42‐2話
ペルーラが家にやってきて数日経った。
私は今のところまだカミュやヘキサ兄に抗議をしていない。というのも、情けない話だが、ペルーラが家事を負担してくれる事で私はかなり楽になってしまったからだ。
勿論、このままではいけないのも分かっている。ヘキサ兄達に甘えていては、私自身が自立できない。
宿舎に使用人を入れたがらないアスタなら、きっと嫌がるのではないかと思ったが、これまた予想が外れ、アスタはペルーラがいる事に対して何も言わなかった。アスタが反対すれば一発だったのに、残念だ。
ならば、この楽な生活に慣れる前に、自分自身で何とかしなければならないのだが……ペルーラにすがるような、咎めるような眼で見られると、正直中々言いだしづらいというのもある。確かに今の私はオーバーワーク過ぎる。
とりあえず仕事がひと段落つくまでと色んな事を保留する事にした私は、久々に図書館の館長室に来た。
館長室について早々に私は棚を動かし、手紙の束と日記を未読のものと交換する。
棚を動かした際に、色々気になる事もあったが、アリス先輩が不審に思いここへ来るとまずい。なので手早く愛用の四次元鞄に必要なものを詰め込む。全ての作業が終わり、元の状態に戻したところで、私はほうと息を吐いた。内緒で行動するというのは、どうにも緊張する。
そして私は改めて棚を見つめると、首を傾げた。
「やっぱり、……文字が変わっている気がする」
今棚で隠れた壁には、【ヒミツ】と書かれていた。初めて見た時はニンジャと書かれていた気がする。前回は、大きく×と書かれていた気がするし、オクトへと書かれていた時もあった気がする。
気がするとか曖昧な表現になるのは、実際にはそんな文字はないからだ。
魔法か何かで変わるようになっているのだろうかと思い、以前調べてみた事もある。しかし結果はシロ。魔法の痕跡や、ペンキで消して書き直した痕跡など全くなかった。
まるで私の記憶が間違っているというかのように。
【ものぐさな賢者】の時と同じ現象だと思った私は、変だと思った時から壁の文字を紙に残すようにしている。しかし何回か書き残した紙には全て、【ヒミツ】と私の字で書かれていた。
一番現実的なのは私の記憶違いであるという事だが、いくら私でも、こう頻繁に勘違いするものだろうか。しかも【ニンジャ】と【ヒミツ】では全然違う。その他に考えられる事としたら――。
「……時間が変動している?」
でもそんなにコロコロ過去が変わっても大丈夫なものなのか?それとも、これぐらいのブレは普通だったりするのだろうか?
そもそもこんな風に考えるのが間違いで、私の記憶違いに過ぎない可能性だってある。
しかし私はコンユウが現在過去を飛び回り、エストが未来を変えようと試行錯誤しているのを知っている。私自身も過去や未来にいるだろう彼らに向かって手紙を書き、混融湖に流していた。こんな非常識な事をしているのだから、過去が少しぐらい変動したっておかしな事ではないように思う。
「まあ、いいか」
今考えても仕方のない事。
その辺りも、時の精霊に聞いてみよう。我ながら、時の精霊に全てを丸投げしてしまっている気がするが、時に関しては本当に謎なのだ。
私はアリス先輩に何をしているのだろうと不審に思われる前にと、そそくさと部屋から出た。そして時魔法を使っている場所に向かう。幸い目的地まで誰ともすれ違う事のなかった私は、さっそく館長の魔法陣に不備はないか確認していく。
流石館長が長年かけて作った魔法陣なので、綻びなどは見られない。しかし現在この魔法陣を使えるのは私だけ。蓄魔力装置を使えば他のヒトでも使えるが、その装置の魔力の元はやはり私なので、実質私がいなければ意味のないモノとなっている。
それなのに私は、このままでは死ぬと医者の先生に宣言されている。今すぐ死ぬ気はないが、もしもがないともいえない。早い所、時属性のヒトがいなくても使えるようにしなければいけないだろう。
「でも……時属性って癖が強過ぎる」
自分の産まれ持った属性ではない魔法を使う時は、普通自分自身の魔力から属性を取り除いて、別の属性に加工する2段階の魔方陣を使う。そしてさらに自分の使いたい魔方陣へ加工済みの魔力を注ぐ必要がある。
その工程だけでも面倒だというのに、時属性の場合、加工するのも難しいのだ。というか、いくらやっても上手くいかない。
魔法陣は複雑になるが、いっそ魔素を使った方が簡単な気がする。しかし時属性の魔素など普段は見た事もないし――。
「いや。まてよ?」
私は本当に時属性の魔素を見た事がなかっただろうか?
確かに学校とか、この辺りでは見た事がない。そもそも時属性は特殊で産まれつき持っているヒトはいない様な属性だ。持ちえるのは、混融湖に沈んだ事があるヒトだけで――。
「そうだ。混融湖」
混融湖ならば、時属性の魔素がある。そこにある魔素を使えば可能ではないだろうか。
しかしアールベロ国から混融湖までは、物理的な距離もあるので、そこをどうカバーするかだが。
「オクトちゃん」
「はいっ?!」
悶々と時属性の魔方陣を見つめていると、突然肩を叩かれてビクリとする。
振り向くとアリス先輩がそこには居た。伯爵夫人となったアリス先輩は図書館の館長などやる必要がないが、次の館長が決まるまでの間は続けてくれる事となっている。
私的にはアリス先輩の方が色々やりやすいのでありがたいが、貴族的には女性が働く事はあまり良しとはされていない。唯一貴族の女性が働いても眉をしかめられない職業は家庭教師だ。なので図書館の館長は明らかに違う。
しかしアリス先輩はそんな批判をモノともせず、悔しかったら伯爵夫人になってみなさいと高笑いしてくれるので、流石としか言いようがない。ヘキサ兄もその辺り理解があるというか、常識破りで、伯爵夫人の仕事をこなしているならば別に他に何をしていても良いだろうという考えだ。……今更ながらに、ヘキサ兄もアスタの子供だったんだなと思う。
気は真面目だが、かなり自由だ。
「少し話したい事があるのだけど、今時間はいいかしら?」
いいかしらと疑問形は取っているが、アリス先輩の目は断ったら後で大変よと訴えてくる。
一応今日は1日中図書館で仕事をする予定できているので特に問題はないが……。これは、やはり私の体の事に対しての説教だろうか?
ヘキサ兄に私が死にかけている事が伝わっているならば、その妻であるアリス先輩にだって伝わっているだろう。……正直嫌だ。
私がこの状態になっているのにはちゃんと理由があって、特に後悔をしているわけではないし、悪い事をしているつもりもない。しかし心配されている事による説教は、居心地が悪いし、仕方がない事でも否定しにくくて、苦手だ。
「……いいですけど」
でも断る事もできなくて、私は頷いた。
それに私だって色々勝手にメイドを雇われたり、家の改築依頼が出ていたりと、ちゃんと話しあわなければと思う事もあるのだ。
「ここではちょっとアレだから、私の部屋でいい?」
「はい」
ここではという事は、やはり私の体についてだろう。
確かに死ぬだの何だのという話は、赤の他人の事だとしてもあまり聞きたくはないはずだ。
「ちょっと散らかっているけど、気にしないでね」
アリス先輩の後ろを付いていき、通された部屋は、本以外のモノであふれていた。健康器具っぽいモノや、良く分からない異国のお土産っぽい物など、雑然としている。確かにお世辞にも綺麗とは言い難い。
「えっとここに座ってちょうだい」
先輩はソファーの上にのっていた色んなものをぽいぽいっと部屋の隅の方へ移動させると、パンパンとソファーを叩いた。少しほこりが舞った気がするがあえて見なかったふりをする。私もあまり片づけは得意ではないのでお互い様だ。
「あの……話というのは」
嫌な事は早く終わらせてしまおう。
そう思い、私は座ると同時に話を切り出した。どうせ怒られるなら早く終わらせたい。そしてさっさと謝ってしまう準備をする。
「あのね、オクトちゃんって、今好きなヒトいるの?」
「すみませ……はい?」
謝りかけた所で、何やら質問がおかしい事に気がつき、言葉を止めた。今、私の予想をはるかに超えた言葉が先輩から聞こえた気がする。
「……えっと、今何と?」
「だから、好きなヒトはいるかって聞いているの」
好きなヒトは居るかって……。
元館長の様な事を言いだしたアリス先輩の言葉に唖然とする。まさかそんな質問が来るとは思っていなかった。
「ライ君と付き合っているというのは嘘でしょ?」
「はあ……まあ」
予想外過ぎて頭が回らず、私は言われるままに頷いた。少ししてからマズイかとも思ったが、流石に長い付き合いのアリス先輩には、この嘘はお見通しだと思い、まあいいかと結論づける。今更取りつくろっても仕方がないだろう。
「それで、いるの?いないの?」
「いや、いるの、いないのって……私、混ぜモノなんですけど」
誰かと結婚する事もない混ぜモノがヒトを好きになるなんて不毛だ。勿論友達として好きなヒトはいるが、アリス先輩が言っている意味とは違うだろう。
「混ぜモノなんて関係ないでしょ?」
「いや……だって」
それに、私からそんな感情で見られたら、相手だって困るはずだ。エストの様な例外もいるが、普通は混ぜモノを恋愛対象と見る事なんてない。それでも告白を断って混ぜモノを傷つけたら暴走するかもと思えば、中々断る事もできなくなってしまう。うん。迷惑以外の何ものでもない。
私としてはドロドロな恋愛云々は2次元で間にあっている。
「このままじゃらちが明かないわね。単刀直入に聞くわ。私の伯父の事どう思う?」
「……は?」
アリス先輩の言葉が宇宙語に聞こえて混乱する。
どう思うもこう思うも、アリス先輩の伯父さんは私の薬を買い取ってくれるビジネス相手だ。後は高血圧の薬をグレープフルーツジュースで飲む大雑把なヒトだろうか。
しかしこの質問はただ伯父さんに対する感想を聞いているだけとは思えない。
だが私が深読みした理由は、頭をかきむしりたくなるぐらい恥ずかしいもので、これこそ思い違いだろと言いたくなる。
いや、そうだ。きっと、私の頭を今よぎったモノは、気のせいに違いない。
落ちつけ私と言い聞かせ、とにかく率直な感想を述べようと口を開きかけた。
「伯父さん、どうやらオクトちゃんの事かなり気にいっちゃったみたいなのよね」
はい?
上手く言葉にならず、私は口を開けたまま固まった。
「伯父さんが直々に薬の販売の仲介をするなんてなかなかないもの。もしも気にいったとしても、すぐにその道の専門のヒトにバトンタッチしちゃうし」
それはアリス先輩の思い違いではないですか?そう言いたいが、私はアリス先輩の伯父さんの事をほとんど知らない。
「き、気にいったとは――」
「好きって意味に決まっているでしょ」
「げふんっ」
私はお茶も飲んでいないのに、盛大にむせた。
「でね、もしもオクトちゃんに全く気がないなら、さっさと断った方がいいと思うのよ。伯父さんって結構強引だし、ああ見えて流石商人って感じの肉食系だし」
「断って下さい」
もしかしたらアリス先輩の勘違いかもしれない。勘違いに対して断るなんて滑稽というか、痛々しいというかだが、それでも背中に走る悪寒に従い、私はすぐさまお願いをした。万が一を考えれば、恥ずかしい思いをしても、危険な芽は早々に摘み取った方がいい。
「でもね、それこそ誰か好きなヒトがいてとかじゃないと無理だと思うのよね。フリーなら別に良いよねって、絶対オクトちゃんを落としにかかるわ」
「へ?」
「そして、生半可に好きなだけなら、やっぱり奪いにかかるわ」
何ですか、その厄介な性格は?!
あまりに怖いシュチュエーションにぞくりとする。それが本当だとしたら、怖い。めちゃくちゃ怖い。
「あ、あの。私、まだ子供だからというのでは。ほら、私が相手じゃ、ロリコンと呼ばれますからとか」
自分でロリとか、何たる自虐。それでも私は危険を察知し、禁断の手に出た。
流石にいくらなんでも、子供に手を出すほど飢えているとは思いたくない。
「確かに見た目は小さいけど、オクトちゃんの実年齢と精神年齢を考えたらたぶん問題ないと判断するわね。うちの一族、あんまり人の目気にしないから。自分が気にいったなら、それでよしだもの」
ぎゃぼっ。
予想外すぎる。でも納得した。
アリス先輩と同じタイプというわけだ。確かにそれなら、あまり周りの意見に振り回されそうにもない。
「所で、オクトちゃんは、アスタリスク魔術師の事はどう思っているの?」
「……は?」
何で突然アスタ?
話が繋がらず、私はキョトンとした。
「どうって?」
アスタは、アスタだ。駄目な大人だという事も十分承知だし、同時に凄い魔術師だという事も理解している。とっても大切な恩人だし、幸せになって欲しいヒトだ。
アスタに褒められるのは嬉しいけど、やっぱり子供扱いされるのはムカつくので、対等になりたいと思っている大人。アスタには守られてばかりだったから、できたら影から支えたい。
……まあ、ぶっちゃけて言えば、私は完璧なファザコンだ。
「アスタリスク魔術師が、オクトちゃんに抱きついていたでしょ。あの後、凄い勢いでアスタリスク魔術師の恋人は混ぜモノの賢者だって噂が立っているのよね」
「は?」
何ですか、そのとんでもない噂。
「あれで大半の女の子は、アスタリスク魔術師を諦めたわね」
ひぃぃぃぃ。
何てことだ。
アスタの嫁を探そうとしていたはずなのに、いつの間にか私の所為で嫁候補が逃げていく。私は慌てて首を振った。
「ち、違います。私は、そんなんじゃなくて――」
「でも普通、男性が未婚の女性に抱きつくなんてありえないわよ。それにオクトちゃんもアスタリスク魔術師から逃げようとしないんだもの」
「あ、あれは。逃げようとしないというか、逃げられないというか」
だって、無理でしょ。相手はあのアスタだよ?
私は必死にアリス先輩の理解を求めようと言葉を探す。何と言ったら伝わるのだろう。確かにアスタの事は好きだし、尊敬しているけど……でもっ。
「私はたぶんファザコンだから」
どうしても、アスタを拒絶はできない。アスタの場合は、私の事をおもちゃか何かと勘違いしているからで、女性と思っての行動ではないはずだ。
「ファザコンって……。アスタリスク魔術師は、もうオクトちゃんのお父さんではないでしょ?」
えっ?
アリス先輩の言葉に、私の頭がフリーズする。
私はただのファザコンのはずで……でも確かにもう、アスタは父ではなくて。
えっ?えっ?あれ?
だったら、私と今のアスタの関係は何なのだろう。尊敬しているし、アスタの力になりたいと思っているし、アスタに幸せになって欲しいと思っているけれど……でもその理由にファザコンが使えないとなると――。
「オクトちゃんはアスタリスク魔術師の事をどう思っているの?」
アリス先輩の質問に、私は答える事ができなかった。