4-1話 不安な新生活
ドサドサドサ。
何かが崩れる音と、痛みで目が覚めた。目を開けるがどうやら生き埋め状態になっているいるようで目の前が暗い。そして重い。
窒息死も圧死も避けたい私は、それを必死にかき分け体を起こした。
「汚いにも限度がある」
這い出した先は本、本、本。本の山だ。本棚も部屋の端いくつかにあるが、その中はすでにいっぱいな為、床に積んでいるようだ。付け加えるなら飛び石のような足場しかない部屋は決して狭いというわけではない。本の量が部屋の収納量とあっていないだけだ。
命の危機になるほどの本って……。
ため息をついて、上を見上げた。そこには壁紙が貼られた天井がある。……こんな場所で寝るのは初めてだ。私の頭の上はいつも布製のテントか、満天の星だった為、何だか変な気分になる。
アスタリスクは私を引き取りに来たその日のうちに、この屋敷へ連れてきた。転移魔法というものを使ったらしく、私自身は今どこにいるのかも分からない。ただ宮廷魔術師の宿舎だとだけ説明されている。家に帰るのが面倒なので、もっぱらここで生活しているそうだ。
宿舎ならもう少し綺麗に使えよと思うが、私が口にする前に魔術師は皆似たり寄ったりの部屋だと言われてしまった。嘘をつけ。
玄関先から全てが本で埋め尽くされているなんてありえないと思う。人間の生活する場ではないと声高々に言いたいが、引き取ってもらった身としては雨風しのげるだけででも満足しなければいけないだろう。昨日は寝られる場所として、ソファーを発掘したところで、睡魔に負けた。おかげで今朝死にかけたわけだが。
「……起きよう」
疲れから考えると少し寝足りないが、一座ならこれぐらいの睡眠で働くのが当たり前だった。寝過ぎると逆に体の調子がおかしくなるだろう。
本を踏まないように気をつけながら部屋の外へ出る。すでにドアを閉める事は諦めているようで、開けっぱなしになっていた。
隣の部屋にはキッチンスペースがあったが、さっきまでの部屋と似通った状態で、本で埋まっている。あの男、今までどうやって生活していたのだろう。昨日見せてもらった他の部屋も、バスルームを含め、全て本に埋まっていた。家主に許してもらえるなら、その辺りから最低限の生活スペースを作らせてもらおう。
「……一体アイツは何を考えてるんだ?」
この宿舎の事もそうだが、アスタリスクは私に何をしろとか、何故引き取ったとか、何も言わない。昨日は夜も遅かったから説明がなかったのだろうけれど、その辺りの事をきっちり教えてくれなければ、どうふるまっていいのか分からない。
大方前世の異世界知識が目的に違いない。立場としては使用人又は奴隷として引き取られたと思うのが妥当な線だ。しかし宿舎の方には私と同じ使用人の立場の人がいない為指示を貰う事も出来ない。ただし家の方には使用人もいるらしいので、今日はそちらに行って指導を受けるのだろうか。
「不安だ」
分からない事だらけで推測しても、結局無意味だと分かっている。しかし何をしていいのか分からないというのは不安で、思考がぐるぐると廻る。
とりあえずキッチンに何か食べ物があれば朝食ぐらいは用意しておこう思ったのだが、甘かった。戸棚には固くなったパンと調味料しか入っていない。……本気でどうやって今まで生活していたのだろう。
これで朝食作れと言ったら、アイツは魔族ではなく悪魔だ。
「オクト、おはよ」
「あっ、おはようございます。アスタリスク様」
探すのに夢中になっていて、背後から近付かれた事に気がつかなかった私は慌てて頭を下げた。今までメイドなんて経験した事がないので、どうしたらいいのか分からないが、とにかく敬語は使った方がいいだろう。
「ああ。俺、堅いの嫌いだから。アスタでいいよ。そんな所で何しているの?」
「……朝食の準備をしようと思いました」
「とりあえず、頭上げてね。そんな堅くならなくていいから。それより、オクトって料理できるの?」
アスタに言われ私は顔を上げた。黒色のパジャマを着たアスタは、とても宮廷魔術師とは思えないラフさだ。生地はいいものを使っているのだろうが、言葉も砕けているせいで一座の人とそんなに変わらないように見える。
いや駄目駄目。見た目に惑わされてはいけない。昨日だって大粒の宝石が付いたマントを羽織っていたのだ。一般庶民と同じはずがない。これはきっと最初は優しくしておいて、何か粗相をしたらお仕置きする作戦に違いない。私とアスタどちらが上か間違えないように。
「簡単なものでしたらできます。しかし申し訳ございません。ここにあるものだけでは、私では作る事ができません」
きっと、私以外でもこの材料じゃ無理だけど。
でももし、彼が鬼畜なら、『作れるなら作って』なんて可愛らしく小首を傾げて無理難題言いだすかもしれない。そして作れなくてお仕置き。痛い思いをするのは最低限がいい私は先に謝っておく。謝ったなら、お仕置きも多少軽くなるんじゃないだろうか。
「そりゃそうだ。結構前に買ったパンしか入ってなかったでしょ。俺、もっぱら食堂ばっかで食べてるから。でも材料さえあれば料理ができるなら、オクトに頼みたいな。時間の縛りがあるし、色々制限もあって、食堂で食べるのは面倒なんだよね」
良かった。お仕置きはないらしい。
私は心の中でホッと胸をなでおろす。この分だと、少なくとも奴隷ではなく使用人として扱って貰えるんじゃないだろうか。
「分かりました」
「それとさ、何ビクビクしてるわけ?」
「……何のことでしょうか。もしも私の言動でお気に召されない事があったなら、申し訳--」
「その敬語だって。異界屋であった時は、もっとふてぶてしい子供だったよね」
今思えば、あの時の私はよく無事だったな。
宮廷魔術師という事は、彼は何かしらの爵位を持っているはずだ。彼自身ではなくても、その親は爵位があるとみて間違いない。兵士と違い、魔術師はその職業につくまでに普通は学校に通う。そして通えるのは金持ちだけなのだ。たまに試験だけを受けて受かる魔法使いもいるが、そういう魔術師は宮廷には勤めないとあの後、アルファさんに聞いた。
「あの時のご無礼をお許し下さい。私は無知な子供でございました。今はアスタ様に拾われた身。精一杯お仕えしたいと思っております」
「ふーん。感謝してくれてるんだ」
「もちろんでございます」
聞かされたばかりの時は、内心腸が煮えくり返りそうだったが、一晩寝ると仕方がないと思えた。それよりも危うくアルファさんやクロを不幸にするところだったので、それを止めてもらえた事に感謝している。もう少し遅く、私が返事した後だったら、アルファさんは彼と真っ向勝負したかもしれない。タイミング的にもナイスだった。
「じゃあ話は早いや。そのへりくだった、敬語は禁止。俺の方が年上だから、場所によっては多少の敬語は使ってくれた方がいいけど、普段は今まで通りで」
「はっ?」
「それと何か勘違いしているみたいだけど、俺は引き取ると言ったんだよ?」
「アスタ様の使用人として、引きっとっていただけたんじゃ……」
何かおかしいだろうか?
私は首をかしげた。どこかに預けるつもりで引き受けたのだろうか。いや、でもそれだと料理ができない。料理の方はは一時的とか?分からん。
「様も禁止。せめて、さんでよろしく。もしくはお父様なら可かな。永遠のお兄さん自称してるけど、一回くらいは可愛い子に『お父様』って呼ばれてみたかったんだよね」
「えっと……」
何だ、その気持ち悪い発言は。
可哀そうなものを見るような目になってしまったが、これは生理的な現象なので仕方がない。無礼だと思ったら、そもそも顔を上げさせないで欲しい。しかもあえてお父様が、裏声なのが余計キモイ。
「賢者様のくせに理解が遅いなぁ。それほど意外?俺がオクトを養子として引き取ったって事」
「……はあ?!」
用紙でも容姿でもなくて、養子?
驚きすぎで、私は大声を出してしまった。文脈からすると、私の頭には、養子の文字しか浮かばないけれど、もしかして違う意味があるのだろうか。
「そう。つまり君は俺の養女という事。俺がパパで、オクトが娘」
何か言いたいが、言葉にならない。
旅芸人から一転。私は知らない間に魔術師の娘にジョブチェンジしていた。