39-1話 残念な現実
……どうしよう、この状況。
嘘はついてはいけません。そんな小さな時に教えられたような言葉が脳裏をよぎる。
うん。私だってつきたくてついているわけじゃないさ。
きっと嘘をついてきただろう先人達と同じような言いわけが思い浮かぶが、仕方がないと思う。だってあの時は咄嗟に嘘をつかなければいられないぐらい怖かったのだから。よし、後悔はしないぞという思いで、カップに落としていた視線を上に上げる。
そこには怖いくらい笑顔のアスタがいた。
「いつから2人は付き合い始めたわけ?ライは1年ぐらい遠くに飛ばされていたはずだよね」
アスタも酒&お茶会という混沌会場に参加し、再び雑談はスタートしたのだけど……飲み物だけでなく雰囲気も混沌としてきた気がするのは私だけだろうか。
「……遠距離恋愛を少々――」
言ってみたものの、この世界の遠距離恋愛ってどうやってやるんだろう。電話もメールもない。やっぱりここは古風に文通だろうか。
伝書鳩だったらどうしよう。いやでも、魔法でその辺りは何とかなるはず。鳩や梟がいなくったっていいよね。
「し、師匠。ちょっとタイム!」
開始早々ライは手をあげると、私をひっつかんで、部屋の外へ出た。その間数秒。
ほんの一瞬の出来事なので、誰からの反論も聞こえなかった。かくいう私も、気がついたら廊下だったというような始末だ。
バタンと扉を閉めると、ライはガシッと私の肩を掴む。その顔は真顔だ。あー……これは怒っているなぁ。でもそうだよなぁとどこか他人事のような感想が思い浮かぶ。でもアスタに責任をとられるよりはマシだ。
「お前、どういうつもりだよ」
怒っているだろうに、それでもライは隣の部屋に気を使って小声で話しかけてくれた。これで、他人のような顔をしていたのがムカついたからと言ったら今度こそキレるだろうけど。
「えっと、とりあえず巻き込んでごめん」
「……素直に謝られると、俺怒れないんだけど」
「うん。怒られたくないから」
そう言うと、ライは大きなため息をついた。
「それで、どうして俺なんだよ」
「ライはまた遠くに出掛けるから、迷惑がかかりにくいかと思って」
近くにいたら長期にわたって恋人のふりをしてもらわなければいけないが、遠ければ遠距離恋愛中なんですで誤魔化せる。それにもしもライに恋人ができたとしても、遠距離恋愛だった事を理由に破局という、そんな結末までのシナリオが作りやすいのだ。状況はまさに打ってつけである。
「それにライは恋人がいなさそうだし」
「おいっ……まあ、いないけど」
一生独身貴族云々を叫ばれれば、流石にいないんだろうなぁと想像できる。というか、ライはワーカーホリックだ。明らかに忙しすぎて無理だよねという感じでもある。ここはおばちゃんがいい子紹介してあげるよと言いたいが、私の方が知り合いが少ないので無理だ。
ごめんライ。
「勝手に俺に紹介しようとか考えてなかったか?」
「まさか」
紹介の前に、無理だと気がつきましたとも。
「でもさ、もしも俺がそれに乗っかって、よし付き合おうって言いだしたらどうする気なわけ?」
「は?」
「お前、自分の価値分からなさすぎだろ」
……ライがとても残念そうな顔で私を見た。と言われてもなぁ。
「えっと、色んな処理は花町へ――」
「おいっ」
ん?そういう意味じゃないのか?
「ならライはロリコン……しまった。自分の傷までえぐってしまった」
ズキズキと胸が痛む。完璧な自爆だ。大丈夫、私は未来あるロリだ。いや、小学生高学年ぐらいの身長はあるはずだし、もうロリではない。
「そうじゃないだろ。というかそれは俺に対しても失礼だからな。って、そうじゃなくて、俺がお前を利用しようとするような男だったらどうする気だよ。自分を安く見るな」
安く見ているつもりはないんだけどなぁ。
勿論、私は混ぜモノだし、名前だけの嫁としておくのも結構いい手札かもしれないとは思う。むしろカミュがその手の話を一切私にしてこないのが不思議だなと思っているぐらいだ。別にこの国の法律は、一夫一妻制ではないし、王室関係だったら結構側室持ちも多い世の中だった。
「でもライは友達だし」
勘でしかないが、たぶん私が嫌がる事はしないだろう。カミュが城に連れ帰って働かせたいと冗談めかして言っても、絶対結婚しようと言わないのと同じで。
もしもライが私を利用しようと思っているのならば、私自身が彼の友達でいられるだけのヒトではなかったというだけだ。もしくは、私よりも大切で譲れない何かがあるのだろう。
勿論利用されたいとかマゾ的な感性は持ち合わせてはいない。それでも、まあ仕方がないかと思えるのは友達だから。それに最悪の事態に陥りそうになったら、一目散に逃げてやる。
「ああ。くそっ。何でそういう事言うかな。オクトってほんと図太くなったよな」
「そりゃ日々鍛えられているから」
主に、ライの上司であるドS王子様辺りに。
それに、これだけ周りが私を甘やかしてくれているのだ。私の判定が少し甘くなったって仕方がないと思う。彼らが私を大切にしてくれているのと同様に、私も彼らが大切で仕方がないのだから。
「分かった。ただ、もしバレたり、さらに厄介な事になっても、俺を恨むなよ」
「……えっ」
「そこは素直に頷けよ」
だって、ライに厄介な事になるって言われると、今までの過去の失敗歴を思い出してしまうのだから仕方がない。別にライだけの責任ではないのだが、伯爵家で拉致監禁されたり、混融湖で殺されかけたりと、結構踏んだり蹴ったりの人生ではないだろうか。
「いや、だって……私も早死にしたいわけじゃないし」
「お前の中の、俺は一体何なわけ?」
何って……一応友人ではあるけれど――。
「そんな場所でイチャイチャせずに中に入ったらどうだ?」
ひぃ。
私とライはまるで恋人のように抱きあった。でもそこにあるのは甘い空気ではなく、空恐ろしい寒気だけだ。
開け放たれたドアの向こうで、アスタが腕組をして私達を見ている。……何だろう、本気で落ち着かない。それでも、このまま放置するわけにはいかないので、ライと頷きあって中に入る。
「じゃあ、ライとオクトはここに座って」
カミュに勧められて、私とライは隣どうしに座った。こうやって注目されると、ぞわぞわするので止めてもらいたいのだけど……無理ですね。はい。
ちらっとライを見れば、ライも私を見ていた。どうやら居心地が悪いのは私だけではないようだ。
「それで、ライは、俺とオクトが共同研究をするのは反対なのかな?」
「えっ」
コレはマズイ。
アスタはどうやらまず、ライから攻略するつもりのようだ。勝手にライを攻略されては困る。
「あ、あの!」
「オクト、どうかした?」
「いや、その。わ、私が嫌なので」
もう動悸息切れ目まいで倒れてしまいそうだが、倒れるわけにはいかない。
私は気を落ち着かせるために目の前に会った飲み物をグイッと飲み込んだ。その瞬間、くらりと世界がひっくり返る。
はれ?
「オクトッ?!」
叫んだのは誰だったか。
そう思った時にはもう、夢の中だった。
◇◆◇◆◇◆◇
「……頭痛い」
脈打つような痛みが頭に走り、私は意識を取り戻した。
「オクトー、だいじょうぶ?」
パチパチと瞬きすれば、心配そうな顔をしたアユムと目が合った。少しぼんやりと天井を見渡して、はっと私は起きあがる。
それと同時に、頭に頭痛が走り両手で頭を押さえた。
「頭は打たなかったから、たぶん二日酔いだと思うよ。アユムに聞いたけど、最近また夜更かしをしていたみたいだね」
「カミュ?」
ベッドの横の椅子に腰かけて本を読んでいたカミュが、顔をあげて私を見た。……二日酔い?ああ、しまった。私はどうやら、勢い余ってお酒を飲んでしまったらしい。
「って、アスタは?!ライは?!」
夢オチなんて優しさがこの世界にあるとは思えないので、たぶん全て現実だろう。まさかあの場所で気を失うなんて。自分のうかつさを呪いたくなる。
「アスタリスク魔術師は一度家に戻ったよ。ライはちょっと仕事で出かけてるかな」
「そう」
良かった。何とか危険は乗り越えられたようだ。
「えっと……ライは大丈夫だった?」
自分で何とかしようと思った矢先の昏倒。何というか、申し訳ないという思いでいっぱいだ。ライならあまり迷惑をかけないで済むと思った矢先だし。
「まあ身体的にはね」
つまり精神的にアスタに虐められたという事か。自分のお間抜けさが情けなくて落ち込む。
ごめん、ライ。
「でもオクトさんが倒れた所為で、それどころではなかったし、まあ大丈夫じゃないかな。ライも最後までオクトさんの彼氏役に徹していたし」
本当に、ごめんなさい。この借りは必ず返すから。
とりあえずライが仕事から戻ってきたら、今度はライの好きなものを作ってあげよう。
「そう」
「ライがパパなの?」
アユムが突然とんでもない言葉を吐いた所為で、私は固まった。パパだと?
「……アユム、それ。誰に聞いて――」
「カミュ!」
私はわなわなとふるえながらカミュを見た。
「後、にんちしてくださいって」
「……アユム。言わなくていいし、言ったらたぶんライがすごく可哀想だから」
「かわいそう?」
アユムが何も分かっていないのが唯一の救いというか、何というか。お前はどうして、そういう変な言葉を教えるんだという思いで、睨みつける。
「ほら、何事も形からが大切かなって。僕も僭越ながらお手伝いしようと思ったんだよね」
「……楽しんでいるだろ」
カミュはいつもと変わらない顔だが、内心は腹を抱えて笑っていそうだ。何がお手伝いだ。本当に、性格悪い。
「でもあの嘘をつき通して事態を終息させたいなら、それぐらいした方がいいよ」
「別に結婚するとは言っていないんだけど……」
お付き合いしている相手がいると言っただけだ。
するとカミュは私を可哀想な子でも見る様な目で見てきた。……えっ。また私は何か見落としていますか?
「……えっと、カミュ。それ、どういう意味――」
心配になって、聞きかけた所で、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
ライが戻ってきたのだろうか。
「はい」
返事をすると、扉が開いた。そこに居たのは、黒髪、赤眼の魔族――アスタだ。
一体どうしたのだろう。その手には大きな鞄が握られている。アスタは目が合うとにっこりと笑い、こちらへ近づいてきた。
「もう気分はいいのかい?」
「はあ……なんとか」
状況が読めず、私はぼそぼそと答えながらアスタを観察する。特に今のアスタは怖くもないし、何かいつもと違うという事もない。
心配してやってきたのだろうか。でも倒れた原因が、お酒だって分かっているだろうしなぁ……。
「じゃあ、俺もここに住むから。よろしく」
「……は?」
じゃあって、何が?
最初の言葉と次の言葉に繋がりが見えないんですけど。
頭痛が吹っ飛ぶぐらいの衝撃に、私は茫然とする。その隙に、アスタはさらに間合いを縮めた。
「ライが彼氏だからって、俺が遠慮する義理はないだろう?覚悟しておけよ」
い、いやぁぁぁぁ。
赤面ものの言葉を耳元でささやかれたが、私の血の気はどんどん引いていく。もしも鏡で見る事が可能ならば、私はゾンビ並みに顔を青くしたに違いない。
……もう一度昏倒してしまいたいと心の底から思った。