7-3話
『良ければ食べて下さい。いらなければ、捨てて下さい。アスタリスクの娘より』
私は隣の部屋の玄関前に常温でも構わない野菜や果物、そして夕食用に作ってあった焼き菓子を置いておいた。本当は外に置くのは気が引けるが、両隣とも奇怪な音や声がするので、声をかける勇気が出ない。きっといらなかったら、処分してくれるはず。
何度か手紙を読み返して、誤字がない事を確認した私は部屋に戻った。
「そろそろ行くよ」
部屋に戻ると、正装したアスタが椅子に座って本を読んでいた。片づけは全て私1人で行っているのでとても優雅だ。ここで紅茶かコーヒーでもあれば絵になるのだが、生憎すでに片づけを終えているので、今更カップを出す気にはなれない。
ん?……絵になるって、コイツ美形だったのか?!
今更ながらの発見である。いつも適当な服、または王宮指定の魔術師の制服を着込んでいたので、全く気がつかなかった。
「どうした?」
美形で、金持ちで、将来性のある職業……伯爵邸では、土下座を準備しなければならないかもしれない。これならきっと、2度目とはいえ、結婚話もかなりあったはずだ。
「えーっと、ああ。そういえば、息子さんもいるの?」
「アイツは学校だよ。今年院を卒業したら、伯爵邸に戻ると言っていたな」
思っていたより大きな息子らしい。アスタが結構若く見えるから、私と同じぐらいか少し上ぐらいの年齢だと思っていた。いや……待てよ。私は何か根本的な見落としをしているんじゃないだろうか――。
「準備はできたみたいだね。行くよ」
「へっ、ちょっと待って」
アスタに肩を叩かれる寸前に自分の鞄を手に取った。
そして次の瞬間目の前の景色が変わる。先ほどまで部屋の中にいたはずなのに、目の前には大きな屋敷がそびえたっていた。その向こうには山が見える。
私が今住んでいるアールベロ国は山に囲まれた地形をしていた。それでも王都は平野であり、山などない。むしろ海が近いそうだ。まだ一度も行った事はないけれど。
「山が珍しい?」
「珍しくはないけれど、王都と全く違うから……」
「ここは王都よりも東に位置している場所だよ。あの山も含めてこの辺り一帯が、伯爵家の領地かな。この通り山も近いから、秋には樹の神の恵みに感謝して大々的なお祭りをやるよ」
きょろきょろと見渡していると、アスタが説明した。
この国の貴族の役目は大きく2つに分かれる。領地を守りその土地を治める公爵、伯爵。王都で王を守り政治を手伝う、男爵、子爵。もちろん男爵が領地を持っていたり、公爵が政治に関わっていたりもするが、基本はその形である。それについては、知識として知っていた。しかし山も領地とは、伯爵というのは一体どれぐらいの規模を治めているのだろうと遠い目になる。大きな屋敷は想定内だが、領地まではあまり考えていなかった。
「良かったら、後で山も探索するといいよ。魔の森と呼ばれるところ以外だったら、ちゃんと道もできているしね」
「魔の森?」
「そこに入ると、道に迷いやすいんだよ。だから魔の森と呼んで誰も入らないんだ」
なるほど。きっと磁場が狂っている場所なのだろう。魔の森なんて言うから、魔物が出るとかだったらどうしようかと思った。
ただ……そもそもこの世界に魔物はいるのだろうか。RPGもどきな世界だけど、魔物を倒して金貨やアイテムを得るってエグイしなんだか嫌だ。それはゲームの魔物と同じく嫌われ者の立場だから、余計にそう思うのかもしれない。
「おかえりなさいませ、アスタリスク様、オクトお嬢様」
突然ドアが開いたかと思うと、執事とメイドが屋敷から出てきた。メイドさんの頭には獣耳があるが、アレは本物。思わずドン引きしかけてしまったのは、思わぬ前世知識の伏兵だ。
「荷物をお持ちします」
アスタが荷物を渡したのを見て、私も渡すべきかと迷う。できたらお守り達が入っているので、持っていたい。それにメイドさん達も混ぜモノの荷物など持ちたくないだろうし……。でもそれはマナー違反になるだろうか。うーん。
「オクトの荷物は別にいいよ」
困惑していると、アスタが先に断ってくれた。どうやら荷物を渡さなくても、タブーにはならないようだ。ほうと息を吐く。そういえば、アスタの家に引き取られてから、マナー的なものは何も教えてもらっていない。……これ、結構ヤバいんじゃないだろうか。
「かしこまりました。それではアスタリスク様、旦那さまがお嬢様共々お呼びでございますので、ご案内いたします」
とうとうこの時が来たか。私はごくりと唾を飲み込む。
色々好感度がマイナス続きだったが、そこにマナー知らずというマイナス項目が加わった。これはきっと土下座どころか、スライディング土下座レベルに違いない。ああ、私の人生終わった。
「オクト」
アスタは私の手を掴むと、ずんずんと屋敷の中へ進む。どうやら二の足踏んでいた事が、ばれていたみたいだ。やってしまった。どんな理由であれ、混ぜモノの私を引き取ってくれたアスタに迷惑をかけるわけにはいかない。たとえステイディング土下座をする事になろうともだ。
「あっ、あの……ごめ――」
「心配しなくても大丈夫だから」
謝ろうとしたが、その言葉にアスタが別の言葉をかぶせてきた。
「オクトはただ隣にいればいいよ」
「……そういうわけにはいかない」
確かにマナーも知らない自分は、これ以上粗相しない為にもあまり話さない方がいい。しかしアスタに引き取られる事を最終的に決めたのは私だ。ならば自分の口から謝罪をするのが筋というものだろう。
「オクトは堅いなぁ」
たぶん、アスタが緩すぎるのだと思う。
「こちら手前に段差がございますので、足元にご注意ください」
歩いていると執事が真面目な顔で教えてくれた。
……まだ若いから大丈夫なんだけど。アスタも息子さんの話を考えると、実は若づくりなおっさんな気がするが、足元が覚束ないほど高齢でもない。
「あ、ありがとう」
色々ツッコミはあったが、とりあえずお礼を言う。
気の使いどころが若干おかしい気がするが、混ぜモノに対する嫌悪感をおくびにも出さないとは、かなりできる執事だ。品良く飾られた置物も高価そうだが、このサービス精神あふれた社員教育も馬鹿にならないぐらいお金をかけているに違いない。流石、伯爵家。
「オクト。使用人に、礼とか言わなくてもいいから。まあ慣れないだろうし、この家の中ならいいけど、外は駄目だからね」
「……はあ」
御礼も満足に言えないとは、貴族マナー難しすぎる。それにしても、今までの人生の中での扱いと百八十度違う周りの対応が、恐ろしい。私、アスタに引き取られただけで何もしていないよ?
世の中ギブアンドテイクのはずなのに。あまり親切にされると、何かあるのではないかと恐ろしく感じる。……早々に帰って引きこもりたくなった。
「こちらの前で少しお待ち下さい。旦那さま、アスタ様とオクトお嬢様がお見えです」
「通せ」
ドアの向こうから、渋い男性の声が聞こえた。
とうとう伯爵様とのご対面だ。手が汗ばんでくる。ぬるぬるしたらごめんと心の中でアスタに謝っておく。
部屋の中には、アスタをほんの少しだけ年を取らせたような魔族が居た。髪の毛をオールバックにしてきっちり固めている為老けて見えるが、皺とかを見るとアスタのお兄さんと言ってもおかしくないように思う。でもきっと彼が、アスタのお父様である伯爵だ。
「父上、ただいま戻りました」
アスタが敬語使っている?!
私は慌てて背筋を伸ばした。絶対粗相するわけにはいかない。
「……そちらの娘が、例の子供か」
アスタと同じ紅い瞳が私を映す。そこには嫌悪もないが、好意もなく、観察されているような気分になった。怖いんですけど……泣いていいですか?
「そうです。俺の娘の、オクトです」
アスタに紹介された私は意を決した。そうだ。泣いている場合じゃない。こうなったら、やるしかない。大丈夫。私はできる子だ。
「このたびの事は、すみませんでした」
私は日本の文化、土下座をしようと、膝をついた。先に謝ったもの勝ちである。
が、すぐにアスタに首根っこをつままれ持ち上げられてしまった。これでは土下座ができないんだけど。
抗議しようとアスタを見れば、彼は凄くいい笑顔をしていた。でも目が笑っていない。
「何をしようとしているのかな?」
「えっ?……謝罪……です」
無表情の伯爵様より、アスタの笑顔が怖い。泣きたくなったが、ギリギリのところで堪える。なんとか敬語を使えたのは、自分で自分をを褒めてあげたいくらいだ。
そんな私を見て、アスタは大きなため息をついた。
「何の謝罪だよ。いらないから。父上もオクトが怖がっているので、いい加減笑って下さい」
そんな無理に笑って貰わなくてもいいですから。
アスタが抱っこする感覚で私を腕に座らせた為、伯爵様と目線が同じになる。紅い瞳にじっと見つめられて、だらだらと冷や汗が流れた。目をそらす事も出来ない。
「アスタ……リスク様。別に、私は――」
大丈夫ですと言おうとしたところで、伯爵様がニタリと笑った。その笑みはどこか邪悪で、ぞわぞわと鳥肌が立つ。
ああ、引きこもりができた生活が懐かしい。私は魔王のような笑みに、そのまま気を失ってしまいたいと切実に思った。