44-1話 曖昧な前世
「待ってっ!」
船の上のデッキまできた私は、今にも海賊に攻撃をしようとしていたアスタを止めた。海に向けて手をかざしていたので、本当にギリギリセーフだったようだ。
……間にあってよかった。あと一歩遅かったら、大量虐殺になっていた可能性が高い。
「アスタ、ここは私に任せて」
「オクト?」
キョトンとした顔をするアスタを見て、私は不敵に笑ってみせた。
「オクト、危ないから下の部屋に隠れて――」
「クロ、大丈夫だから」
船を近づけて交戦しようと準備していたクロにも私は笑いかける。私が子供で、いつまでも守られているばかりの存在と思ったら大間違いだ。
晴れ晴れとした気分で、私は海賊を冷静に観察した。
カミュと話してから、大荒れだった心の中が、今はまるで凪の様だ。今なら、何だってできる気がする。
とりあえず現在海賊がしかけてきている飛び道具は鉄の塊の大砲のようだ。魔法が使われている形跡は全くない。となれば、たぶんあの船には魔術師ないし魔法使いがいないのだろう。
ならば小手先の魔法で誤魔化せるはずだ。
「水の精霊。風の精霊。あの船を覆うぐらいの霧を作りだして」
霧の発生条件は、多量の水蒸気を含んだ空気と温度。幸いここは水に恵まれた場所で、温かい湿った空気を一気に海の水で冷やす事ができる。
ここ一帯に霧を発生させるというのはかなり規模の大きい魔法だ。しかし材料がそろっているので、例えロスの多い精霊魔法でも使う魔力は節約できる。
私の命令に従って、精霊達が発生させた霧は、船を徐々に隠していく。そしてすっぽりと霧が敵船を覆ってしまうと、何度か脅す為に投げ込まれた大砲が一時的に止まった。
「なるほど。相手の目隠しをして、その間に逃げようというわけか」
「うん。船長には悪いけど、今回は安全を優先させてもらう」
どうやら濃霧が突然発生した為に、船長は直々に様子を見に来たようだ。ただもしかしたら、船長は争いを避けようとする私の行動を咎めに来たのかもしれない。
もちろん交戦になり勝つことができれば、この船も相手から色々物を奪い取ることができる。なので本来の海賊の姿として、この場面では戦うを選択するのが正しいはずだ。
しかし今回の旅には、まだ幼いアユムがいる。私自身も危険な橋を渡る気はないし、無闇に恨みを買う気もない。なので簡単には譲れない。
「だがこれだと俺らの船も立ち往生だな」
「分かってる」
遮断するものがない海上で、霧が発生する場所を細かく限定するのは骨が折れる。一番霧が濃いのは敵船だが、私の魔法は自分達の船の周りにも霧を発生させ、視界を悪くしていた。
何とか船の先が見える程度の視界なので、これでは海にある岩などは全く見えない。確かのこのままでは船を動かすのは危険すぎてできそうもない。
でもそれは、このままの何もしない場合だ。
私は今度は紙とペンを召喚すると、紙に魔法陣を描きはじめた。
これから使う属性は自分にはないもの。精霊にお願いした方が早いが、使う魔力量を計算すると、倒れる可能性もある。
それに相手もこんな状態では攻撃してこないので、急いで魔法を使う必要もない。
「我が指定の範囲の気温よ上がれ」
魔法陣を書き終わった私は、さっそく発動させた。
火の属性と風の属性の合わせ技。ぶわりと熱風が自分の髪をなびかせさらに船の前方に広がる。先ほどの精霊魔法に続けて2つ目の大技。予想よりも自分の魔力が目減りしたのを感じる。しかしできるだけその事を悟らせないように気をつけた。
私の狙い通りにするには、倒れたり疲れた様子を見せて、心配されるわけにはいかない。
熱風は私が指定した範囲のみを温め、そして温まった場所から順に霧が晴れていく。
「……どういう原理だ?」
「霧を消すのに水魔法じゃないのか?」
徐々に消えていく霧を見て、アスタと船長が同時に聞いてきた。
「気温が上がれば、飽和水蒸気量……えっとまあ空気中に溶けきれる水の量が増えて、結果的に霧が消える。たぶんこっちの方が水魔法よりも魔力効率がいいと思って」
一応水の属性は持っているが、霧の発生と消滅を水の属性だけで行うのは意外に魔力を使う。少量ならまだしも広大な場所で行うならば、自然の摂理に従った方が魔力を使う量を節約できる。
「あまり良く分からないが……。それにしても、いつもやる気のないオクトが、海賊を蹴散らす手伝いをするなんてな。一体どういう風の吹きまわしだ?」
船長に言われて、私はチラリとアスタを見た。
今のアスタは、私を甘やかす時の激甘な表情ではなく、何処か興味深そうな、感心したような表情をしている。それを見た瞬間、私は勝ちを悟った。いや、別に勝ち負けの話ではないのだけど。
「私も守られてばかりじゃないから」
「オクトかっこいいっ!」
堂々と宣言すると、パチパチとアユムが拍手をする。それに気分を良くしながら、私は先ほどカミュに言われた事を思い返した。
◆◇◆◇◆◇
時間は少し前にさかのぼる。
自分の感情と、アスタの豹変に大混乱していた時に、カミュから思わぬ事を言われた。
「オクトさんは、アスタリスク魔術師の事好きなんだよね」
「な、なななっ?!」
何言いだしてくれるんですか、この王子様は。
さらなる衝撃を落としそうな発言に固まっていると、カミュはさらに質問を続けた。
「じゃあ、僕の事は好き?」
「はい?」
「後、ライやアユムはどう?好き?嫌い?」
「どうって……そりゃ勿論、好きだけど」
カミュやライに面と向かって好きだと言うのは少し恥ずかしかった。しかしアユムには照れ隠しというものは通じなさそうだし、下手に誤魔化した所為で落ち込まれるのも困る。なので私は、恥ずかしいという思いを飲み込み、素直に伝えることにした。
彼らだけでなく、ヘキサ兄やミウ、アリス先輩、それにクロや海賊の皆も同じだ。好きか嫌いかで聞かれたら間違いなく前者である。
「なら別に、オクトさんがアスタリスク魔術師が好きでも、そのことは特別ではないよね」
「それはまあ……」
確かにその点だけを見れば、カミュに言われた通りだ。しかしそれだけではないから困っている。
毒食らわば皿まで。すでに好きだとか恥ずかしい事を言っているのだ。こうなれば全てさらけ出してカミュに相談してしまおう。
何の解決にもならなくても、相談すれば多少はスッキリするはずだ。
「でも私はアスタの友達に嫉妬した事もあるし、アスタに彼女ができるのを応援したいのに、同時に寂しいと思ってしまう。それにアスタに認められたいと思ってしまうから……こんな異常な感情、どうしたらいいのか――」
この感情は、明らかに普通ではない。
どう考えてもアスタの事を特別視してしまっている。昔なら、ただのファザコンで済まされたのに、今はその言葉が使えない。
「うん。つまりオクトさんはアスタリスク魔術師を尊敬して、できたら対等な友達になりたいと思ってるんだよね」
「そう、友達に……へ?」
友達?
カミュの話が私の想像したモノと違って、私は目を瞬かせた。
「まずアスタリスク魔術師に認められたいのは、オクトさんがアスタリスク魔術師の事を自分よりも上だと思っていて、尊敬しているからだよね。実際凄い魔術師だし、どんな魔術師でもきっと彼に認められたいと思っているよ」
まあ、確かに。
性格に難ありな部分があるし、家事は一切できない。仕事はできても同僚の方に迷惑をかけるという厄介なヒトだが、魔法に関しては凄い。
新しい魔法を使うなら、普通は魔方陣を書き設計する。しかしアスタはそんな事をせずに新しい魔法を発動する事ができるのだ。
この点だけ見れば、確かにアスタを尊敬しない魔術師はいないだろう。
「それに元々オクトさんは、アスタリスク魔術師の弟子のようなものだしね。認められたいと思ってしまうのは仕方がないことだよ」
「うん。まあ……」
魔法学校で学んだというものの、基礎の部分は全てアスタに教えてもらった。その基礎があるからこそ、今の私の魔法があると言っても過言ではない。
魔法に関して私がアスタを尊敬しているのは間違いないだろう。
「そしてアスタリスク魔術師に彼女ができたら、その彼女にかかりきりになるかもしれない。そうしたら寂しいと思うのは当たり前だよ。ほら、オクトさんだって突然僕が結婚してもう二度と会えないと言ったら、寂しいよね」
「そりゃ、まあ。でも祝福はする」
よく顔を合わせるヒトと突然会えなくなればたぶん寂しい。でも友人の幸せを否定するのは気が引けるからちゃんと祝福して上げられるはずだ。
「なら、アスタリスク魔術師の時は祝福しないのかい?」
「それも……するけど」
どれだけ寂しくても、アスタが幸せならば祝福できるとは思う。だってアスタには幸せになってもらいたいし……。だから可愛いお嫁さんを貰ってもらいたいと思っているのだ。多少嫉妬をしてしまったとしても。
「そうだよね。それにアスタリスク魔術師は魔族だから、結婚したらお嫁さんの事ばかりにかかりきりになる可能性が高い。だとすると寂しく思うのは当然の事だよ」
そっか。当然なの……か?
なんだか狐につままれたような気分だが、今のところカミュが間違った事を言っているようには思えない。確かにずっといっしょにいた相手と突然会えなくなったら寂しい。これはアスタには限らなさそうだ。
「それから、友達や恋人に嫉妬するのだって、友達同士なら良くあることだよ」
「えっ。よくあるの?」
「ほら、この子が1番の親友とか順位をつけたりする子っているよね。でもお互いが1番の親友とは限らないから、ずれが生じる場合がある。相手にとって自分の価値が低いと、自分より高く評価された子を嫉妬したりすると思うんだ」
うーん。そうなのか?
どうなんだ?
私はあまり順位をつけないからアレだが、あえてつけるなら確かにアスタという存在は私の中での順位が高い。しかしアスタの中の私はどうなのか。アスタの親友に負けている可能性は高いし、死んだ相手を追い抜くというのはむずかしいだろう。またアスタに彼女ができればどう考えても私の順位は下がる。
……だとするとカミュが言う様に嫉妬してもおかしくはなさそうだ。
「ほら総合的に考えると、オクトさんはアスタリスク魔術師を尊敬していて、対等になりたいと思っている。対等になりたいという事は、つまり友達になりたいんじゃないかな?アスタリスク魔術師とは年齢が離れているから、どうしても子供扱いされてしまうし、難しいだろうけど」
なるほど。
目からうろこだ。
確かに今までアスタがやってきた、抱きしめたり、頭を撫ぜたり、髪にキスを落とすのは、全部子供に対して行うしぐさだ。決して私を対等な大人とみての行動ではない。
私が勝手にホンニ帝国に行こうとしたのを怒っているのも、私が頼りないから心配してという可能性が高いわけだし。
「そっか……そうなんだ」
「うん。だからオクトさんは、難しい事を考えずに、アスタリスク魔術師に認められる様に頑張ればいいんだよ。年齢の差は埋まらなくても、オクトさんだって賢者様と呼ばれる素晴らしい魔術師なんだからさ」
私のこの感情は尊敬で間違いないし、アスタと対等になりたいのも事実。しかしこのままではアスタの娘もしくは妹ポジに収まってしまう。だからきっと関係に名前が付けられなかったに違いない。親子であれば諦めも付いたが、今はそうではないわけだし。
私は友達になりたいけれど、アスタは私を子供だと思っていて、決して友達だとは思ってくれないだろう。だとすれば、アスタに私の実力を認めてもらって、まずは対等になる事を目指すべきだ。
「カミュ、ありがとう」
好きという感情はどうしても恋愛と結びがちだが、別に友達や家族に対しても好きという感情だ。何も無理にそうと決めつける必要はない。
「どういたしまして。じゃあまずは手始めに、この海賊船をオクトさんの力で無事にホンニ帝国まで運んだらどうかな?そうすればアスタリスク魔術師も少しは安心すると思うよ」
「うん。言われなくてもそうするつもり」
スッキリとした気分で私はカミュに頷いた。
◇◆◇◆◇◆
「船長。今のうちに船を進めて」
「オクトがこんなに生き生き働いているなんて」
「……クロ、私だって、やる時はやるから」
何故生き生きしているだけで感動されるんだ。嬉し涙を流しそうなクロを睨む。確かに、昔から斜に構えていた自覚はあるし、前向きやら積極的からはほど遠い性格だ。
まあ、別にいつもと違う事をしている自覚はあるからいいんだけどさ。
「だからアスタ、もう心配しなくていいよ」
「えっ?」
いつまでも子供扱いしなくてもいい。
すぐには分かってもらえないかもしれないけれど、心配させなけれはいつかは対等になれるはずだ。そしてその時初めて私はアスタが友達だと、自信を持って言える。
「守られてばかりじゃなくて、私もアスタを守るから」
背中を預けてくれる、そんな存在になろう。
そもそも認められたいという考え方が、すでに子供っぽいかもしれないけれど。
それでもまずは一歩ずつだ。私は晴れ晴れとした気分で、アスタを見上げた。