39-2話
「結局アスタリスク魔術師と一緒に暮らしているそうじゃない」
図書館で時属性の魔方陣のメンテナンスをしていると、アリス先輩に話しかけられた。
「ええ。まあ……」
私はあまりに自分に辛い内容の為、顔をあげずにもにょもにょっと答えた。はい。元の鞘に収まりましたとも。
自分でも何が何だかわかない。
どうしてこうなった。今の気分はまさにこれだ。
「浮かない顔ね。アスタリスク魔術師と上手くいっていないの?」
「いえ……上手くはいっています」
正直、どうしてこうも簡単に馴染むんだと言いたいぐらいに、アスタは見事に私の家の一員となっていた。私もアスタの普段の動きは頭に入っているし、アユムは人懐っこい。なので今までと違う生活を不便に感じたりするのはアスタのはずなのに、アスタは全く懲りていない。むしろ、最近肌のつやがよくなっている気がする。90代の爺のくせに、これ以上元気になってどうする気だ。
「むしろ上手くいきすぎていて、怖いというか、不気味というか」
突然アスタが押し掛けてきた形なので、どうなる事やらと思ったが、あれ以来アスタは怖い空気を出さなくなった。なので、毎日が本当に昔に戻ったかのような風景だ。
ただしアスタには以前の記憶はないはずなので、その部分が決定的に違い、若干の相違もある。
「ああ、でも頭の痛い冗談は言ってきます」
「冗談?」
「実は、アユムがちょっと知り合いにいらない事を教えられまして。……ついこの間、アスタに対して『にんちしてください』と言ったんです」
正直あの瞬間、空気が凍った。
たぶんカミュにその言葉を教えられた時に、その言葉を言うと私が元気になるとか何とか、適当な事を教えられたのだろう。
だからきっと元気がないというよりは、色んな心労で疲れ果てていた私を励まそうとアユムなりに考えた結果のセリフだったのだと思う。
「それでどうなったの?」
「了承しました」
「は?」
「アスタ……了承したんです。アユムの髪は黒いから俺似で、目は紫だから、私とアスタの目の色を混ぜたんだなって。頭が痛いです」
アスタの目は赤、私の目は青。混ぜたら紫って、んな馬鹿な。絵の具じゃないんだから、そんな遺伝の仕方があるはずない。
アスタの冗談だとは分かっても、正直肝が冷えると言うか。あの時は、アユムは預かりっ子なので、親にはなれませんといって話は流れた。でももし冗談ではなかったらと思うと、倒れそうだ。
「それは……凄い冗談ね」
「はい。本気で何考えているのか時々分かりません」
普段は普通なのに。たまにふとした拍子に、こう猫がネズミを死なない程度にいたぶるかのような感覚に陥るのだ。
「それにしても、魔族の執着は凄いと聞いた事があるけれど、噂通りね。オクトちゃんが倒れたら心配して家に押しかけて来たんでしょ」
「……ははは」
本当に。
どうして私なんかに執着しているのか。何処で選択肢を間違えたのか、思い返してもさっぱり分からない。
「ねえ。もしかして、本当は記憶があるんじゃないの?」
「は?」
アリス先輩の質問に私はぽかーんとした。
誰が?えっ?記憶?
「だってオクトちゃんが道で倒れた所で、アスタリスク魔術師に会ったわけでしょ。普通ならそれでハイ終わりなのに、家まで押し掛けて、しまいには一緒に住み込むなんてちょっと不思議じゃない?」
「い、いやいや。だって、記憶があるなら、何か言ってくるんじゃ」
それに何と言うか、もしも本当に記憶があるなら、私の死亡フラグが乱立です。
恩をあだで返した娘と認識されていたら、どうしよう。本気でどうしよう。怖くて仕方がない。是非とも、現状の小さな嫌がらせはただアスタの性格が悪いだけという事にしたい。
「そこなのよねぇ。記憶があるなら何で言わないのかしら?」
「……つまりないという結論でどうかと」
その結論が一番私の心に優しいです。
それにもしも記憶があるなら、一応アスタは私の親的立場だったわけで。私とアスタが夫婦でアユムが子供なんていうとんでも設定の冗談は言わないはずだ。……うん。多分言わないよね?
「一度聞いてみたらと言いたいけど――」
「はい。聞けるわけないです」
過去の記憶戻りましたかと聞いてYESだった時も困るが、NOだった時も、どうしてそんな事を聞くのか聞かれたらものすごく困る。
それにどちらの答えでも、今の現状は寒々しくて仕方がない。
あああ。どうしてこう、上手くいかないんだろう。考えれば考えるほど、残念な現実に涙が出そうだ。
「あの、そう言えば、どうして私がアスタと一緒に住んでいる事を知っているんです?」
気分を変えようと思い、ふと気になった事を聞いた。
ここは図書館。私が住んでいる場所とはとても離れている。どう頑張っても、私の噂は届かない気がする。
「ふふふ」
先輩は不敵に笑うと、すっと私に手を見せた。
ん?何だとジッと見たところで、薬指に指輪がはまっている事に気がついた。この国でも、前世と同じで結婚したり婚約すると、薬指に指輪をはめる習慣がある。
「えっ?!結婚されたんですか?」
「まだ、婚約だけ。でも、情報はそのヒトから貰っているの」
ふふふっと再びアリス先輩は幸せそうに笑った。情報をそのヒトから貰っているという事は、私の知っているヒトという事だろう。
「えっ、誰です?」
「内緒。多分、自分の口で言いたいだろうし」
私の知り合いで、アリス先輩とも知り合いという事は、学校関係のヒトだろうか。考えるが情報が少なすぎて、推理にならない。
「えっと、おめでとうございます」
「ありがとう。まあ、この結婚はオクトちゃんのおかげでもあるんだし。まさに妹はかすがいというやつね」
「妹さんがいるんですか?」
「……本当に、可愛い妹分だこと」
そう言って、アリス先輩は私の頬をぐにぐにと引っ張った。あ、やっぱり私の事なんだ。でも妹なんて言ってもらえるのは有難いけど、気恥ずかしくなるのだから仕方がない。
「何このぷにぷにほっぺ。餅肌過ぎるでしょ。いいわね、老化が遅い種族は」
「ひひほほははりへは」
「でも今みたいな生活していたら、お肌の曲がり角が来たら急速落下よ。覚悟しなさい。ああ、でも本当にすべすべ。気持ちいいわ」
しばらくの間、私の頬触り続けていたアリス先輩だったが、しっかり堪能しきると手を放した。……うう。ちょっと頬がジンジンしている。
「……何で最近の生活まで知っているんですか」
「そりゃ可愛い妹のことですもん。気になって当然でしょ」
それ、答えになっていないです。
でも聞いても答えてくれそうにもないので、私は深くため息をつくと、作業に戻る事にした。アユムは今のところ絵本のコーナーで遊んでいるが、そのうち飽きるに違いない。私とは違い、アユムはかなりアウトドア派で、外で走り回るのが好きだ。
うんうん。子供はそれぐらい元気な方がいいよね。よし。アユムの為にも早く終わらせよう。
「それに、家に大木が生えたって話も聞いたわよ。ものぐさな賢者って呼ばれているからって、わざわざ同じような家に住まなくてもいいのに」
「……あの木は私が生やしたわけじゃないです。それに、同じような家って?」
誰か賢者と呼ばれているヒトで、木が生えた家に住んでいたヒトがいるのだろうか。もしもいるなら、そのヒトも生やしたくて生やしたわけではないと思う。
どう考えても、あの木は邪魔だ。オブジェというか観賞ぐらいしか役立ちそうもない。せめて枝があれば、雨の日の物干しざおになるのに。
「ほら、『ものぐさな賢者』っていう本あるでしょ?あの主人公、木が生えた家に住んでいるじゃない」
「……それ、私も読んだ事ありますけど。何かの間違いでは?」
ものぐさな賢者といったら、アレだ。コンユウが書いた話である。何度か読んだが、そんな場面あった記憶がない。
「間違いじゃないわよ。オクトちゃんが読んでいるの見て、私も読んだんだし。ちょっと持ってくるから待ってて」
そう言ってアリス先輩は、古典が置いてある場所へ行ってしまった。
でも……そんな目立つ設定が書かれているならば、私だって忘れないと思うのだけど。たまたま読みとばしてしまった場所だったとか?いやいや、何度も読んだけどそんな話じゃなかったし、読みとばしたとも考えにくい。もしくは、先輩が読んだのが翻訳されたもので、誤訳されている可能性もある。
でもそうではなかったのならば……。
ふと私の中に、通常なら考えられない結論が落ちてきた。
「……まさか、過去が変わった?」
普通なら鼻で笑ってしまう結論だろう。ただしコンユウが時間を旅しているのだと考えると、ありえない話ではないように思う。
でもそれならば、何故私の頭の中は改変されないのか。やっぱりただの記憶違いではないのか。
そんな思いが浮かぶが、同時にもしかしたらという思いが消えない。だって、『ものぐさな賢者』と呼ばれて、『家の中に木が生えている』なんて偶然、そんな簡単に起こるようなものなのだろうか。
「そうだ。館長の部屋」
もしも過去が何か変わったのならば、館長……エストの方も変わったかもしれない。エストからの手紙は、結局最初に図書館で見つけた1通しか見つけられなかった。あの手紙通りなら、きっと何処かにまだ手紙があるはずなのに。
その為アリス先輩に頼んで、部屋はあの時のままにしてもらっていた。でも今なら――。
私はいてもたってもいられず仕事を後回しにして、館長室へ走った。