9‐1話 不穏な噂
ある日、森の中、王子様に出会った……なんでやねん。そこは熊だろ。
脳内でノリツッコミしている時点で、すでにかなりテンパっている。もう2度と会わない、会うものかと思っていた相手に遭遇したのだ。仕方ないと思う。
それにしても偶然会うような場所ではない。その理由を考えると頭痛がした。
「このような場所へどうされたんですか?」
私が焦っている横で、アスタが2人に声をかけた。その顔には、すでにエセ笑顔が張り付いている。
「どうしたもこうしたも、アスタリスク魔術師とオクトに会いに来たんだけど……何でこんな場所につくんだ?」
「そうだね。アロッロ伯爵の庭に出ようと転移したはずだけど……」
転移と言う事は、二人とも魔法使いもしくは、魔術師と言う事だ。カミュ王子は海賊からアスタのところへ送ってくれた後にさらに転移していたから驚かないが、ライもそうだったのか。……関わりたくない。
2人を見て、アスタは厭味ったらしく大きなため息をついた。
「まだお二人は学生の身。転移魔法は早いと思われますが。特にこの地域は、魔の森があり魔法のゆがみが出やすい地域です。その事を計算に入れましたか?」
「えーっと……入れてないかな。と言うか、その敬語止めてくれ。怖いんだけど」
「誰かに見られそうな場所で第二王子様に不敬など行えませんよ」
アスタ、魔の森にはほとんど誰も近寄らないって言ってたよな。しかし私はその事を口にせず、彼らのやりとりを見守った。自分にとばっちりが来るのはごめんだ。
「第二王子はカミュで、俺関係ねえし……」
ですよね。
しかしアスタはライの事を無視し、カミュ王子に話しかけた。
「それと地域特性を見極められないなら、転移魔法は使うべきではありません。この地域以外にも、もっと厄介な場所だってあるのですよ。自分で危険を招くのは自業自得ですが、その為に使用人が処分されている事をお忘れなく」
「忠告ありがとう。肝に銘じておくよ。ただ、アスタリスク魔術師が夜会の招待状を断らなければ、僕たちもこんな無茶はしなかったんだよね」
とげとげしい空気に耐えられなくなって、逃げたくなった。しかしアスタに手を引かれているため、移動はままならない。
「こちらにも色々と都合があるんですよ。それに今回は娘が私の父に会いたいと言ったもので、やむをえずお断りしたのですけれど」
待て。私は会いたいと選んだのではなく、右か左か選んだだけだ。それもそれが何かも伝えられずに。それが何故、家族愛チックな話になるのだろう。
「でももう会えたから良いでしょ?それに僕の勘違いでなければ、アスタリスク魔術師なら、転移を1日に何度でもできると思うんだけどね。伯爵に会ってから、夜会へ出席すれば良かったのに」
「まだ娘が小さいものでね。それほど無理はできないんですよ」
にこにこにこ。
にこにこにこ。
何故両者笑顔なんだろう。そして何故笑顔なのに、寒さを覚えるのか。
「ライ……どうしてここに。海賊は?」
私は成り行きを見ているのにも疲れ、寒々しい二人から少し距離を置いているライに声をかけた。もっとも距離を置いているといっても、特に気にした様子もないので、声をかける相手としては、50歩100歩な選択肢かもしれない。
「ああ。ちょっと問題が起こってな。それでオクトに協力――」
「嫌」
「聞く前から断るなよ。海賊の中では仲良くやっていただろ」
ライの事は正直嫌いではない。ただ私は安全安心に生きていきたいので、厄介事と思われるような事に首を突っ込みたくないのだ。
「それに不都合がでたのは、オクトの所為でもあるんだからな」
「何故?」
勝手に人の所為にしないで欲しい。
私は特に彼らにとって問題ある行動などとっていないはずだ。海賊の所から戻った後は、家で引きこもる事に専念していたので、危険な橋など渡っていない。
「その事について、内密に話がしたいところでね。アスタリスク魔術師、場所を用意してもらえないかな」
アスタと話をしていたはずなのに、王子が口を挟んできた。内密とか、絶対聞きたくない話に決まっている。アスタの顔には『馬鹿だなぁ』と書いてある。うん。私もそう思う。しかし王子が命令すれば聞くしかないだろう。アスタに任せて、追い返してもらえばよかった。
口は災いのもと。分かっていたはずなのに。
「伯爵邸に戻りましょうか」
私はがっくり肩を落とした。
◆◇◆◇◆
「どうぞ」
椅子の上に登って紅茶を入れるという、マナーも優雅さも何もない状況を繰り広げながら、ようやく私は4人分のお茶を入れる事ができた。この4人の中でお茶を入れるべきは私だろうと空気を読んだのだが、幼児の体格だとこの作業は結構大変だったりする。
何故お茶が欲しいなら使用人を下がらせる前に入れてもらわなかったんだろう。人払いするにしても、お湯を持ってきてもらうだけじゃなくて、色々やってもらってからにすればいいのに。
「オクトって、本当に何でもできるよな」
「自慢の娘なものでね」
いつまで親馬鹿設定で行くつもりなのだろう。笑顔で紅茶を飲むアスタを睨みつけながら、私も椅子に座った。
口調は敬語から普段と変わらないものになっているので、アスタと彼らは思ったより親密な関係なようだ。それでも親馬鹿設定を崩すつもりがないのは、まるっきり気を許しているわけではないという事か。それとも何かを断る時の言いわけとして使う予定なのか。……分からない。
「それであんな無様な登場をして、何の用だい?俺も久々の里帰りで忙しいんだけど」
どの口が言うんだ。
忙しいなら私の散歩何かについてこなければいいのに。きっと話を有利に持っていく為の方便なんだろうけれど。
「オクトさんを見つけて君の所へ戻してあげた恩人に、それはないんじゃないかな?」
「俺は有給をくれと言ったんだ。場所はすでに伯爵家が見つけていたからね。それに借りは仕事で返したと思うけどね。カミュエル王子様?」
……ん?もしかして私は色々アスタに迷惑かけていた?
もしかしたら、伯爵家に行くのは初めから決まっていたのかもしれないとこの時になってようやく気がついた。確か急遽行く理由は、迷惑をかけたから。……それの主語は『私が』ですか?!
さあぁぁぁっと血の気が引く。
今さらだけど、謝るべきだろうか。自由気ままなアスタが私の為に不自由したのは間違えない。
「あ、あの。アスタ――」
しかし私が言う前にアスタは頭を2度ほど軽く叩いた。気にするなという意味だとは分かったが、そういうわけにはいかない。
しかしアスタは私ではなく、カミュ王子を見ていた。この件は後にした方がよさそうだ。
「確かにね。鉱物への魔法添加は確かに以前より効率が良くなったしね。兄上が軍事で採用するはずだよ。だから今日は正式にアスタリスク魔術師とその娘オクトに依頼をしようと思って来たんだ。報酬も払うつもりだよ」
「5歳児に依頼?そんな横暴は聞けないね。帰ってくれないかな?」
「5歳児?!」
ライが素っ頓狂な声を出した。
私の体格はどこからどう見ても5歳児だろう。若干発育が悪いのでもう少し下に見えるかもしれないが、驚くほどではない。
「へぇ。しっかりしているし、僕らと同じぐらいかと思っていたよ」
「それはない」
もしもそうならどれだけ発育不全なんだよ。ツッコミどころ満載だ。カミュ王子達も確かに子供だが、10歳はいっているだろう。
「なら5歳なのに、壊血病とか料理とか色々知っていたのかよ?!どんな頭してるんだ?」
「オクト、どういうことかな?」
「えーっと」
そういえばアスタに海賊では下働きしていたとしか伝えてなかった気がする。実際先生と呼ばれていた事以外は、下働きとそんなに変わらないと思うけれど。
「オクトは見事な才能で、誰も治す事の出来なかった、海の精霊の呪いを治したんだよね」
きっとカミュ王子はライに聞いたのだろう。
それは分かるが、何故伝える?!アスタの機嫌が下降しているのが、喋らなくても分かった。
「あー、そんな事もあったような……」
「ふーん」
故意に黙っていたわけじゃなくて、話す必要性を感じなくて黙っていただけなんだけど。何故私が責められる空気になっているのだろう。
「とにかく。例え5歳としても、貴族ならばこの国の為に働くべきだとは思わない?オクトはどう思う?」
わ、私に振るなっ!!
貴族になりたてである私では、貴族の心構えなんて分からなかった。小説の主人公とかでありがちな、『自分がいい待遇を受けられるのは、それだけ領民に期待されているからだ』なんて、かっこいいセリフなんて絶対言えない。そもそも自分は伯爵家やその領地に対してまだ何の感情もないのだ。アスタは子爵だっけ?でもそれも同じだ。
「私はまだ国という大きなものは分からない」
本当は王子相手だし、敬語の方がいいのかも知れないが、アスタが普通に話しているので、私もそうさせてもらう。
「でもアスタの為ならば働く」
子爵ではなくアスタに対してなら、恩義がある。国なんて大きなものの為に何かをするとか、正直無理だ。でもそれが1個人の為ならばやれる。
「というわけだから、アスタリスク魔術師も聞いてくれないかな。ちゃんとそれなりの見返りはするつもりだよ」
アスタは紅茶を飲みながら、ちらりと私を見ると、肩をすくめた。
「分かったよ」
「ありがとう」
カミュ王子は御礼を言うと、ふと真面目な表情になった。私もちゃんと聞こうと、姿勢をただす。アスタの為とかカッコイイ事を言ったが、無理そうならば全力で断らなければいけない。
「2人は、吸血夫人の噂は知ってる?」
何それ?
聞いた事のない言葉だ。ただ吸血という言葉は、どうにも気味の悪い物に感じた。