がノックされたと思うと、伯爵の声が聞こえた。ビクリとエストが体を揺らす。顔が蝋のように白くなるのを見て私はなんとなく、エストの手を握った。子供の手のはずなのに冷たいのは緊張しているからだろう。
やはり精神的な問題だろうか。
エストは私を見ると、何かを決意するようにコクリと頷いた。
「いいよ、姉上」
部屋に入ってきた伯爵は乗馬の服装のままだった。あの後きっと公爵令嬢と一緒に馬に乗って散策をしたのだろう。
「ああ。やはりオクト嬢はエストと一緒に見えたのですね」
「はい。勝手にお邪魔してしまいすみません。それと、先ほどはお風呂をありがとうございます」
「いえいえ。むしろ怪我をさせないお約束でしたのに、怖い思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。それにエストがオクト嬢を無理やり部屋へ招いた事はメイドから聞いておりますから」
うーん。やはり礼儀正しい人だ。しっかり私の事情を聞いているところをみると人の話を聞かずに怒ったりとかしないのだろう。だとすると、エストは一体伯爵の何が怖いのか。
「乗馬はもう終わられたのですか?」
「ローザ様はまだ乗ってらっしゃいますよ。私は少し休憩です。それでエストはご迷惑をかけなかったでしょうか?オクト嬢に比べて、どうにも子供っぽいところがありますから」
「いいえ。エスト様に本を教えていただき、楽しいひと時を過ごさせてもらいました」
まさか伯爵の悪口を言っていましたなんて馬鹿正直には言えないので、私は最初に連れ込まれた原因を話す事にした。
「エスト、何の本を持って来たんだい」
「……混ぜモノさんの話」
伯爵が近づくと、エストは私の手をギュッと握り返した。少し体が震えている。
「ああ。エストはこの話が好きだものね」
「うん」
伯爵はテーブルの上に置かれた本を持ち上げた。
特に伯爵には本を馬鹿にする雰囲気はない。むしろ弟の好きなものをちゃんと把握していて、いいお姉さんといった感じだ。
何がいけないというのだろう。
「けほっ」
小さくエストが咳をした。どうしたのだろうとエストを見た瞬間、彼は咽るように咳き込みだした。何が起こったのか分からず私は茫然としたが、少しして慌てて彼の背中をさすった。
「オクト嬢が来て下さって楽しかっただろうけれど、体があまり強くないのだから無理はしちゃいけないよ。ほら、ベットで横になりなさい」
ゼイゼイと苦しそうに呼吸するエストを伯爵は抱えると、ベットの上に下ろした。エストも苦しいのか、されるがままだ。
先ほどまで確かに元気だったのに。一瞬で彼は病人になってしまった。
伯爵が怖いからとか精神的なものかと思ったが、それだけとは思えない呼吸音だ。まるで――。
「メイドに薬を持ってこさせるから、休んでなさい。オクト嬢、申し訳ないですが、弟がこのような状態ですので、場所を移しても構わないでしょうか」
「はい。エスト様、……お大事にして下さい」
伯爵に続いて部屋からでていこうとすると、エストと目があった。その目は行かないでと縋るようだ。それでも私には伯爵の言葉を断るだけの理由がなく、大人しく部屋をでた。
それに例え部屋に残ったとしても、私ではやれることなどない。
「オクト嬢は弟の事をどう思いましたか?」
伯爵と並んで歩いていると、ぽつりと話しかけられた。
「あった時は、お元気な方だと思いましたけど……」
そうあんな風に呼吸困難になるような子供にはとても思えなかった。本人が呪われていると思ってもおかしくないほど、劇的な変化だったように思う。
「そうですね。私もそう思います」
伯爵はすんなりと私の言葉を肯定した。さっきは確かにエストに対して体が弱い云々といっていたはずなのに。どういう事だろうと私は伯爵を見上げた。
「申し訳ありませんが、オクト嬢のメイドに、エストの薬を持ってくるよう伝言を頼めないでしょうか。メイド頭は今、馬小屋の方にいるはずですので」
「ライス、……頼んでもいい?」
「承知しました」
あまりライと別れたくはないが、ここで断って変に勘ぐられるのも困る。きっと私と一緒に馬小屋に行くのは色々不味いと思ったのだろう。
ライが行ってしまうと、伯爵は再び歩き出した。
「弟は普段はどうという事もないのですが、昔乗馬をしようとして倒れてから、ああやって稀に発作を起こし呼吸困難になるんですよ」
「そうなんですか」
「主治医には、精神的なものであろうと言われているんですけれどね。本当はそれほど苦しいわけではないのにわざと苦しがっているのではないかと」
……そうだろうか。
エストは確かにあの時苦しがっていたように思う。わざとにはとても思えなかった。
「主治医がそういうのは、特に私が近づいた時に発作が起きる事が多かったからというのもあるのですけけどね。私があまり構ってやれないので、気を引きたがっているのかもしれません。もちろん何か疾患はあるのでしょうけど」
気を引きたい?
本当に?むしろエストの行動は逆ではないだろうか。本当は好きなのに、怖くて仕方がない。あの冷たくなった手がそれを物語っているように思えた。
「どうしようもない愚弟ですね。でも、だからこそせめて、その疾患だけでも取り除いてやりたいのです」
「そうで……っ」
ドスッという音と共に気が遠くなる。
お腹が痛い。何が起こったのか分からないまま私はその場に膝をつく。ぐるんと世界が回る。
「すみません」
遠のいていく意識の中、どこか遠い場所で、謝罪する声が聞こえた気がした。