7-2話
ああ、引きこもり最高!
「ふーふーふーん♪」
私は鼻歌交じりにパスタを茹でながら幸せを噛みしめていた。1週間ほど前まで海賊のお世話になっていたころを思うと、涙が出るほど幸せだ。本まみれの台所だけれど、私にはここが楽園に思える。
そして何より外出に恐怖を覚えた私が冷蔵庫や冷凍庫を魔法で作れないのかとアスタに頼んだら、あっさり作ってくれた事も嬉しい誤算だった。機能などを説明したら、魔法石を使えばできるとの事。よく分からない原理を使ってはいるが、冷蔵庫と冷凍庫に変わりはない。アスタ様様である。おかげで、買い物も週1回行けば十分になった。生の肉や魚も簡単に使えるようになった事もありがたい。
駄目人間で結構。ニート生活最高!今なら声高々に言える。……褒められた事ではないが。
「オクト、おはよう」
「おはよう」
だらしなくあくびをしながら、アスタは寝室からやってきた。目がまだぼんやりしているが、積み上げられた本に躓かないのは流石だ。
「今日は何?」
「ナポリタンと、温野菜サラダとコーンスープ。もう少し待ってて」
パスタのお湯を捨てながら答える。いつもならば、アスタが起きてくる時間にはでき上っているのだが、今日は珍しく早い。
「いいよ、ゆっくりで。それにしてもオクトが帰ってきてくれてよかったよ。この時間の食堂は混み過ぎていて行く気になれないし、数週間どれだけひもじかったか。部屋で食べられるこの幸せ」
「そこは食堂に行け」
私の事を探していてくれた話しは少し聞いたが、この話を聞くと娘として探されていたのではなく、飯炊き要員として探してくれていたように感じる。いや、やるべき仕事があって、頼りにされてるのはいいことで不満があるわけではないのだけど。それでも何だか微妙な気分になる。……男を捕まえるには胃袋からという話を前世かとこかで聞いたからだろうか。
「今更嫌だよ。起きてすぐ身支度して、混んでいる食堂でもみくちゃにされるあの辛さ。そして食べ終わったら、また着替えてから出勤しないといけないって、馬鹿げてるだろ。そんな時間があれば、俺なら寝るね。本当に貴族って面倒だよなぁ」
そもそも、自分で料理を作らず毎食外食できる事がすでにセレブ的発言なんだけどなと思わなくもないが、実際セレブなんだから仕方がない。もっとも王宮に仕えていてなおかつ宿舎を使っている人は一人身男性が多いので、必然的に食堂が繁盛するのだけれど。
「そんなに嫌なら、使用人を雇えばよかったんじゃ……」
「他人を入れるなんてもってのほか」
私も他人なんだけどなぁ。
そう思うが、ここで捨てられたら困るので黙っておく。今の私を置いてくれそうな場所は、ようやく逃げ出せた海賊だけという事実がつらい。
「何より、飯がマズイのは許せないだろ。美味しくなかった時の絶望感といったら、一日やる気がなくなるよ」
作ってもらっておいて、その言い草はないだろ。
そもそも、私を引き取るまでは使用人に作ってもらう又は食堂での食事だったはずだ。それでも仕事をしていたのだから、仕事をさぼりたいがための、いいわけにしか聞こえない。
新聞を読みならがらうだうだ言っている駄目親父を私は横目で見ながら料理を進める。これで仕事ができるというのだから詐欺だ。仕事仲間の人たちの心中お察しする。
「そうだ。右と、左どっちがいい?」
テーブルの上に料理を並べているとアスタが何やら封筒を取り出した。どちらがいいというか、それが何かも分からない。……私はじっとその二つを眺めた。
「何それ」
「運だめしかな」
おみくじみたいなものだろうか?
右の封筒も左の封筒も真っ白で同じように見える。蝋に押された印が唯一違うが、家紋など知らないので結局どこから届いているのか分からない。
「さあどっち?」
「……右」
ただどちらを選んでも嬉しくない事が待っていそうなのは何故だろう。正直選びたくない。それでもにっこり笑顔で言われて、私はしぶしぶ右を選らんだ。
「よし。じゃあオクト、ご飯食べたらドレスに着替えておけよ」
「へ?」
「7泊8日。豪華伯爵邸への旅、大当たり~」
……は?
ぽかんと私はアスタを見た。封筒から手紙を出しほらと見せてくれるが、達筆過ぎて龍玉語初心者である私には読む事ができない。
「ちなみに左だったら、王子様と楽しむ夜会の招待状だったんだけどな。こっちは断り入れて置くよ」
「む、無理っ!」
「えっ?夜会の方が良かった?」
「違う。どっちも無理」
伯爵邸というのは、きっとアスタの実家の事だ。私は混ぜモノであるばかりか、アスタの婚姻を邪魔したという注釈までつく厄介者。今のところ暗殺はまではされていないが、居心地は悪いに決まっている。そんなところで神経すり減らしたくない。
かといって、王子様と楽しむ夜会なんてもっての外だ。2度と関わりたくないと誓いを立てている相手の夜会なんて何が起きるか分からない。そもそも何がどうして、そんな招待状が届くの。混ぜモノが王宮に入ってはいけないはずだ。というか、入れるな。
「そんな我儘言っちゃ駄目だよ。ほら、座って。まずは冷める前にご飯食べようか」
我がままの一言で片づけられるような話題ではないはずだが、アスタの言う通り、できたての方が美味しいので私も席に座る事にする。
「伯爵、つまり俺の親なんだけど、前々からオクトを連れてこいって言ってたんだよ。ちょっと今回迷惑をかけたから、流石に断れなくてね」
「迷惑?」
「些細な事だけどな。まあ、とにかく、一度ぐらいは挨拶しても罰は当たらないだろ。俺も有給を使い損ねているから丁度いいしね」
「ならせめてもう少し早く言って欲しい」
確かに養子として引き取られているのだから、例え毛虫のように嫌われていようとも、礼儀として一度は挨拶すべきだとは思う。思うが、心の準備どころか、何にも準備もできていない。
冷凍庫は問題ないけど、冷蔵庫の中身は7泊8日はもってくれないと思う。精神的に疲れた状態で帰ってきて早々、とろけた野菜やしなびた何かと対面したくはない。
「だって今決めたし。それに夜会でも旅行でも可能なように、今日はわざわざ早起きして上司に有給出してきたんだよ。俺ってば偉い」
「物には計画というものがある」
無計画は威張れることではない。
そういえば、私を引き取った時も急だった。その日のうちに寝る場所もないここへ連れてきた事を思うと、計画的とはとても思えない。座右の銘は無計画。それで人生上手くいくだと?……禿げちらせ。
「ちゃんと計画立ててるよ。旅行の場合は、着替えた後に伯爵邸に転移するつもりだし。夜会の場合は夜が遅くなるから、これから2度寝するつもりだったし」
そんなもの計画とは言わない。
「……伯爵邸への訪問の返事は?」
「えっ。実家だし、いらないだろ」
駄目だコイツ。
いきなり泊まる人数を増やされて、慌ててベッドメイキングするメイドさんや、食数を変更される厨房の方々の苦労がしのばれる。
「連絡、お願いします」
すでに私に対する好感度は、混ぜモノでマイナス。さらにいきなり養女になって結婚妨害したことでマイナスと、マイナス続きだ。これに無計画までプラスされたら、もう挽回の余地なしだ。そもそも挽回は無理かもしれないけれど、私の責任ではない所で常識無とされてマイナスはされたくない。
「我儘だなぁ。まあいいけど」
我儘はどっちだと思うが、ここでツッコミを入れても話が進まない。アスタが行くと決めたら、行くしかないのだ。私はナポリタンを食べながら、冷蔵庫の中身をどうするか考える事にした。