5-3話
カツン。
歩きかけていた足を止め、ライは私を振り返った。透き通るような琥珀色の瞳が私を映す。何の感情も見えない瞳をまっすぐ向けられ、私は逃げ出したくなった。タイミングを間違えたかもしれないと一瞬後悔するが、何とか踏みとどまる。
「本当か?」
「……本当」
ビビった所為で、少し反応は遅れてしまったが、ライは牢屋の前に戻ってきてくれた。
「逃げる為に、嘘つくと大変だぞ。ここにいたら、少なくともオクトは何もされないんだからな」
確かに何もされないだろうが、何もされずにこの牢屋に一人取り残された方がもっと怖い。海賊たちは混ぜモノについてあまり知らないようだし、取り残された恐怖からバッドエンド直行になるかもしれないなんて考えてもないだろう。自分の手で殺さなければいいとか思っていたらアウトだ。
「治せるよ」
「なんでそんな事知ってるんだよ。誰にも治せない、奇病なんだぞ」
「……死んだママに聞いた」
私は嘘がばれないように下を向いた。悲しくてうつむいたと思って貰えるように言葉を選ぶのも忘れない。ここで前世の知識からとか本当の事を言ったら、頭の可哀そうな子認定までされて、2度と話を聞いてもらえないだろう。
「ふーん。それが本当なら、オクトのママは何者だよ」
「知らない」
私が聞きたいくらいだ。死ぬ時も何も残さず突然目の前で消えるとか、普通じゃありえない死に方だった。それに目に見えない精霊が親とか、意味がわからない。無事帰れたら、アスタに色々聞こうと思う。あれだけ本を読んでいるのだから何か知っているはずだ。
「分かった。信じるよ。で、どうやって治すんだ?」
「取引したい」
ここからが本題だ。私は震えそうになる手を握りしめ、顔を上げた。ここまできたらもう逃げられない。後はライに騙されないようにして、確実な交渉をするだけだ。
「それは俺と?」
「違う。海賊の一番偉い人」
人攫いをするぐらいだから、正義の味方みたいな海賊ではないのは確かだ。約束もちゃんと守ってくれるとは限らないのも分かっている。それでも、まずは話をしなければ進まない。
「それだけの価値がある情報だと思う」
海の精霊に好かれた呪いだと思われている奇病。そう思っている限り、きっと治す事はできないだろう。多くの船乗りの命をこれまで奪ってきて、これからも奪っていくはずだ。
船長とてこの病気にかからないとは限らなければ、その治療法は喉から手が出るぐらい欲しいはず。
「ま、そうだな。その話が本当なら、船長も会うだろ。分かった。連れてってやるよ。ちょっと待ってろ」
ようやく見せてくれた笑顔に、心の中でそっと胸をなでおろす。怖かった。
ライは一度その場を離れたが、すぐに鍵の束を持って現れる。思ったより近くに鍵があったのか、誰かがもっていたのだろう。そのカギを使い、南京錠を外した。
「来いよ」
「どけぇぇぇぇっ!!」
さしのばされた手を取ろうとした瞬間、ライの方へ向かって女性が叫びながら走ってきた。ライよりも大きな背丈なのでそのまま体当たりすれば、ライは吹き飛ぶんじゃないかと思う。外に仲間がいるって分かっているはずなんだけどなぁ。
それでも逃げられると、彼女は踏んだのだろう。しかし次の瞬間、女性の顔は驚愕に代わり、体が宙を飛ぶ。バシンと音がして地面にたたきつけられた事に気がついた。
「ちょっと、傷つけるなって言われてるんだから、無駄な努力とか止めろよ。怒られるだろ。どうしてもって言うなら仕方がないけどさ。言っておくけど俺一般人に負けるほど弱くないから」
にやりと笑って、ライはパキパキと指の関節を鳴らす。誰もが状況についていけず、唖然としていた。それは私も同じだ。体格から考えると、女性が吹っ飛ぶなんてありえない。
「じゃ、オクト行くぞ。ちなみに逃げようとしたら、アレだから」
地面にたたきつけられたまま動かない女性を指差されて、私は慌てて頭を上下に振った。そもそも私の体重から考えると、あの女性よりももっと軽々と吹っ飛ばす事ができるだろう。そしてライは女性とか子供とかが理由で手加減なんてしてくれそうになかった。
私は立ち上げると、牢屋のドアを潜る。もう誰もこちらへ近づこうとしない。皆こちらを注目しているが、逃げる気は失せたみたいだ。それでもライは私が外に出ると、南京錠を再びつけた。
「こっちだ」
歩いていくライの後ろを小走りでついていく。
「おい、何勝手に混ぜモノを外に出してるんだよ」
階段近くまで行くと、縦にも横にも大柄の男がギロリと睨みつけてきた。座っているはずなのに、ライがまるで小人のように見える。
「あんたらだって、どうしたらいいか困ってただろうが。俺の方が混ぜモノの事を知ってるから、面倒みるように言われたの忘れたのか?」
「ふん。そんな小さな混ぜモノなら、殺しちまえば楽なのによ」
待て待て。何いきなり、死亡フラグ立ってるのさ。しかも殴り殺させそうになったら、絶対暴走テロ自殺間違いないから。私平然と殺される自信ないから。この脳みそ筋肉族め。私はライの服の裾を掴んで後ろに隠れた。
ライも怖いけど、少なくともライはいきなり私を殺そうとしたりしない。
「だからアンタは万年下っ端なんだよ。混ぜモノはどれだけ小さくても殺すな。そんなのどこの国も知ってることだろ。馬鹿なの?死ぬの?」
「待てよ」
「俺、今から船長のところ行くんだけど」
階段をのぼりかけたところで、肩を掴まれたライは面倒くさそうに男を見た。
「それとも何?アンタを倒してからしか行けないようになってるわけ?」
「いや。……行けよ」
睨まれた男は顔色を悪くすると、ライから手を離した。大きな男が一回り以上に小さな少年を怖がるのは、何だか不思議な光景だ。ただライはさも当然のように、その横を通り抜けた。
「俺最近一味に入ったんだけどさ、入団試験でここのNO.3を倒しちゃったんだよ。だからあいつビビってるわけ。あんなデカイ形してるのに、笑えるよな」
どうやら私が不思議そうにしていたから教えてくれたみたいだ。でも私は笑えない。自分より体格のいい相手をやすやすと倒すなんて、まるで漫画の主人公みたいな奴だ。正直関わりたくない。
それにさっきの話から察するに、最初から私があの牢屋にいる事が分かっていて近づいてきたという事だ。パンを配っている時は、さも今知りましたという顔をしていたのに。やっぱり信用はしない方がいい。うん早々に彼とはおさらばしよう。
「私の荷物、何処?」
「何で荷物?逃げないならいらないだろ」
「必要だから」
嘘ではない。治療に必要なのは買い物で買ったものだが、私が本当に必要なのは最初から持っていた鞄の方だ。あの中には、クロのサインも、携帯電話も入っている。置いていくわけにはいかない。
「分かった。確か一か所にまとめてあったはずだし、まだ売られてないだろ」
階段を登りきると、窓があった。どうやらすでに夜になってしまったようで、外は真っ暗だ。何があるかよく分からない。
せめて私が連れ去られた場所から近いのかどうかだけでも分かればよかったのに。無事ここから出る事が出来ても、帰れるかどうかも問題だ。私では馬車とか門前払いされる可能性が高い。
「おい、オクト。どれがアンタの荷物?」
考え事をしている間に、荷物置き場についたようだ。薄暗い部屋の中に、ごちゃごちゃと色んな荷物が押し込められている。鞄以外に置物などがあるが……全部盗品だろうか?統一感が全くない。
「これ。あとこの買い物袋もそう」
律義に拾ってもらえたようで、私の鞄と買い物袋は同じ場所に置いてあった。鞄を首からかけ、両手で野菜たちを持ち上げる。
「ふーん。これが必要なもの?まあいいか。貸せよ」
ひょいと私から荷物を取り上げるとライはすたすたと出口へ向かう。
「取引したいんだろ?早く来いよ」
親切?
女の人でも投げ飛ばしたりと容赦ないくせに、行動がよく分からない。重い荷物を持たせると、ただでさえ歩きが遅いのが、もっと遅くなると思ったのだろうか。
まあ案内してもらうまでの付き合いだし、どちらでもいいけど。私は置いていかれないよう、小走りでライを追いかけた。