9-2話
「それは最近新聞に書いてあった、血を抜かれて亡くなった女性が多発している事件の事かな」
首をかしげた私の隣で、アスタが吸血夫人について話す。血を抜かれて亡くなったって……まるでドラキュラ伯爵みたいだ。
「そう。男爵令嬢が事件に巻き込まれ無残な姿で発見されてから有名になったんだけど、かなり前からそういった遺体はあったらしくてね。身分の低い女性が、すでに何十人単位で亡くなっていると思うよ」
何十人単位とは、規模が大きすぎて、現実味が乏しく感じた。痛ましいというよりも、怪談話を聞いているかのようにぞわぞわと悪寒がする。
「吸血って、血を吸われるの?」
もしそうならば、もしかしたらこの世界には吸血鬼がいるのかもしれない。エルフや魔族とさまざまな種族が混在しているのだ。吸血鬼族というのがいても今更驚かない。……共存は難しそうだけど。
「吸うって言うか、抜かれるだな。たぶん喉のあたりが痛い感じで、逆さ吊」
「へ?」
ライが親指を立てて首を横に切断するような動きをした。その動きが何かを理解した瞬間、血の気が一気に引いた。つまり家畜のように首を切断もしくは傷つけられ、血抜きをされたという事だ。
生きながら首筋に噛みついて飲まれるのと死んでから血抜きをされるのではどちらがエグイだろう。……とりあえず、個人的にはどっちも嫌だ。
「夫人と言うのは何でなんだ?確かまだ犯人は捕まってなかったと思ったが」
「死んだ女性からは、貴婦人の香水のような甘い香りがするからだよ。ただし体を麻痺させる薬品の臭いじゃないかと僕らは考えているけれどね」
うわぁ。
体を麻痺させてグサリって、もっと残酷だ。ぞくぞくして、鳥肌が立ってしまう。やられたわけではないのに首のあたりが痛いような気がして、私は喉に手をやった。
「まあ噂もあながち間違っていないけどな。俺らは犯人はとある伯爵夫人だとふんでいるんだ」
「そこまで分かっているなら、俺とオクトの手を借りるまでもないだろ」
うん。まさしくその通りだ。そんな物騒な事件、関わりたくない。アスタは魔術師だけど、私は善良な一般市民である。
「本当はそのつもりだったんだけど、証拠が中々掴めなくて。曲がりなりにも貴族だから、証拠もないのに屋敷内を捜査するわけにもいかなかったんだよね」
それと私たちと何の関係があるのだろう。内心首をかしげつつ、話の続きを聞いた。
「そこで王宮が動いている事を知られない為に海賊を通じて、犯人に女性を売ってもらう予定だったんだ。もちろん、中に1人兵士を入れて女性が被害にあわないように対策はしてだよ」
あれ?海賊を通じて女性を売るって……つい最近、そんなような事があった気がする。
ひくりと顔が引きつった。嫌な予感しかしない。
「でもどこかの誰かさんが、海賊と取引をして、女性を逃がしてしまったんだよな」
うっ。
それは、もしかして……もしかしなくても、私の事ですよね。
皆の視線が痛い。アスタにいたっては、にこっり笑って私を見ている。うわぁ……怒ってる。厄介事の原因は、どう考えても私だ。
「もう一度女性を集めるというのは……」
「そのつもりだったんだけどね、もたもたしている間に犯人の嗜好が変わったみたいでね。若い女性ではなく、子供しか取引に応じてくれないそうなんだ。おかげで計画の練り直しってわけさ。子供では流石に兵士を紛れ込ませられないからね。この事について、どう思う?」
「……大変申し訳ないなと」
それ以外に何と言えばいいのだろう。あの時は自分も必死だったのだ。まさかそんなおとり捜査の為に女性が集められているなんて思うはずもない。
だらだらと汗が流れる。これはいっそ、土下座してしまった方が楽になれるのだろうか。
「それでまさか、うちの娘をおとりに使いたいとか言うんじゃないよね」
「まさか。ただ少し伯爵夫人に近付いて、情報を得てくれたらいいなと思っているだけだよ」
それはイコールおとりだと思うのだが、私の勘違いだろうか。
「私では上手く近づけないと思う」
正直逃げてしまいたいが、ここまで話を聞く限り、流石にそれはマズイ気がする。それぐらいの良心は私にもあった。
しかしだ。混ぜモノがすんなりと伯爵夫人と仲良くなれるはずもない。私が近づくと、必ず相手が逃げる。どう考えてもおとりなどには、向いていない。
「そこは大丈夫だぞ。ちゃんと、『混ぜモノの血には凄い力がある』って噂を夜会の時に流しておいたから」
「はあっ!?」
私は慌てて叫んだ。
何そのとんでもない噂。混ぜモノの血には凄い力って、凄いって何だ。滋養強壮ということか?それとも黒魔術的にみたいな感じか?! どちらにしても、私にとって最悪だ。すっぽんの生血のごとく飲まれるようになったらどうしよう。殺されるのも嫌だけど、それもトラウマになりそうだ。
「混ぜモノを使うリスクはちゃんと分かってるのか?犯人を捕まえたはいいが、国がなくなりましたじゃ、笑い話にもならないぞ」
本当にその通りだと私はアスタの言葉に頷いた。殺されなくとも、自分の生血を飲まれるという気持ち悪さだけで、バッドエンド突入しそうだ。……飲むとはかぎらないけど。
「もちろん分かっているよ。協力してもらう限り、オクトさんに危害が及ばないよう、細心の注意を払うつもりだよ」
「つもりじゃ、困るんだよ。絶対傷つけるな」
アスタは真剣な顔でカミュ王子を睨むように見つめる。王子もまた神妙な表情でアスタを真正面から見据えると、ゆっくりと頷いた。
「……分かった。僕の名と王族の誇りにかけて、オクトさんを守ると誓うよ」
「待て。私に何かある前提で話しているところ悪いが、犯人が混ぜモノに手を出すかどうか分からないんじゃ。それに私を襲うとも限らない」
混ぜモノの危険性は犯人だって分かっているだろう。それに貴族の養子を狙うよりは、町や村にいる混ぜモノを攫おうとするのではないだろうか。
「いや。犯人が襲うかどうかまでは分からないけど、襲われるならば、オクトが狙われるのは間違いないな」
「何故?」
「混ぜモノは絶対的に数が少ないからな」
数が少ない?
私は首をかしげた。やはり混ぜモノは上手く育たないからだろうか。でも私という例もあるし、皆が混ぜモノを忌み嫌うならば、混ぜモノの存在を忘れない程度にはこの世界にいると思っていた。
そんな私をみて、アスタがライの言葉を引き継いで、さらに説明を続けてくれた。
「人族の血は混ざるが、他の血は混ざらない。これが世界の常識なんだよ。だからハーフは大抵、人族と他の種族の血を併せ持つ事になり、能力などは人族以外のものを引き継ぐんだ。そして数代重ねると、人族の血は消える」
私の母親は獣人族と精霊族。父親がエルフ族と人族。おかしいのは母親と言う事になるが、その話で行くと、そもそも私は生まれないという事になってしまう。
「つまり混ぜモノは、本来ありえない存在なんだよ。でも現実にはオクトのように存在する。ただし生まれる確率が低くて、問題なく育つ確率も低い。俺が混ぜモノの子供を引き取った話は貴族の間で有名になっているから、結果的にライが言う様にオクトが狙われるな」
あー。そういえば、私を引き取った事をだしに、再婚話を断ったりしているんだっけ。意図せずして、私は今この国で一番有名な混ぜモノなのかもしれない。何だ、その嬉しくないオプション。
「他にはいないの?」
ありえない存在認定までされたが、私は現実に生きている。他に同じような混ぜモノがこの国にいないとも限らない。その存在を、伯爵夫人とやらが知っていたらどうだろう。掻っ攫いやすそうな方を選ぶに違いない。
「国への届け出では、十年前に死産だった報告が来ているだけで、書類上はゼロだよ。届け出がなされていなかったり、国外からの移民の場合は漏れることもあるから絶対とはいえないけれどね」
……本当にレア的存在だったんだ。なんて嬉しくない特典だろう。残念感しかない。
「混ぜモノの恐ろしさは皆が知るところだから、どう転ぶか分からないけれど、もう少し伯爵夫人の動向を見たいんだ。オクトさん、協力をお願いできないかな」
お願いと言うか、命令ですよね。
どう考えても、私が断った所で、すでに巻き込まれているとみて間違いない。犯人が動けば真っ先に危険なのは私だ。ここで何を言おうと、噂が流れた時点で、私に拒否権などない。
……なんて厄介な噂だろう。私は首を縦に振った。