36‐3話
暑くなってきたなぁ。
夏本番はもう少し先だが、海賊のアジトがあるこの海辺は、昼間は結構蒸し暑い。普段住んでいる場所が寒い地域なだけに余計きつく感じた。
一応ヘキサ兄に貰った麦わら帽子を被ってきたが、日差しは遮れても、湿度までは変えられない。魔法で自分の体の周りだけ除湿して涼しくしてしまおうかとも思ったが、まだ夏にもなっていないのにそんな魔法に頼っていては、体がおかしくなってしまいそうなので我慢する。クーラーがない世界でクーラー病になるのも馬鹿馬鹿しい。
シャーベットとアイスクリームの材料を注文しに街へ出たのだが、これは早々に帰った方がよさそうだ。熱中症で倒れましたとか洒落にならない。
混ぜモノが倒れたところで、はたして何人のヒトが助けようと思ってくれるのか。……路上で変死体とか勘弁だ。
「できたら、異界屋にも寄りたかったんだけどなぁ」
異界屋の主人には、混融湖に流れ着いた本や、手紙の入った瓶が見つかった場合は優先的に私の為に取っておいて欲しいと頼んである。しかしあっちも商売。あまり足が遠のくと、私に見せる前に店頭に並んでいそうだ。
最近ご無沙汰しているし……やっぱり行くべきか。
せめて何処かの店で休めるといいのだが、生憎と混ぜモノを入れてくれる喫茶店はない。このままだと本当に倒れてしまうと思った私は、とりあえず木の木陰に入って一息ついた。
元々寒さよりも暑さに弱かったのだが、年々悪化している気がする。やはり精霊との契約が原因だろうかと腕に巻きつくようについているタトゥーのような痣を見た。精霊は所有物に目印を付けるのが好きなので、精霊と契約すると必ずどこか体に痣が残るそうだ。
あの後、精霊魔法についての本をもう一度読み直してみたが、普通は契約するとしても、1種類の精霊だけだと書いてあった。1種類なんて少なすぎるように思うが、そうでないと命を落とすケースが多いらしい。ちなみに痣の形や色で契約した精霊の種類が分かるそうだが……私の場合は7属性全てがそろっていたので、もう笑うしかない状態だ。
確かにあの時、どの属性とか考える間もなく、契約して無茶苦茶な魔法を使った。すべてと契約という形になってもおかしくはない。後悔をしているわけではないが、かなり無茶をしたものだ。それでも死ななかったとは、私はかなり悪運が強い。
でもこの体力の衰え方は不味いよなぁ。
木にもたれながら私は容赦なく照りつける太陽を見上げる。まだ年齢は20もいっていないし、見た目なんか小学生のようなのに、体力はまるで老人のようだ。運動不足だからとかでは説明がつかないレベルである。あまり長生きできないかもなぁと思うが、そもそも混ぜモノの寿命はどれぐらいなのかも分からないので何とも言えない。
せめてもう少し陰ってくれないかと思っていると、くらりと目まいがした。それと同時に、瞼がぐっと重たくなる。
この感覚は、不意に眠りこけてしまう時と同じ感覚だ。
「……戻ろう」
一応シャーベットなどの材料の発注は終わって、後は海賊のアジトまで荷物を持ってきてもらうだけなのだ。
このまま街中で眠ってしまうのは不味いと思い、私は慌てて転移用の魔法陣の描かれた腕輪に目を落とす。せめてアジト内なら、廊下で眠っていてもいつもの事と思ってもらえる。
「展開――」
「ねえっ」
魔方陣を目の前に広げて魔力を流そうとしたところで、私は腕を掴まれた。
ドキリとして、慌てて魔法を使うのを止める。あぶない。転移に失敗する所だった。危ないじゃないかと文句を言おうとしたところで、私は固まった。
「顔色が悪いけど大丈夫か?」
大丈夫かと聞かれれば、大丈夫ではない。
でも今もっと大丈夫ではない状態になりそうだ。黒髪、赤眼の魔族の男を見て、私はさっと血の気が引くのが分かった。
何でここに?あまりの状況に思考が迷走する。早く答えを決めて次の行動に移さなければいけないのにそれができない。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
頭の中が混乱で真っ白になる。それと同時に、眠気もいっそう強くなり、どんどん思考が闇の中に落ちていく。
寝ている場合じゃないのに。早く離れなければ。でも体が、まるで自分のものではないかのように動かない――タイミングが悪すぎだ。
「……アスタ」
恐慌状態のまま、私の意識はプツリと消えた。
◆◇◆◇◆◇
「あっ、お嬢様気がつかれましたか?!」
「……ペルーラ?」
何だろう、凄く懐かしい夢でも見たような気分で私はペルーラを見上げた。色々不安な事があるからって、アスタの……保護者の夢を見るとは、私もまだまだ子供だという事か。それにしても、以前会った時より、ペルーラはさらに大人っぽくなって――。
「何で?!」
私は慌てて体を起こした。
どうして子爵邸で働いているはずのペルーラがここにいるのだろう?周りを見渡して、ここが海賊のアジトでも、自分の家でもない事に気がついた。家具や調度品がスッキリと片付いている部屋なんて、この2か所には存在しない。
「オクトお譲様は道で倒れられていたんですよ。それを旦那様が気がついてここまで運んで――」
「待って、旦那さまって?!」
「もちろん、アスタリスク・アロッロ子爵です」
夢じゃなかった。
想定外の状況に私の血の気は再びさっと引く。やっぱり眠りこけてしまう直前に見たのは、アスタで間違いなかったらしい。
「えっと、すみません。ありがとうございました。もう大丈夫なので戻りますとアスタリスク様に――」
「伝えませんよ?」
「えっ?」
「そんな主が来る前に、しかも助けてもらっておいて、顔を合わせずに帰るだなんて。そんな不義理な事、オクトお嬢様はしませんよね。直接、御礼を言うのが一番だと思いますわ」
えっ。駄目ですか?
……良く考えたら、ここは貴族の屋敷。マナーにうるさくて当然の場所だ。最近ずっと庶民だったというか、さらにそれ以下の犯罪者達と付き合っていたので、すっかり抜け落ちていた。
何か身にやましい事があれば、逃げ出す。これ常識。……いや、非常識ですね、すみません。
「でも、会ったら不味いというか……そう言えば記憶は?」
「たぶん、戻っていませんよ。残念ですが」
ペルーラの言葉に幾分か肩の力が抜ける。そうか。記憶は戻っていないのか。ならば街中で声をかけてきたのは偶然なのだろう。
「そんな事で嬉しそうな顔をしないで下さい」
「うん。……でもね」
ペルーラは渋い顔をしたが仕方がないと思う。
それにても、アスタが他人に親切な事をしたなんてあまり信じられない。でもまあ、いつもの気まぐれで、たまたま親切にしたい気分だったのだろう。もしくは、よっぽど私が死にそうな顔をしていたかだ。転移魔法さえ成功していたら大丈夫だったんだけどなぁと思うが、そんなの大きな声で宣伝したわけではないので、分かりっこない。
「アレ?もう目が覚めたんだね」
突然男のヒトの声が聞こえて、私はぎょっとした。
瞬きをすれば、ペルーラの隣ににっこりと笑った魔族の男がいた。どうやら転移魔法を使ったらしい。ほんの少しの距離なのだから、普通に部屋に入って来ればいいのに。心臓に悪い。
「旦那様?!」
久々に見たアスタは、80代……いやもう90代のはずなのに相変わらず青年の姿で、まったくあの頃と変わりない。そんなアスタを見ると、心臓が止まってしまった時の記憶がフラッシュバックし、少し苦しくなる。
でも大丈夫。アスタはちゃんと幸せに生きているのだと自分に言い聞かせる。もうアスタが私の所為で死ぬなんて事はない。
「あ、そうだ。ロベルトがペルーラを庭の方で探していたよ」
「ロベルトがですか?」
ペルーラは少し面倒臭そうな顔をすると、ちらっと私を見た。その顔には、まだ話したい事がいっぱいあるのにと書いてある。
「……分かりました。すぐ戻ってきますから、オクトお嬢様は絶対安静ですからね。動いちゃ駄目ですよ!いいですね!!」
ドアの前で、絶対ですからねと繰り返しながら、ペルーラは部屋から出ていった。見た目はもう完璧大人の女性で、昔に比べるとかなり落ち着いている。それでも相変わらずな部分があると分かると、少し笑えた。昔とは違うと分かっていても、まるであのころに戻ったかのようだ。
でもこの状態で早々に帰ると、本気でペルーラが家まで怒鳴りこみに来かねない。一応ヘキサ兄を通して来ちゃ駄目命令がペルーラの所にいっているはずだが……大丈夫だろうか。
「ペルーラはよほど君の事を気にいったようだな」
アスタも若干あきれ顔でペルーラが出ていった扉を見ていた。
さて、アスタと2人きりになってしまったがどうしようか。アスタの様子はいたって普通なので、これは御礼を言ってさっさと帰るのが一番よさそうだ。
「あの……助けていただいたみたいで――」
ありがとうございましたと言おうとしたのだが、もう一度笑顔のアスタを見た瞬間、私は蛇に睨まれた蛙のごとく固まった。ざわざわと鳥肌が立つ。
アスタは笑顔だ。笑顔のはずだ。それなのに、私の中の第六感がピクリと反応する。コレは危険だと。
ダラダラと冷や汗が流れる。何でこんなに怖いのかと考えた所で、目が笑っていない事に気がついた。笑う気がないなら、笑わなきゃいいのにと思うが、そんな事を言う余裕もない。
「ものぐさな賢者」
ジッと無言で見つめ合うという変な状況になっていたが、不意にアスタの方が口を開いた。
「アロッロ伯爵の領地である魔の森の麓には、幼い姿をした変わり者の賢者がいる。賢者は混ぜモノで、薬を生業にしているが、彼女が使う魔法はとても素晴らしく独特な発想をしている」
そう言って突然アスタは私の腕を掴み袖をめくった。
「そして自分でも多種多様な魔法が使えるのに、7種もの精霊と契約した変わり者……本人で間違いないかな?」
賢者と言われると今でも逃げ出したいような気分になるが、魔の森の麓にすむのは私ぐらいのものなので、まず間違いないだろう。私は諦めて、コクリと頷いた。
別に隠しているわけではないのだ。
私が頷くと、アスタの目が少し輝いた気がした。
「そして、君は数年前に俺を助けてくれた混ぜモノの子だね」
やっぱり覚えていたか。
ここで嘘をつくのは簡単だが、そんな誤魔化しがきくような気がしない。だったら逆に私が忘れたようなふりをするのはどうだろうか。忘れただったら、嘘をついているわけではないし、アスタと繋がりも薄くなるような――。
「まさか、忘れたって事はないよね」
「はい、私です。忘れてません」
忘れたふりをする。ほんの少し前に考えたそんな事も忘れて、私は慌てて返事していた。……怖い。めっちゃ怖い。今、忘れましたなんて言ったら、もっと危険な気がするのだ。
というか私、実は結構ピンチな状態じゃないだろうかなど、今更過ぎる感想が頭をよぎっていく。
「そっか。良かったよ。もしも忘れたと言ったら、どうやって思いだしてもらおうかと思ったんだ」
トンっと背中が壁にぶつかった。
どうやら無意識にベッドの上でじりじりと壁の方へ逃げ出していたらしい。ざわざわと立った鳥肌が痛くてたまらない。なんで思い出す必要があるんですかと思うが、聞くに聞けない。
「ようやく会えてうれしいな。小さな賢者様?」
確かにあの時、もうアスタとは会う事なんて絶対ないと思ったのに。
私は人生設計を大きく見直す必要がありそうだと悟った。