44-3話
「シンじい、ただいま」
カザルズに王都まで連れてきてもらった私たちは、一度カザルズと別れると、クロに案内されるままに【機械屋】と呼ばれる店へやってきた。
機械屋というものはアールベロ国にはない店だ。名前からすると工場っぽいイメージだが、どうなのだろう。そもそもここに来るまでの間でも、いたるところで国としての違いを感じていた。たとえば、ホンニ帝国にガス灯がある点。
アールベロ国にはそんなものは存在しない。王宮の門の所には篝火はあるが、それだけだ。その他に、人工的な光といえば、室内で魔法使いが魔法石を用いて照明を作り出しているぐらいか。今のところガスを燃やし使うという発想はない。
もちろんクロの説明で、ガス灯ができたのはここ最近で、王都ぐらいにしかまだ普及していないという話も聞いている。それでも、アールベロ国とホンニ帝国の文明が大きく離れているように感じた。
「お邪魔します」
中に入ると、オイルの匂いが私たちを歓迎した。
そして壁のいたるところから、カチコチと音がする……時計だ。少しだけ薄暗い店内には、壁一面に様々な時計が並んでいる。もちろん時計はアールベロ国にもあるが、とても希少で貴族ぐらいしか持ち合わせていない。なのでこれほど多くの時計が並んでいるのを見るのは初めてだ。庶民は鐘の音を聞いて、今の時間を把握したり、街中に設置された日時計を利用している。
機械屋というのは時計屋のことなのだろうか。一瞬そう思ったが、しかし店の中には時計以外にも、色々用途不明な鉄製のものが雑然と置いてあった。この様子ならば、取り扱いが時計だけということはないだろう。
それにしても、さっきまでは異国に来たんだなぁという雰囲気だったが、機械屋の中はまるで異世界のようだ。
「アクチュン、クロ」
さらに異世界キタァッ!
奥から出てきた、白髪混じりの灰色の髪をした男は全く聞きなれない言葉を発した。いまさらながらに、外国に来たんだと実感する。思えばこの世界は、龍玉語なんていう共通言語があるから、中々外国に来た気がしないのだ。
とくにドルン国など、異国というよりも、国内の違う地域に行きました的な気分になってしまう。行き慣れてしまったからというのもあるかもしれないが、皆が共通語を話しているという点も大きいと思う。
「オクトさん……。目を輝かせすぎ」
「えっ?」
「本当に、帰らないとか言い出さないでよ」
小声でカミュが耳打ちする。
うっ。そんなにガン見していただろうか。私は頬を抑えて、表情筋を真面目なものに変えようと努力した。でもやっぱり真新しい情報というのは、気になってたまらないのだ。特に科学の匂いとか、普通にアールベロ国では見れないわけで。懐かしいというか、なんというか。とにかく血がたぎる感じがする。
自分はひきこもり体質だと思っていたが、意外に旅行は好きかもしれない。年甲斐もなく、わくわくしてしまう。
「シンじい、龍玉語でしゃべれよ。全員外国人なんだからさ。紹介するな。これが一応俺の育ての親で、シンって言うんだ」
「何が、一応だ。クソガキが」
おおっ。
シンじいが流暢な龍玉語でツッコミを入れた。いや待て。普通に考えれば龍玉語がしゃべれない国はないはずだし、それほど驚くことでもない。
でもよく考えると、すごく不思議な話だ。前世の記憶では、一応英語が共通語とされてはいたが、日本人はなかなか流暢にそれを扱うことができなかった。この世界なんて、飛行機もないし、他の大地との交流もほとんどない。それなのにどうして共通語なんてものが存在するのだろう。
まあ便利だから、いいのだけど。
「ワシが条件を付けるのは一つだ。店のものに触るな。それさえ守れば、勝手に空いている部屋を使えばいい」
「悪い。シンじい、いつもこんな感じで、愛そうがなくてさ。何というか、ほら、前にオクトが言っていたツンジジってやつ?おかげで、なかなか客が来ないんだよな」
えっと、ツンジジなんて言葉、教えたことないんだけど。
でもニュアンス的に、ツンツンしたジイさんという事だろうか。……うーん、それだとデレがないから、ただの意地悪爺さんになってしまうのでは。
「ふん。カラクリの素晴らしさが分からんモノなど、来んでいい。それで、クロが言っていた子はどの子だ」
そう言って、ツンジジ……もとい、シンじいは私たちを値踏みするように見渡した。
「ああ。俺の幼馴染はこの子」
そう言って、クロは私の後ろに回ると、背中をポンと押した。
すると、シンじいは順番に移動させていた視線を私のところへすいっと戻す。そしていぶかしげな顔で、私を黒目に映し出した。
「……こんな小さな子供が?クロとは1つ違いと言っていなかったか?どう見ても、10にもならんだろ」
百歩譲って、私の身長が低いというのは認める。でも、10は言いすぎだ。
確かにクロとの身長差は思いっきり開いてしまい、今では年の離れた兄弟のようになっている。でも学校だって卒業しているし、今ではちゃんと働いているのだ。私はもう子供ではない。
「オクトは正真正銘俺の1つ下だよ。ほら、魔力が強いとカズみたいに成長が遅いって前に伝えただろ。悪い。この国、あんまり魔力が強い奴がいなくてさ。基本人族ばっかだし、成長が違うとか慣れてなくて」
私がムッとしたことに気がついたらしいクロは、そうフォローを入れた。
「そういうものなのか。なら聞くが、お前さんは、この部屋に飾ってあるこれらが何か分かるか?」
そう言って、シンじいは壁に飾っている時計を指差した。
「えっと、時計……かと」
あまり唐突だった上に分かりきった質問であった為、逆にドキドキする。もしかして自分が質問を聞き間違えたのだろうかと思ってしまう。
「まあ。こんなものは、他国にも出回っておるからな。なら次の質問だ。お前さんが持っていたケイタイとやらは、何で動く?」
「何でって……あー……えっと。電気。その……雷と同じものを使って……」
もし電圧がどれだけかを聞かれたら、私の能力では間違いなく答えられそうもない。携帯電話は使い方は分かるが、仕組みはさっぱりなのだ。
「そのケイタイは、何に使うんだ?」
「遠くにいる相手と話をしたり、手紙を送ったり……します」
「どうやって?」
「もう一台携帯を用意して、電波で……そのやり取りをするというか。携帯1台に1つの電話番号が割り振られてて、それで相手を特定して……」
矢継ぎ早に質問をされて、私は動揺した。
私の前世はたぶん携帯会社に勤めてはいなかったのだろう。大した知識が詰まっていない。クロの育ての親なんだしガッカリさせるのも悪いと思うが、どうするべきか。
「あのさ。ヒトにものを聞く時は、もう少し礼儀というものがあるんじゃないかな?」
私がおろおろしながら答えていると、隣からアスタが口を挟んできた。
「お前さんには関係ないだろ」
「えっ。あ、大丈夫。アスタ、私は大丈夫だから」
関係ないとかそんな言葉を言われたら、アスタがどう暴走するか分かったものじゃない。特に今日からここで泊めてもらうのだ。ここで失敗したら、仲良く野外キャンプだ。……いや、宿泊施設で断られそうなのは私ぐらいだから、一人楽しくキャンプファイヤーか。でもこんな街中で火を使ったら怒られるから、新聞紙にくるまって段ボール生活の可能性が高い。
「えっと、クロのお爺さん。私は使い方は分かりますが、どうしてそれができるのかなどの細かなメカニズムは分かりません。私が言えるのは、たとえもう一台携帯電話がここにあったとしても、電波塔がこの世界にはないので、通話はできないということだけです」
ああでも、私はシンじいが携帯電話の事を聞きたいがためにここへ連れてこられたはずだ。だとしたらこの受け答えはまずいかもしれない。私の知識が使えないと分かれば、やっぱりもホームレス決定のお知らせの可能性が……。まさか異国でホームレスをする事になるとは。人生分からないものだ。
「嘘はついておらんようだな」
「はあ。まあ」
こんな事で嘘をついても仕方がないし、無理なものは無理だ。もしも嘘をつくと電話機能が使えるというなら、いくらでも嘘をつく。
「少しここで待ってろ」
そう言うと、シンじいは店においてある棚を開け、ごそごそと中を漁った。そして私たちに背を向けたまま話しかける。
「この商売をしていると、異世界のことだから、ワシが分からないだろうと平気で嘘をつくモノに会う。ただの勘違いなら仕方がない。しかしその嘘を金にしようとするモノもいる。そいつらは、このカラクリの発展を損なう害虫だ」
「オクトはそんなことしないって」
「幼馴染といっても、長い間会っておらんかったのだろう。どうして分かる」
厳しい声でクロの意見を一刀両断すると、シンじいはくるりと振り向いた。その手には私の携帯電話が握られている。
「まあ今回に関しては、クロの目も間違ってはいなかったようだがな。この嬢ちゃんは嘘がつけん性質のようだ。ほれ。ちゃんと電気が通っているはずだ」
「あ、ありがとうございます」
シンじいに手渡された携帯電話は、初めて手にとったときと変わらず、きらきらとしたシールでデコられている。私はただの記念として持っていたようなものなので、まさかもう一度動くとは思ってもいなかった。
ドキドキとしながら私は二つ折りになっている携帯を開く。
「えっ?」
「あれ?これって」
「ん?なんだよ」
私が携帯を開くと、周りにいる皆も何があるのかと、のぞきこんだ。そして覗き込んだ全員がそのまま携帯から、アユムに視線を下ろす。
「これって、アユムだよね」
カミュが言うとおり、待ち受け画面には今よりももう少し幼い、私と初めて会った時のアユムが映し出されていた。何度見比べても、やはり映っているのはアユムにしか見えない。
「ボク?」
キョトンと首を傾げたアユムに、私は少しためらった後、そっとしゃがみ携帯の画面を見せた。これをアユムが見たからと言って何かが変わるわけではない。それでも、何故かとても恐ろしいことが起こるのではないかという気持ちになって手が震える。
「あー、これ、ママのだ」
他人の子供の写真を待ち受けにするヒトなんていないだろうし、これだけデコっているなら持ち主は女のヒトだろう。だとすれば、アユムに聞くまでもなく、おのずと答えは出てくる。
「へえ。すごい偶然だね」
確かに……すごい偶然だ。
でもどうしてここにアユムのママの携帯電話があるのだろう。アユムが混融湖に流れ着いた時、周りには誰もいなかったと聞いている。それに携帯電話がこの世界に流れ着いたのは、私がまだ5歳だった時。アユムがこの世界に来た時と時間が違う。
もしかして、アユムは母親と一緒にこの時間へ流されたのだろうか。混融湖の中がどうなっているのか分からないが、中で離れ離れになれば違う時間に流される可能性はある。だがアユムと同じ時間のヒトならば、魔素の耐性はない可能性が高い。ということは……最悪の状態も予想される。
「オクト、大丈夫?」
「あっ。……うん」
アスタが携帯を握りしめていた私の手をさらに大きな手で覆った。どうやら手が震えていたみたいだ。
やはり残酷な答えがすでに見えているから、体が震えてしまうのだろうか。
でもいまさら私がどうにかできる問題でもない。そう頭では理解しているはずなのに、心臓が早鐘を打ち鳴らし苦しかった。頭がガンガンと痛み眩暈がする。
ジンワリと手汗が出るのを感じ、私は自分自身が緊張していることに気がついた。
どうしてこんなに――。
「オクトさん、このボタンは何をするためのものなんだい?」
「……あ。えっと。この数字を押せば話したい相手を選ぶことができる。それ以外のボタンには手紙のやり取りをしたり、カメラ……えっと、この画面に映ったアユムみたいな映像を残す機能があって――」
ホンニ帝国はどうか知らないが、アールベロ国にはカメラなんて存在しない。
実際に見てもらった方が分かり易いかと思い、私はMENUと書かれたボタンを押す。携帯電話の電波は、圏外となっているが、中を確認するのには支障がない。
そして、【1メール】となっているところで、決定ボタンを押した。
「一番上を選択すると手紙を読むことができて、その次が手紙を書くことができるようになっている。自分の書いた手紙はここを見れば確認する事ができる」
全員に見えるようにしながら、私は【5送信メール】となっている場所へカーソルを移動させ、決定ボタンを押す。人様のメールを読むのはなんだか悪い気がしたが、どうせ日本語が読めるのは私だけだ。心の中でごめんなさいと呟きながら、さらに【送信BOX】をクリックした。
【5/3 青山 優子 RE:】
【5/3 青山 優子 RE:】
【5/3 青山 優子 RE:】
【5/2 上田 春妃 RE:気を付けてね】
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じゃあ、今から飛行機に乗りこむから。お土産は期待してて(^o^)/
―END-
画面上に、いくつかの送信メールの題名と宛名が並び、最後のメールだけが開かれる。
どうやらこの携帯の持ち主は、どこかへ旅行に行こうとしていたようだ。飛行機ということは、結構遠出を予定していたのだろう。他のメールも見ればどこに行こうとしていたのかも分かるかもしれない。
とりあえず、このメールからは、持ち主が少し特殊な状況下にいたという事が分かる。でもそれだけだ。……それなのに、私はそのメールから目を離すことができなかった。
キーンという耳鳴りと共に、ガンガンと頭痛がして目が回る。
視界がうす暗くなり、誰かの悲鳴が聞こえた。いや、これは耳で聞いているのではなく、頭の中に響いているだけ……。私は体を低くして衝撃に耐える準備をした。
……耐える?何の衝撃に?
うまく頭がまわらない。それでも周りの悲鳴と、神に祈る声が、恐ろしい音とともに落ちてゆくのは分かった。
『嫌だ。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない――お願い、この子を殺さないで』
呪詛のような願いが頭を支配する。悲鳴も神に祈る声も聞こえない真っ暗な世界になっても、『死にたくない』という呪詛は、波の音と共に永遠と続いていき、そして――。
「オクトッ」
グワンと自分が本当に揺れた事で、はっと顔をあげた。
ん?……あれ?どうしてだろう、みんなの顔が歪んで見える。目をこすったところで、自分が泣いている事に気がついた。
「突然どうしたんだよ」
肩を掴み心配そうに見るクロを見て私は首をかしげた。
自分でもよく分からない。何故自分が泣いているのか。……今、私は携帯のメールを見ようとして――それで。
まるで夢でも見ていたかのように、すっと今見えていたものが遠くなろうとしているのに気が付いた。反射的に私は、遠ざかるそれを掴もうと必死に記憶を追いかける。
それでもほとんど掴みきれなくて、記憶がぽろぽろと砂のように零れ落ちていくのが分かった。
「……なんだか、懐かしくて」
その言葉を発した時には、すでに私の中で暴れていた感情のほとんどが消えてしまった。それでもほんの少しだけ私の中に残る。
私はそっと残ったものを確認して、もう一度携帯電話に視線を落とした。しかし今度は何の感情も湧かない。まるで初めからそんなものはなかったかのように。
「懐かしい?」
「うん」
アスタの言葉に私はうなずく。
たぶん間違いなく、私はこの携帯電話を知っている。何もかもが消えてしまったけれど、その思いだけが私の中に残った。