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ものぐさな賢者  作者: 黒湖クロコ
賢者編
118/144

40-3話

 先輩の足がようやく止まった時、私は息切れでその場にしゃがみこんだ。

 酸欠で苦しくて、肩で息をするが足りない。目の奥がチカチカして痛くて、ギュッと目を閉じる。


「ここにも病人がおるんか。ほれ、大丈夫かね」

 ポンと背中を叩かれ、私はゆっくりと顔を上げた。

「あっ……」

「なんだ。お前さんか。どうしたんだ?」

 そこに居たのは、館長の主治医だった先生だった。最後にあった時よりも、若干白髪が増えた気がするが、あまり変わりない。とりあえず、初老に差し掛かっているはずなのに、私より体力があるのは間違いないだろう。


「中庭からちょっとここまで走ってきただけなんですけど。オクトちゃん、どんどん体力落ちているわね」

 言われなくても分かっています。

 自分でも少しは危機感を持っている。しかしどうしたら体力がつくのかさっぱり分からない。

「お前さんの伯父は大丈夫だ。血圧が下がり過ぎておったから、今は横にしてあるが、直によくなるだろ」

 ……血圧?

 あれ?毒とか、物騒な事言ってませんでしたっけ?

 でも解決したならいいか。折角の晴れの席なのに、毒殺だなんてあんまりだ。というか、先生がいなかったら、私がその対処をする事になったのだろうか。


「先輩……私、医者じゃないですから」

 若干医者のまねごとのような事もしなくはないが、専門ではない。私は○○に効く薬というものを作るだけで、そのヒトの病態の原因を調べるのには特化していない。

 先生もたぶん結婚式に呼ばれたからここにだろうが、本当にいてくれて良かった。

「あら?当たり前でしょ?オクトちゃんは、薬師なんだし」

 おや?

 

 先輩にあっさりと肯定されて私は首を傾げた。

 ……医者として呼ばれたんじゃないんだ。でも確かに、私は伯爵家のお抱え医師として扱われた事は一度としてない。勘違いしているのは、村のヒトくらいだ。

 では何で、私は走ってここまで来たのだろうか。

 アリス先輩が心細かったから?いやいやいや。ウエディング姿で爆走してくる先輩が、そんなやわな神経をしているとも思えない。それに普通頼るなら後輩じゃなくて、自分の旦那様だろう。

「とにかく、ここでは何だ。何処か椅子に座らんかね」

「そうですね。じゃあオクトちゃん、こっちに来て」

 アリス先輩に引っ張り起こしてもらい、私はフラフラとした足取りで部屋の中に入った。……あれ?ここは――。

「せんぱ――」

「しー」

 先輩は口元に人差し指を立てるとウインクした。

 何が何だか分からない。


 先輩と一緒に入った部屋は、使用人が待機する部屋だ。だから普通は、客人である私達が入る事はない。

 先輩に促されるままに椅子に座った私は首を傾げる。すると先輩は紙にさらさらっと何かを書き、私に差し出した。

『この部屋の音を外に漏らさないようにできるかしら』

 ……何で?

 意味が分からない。分からないが……とりあえず、何かわけがあるのだろう。音は空気の振動でできている。音を漏らさないとなると、空気を動かさないようにすればいい。

 ただ全く動かないと今後は自分たちも会話ができなくなる。となると、ある一定区間の空気の振動を止めてしまえばいいのだろう。

 風属性だけでできそうなので、さほど難しくはないが、範囲指定が面倒なので、流石に紙に魔方陣を描かないと使えない。それなら。


「風の精霊」

 私が小さく精霊を呼ぶと、室内の空気が動いた。

「この部屋の中の声を、私がいいと言うまで外に漏らさないようにして」

 少しだけ体がだるくなったが、この程度なら問題ない。むしろさっき走った時の方が死にそうだった。

「……精霊魔法って、改めてみると凄いわね」

「そうですね。でも精霊が分かるように細かく指定しないと、上手くいかないみたいです」

 精霊は私が考えている事を酌みとって魔法を使っているいるわけではない。命令した事に対して、正確にそれを実行してくれているのだ。

 なので説明が下手だったり、精霊自身もどうやっていいのか分からない事だと魔法は発動しない。例えば怪我を治せという命令は無効だけど、傷口から血が出てこないようにしてという命令なら有効という具合だ。

 しかし人体に使う場合は、かなり慎重に行った方がいいだろう。傷から血が出てこないようにしただけのはずが、血液の流れすら止めてしまう事もありうるからだ。

 アスタの時は、まさに運が良かったとしかいえない。そんなギャンブル、もう二度とごめんだ。


「あら?でも外の声も聞こえなくなってしまうのね」

「まあ。精霊も、部屋と部屋の間の空気が振動しないようにしたんでしょうし」

 向こう側の音だけ聞こうと思うと、空気の振動を中継しなければいけなくなる。できなくはないだろうが……面倒そうだ。

 しかし、もしかしたらアリス先輩は隣の部屋の声を盗み聞きしようと思ってこの部屋を選んだのだろうか。

「盗み聞きなど後でもいいだろ。体調が悪いモノに、あまり魔法を使わせるな」

「それもそうね。オクトちゃんには、先に色々伝えておきたいし」

 先生の言葉にアリス先輩はあっさり納得する。案外先輩自身、盗み聞きは後回しでいいと思っていたのだろう。というか、やっぱり盗み聞きする気だったんだ。

 うん。面倒な事になりそうな予感しかしない。


「先輩。聞かないという選択肢は……」

「何?義姉の言う事が聞けないというの?」

「いや、義姉って。私、ヘキサ兄とはただの教師と教え子の間柄ですけど……」

「それ、ヘキサの前で言える?」

 ……卑怯だ。

 たぶんそれを言ったら、ヘキサ兄の冷たい眼差し付きの説教が開始してしまう。ヘキサ兄は、今でも私の事を妹のようにあつかう。でも書類上、私は間違った事を言っているつもりはないんだけど……ヘキサ兄に勝てる気がしない。

「いえ。それで、何があったんですか?」

「さっき伯父が倒れた事は聞いたわよね。実は伯父がタイミングよく、飲み物飲んでから倒れてしまったのよ。それで今、隣の部屋では毒を入れられたんじゃないかって騒ぎになっているわけ」

 うわぁ。それはタイミングが悪い。

 もしかしたら偶然かもしれないのに、隣では、犯人探しが始まっているというわけか。いや、でも実際の所どうなんだろう。

 私は先輩の伯父を処置した先生を見た。毒かどうかは、先生が一番良く分かっているんじゃないだろうか。


「まあ、すぐに死ぬ劇薬ではなかったのは確かだな。急激な低血圧で倒れたようだ」

「伯父は血圧を下げる薬を飲むぐらい、血圧が高かったのよね。だから突然低血圧で倒れるなんて、皆おかしいと言っているわけ。それでオクトちゃんには、犯人探しを頼みたいのよね」

 なるほど。

「って、何で私何ですか」

「ほら、オクトちゃんは賢者様って呼ばれているし」

「それ、理由になりませんから。……それに普通に薬の飲む量を間違えたんじゃ」

 毒殺より、そっちの方が可能性が凄く高い気がする。血圧の薬は、飲み方を間違えたらとても危険な薬だ。用法用量を守っても、必ず大丈夫とは言えない。

 それにどうして、わざわざ結婚式というタイミングで殺人事件を起こす必要があると言うのか。もしも、たまたま殺そうとしたら結婚式でした、てへぺろなんていう犯人だったらマジで空気を読めと説教してやりたい。


「でも今までこんな事なかったし。それに伯父って、殺されそうになる心当たり多すぎるから嫌になるわ。後、私とヘキサの結婚を良しとしないヒトも多いだろうし」

「えっ。そうなんですか?」

 幸せな家族だと思ったのに、まさかの言葉に私はぎょっとする。でも結婚はヘキサ兄の親であるアスタは賛成してるし、アスタの親もあまりとやかく言うタイプには見えない。

 ……まさか私がヘキサ兄の周りにいる所為で、アリス先輩の親族が反対しているとかだったらどうしよう。

「何でオクトちゃんがそんな不安そうな顔をしているの?」

「えっ。いや……その」

「先に言っておくけど、原因はうちよ」

 そう言って、アリス先輩は苦笑した。


「一応私は貴族だけど、成金系なのよね」

「成金?」

「つまりは、お金で爵位を買ったって事。結構私が本物の貴族と結婚する事が気にくわないヒトって多いのよ。でもって、今回倒れた伯父は、商人として成功していてね。お金を荒稼ぎした分、恨みもしっかり買っちゃってるのよね」

 そうだったのか。

 ただのお嬢様にしては度胸があるなぁとは思っていたが、商人出身だったとは。


「まあそんなわけで、皆、今回の事は殺人未遂事件だと思っているわけ。このままじゃ結婚式どころじゃないわね。多分今頃、隣で伯父にジュースを渡したメイドが詰問されているだろうし」

「ちょっ。でもそれ、ここのメイドですよね?」

 伯爵家のメイドさんには小さい時にお世話になっている。なので、無実の罪で詰問されるとか、ちょっと止めてもらいたい。

「そうよ。とりあえず、新入りのメイドではないようだったわ。だから買収されたんじゃないかとか、そっちの方面で聞かれているの」

 隣の部屋で一体どんな取り調べがされているのか。

 故郷の母ちゃんが泣いてるぞとか、かつ丼食うか的な優しい感じならいいが、もしもきつい取り調べを受けていたらと思うと居ても立っても居られない気分になる。

 一体誰がそんな目にあっているのだろう。


「で、でも。待って下さい。そのジュースは本当にメイドが渡したんですか?」

 どういう状況だったのかは分からないが、少なくとも自分が犯人ですと分かるような事するだろうか?買収されたからって、目の前でヒトを殺すとか、普通に考えてない。どんな推理小説だって、突発的な犯行でない限り、アリバイ工作とかそういう事をするはずだ。

「そこなのよね。伯父はメイドがお盆に載せていたジュースを勝手に飲んだらしいし。でも、無差別って事もありうるじゃない?」

「……それ、メイドにどんな利点があるんですか?」

 メイドが持っていたジュースでヒトが死んだら真っ先に疑われるだろう。それに、そのジュースをもしも伯爵家のヒトが飲んでいたら、最悪自分の職までなくしかねない。


「んー。ほら、まあ。結婚式は普通中止になるわよね。それにそんなあからさまだったら、逆に犯人と疑われにくいとか?」

「また行う事だってできるのに、たった一回中止するだけに人生棒にふるとは思えないです。それに現在進行形で疑われています」

 どんだけ楽観視したらそんな結論にたどり着いて、飲みモノに毒を入れられるというのか。

「でも、なら伯父はなんで倒れたの?毒ではなかったとしても、伯父が飲む血圧を下げる薬がジュースに混ぜられていたと思わない?先生もそう思うでしょ」

「まあな。かなり血圧が低かったから、何か要因はありそうだ」


 何でかぁ。

 それを言われると困る。確かに血圧がいつも以上に下がったとしたら、普通に考えて薬の飲みすぎだ。でもアリス先輩の話を信じるなら、当の本人はいつも飲んでいる薬だから、飲み間違えなどは起こさないはず。

「でも、薬が混ざっていたら流石に味で分かるんじゃ。なんて言う名前の薬なんです?」

 薬なんて大抵が苦い。

 普通混ざっていたら、一口飲んで違和感を感じそうなものだ。

「金の大地から輸入している、最新薬としか聞いていないのよね。あ、でもジュースはたぶん薬を混ぜられても分かりにくいと思うわ。グレープフルーツのジュースだったから、結構苦みもあるのよね」


 ……へ?グレープフルーツ?


 先輩から告げられた単語を聞いた瞬間、ぽんと一つの結論が浮んだ。

 血圧を下げる薬に、グレープフルーツ。その2つの単語が、私の前世の知識を刺激した。飲んでいた薬がどのようなものか知らないので、絶対とは言えないが、可能性は高い気がする。

「先輩……。謎は全て解けました」


「えっ。犯人が分かったの?」

 いやいや。私、容疑者すら知らないんですけど。容疑者も知らずに犯人を当てるとか、何、その無理ゲー。

「いえ、あの……犯人はこの中にいませんから」

「私と先生はアリバイがあるし、そうよね」

「……そうではなくて、結論を言ってしまえば、犯人なんていないんです」

 私は天然ボケをかますアリス先輩に苦笑いを向けた。案外先輩もテンパっているのかもしれない。まあ、普通に考えて結婚式で殺人事件なんか起きたら、テンパるに決まっている。


「つまりどういう事だ?」

「えっと、できれば先生の方で薬の確認をしていただきたいんですけど」

 そう前置きをして、私は息を吐いた。どうにもヒトから注目されるのは慣れていないので、先輩と先生に見つめられると息苦しくなる。世の中の名探偵はかなり目立ちたがりやなんだなぁと思う。

 私はこういう役は向いていなさそうなので、さっさと暴露しておこう。 

「あえて犯人という名前をつけるなら、それは伯父さんが飲んだグレープフルーツジュースです」

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