37-1話 流されぎみな現在状況
どうしてこうなった。
「やあ、賢者様」
ドアを開けると、そこにはアスタがいた。……閉じていいですか、駄目ですね。
背後にはさわやかな小鳥の鳴き声のBGMが聞こえて忌々しい。いや、毎朝流れてますけどね。
あまりの事に脳が拒絶反応を起こしているらしく、体が硬直する。詳しく状況と語るとすれば、扉を閉めようとする右手と、それはもっと不味い事になると直感を働かせる左手によって身動きが取れない状況だ。
アスタと偶然にも出会ってしまったのは、つい先日の事。たまたま私が倒れかけた所に、颯爽とアスタ登場。……なんだこれ、何処の少女漫画だと言いたくなるような偶然さである。本当に偶然だろうかと疑いたくなるが、偶然でない時の方がもっと困るので、やっぱり不思議はそのままにしておくしかない。
まあそれは置いておくとしてだ。その後、子爵邸で看病されてしまった私だが、どうしても用事があると平謝り状態でお願いし、無理やり帰してもらったという記憶がある。幼い子が待っているからネタは、いつの時代でも使えるものだ。
とりあえず、何とか逃げ帰る事ができたので、後はヘキサ兄経由で御礼の手紙でも出して終了だと思っていた。……ついさっきまで。
「……本日は、どのような用事ですか?」
逃げたい。脱兎のごとく逃げたい。
子爵邸から帰れたらすべては丸く収まると思っていたのに。私は王都からわざわざこんな辺境の、しかも魔の森の麓まで来たアスタを見て、顔を引きつらせた。流石に今回は偶然では済まされない。
「用事がなければ来てはいけない場所なのかな?」
来てはいけない場所です。
そう言えたらどれだけ気分が楽か。でもこの間助けられた時のような、怖い思いはしたくないので、あまり強気な発言ができない。
今日はあの時のような、恐ろしい空気は身にまとっていないが、いつどこでアスタの不機嫌スイッチが入るか分からない。もうドSは友人兼王子様で間に合ってます。お腹いっぱいですから勘弁して下さい。
「い、いえ。そんな事はありませんが……一応、ここは薬屋ですので」
ここは私の家だが、それと同時に薬屋でもある。ここから直接お客様に売ることはほとんどないが、一応、さりげなく看板は掲げてあった。良かった。無意味だと思ったけれど、看板を作っておいて。これのおかげでちゃんといいわけもできる。
私は過去に看板は立てた方がいいと言って最後まで譲らなかったヘキサ兄に心の中で御礼を言う。今度薬を納品する時は、必ずおまけをつけよう。
「あれ?薬屋なんだ。俺の同僚がね、賢者がアイス屋を開いていると言っていたんだけどなぁ。それから、図書館でも働いているそうじゃないか」
「あー……アイスの方は兼務をしてまして。図書館は、学生時代にお世話になった先輩のお手伝いをしているだけで働いているわけでは……」
よく、調べているようで。
何がアスタの探求欲をつっついてしまったのかは分からないが、調べても楽しい事なんて何もありませんよという意味を込めて、ぼそぼそと説明する。
「へぇ。なら俺の後輩というわけだ」
「……そう……ですね」
なんて嬉しそうな顔するんですか。
このタイミングだと、私との繋がりができた事を喜んでいるようにしか見えない。いや、もう、本当に勘弁して。
私は引きつる顔を必死に隠しながら、話題を変える為に再度口を開いた。
「ただ、あの。今日は店が休みなんですが……」
「そうなのかい?」
扉には、休みのプラカードがかけられていた。というのも、勝手に広がった賢者という言葉だけでここには凄い薬があると勘違いしたヒトが来てしまうからだ。そんな凄い物を求められても困るので、私はそれを追い返す為にいつもこのカードをかけている。
そもそも基本私は仲介してくれる、伯爵様か海賊にしか販売していないので、一般の売却はいつでも休み。まれに子供が熱を出してしまったというお母さんや、腰を痛めたという老人に売ったりもするので、営業日はきまぐれといったところか。
年中休み。きまぐれ営業。本日お休みというのは嘘ではない。
「ならちょうど良かった」
「えっ?」
「今日は別に薬を売ってもらおうと思ってきたわけじゃないんだよね」
しまった。退路を断たれた。
まさかそう来るとは思わず、愕然とする。薬屋に薬以外のものを求めて来るって、どういう事なのか。というか私が引いている事に気がついて。早く空気を読んで!と思うが、よく考えれば、アスタは空気が読めないんじゃないんじゃなく読まないんだったという事を思い出す。彼はしたいようにしかしない。空気?うん、あるね。でもそれが何?という感じなのだ。コンチクショウ。
「あのですね……」
「君の事がもっと知りたくて来たんだ」
さて、何と言って逃げようか。その言葉を考える間に、まさかの爆弾発言を投下をされて血の気がさっと引いた。
何で、そんな素直なんですか?!嫌がらせですか?嫌がらせですね。
反射的に扉を閉めようとしたところで、ガシッとアスタに止められる。さらに無理やり足を中にねじりこまれた。何処で覚えたんですか、そのセールスマンの極意を。
「酷いな。そんな急いで閉めなくてもいいじゃないか。俺は純粋に君と魔法について語りたいと思ったんだよ」
「いや、だって……。――魔法ですか?」
なんだ。知りたいのは魔法についてか。あー、驚いた。
まるで告白されたようなセリフだったので、変な風に勘ぐってしまった。もしかして、記憶が戻りかけたのかと思ったが、この様子だとそういったわけではなさそうだ。心臓がまだバクバクいっている。
そう言えば、アスタは王宮で魔法の研究をしていた事を思いだいた。
「そう。蓄魔力装置は君が作ったんだよね?」
アスタの言葉に、私は躊躇いながらも頷いた。
本当は私1人の力で作ったものではない。しかし、ならば他の2人はどうしたのかという話になると、どうしても混融湖の話になってしまう。そしてその話は、アスタの記憶喪失の話に繋がりかねなかった。自分の手柄にしてしまったようで心苦しいが仕方がない。
「それに誰でも使える転移魔法装置、同じく誰でも使える冷却箱など、魔法を知らなくても使える物を開発していると聞いているよ」
「……誰でも使えるというのは語弊がありますが」
使うには魔法石が必ず必要で、この魔法石に魔力を溜める必要がある。もちろん些細な力しか注がれていなくても、石同士の繋ぎ方で力の強弱は作り出せた。しかしこの魔法石を手に入れるのは金銭的な問題が生じる。かといって魔力が込められていない原石に、魔力が低いヒトが石に力を注ごうとすれば、アホみたいに時間がかかった。
「俺は常々、魔法が特別なモノで魔法使いや魔術師しか使えないのはおかしいと思っていたんだ。莫大なお金を使って研究するなら、大衆の為であって欲しいとね。魔術師ですら攻撃魔法こそ一番だと思っている馬鹿が多くて嫌になる」
「はあ」
そう言えばアスタと魔法について語り合うなんて初めてだなと思う。どうしてもアスタの方が魔法に関しては知識が多いし、センスも上なので、私は教えてもらう生徒のような立場ばかりだった。
でもこれほどまでに攻撃魔法が嫌いだなんて、何か嫌な記憶でもあるのだろうか。……まあ90年も生きて王宮で魔法使いをしていれば、何かかしらありそうなものだけど。
私も前世の記憶の所為か、あまりヒトを攻撃するというのは好きではない。とくに戦争は悪だと教えられてきた事もあり、やはりそういった関係の研究書もあまり興味が持てなかった。勿論、自分たちの生活を守るためにやっている事だというのも分かるので、否定もできないのだけど。
「だから君が……ああ。そうだ。同窓なんだし、俺の事はアスタと呼んでくれないかな?」
「えっ。いや、そんな――」
無理です。
そう言おうとしたが、再び私の第6感が待ったをかけた。あ、これを否定したら、アスタの機嫌が急降下するなと……。アスタを見ると、そりゃもうすがすがしいほどの笑顔だ。分かった。分かりましたから。怖い空気を出さないで下さい。
「……分かりました。アスタ様」
「様はいらないかな。代わりに俺もオクトって呼ばせてもらうから」
何ですと?
「オクト」
私が否定するよりも先に、アスタは私の名前を呼んだ。まるで昔に戻ったかのようで、名前を呼ばれただけなのに嬉しいと思ってしまった自分の考えを慌てて振り払う。
これは不味い。
折角離れたのに、親密になるのは駄目だ。
「俺はオクトが攻撃魔法でない研究をしていてくれた事が嬉しいんだ」
「いや、嬉しいと言われましても……、私は生活の為で――」
どうしよう。
何とかしてアスタの興味を別の方向へ持っていけないだろうか。もしくは私なんて無意味な、そこらへんに落ちている石ころと同じだと思ってもらえれば……。
「だからオクト。俺に力を貸してくれないだろうか?」
「えっ?力を?」
「君に助けて欲しい」
アスタを助ける?
凄い魔法使いで、魔力もセンスも知識も半端ないアスタを?一生懸命、肩を並べたいと思っていたアスタを?
いつも助けられてばかりだった私には、それはとても嬉しく、ずっと望んでいた言葉で――。
――気が付けば、頷いていた。
そしてすぐさま正気に戻る。
不味い、不味い、不味い。
そんなの駄目に決まっている。陰ながらサポートするならいいとして、こんな直接アスタに関わっていいはずがない。それでは今までの苦労が水の泡だ。
「いや。その。私の力など――」
「ありがとう。オクト」
アスタに笑顔で感謝されると、いいじゃないかという気持ちの方が強くなってきてしまい対処に困る。理性的に考えれば、この願いは完璧にアウトだ。
でもアスタに助けを求められたんだぞと、私の中の悪魔がささやく。こんな奇跡のような事、もうないかもしれない。
って、駄目だって。
慌てて私は頭を振った。危ない。本気で流されかけていた。
自分自身のファザコンっぷりに少々絶望しそうだ。頑張れ私。負けるな私。これはアスタの為でもあるのだ。
「あのですね。私では――」
「オクトォ。お腹。えっと、へったの」
必死に誘惑を押しのけてアスタに返事を返そうとしていると、後ろからアユムの声がした。あー、そういえば、まだ朝ごはんを食べていないんだった。アスタとの胃の痛くなりそうなやりとりの所為で、私は空腹を感じている暇もなかったのだけど。
「アユム、ごめん。もう少し、待って」
このままアスタとさよならしたら、私は彼の要求を飲む約束をしたことになってしまう。アユムには悪いが、まずはこちらの件を片付けてからでなければならない。
「そうか。オクトも朝食がまだなのか。実は俺もなんだ」
……これは私に空気を読めと言ってるのだろうか。自分は読まないくせにと思うが、相手がアスタなのだから仕方がない。長年一緒に暮らしていたのだからそれぐらいは心得ている。
「よければ一緒にいかがですか?」
私は自分がアスタに弱いことを薄々感じながらも、彼との第二戦を覚悟することにした。