41-1話 道しるべな手紙
「カクカクシカシカというわけだから、これは殺人事件じゃないわ!」
アリス先輩が晴れやかな顔で宣言した。うん。とっても清々しくて眩しいぐらいだ。……でもさ。
「そうか。カクカクウマウマという事なんだね……っと言いたいところだけど。アリス。流石に何の説明もなしでは僕も分からないよ~」
ウマウマって、ノリがいいですね。
アリス先輩の伯父さんは、想像していたよりもずっと若かった。アリス先輩より少しだけ年上っぽいが、見た目は同い年ぐらいだ。きっと魔力持ちだからだろうけど……命を狙われるような凄腕商人にはとても見えない。
「だって、オクトちゃんの説明、難しいんだもの。とりあえず、グレープフルーツと血圧を下げる薬は一緒に飲んじゃいけないそうよ。伯父さん、ジュースで薬を飲んだでしょ」
「いやぁ。だって、朝早いからさ。朝ご飯食べる暇もなかったしさ~」
ゆるい。
限りなくゆるい。
あれ?殺人事件がどうのって言ってなかったっけ?もしかしたらこの部屋には、アリス先輩の親族が伯父さんしかいないからかもしれないが……でも、どうなんだろう。
「……薬を飲む時は、何か食べる事をお勧めします。胃を痛めますので」
ゆるゆるな空気に耐えられなくて、私はボソりと付け加えた。深刻になれとはいわないが、そんな『あははっ』と笑われても困る。
私はアリス先輩の説明を隣で聞いて、説明が大変そうな時に少し補助ができればいいかと思って付いてきたはずなのだが……。そもそもの説明がなかった。
現状を見る限り、アリス先輩は名探偵に向いていない。たぶん推理小説はストーリーを楽しむものだと思っていて、トリックとかへーで済ましてしまうタイプだ。……まあ、私もヒトの事は言えないんだけど。
「ああ、オクトちゃんだったけ。今日は式に来てくれてありがとね~」
「いえ」
でも貴方の所為で、半ばぶち壊れぎみですけどね。
ありがとうと言われても、この状況でおめでとうございますと言っていいものなのだろうか。
殺人事件だのなんだのと騒いでいる親族の方々には、現在、先生の方から薬と病気について説明してもらっているところだ。新薬だったので本当に私の考えが正しいかどうかの裏付けは取れなかったが、先生は信じてくれた。もちろん後日、ちゃんと問い合わせはする予定だ。
それでも先生が説明すれば、例え嘘だったとしても信憑性がある。でもこれで納得しなかったら、本当に結婚式がぶち壊しだ。現状を考えると、あんまり楽観している場合じゃないとは思う。
とはいえ、ここでジタバタしても仕方がないのだけど。
「そうだ。折角だから僕にも薬について教えてくれないかな?流石に暗殺騒ぎのまま、結婚式というのもアレだし。まあ、忘れられない結婚式にはなるだろうけどさぁ」
「本当よね」
いやいや。本当よねじゃない。
アリス先輩が隣で、笑っているが、笑っている場合じゃないと思う。
たしかに忘れられない結婚式になるが、忘れられないの意味が、一般から大きくずれている。そしてそんな思い出嫌だ。
ヘキサ兄が現在花嫁の隣にいないのも、騒ぎが広がらないようにする為だろうし。……ヘキサ兄、色んな意味で頑張れ。
「新薬なので、私の知識が正しいとは限りませんが、原因は薬と一緒に飲まれたグレープフルーツにあると思います」
「へぇ。グレープフルーツは毒でも薬でもないのにね~。何?もしかして、オレンジジュースとか、レモン水とかも駄目なのかな?さっぱりするから好きなんだけどな~」
軽いなぁ。
正直、好奇心旺盛なんですという目で見られても困る。……ヘキサ兄、今後親族となる、このヒトのノリについていけるだろうか。
一抹の不安が頭をよぎるが、ヘキサ兄は伯父さんと結婚するのではなく、アリス先輩と結婚するのだ。この伯父さんはおまけ。たぶん大丈夫……な気がする。
「酸っぱいから血圧が下がるというわけではありませんから。アリス先輩の伯父さんが飲んだ、カルシウム拮抗剤という種類の血圧降下剤は、グレープフルーツに含まれる、フラボノイドと相性が悪く――」
「あ、本当だ。アリスが言う様に、全然分かんないね」
まだ説明し始めたばかりなのに、ズバッと言われて私は肩を落とした。
いや、うん。私も専門用語が入っていて難しいとは思ったよ。でも私の頭の中に入っている知識も、教科書を丸暗記したようなものしか入っていなくて、上手く噛み砕いて説明ができないのだ。たぶん、前世のヒトもこの辺りの知識は誰かに説明する為として覚えたのではないのだろう。
日本なら、血圧の薬を飲む時はグレープフルーツを食べないで下さいねでいいわけだし。
「……とりあえず、柑橘類の中にはグレープフルーツと同じような効果がでるものもありますが、オレンジやレモンは問題ありません」
「でも凄いね。新薬だっていって、商人からわけてもらったものなのに。もうそんな情報を持っているんだ。流石賢者様だね」
まあ、そりゃ、過去の文明の知識を拝借するという裏技だし。確かに凄いには凄いのだろうけど、手放しでほめられると、自分自身が努力して知ったわけではないので、少し罪悪感を感じる。
「他にもこういう、食べ物と関係する薬はあるのかい?」
「まあ……一応」
この世界にあるかどうか分からないが、ワーファリンカリウムも食事と薬が密接に関係する事で有名ではないだろうか。ただこの薬は納豆と相性が悪いという事が有名なので、あまりこの国のヒトには関係ないだろうけど。でもこのファーファリンは、ビタミンKじゃなくて、カリウムが原因だと混同されやすいので、良くテストに出るんだよなぁ。
……ん?テスト?
テスト……テスト……はて?何のテストでそんな事を聞くというのか――。
「凄いね、君っ!」
上手く説明できない引っかかりを追いかけていると、突然手を握られた。
「アリスからオクトちゃんが薬師だとは聞いているよ。是非、ウチの商会と取引してくれないか?」
「……へ?」
「普通の薬より、賢者が作った薬と銘打って売った方が高く売れるし!僕と、この薬業界を切り開いていこうよ!」
……えーっと。
状況に頭が追いつかず、私は首を傾げた。取引って、もしかして、私が作った薬を買ってくれると言っているのだろうか?
えっ。マジで?!
海賊に邪魔されて、数年。私が薬を売れるのは、伯爵家と海賊のみだった。それが別の店で売れるなんて。もしかしてこれは、ビックチャンス到来というやつだろうか。
「えっ、買って頂けるんですか?」
「勿論だとも。大歓迎さ!」
あー……でも。もしかしたら、海賊に邪魔されるかもしれないしなぁ。アリス先輩の親族だと考えると、迷惑をかけるのも気が引ける。さて、どうするべきか。
チャンスの女神は前髪しかないと聞いた事はあるが……その恋人が不幸の大魔王だと困る。
「オクトッ?!」
手を握られたまま、どうしようか迷っていると、突然私の名前を呼ばれた。
「中々、戻ってこないと思えばっ!」
突然ドアから駆けこむように部屋に入ってきたアスタはそのまま私達の方へ近づいてきた。そして手とうで私とアリス先輩の伯父さんの手を引き離すと、自分の方へ抱き寄せる。
……えっと、何してるんですか、アスタさん。
「えっ。アスタリスク魔術師?!」
「きゃぁっ、オクトちゃんっ!」
先輩とミウの声が何処か楽しそうに叫ぶが、私は全く楽しくなかった。状況が理解できないというか、理解したくないというか。
「なんでオクトの手を気安く触っているのかな?」
「えっ?触りたかったからだけど?」
アスタの声は低く、不機嫌さを隠そうともしていない。対して伯父さんはいたって普通というか、飄々としている。このままではアスタの不機嫌さに拍車がかかりそうな様子に、私は青ざめた。
怖くてアスタの顔を見る事ができない。
「ライ先輩、頑張ってっ!」
「ちょ。なんて事言うんだ」
ミウに応援されたライが慌てたように首を横に振った。
うん。分かっている。流石に私も、この不機嫌アスタの相手をしろなんて鬼な事は言えない。
大丈夫だよ。
そういう意味で私はライに向けて、苦く笑った。……本当は大丈夫じゃないけど。でも頑張れ私。負けるな私。
今までだってこういう事は良くあったじゃないか。
「あー……もうっ!オクト行くぞっ!!」
「へ?」
人身御供の気持ちで、無心になろうとしていると、突然腕を掴まれた。そしてそのまま走りだす。
「ライ?」
ライは私の腕を掴んだまま無言で突き進んだ。
そして部屋から結構離れた場所で、足を止めると手を離した。
「オクト。……マジで、後でちゃんとフォローしろよ。このままじゃ、俺は殺される」
青ざめながら話すライの言葉を、私は笑う事もできず頷いた。
今の状況を考えるとアスタは私が思っている以上に、独占欲が強いようだ。結構アスタは子供っぽいところもあるし、きっと大切なおもちゃをとられまいとする心理と同じなんだろう。
でもアスタは子供じゃないので、判断を誤ったら、今度こそ本当に殺人事件が起きかねない。
「別にあのままでも大丈夫だよ」
冷汗はダラダラ出るが、たぶん何とかなったと思う。むしろ逃げ出してしまうと、ライがかなり危険じゃないだろうか。
「あのな。友達がそんな顔してたら、流石に心配になるってーの」
そう言ってライは私の頭をデコピンした。そんな顔って、どんな顔をしていたのだろう。
「オクト自身、どうしていいのか分からないんだろうけどさ。師匠は強引だから、ただ流されるだけだと、言いたい事も言えなくなるぞ」
「ははは」
すでにかなり流されてここまで来てしまったけどね。
山奥で1人で暮らす計画は、粉々に砕け散ったような現状だ。しかもアスタの為に袂を分けたはずなのに、いつの間にか再び同居。これが流されていないといったら、何が流されているという事になるのか。
「オクトが楽しいなら、師匠とこのまま一緒に暮らしたっていいんだけどさ。あの空気の師匠は確かに怖いけど、師匠の事が嫌いって事はないだろ」
「……うん」
アスタとの暮らしは……正直に認めるなら、楽しいと思う。私もアスタの事は嫌いではなく好きだし、ファザコンな自覚もある。それにアスタとアユムの三人で暮らすというのは、それほど気兼ねしない。
でもこの暮らしは楽しいのと同時に、どうしようもなく不安で怖くて苦しくなるのだ。不安になるのは、私がアスタを不幸にしてしまうのではないかという思いから。怖くなるのは、大きな幸せを感じれば感じるほど、それを失ったときの反動が大きいから。
苦しくなるのは、たぶん――。
「別にオクトが幸せになる事を否定する奴はいないと思うぞ」
鋭い。
ライは勉強できないはずなんだけどなぁ。
そう思うが、実際バレているのだから仕方がない。苦しいのは、1人だけ幸せでいる罪悪感から。勿論、私が不幸にしてしまったあの2人が、そんな心の狭いヒトではない事は知っている。だから許せずにいるのは、たぶん私自身だろう。
でも幸せを感じるのは、……怖い。
「……色々決着がついたら、また考える」
「決着って、いつつくんだよ」
「さあ」
一番の最短は、時の精霊と会えたらだが……今の状態だと、いつになる事やらだ。それにそこで解決しない可能性もあるわけだし。
今は不安とか、色んな感情が混ぜこぜになっていて、正直どうしていいのか分からない。考え出すととにかく面倒だ。
「お前なあ」
「でも、仕方ない」
私は器用な性格ではない。考え込んだ所で、簡単に結論が出せるとは思えなかった。となれば、問題を先送りしておくしかない。
「それに問題を先送りしておく間に、アスタが私に飽きるかもしれない。もしくは、誰かと結婚するかも」
そうすれば、自然に問題解決。万々歳だ。
「いや。あの師匠だぞ。それはいくらなんでも楽観視しすぎだろ」
「でも可能性はないわけではないし」
私のこんがらがった状態を解決させるより、全然早い気がする。目指せ、アスタの奥さんゲット計画だ。
「おお。ここにいたのか」
廊下で立ち話をしていると、奥から先生がやってきた。どうやら、無事親族への説明は終わったようだ。晴れ晴れとした様子なので、説得は成功したのうだろう。
「あの。説明、ありがとうございます」
「本当だ。面倒な方を押し付けよって」
先生の言葉に、私はへらっと笑って誤魔化しておく。でも見た目が子供な私が説明するより、先生の言葉の方が確実に聞いてもらえると思ったのだから仕方がない。何事も適材適所だ。
「まあ、それはいいが。体調はもう大丈夫なのか?」
「えっ、オクト。体調悪かったのか?!」
先生の言葉にライが驚く。でもそんなに驚かれると、少し恥ずかしい。
「ええ。まあ。ただの運動不足ですから。休めば多少は……」
いつも通りに体力がないというだけの話だ。少し走っただけで死にそうになるとか、まるで老人である。
今も少しくらくらするが、立っていられるし、さっきよりは辛くはない。
しかし私の言葉に反して、先生の表情は浮かないものだった。何処か真剣な様子で、私を見据える。……マジマジと見られると、やましい事などないはずなのに不安になり、私はそっと視線をはずした。
一体、何なんだろう。
しばらく無言が続いた後、先生は小さく息を吐いた。そして――。
「医師として言わせてもらうが、このままだと死ぬぞ」
――とても残酷な、それでいて心のどこかでああやっぱりと思う宣告をした。