6-3話
「オクトが壊血病を治してくれたからな。約束通り、1週間前ぐらいに解放してやったぞ。俺は、優しいからな」
いや、待て。おかしくない?
何故2つめの願いから先に聞かれているんだろう。大切なのは、私を無事に家まで送ってくれる事であって、そっちじゃない。そっちはおまけだ。
「伝えようと思ったのだが、お前は忙しいの一点張りで、全然来なかったからなぁ」
「……ライに伝えてくれれば」
「俺は大切な事は自分で言う主義だ。そうでなければ、面白くないだろ」
大変いい主義だと思うが、最後についた言葉が残念だ。隠された言葉は、『相手をいたぶれなくて』に違いない。禿げてしまえ。
知っていて黙ってのかとライを見れば、首を横に振られた。どうやらきっちり分からないように隠していたみたいだ。その辺りからもドS感をヒシヒシ感る。
「とにかく……壊血病の治療が成功した事は認めてるということでいい?」
これ以上考えても私が必要以上に疲れるだけだ。終わった事は仕方がない。私は色々無視して話を進める事にした。
「ああ。いい仕事だった。ご苦労だった。褒めてつかわすと言えばいいか?」
「言わなくていい。ただネロが、航海中の対策方法を聞けばいいだけ」
「それなんだが、それが効果あるとどうやって証明するつもりだ?」
あれ?
ネロの言葉に、私は雲行きのあやしさを感じだ。嫌な予感しかしない。
「壊血病に効くビタミンCとやらは、熱に弱く、果物や野菜に含まれているのだろ?俺たちの航海は何日もかかるんだ。オクトが今までやった方法は海では使えない。つまりは教えようとしているのは今までとは違う新しい方法ということだろう。それが正しいか俺には分からんな」
ならどうしろというのか……という言葉は絶対言わない方がいい気がする。証明する為には、実践しかないのだ。もしもここでどうしたらいいかを聞いたら、航海についてこいという返答が返ってくるに違いない。
航海という密室空間に混ぜモノを入れるなんて正気の沙汰ではない話だ。それでもコイツはやると言ったらやる男だという事は身にしみて分かっている。こうなったら、『航海についてこい』という言葉を言わせないように気を付けるしかない。
「ならば、交渉は決裂だ。女性の解放はもういい。私を家に帰せ」
「女性はもう解放した。それはできない話だな」
「私は私より先に女性を解放しろなどと言っていない」
「どちらを先にしろとは俺も聞いていないのだが?」
このやろう。普通は他人より、自分優先だろうが。ネロはその事も十分分かっているはずだ。だから私に承諾を得る前に解放したに違いない。
「分かった。ならば教えた後に壊血病の事で何か不都合があれば、いつでも無償で相談にのる」
「海に出れば、一月は陸地に戻らないというのに、どうやって相談にのるつもりだ?」
ニヤニヤとネロが笑う。私が根競べに負けて、乗船を承諾するのを待っているのが見え見えだ。そんなあからさまな罠にはまってたまるかと思うが、逃げ道が徐々になくなっている気がするのは何故だろう。
「……壊血病はビタミンCの欠乏により起こる病気。体にはある程度の貯蓄があり、それがなくなると、壊血病が発症する。しかし欠乏状態にまでには60日から90日はかかる。状態が悪くなる前に、陸に帰ればいい。その時苦情を聞く」
それにしても、こいつのドS病は常軌を逸している。いくら面白いからといって、船長が船員の危険リスクを上げていいはずない。発症するまでの期間まで教えたのだから、この辺りで引いてくれないだろうかと望みをかけて、私はネロを見上げた。
「分かった。まどろっこしい言い方は止めよう。ここに残って、仲間になれ」
「船長?!」
「だが、断る」
ライの驚く声も無視して、私は反射的に答えた。
何でそうなる。私がじっと見つめたのは、仲間にして欲しいからじゃなくて、早く私の条件を受け入れろという意味からだ。何が悲しくて犯罪者にならなければいけないのか。
「何故だ?」
「それはこっちのセリフ」
むしろ何で引き受けると思うのか謎だ。
その様子を見て、ライはくすくすと笑った。くそっ。笑うんじゃなくて私を助けてくれ。私はライを睨んだ。私を助けて海賊にさせない事が、将来海賊の命を救う事になるんだぞ。
「オクト、諦めたら?船長は言った事はどんな手を使っても叶えるぞ」
「嫌」
私の答えは完結だ。絶対嫌だ。こうなれば問答無用で壊血病の予防方法教えておこう。私が教えたら、私を家へ送るという事はネロもちゃんと承諾した。言った事はどんな手を使っても叶えるならば、必ず一度は家に戻してくれるはずだ。その後は私が引きこもって彼らに関わらなければ済む。あそこは王宮管理の寮だし、家には魔術師のアスタもいる。防犯もばっちりだし、何とかなるだろう。
「約束は果たしてもらう。壊血病にならない方法は、航海の時にキャベツを漬け物にして持っていく事だ。火を通さなければビタミンCは多く残る」
「……漬け物?」
「キャベツを千切りにして、そこに2%程度の塩と、香辛料をいれて、上に重しを置いた料理。酸味が出てくるがこれは乳酸菌の働きで、腐敗ではない」
ネロが私の言葉に反応した。ドSより、知識欲の方が勝ったらしい。ライは、理解したのかどうか分からないが、へーと相槌をうっている。詳しい作り方と食べ方は料理長に教えておいた方がいいだろう。
「乳酸菌とはなんだ」
「……目に見えないほど小さな生き物。乳酸菌はその一種。人にとって害があるものは腐敗を起こし、害がなければ発酵を起こす。今回は発酵」
「精霊とも違うんだな」
「たぶん」
精霊=菌だったら、私が泣けてくる。祖母又は祖父のどちらかが菌。いやいやいや。それはない。
コンコン。
ドアの向こうからノック音が聞こえ、全員がドアを見た。
「なんだ?」
ネロが声をかけると、ビラが開いた。うん。このタイミングだよな。ライの場合は返事をまたないので早すぎる。
「船長に会いたいと客がきましたが、どうします?」
ドアの前には大柄の船員がいた。その後ろにフードを被った不審人物がいる。フードの奥にある顔はベネチアンマスクのようなお面を付けており、顔も分からない。背丈は小柄で、ライとそれほど変わらないくらいだ。……子供か、または小柄な種族なのだろう。
「何だ。もう来たのか。通せ。お前は仕事に戻ってろ」
この不審人物とお知り合いですか?
そういえば、今日は来客があるとライが言っていた気がする。まさかこんな不審人物とは思わなかったけれど。
私たちも一度出ていくべきだろうか。ライを見上げると、彼も驚いたようで、目を見開きマスクマンを凝視している。あの姿をみれば無理もない。
「また後で来る」
客なら仕方がない。私は出て行こうと踵をかえした。
「待て。ここにいろ」
「は?」
さっき、船員を追い返したじゃん。
私もまだご飯を食べていないので、できたら一度腹ごしらえをしたい。
「女どもを逃がしたのは、コイツが原因だ」
待て待て待て。どういう話の流れだ、それ。
今部屋にいるのは、私とライとマスクマン。私やライに言った言葉ではないという事は、マスクマンに対して話しかけているのだろう。捕まった女性の事を知っているという事は、つまり女性を攫う様に指示したのは彼か、その上司という事だ。
売りやがった。
私は一気に血の気が引いた。慌てて、ライの後ろに隠れる。依頼主が来る事が分かっていたら、キャベツの漬け物の件や欠乏症になる期間を先に教えなかったのに。今の私はネロにとって、さほど価値がない状態だ。このドSめ。最悪すぎだ。
「へえ。面白い混ぜモノはやっぱり君の事だったのか」
フードの奥から聞こえた声は思ったより高い。子供だろうか。マスクマンがフードを外すと、そこからキャベツ色の髪の毛が出てくる。
……凄く見おぼえがある気がするのは気のせいだろうか?
「またあったね。ドールちゃん」
マスクを外すと、そこには旅芸人一座で会った、キャベツ色の髪の少年がいた。開いた口がふさがらないとはまさにこの事だ。状況がつかめず、茫然とする。
何故あの時の少年が、海賊の船長と知り合いなのか。いい身なりをしているし、犯罪者と関わりがあるようには見えない。
「王子……何でここに?」
「いつまでたっても、君らが仕事をしないから見に来たんだよ」
ライの口から出た、聞いてはいけない単語に私の気は一気に遠くなる。王……げふんという事は、彼はこの国で前から数えた方が早いぐらい偉い方だ。さらに具体的にいえば、アスタの寮の隣に住んでいたりするわけで。
このまま気を失えればいいのにと切実に思うが、残念な事に私の神経は図太かった。
「やはり、ライは王子の差し金か」
「そうだよ。役立ったでしょ?僕からの仕事が終わるまでは貸してあげるよ。ただあまり時間がかかるのは困るなぁ。今回の仕事の遅れた分は彼女を貰う事で手をうつよ」
勝手にうつな。反射的に私は心の中で反論する。もちろん不敬罪になりたくないので、口にはしないけど。それにしてもなぜ王子と海賊が知り合いで取引までする仲なのか。意味がわからない。
「それは困る。俺は今、オクトと取引の最中だ。確かに仕事の遅れはこちらに非があるから、何らかの形で償おう」
私の意をくみ取ったかのように、ネロが反対した。正直意外過ぎて、マジマジとネロを見る。私の事はもう用なしで、ついに売られるのかと思っていた。
「人が嫌がる事が大好きという性格、いい加減に治した方がいいと思うよ」
王子の言葉に、私はすぐさま納得した。なるほど、だから反対したのか。
「お生憎さまだな。そういう性格じゃなかったら、海賊の船長なんてやらん。ただ今回は別だ。この混ぜモノは使える」
「……それなら、こちらもそれなりのお金を出すから売ってくれないかな?」
「やらんと言ってるだろ」
女性なら一度は夢見る憧れのシーンだろう。しかし私は2人の男に取り合いされても全然嬉しくなかった。きっと2人とも、私と関わりのないところで生きて欲しい人種だからに違いない。争うなら、私と無関係なところで、無関係な話でお願いします。私なんて全然役立ちませんよと心の中で叫ぶ。
何故こうなった。
とりあえずネロがただの海賊ではないという事は分かった。国家権力と取引する海賊なんて普通じゃない。そして王子が何の理由もなく自分の国の女性を攫わせる事もないだろう。
「……騙された」
私は色々無駄な事をしていたのではないかと今更ながらに気がついた。