43‐2話
「えっと、アユム。ご飯を作るから、手を離して……」
「嫌っ」
アユムをヘキサ兄に預けようとして失敗して以来、アユムがべったりと私についてくるようになった。まるで刷り込みされたひな鳥のように、あらゆる場所へ付いて回り、隙あらばくっつこうとする。
とりあえず、アスタとアユムの件があったので、1日目の夕食作りからは外してもらった。しかし働かざるもの食うべからずという言葉があるように、流石に今日からは調理業務をしなければいけない。
朝はアユムが眠っている隙に作りに行ったのだが、その後再び盛大に大泣きされてしまった。そして夕食作りの時間となり、再び試練に立ち向かわされている。
「あーちゃんも手伝うから」
ギュッとしがみついて上目遣いでお願いされるとつい許してしまいたくなるが、調理場は家の台所ではない。危険なモノでいっぱいだ。
私も5歳の時に厨房に入ったというとんでもない経験をしているが、私の場合は特殊事情だったので仕方がない。とはいえ、普通に考えたらあそこは背丈の低い子供がいる様な場所ではない。
「厨房の中は危険だから」
「嫌っ」
まるで反抗期ですと言わんばかりに、アユムはいやいやを繰り返す。
困ったなぁ。
今無理やり引き離したら、たぶんアユムは再び大泣きするだろう。ヒトに泣かれるというのは元々苦手なのだが、あの壊れそうな泣き方は怖くて苦手どころの話ではない。
かといって、夕食作りをサボるわけにはいかないし。
「オクトさん、ちゃんとお母さんしてる……みたいだね」
厨房に行く途中で、アユムと話していると、カミュが声をかけてきた。
「ぷっ。子育てに失敗したん――」
「誰が失敗だ」
確かに突然甘えん坊になってしまったアユムだが、失敗とかないから。アユムは甘えん坊でも、凄くいい子には変わりない。
私は失礼なことを言いかけたライに履いていた靴を投げつけ、見事顔面に命中させた。
「体力ない割に、オクトさんって命中力はあったんだね」
「……そうみたい」
自分自身知らなかった才能に、びっくりだ。
運動神経を含む獣人の才能はママのお腹の中に置いて来たに違いないと思っていたが、意外にそうでもないのかもしれない。
「いってぇ」
「まあ、今のはライが悪いね」
カミュの言葉にうんうんと私は頷いた。アユムの悪口は、私が許さない。
「ただアユムがべったりなのは、置いっていったオクトさんが原因だけどね」
「……人聞きが悪い。ちゃんと、アユムの事はヘキサ兄とアリス先輩に頼んできた」
別に育児放棄したわけではない。
それにこの判断は、アユムを思っての事だ。ここまできたら連れていくしかないが、未知の場所に幼子を連れていくというのは心配が多い。
「オクトさん。アユムの年齢と、現状を考えてみてみると分かると思うよ」
カミュの言葉に私は首を傾げた。確かにアユムはまだ幼い。でもなぁ。
「アユムは私がアスタに引き取られた時と同じくらいだし、言葉も分かるから、もう大丈夫かと。人懐っこいから、可愛がられるだろうし」
言葉が全く理解できなかった時期ならいざ知らず、今のアユムはだいたいの言葉を理解し話す事ができる。文字の読み書きはまだまだだが、それでも話すことができれば何とかなるものだ。
そもそも文字を書けるのは貴族か商人ぐらいのもので、普通は書けないものだし。
私もアユムぐらいの時に、住み慣れた一座からアスタに引き取られたはずだ。
アスタから引き離されて海賊に攫われた時は流石に不安になったものだが、その時だってしばらくすると慣れた。今のアユムにとって私はアスタの立場みたいなものだし、そう考えると最初は頼る相手が変わって不安でも、何とかなりそうな気がする。
「あー……そっか。オクトさんもあんまり恵まれていない幼少時代だったね。ただね、アユムがすぐに懐いたりしているのは、オクトさんと仲がいいヒトだったからだよ。アユムにとっての今の世界は、全部オクトさんを通して繋がっているだけだからさ」
「そうなの?」
ぎゅっと私にしがみつくアユムの頭を撫ぜながら考える。
確かにアユムと交友関係がある場所は、私の知り合いがいる所だ。村の子供と遊んでいる姿は、よく考えるとあまり見た事がない。
そしてアユムがいた世界を知っているのも、私だけだ。その点を踏まえると、私にアユムが執着するのも分からなくはない。でも混ぜモノである、私なんかに懐いてもあまりお得な世界じゃないんだけどなぁ。
きっと伯爵様であるヘキサ兄とかに可愛がられた方が順調な人生を歩めそうだ。まあ素直で可愛いアユムがそんな打算的に動いていたら、それはちょっと嫌だけど。
「アユム、ごめん」
私は前世の知識があったからか、アユムのように素直に誰かを求めたりした記憶がない。だからアユムの不安を全て理解してあげる事はできないだろう。それでもあれだけ大泣きされれば、アユムが不安で不安で仕方なかったのだという事は分かる。
「今度何処かに行く時は、必ずアユムにも相談する。だから、この手を離して――」
「嫌っ!」
理解はしたけど、アユムはそれでも嫌らしい。
はて、どうしよう。
「アユム。あんまり我儘を言っていると――」
「仕方ないなぁ。アユム、ちょっといいかな?」
私の代わりに諭しかけたライを、カミュは手の平を向けて止めた。そしてアユムに近づくと、目線を合わせるようにしゃがみ耳元で何かを囁く。
「……ほんとう?」
「うん。本当。一緒に来たら教えてあげるよ」
アユムは私とカミュの顔を見比べた。そしてそっと私から手を離すとカミュの手を握った。
離してもらわないと困るのだが、いざ離れてしまうと寂しいものだ。だが不安そうな顔をしているアユムをこれ以上混乱させるわけにはいかない。
「あのね。オクトが料理作っている間だけ……カミュといる。だから……ね」
「うん。ちゃんと迎えに行く」
料理をする間だけ離れているだけなのに、なんだか大げさな別れの言葉だ。
しかし私の言葉を聞いたアユムは、嬉しそうに笑った。
◆◇◆◇◆◇◆
「水よ。鍋の中へ」
「「「「おおっ~」」」」
水属性の魔方陣を使って、鍋の中に水を満たすと、海賊達から歓声が上がった。魔法陣としては大した事のないものだが、この船で魔法を使えるのは船長であるネロぐらいのものなので、魔法というモノがそもそも珍しいらしい。
「流石、先生っすね!」
「あー、どうも」
褒められれば悪い気はしないのだが、若干恥ずかしい。
「それにしても、魔法ってすごいっすね。船の上での水は死活問題っすから、凄く助かるっす」
確かにヒトの体の大部分は水。脱水はとても怖いものだ。
「今まではどうしていたの?」
ふと気になり、私は聞いた。よく考えると、長期間水をどうやって保存しているのだろう。一度煮沸消毒とかするのだろうか……。
「とにかくいっぱい積んでおくんっすよ。今回も積んではあるっす」
「えっと、腐らないの?」
「まあ、藻が生えても一応飲めたぞ」
えっ?藻?
料理長の言葉にぞっとする。……まあでも、周りにある水は海水。飲む事はできないので、腐らない限りそれで堪えしのぐしかない。
「後は雨水を溜めたりするっす」
「そう……」
雨水か。腐った水よりはマシだけれど……あくまでマシというだけだ。
「なんなら、食べ物が底を尽きかけた時の話もしてやろうか?」
「……またの機会でいい」
なんとなく嫌な予感しかしないので、私は船長の提案を断った。だって食べ物が底を尽きかけたならば、何とか食べられるものを捕獲するしか方法がない。それが魚ならいいが……止めよう。黒光りしながらルームシェアするあの害虫とかも食料カウントされていたら、今後ロキ達とどう向き合っていけばいいか分からなくなりそうだ。
「だから、本当に魔法って凄いっす。食べ物も魔力で冷やして長持ちさせられるし、水を作り出す事もできるっすからね」
「水は作り出しているというか、蒸留みたいなものだけど」
「蒸留っすか?」
「うん。海水を一度水蒸気に変えて、鍋の中で水に変えているだけ」
何も一から水分子を作りだしているわけではない。
そんな事をしようものならば、途方もない魔力を使うのだ。私がやっているのは、水の形を変えて運んだりしているにすぎない。
勿論蒸留を実際にやろうとすると、使う熱量は割に合わないものとなるだろう。その点魔法で水の形状を変えるのはそれほど力のいらないモノなので、便利だという事には間違いない。
「蒸留を実際にこの船でやるのは、流石にできないっすからね。やっぱり魔法は便利っす」
「あー、うん」
どうやらロキは蒸留を知っているらしい。
学校では中々この理屈が伝わらなくて困っていたのだが……予想を裏切る反応に内心驚く。ロキはもしかしたら理科とかが学べるような環境の国の出身者なのかもしれない。
そもそもこの海賊、本拠はどこなのだろう。魔法関係に疎いという事は、他の大地の可能性が高い気がするけれど……。
「先生、いっそこのままここに就職しないっすか?」
「えっ、無理」
「そんな即答しなくても。待遇はいいっすよ?」
いくら待遇がよくても犯罪者の所に就職って、そこまで人生投げる気はない。今回は本当に特別なのだ。そもそも暴走の危険がある混ぜモノが、船の上にいるというのもあまり良くはないだろう。
ただホンニ帝国まで陸路で行くのは、旅芸人とかでない限り難しいらしいので仕方がない。
「そろそろ、お前らくっちゃべってないで、仕事を始めろ」
料理長に言われ、私達はそれぞれ分かれて調理を始めた。
特に本日のメニューはカレーなので楽しみだ。私としては、よくぞ古代から生き残ってくれたと感謝したくなる料理の一つである。
とはいえ、カレールーなんて素晴らしい発明はまだされていないので、香辛料の組み合わせで作るしかない。私の前世知識には香辛料使い方は含まれていなかったので、その辺りは料理長に教えてもらうつもりだ。
是非このメニューは家でも実現させたいものである。
「先生でも知らない事ってあるんっすね」
「当たり前」
ロキと一緒に野菜を切りながら、私は自分がどれだけ凄いイメージになっているかとため息をつく。今日の料理は作り方を知らないから学びたいと言ったらすごく驚かれた。
だって相手は料理長。私より料理を知っていて当然だ。
「私はそれほど凄いヒトではないから」
「そうっすか?でもそういえばこの間、船長が凄く心配性なお父さんをしていてウケタっすし。確かに先生はモノ知りっすけど、他は普通っすもんね」
「えっ?お父さん?」
私は自分の事とよりも船長に対して使われた単語の方が凄く気になった。
「ほら、先生がホンニ帝国に行きたいと言いだした日の事っすよ。あのヒト部屋の中で最初は笑いながら外にいる先生を見ていたけど、その内深刻そうな顔になって迎えに行ったんっすよ。俺は他の用事が入っちゃって、あの時迎えに行けなくて申し訳なかったっす」
……あの船長が心配かぁ。
うーん。ヒトは見かけによらないというか。でも最初は笑いながら私を観察していたというのがすでに性格悪い気がするし。何とも複雑な気分だ。
「それに、ファルファッラ商会の会長の件もどうにかできないかって悩んでたっすよ。俺としても、ぽっとでの商人に先生をあげるのは癪っすけどね」
それは……私が悩んでいたからだろうか。
まあ実際に悩んでいたのは、アリス先輩の伯父さんの件ではなく、アスタの事なので微妙に意識のずれが生じているが……。
にしても船長が心配するって、何か企んでいるように思えてないらないのは、日ごろの行いの所為だろう。これがロキやクロだったら、普通にありがとうで済むのだけど。
「もしかして、船長って仲間想いとか?」
「そうっすね。懐は深い方だと思うっすよ?下のものにも怖がられつつ、好かれてるっすから」
「へぇ」
とても5歳児を厨房に放り込んだ男とは思えない所業だ。その為ロキの話をそのまま鵜呑みにはできなかった。
「その目は信じてないっすね」
「いや。……まあ」
きっと海賊ではない私の視点だから、船長が碌でもないヒトに見えるのだろう。もしも私が海賊で、船長が自分のボスだったら、また変わるような気がする。
そんな話をしているうちに、着々と料理はでき上った。
私は調理器具を全て洗いきると、アユムを迎えに向かう為、エプロンを脱ぎ、ハンガーに引っかける。カミュが面倒をみてくれているが、先ほどの様子を考えると、早く行った方がいいだろう。
「先生」
「何?」
「船長だけじゃなくて、この船員全員馬鹿だから、皆先生が部外者ってこと忘れてるんっすよね。だからいつでもうちの名前を名乗っていいっすよ」
「……考えとく」
まあ考えた結果、採用は絶対しないけど。
でもそんな風に思ってもらえるのは、とてもありがたい事なのだろう。私は笑いながら、ロキに手を振って厨房を後にした。
さて、何処にアユムは居るだろう。
カミュ達がいそうな場所を考えて廊下を歩いていると、目の前からアユムが、私の方へ向かって走ってきた。
どうやら楽しく過ごせたようで、とてもご機嫌な笑顔である。
「オクトッ!おかえり!!」
「ただいま」
別に出かけていたわけではないが、アユムは待っていてくれたのだからと思い、素直に返事する。するとアユムは再びぎゅっとしがみついた。
いつもの調子に戻ったのかなと思ったが、ここはやっぱり譲れないらしい。まあでも、笑顔でいてくれるなら何よりだ。
「あのね、ボクね、がんばるから!」
「へ?」
ボク?
アユムの一人称が突然変わって、私はぎょっとした。確かにいつまでも自分の名前を一人称にしていたらまずいが、それにしてもボクって……。
「カミュみたいになって、オクト守るの!」
「はい?」
えっ?しかもカミュを目指すの?
一体、アユムの身に何が起こったのか?
「えっと……アユム?」
「そしたら、オクトにおいてかれないもんね」
えへへっと笑う姿は可愛らしいが、ちょっと待て。アユムは男の子みたいだけど、まぎれもなく女の子である。
アユムが元気になったのはいいけれど、ボクっ子になってしまった件について。
ボクっ子は萌要素としては最適だが、……いやいやそんなものなくてもアユムは可愛いから。
躾けをする身として、私は早急に何とかしなければと思った。