表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/8

三月一日

錯乱する名雪から何とか病院の場所を聞き出し、月並みな励ましの言葉を最後に電話を切る。


加害者は赤信号に突っ込み、買い物帰りの秋子さんを跳ね飛ばし、更に交差点で車と衝突。即死らしいので原因は分からないが、大方居眠り運転あたりだろう。


名雪は怒りのぶつけ所も無く、それ以前にただ一人の肉親を失うかもしれないと言う不安でそれ所では無い。初めはまともに話す事さえままならなかった。



「……」


「秋子さん、どうだって?」



電話越しながらも名雪の叫び声や、俺の対応から事情を悟ったのだろう。香里が心配そうな表情で聞いてくる。


香里は名雪の秋子さんへの依存度を知っている。そして肉親を失うかもしれないと言う不安も、身をもって知っている。だからこそ心配なのだろう。


その不安から逃げた、香里だからこそ。


自分と同じ道だけは歩んで欲しくないと、心から願っている。



「意識不明。それほどスピードは速くなかったらしいが、頭を強く打ったらしい」


「……助かっても後遺症が残るかもしれないわね」



身体が生きていても、脳が動かなければおしまい。俗に言う植物状態というやつだ。


脳の損傷はそれほど深刻で、それを守るための頭蓋骨は相当丈夫な作りをしている。逆に言えば、それほど堅く守らなければいけないほど重要な部分で、少し傷つくだけで重症になる部分でもある。


頭を強打したとなれば、まず考え付くのが脳内出血。頭蓋骨が割れ、その破片が刺さるのが一般的なケースだろうか。


出血した部位によって症状が異なるが、たとえ回復しても半身麻痺や言語障害等の後遺症が残る可能性も有る。


脳内出血に限らず、脳に異常があった場合の症状は全快する事は殆どないものばかり。


例え命を取り留めたとしても、そんな重い症状に秋子さんはなるかもしれないのだ。


しかも前触れがあった訳ではなく、交通事故という突然の出来事。名雪が錯乱するのも無理はない。



「……行こう。秋子さんも勿論だが、名雪が心配だ」


「そうね。今私達がすべき事は手術が成功するお祈りではなく、何をしでかすか分からない名雪を宥める事よ」



貴方がやってくれたみたいにね、と付け足し、俺達は並んで歩き出す。


祈りだけでは、人は助からない。


だから、俺達は助けに向かった。









水瀬名雪。


青みかかった髪におっとりとした風貌。本人は急いでいるつもりでも、周りからはのんびりしていると思われる事が多々ある。


俺とは従兄妹同士で、家は遠いものの幼い頃は長期休暇を見計らってはよく水瀬家へお邪魔していた。


八年前は背中まである髪を三つ編みにしていたが、去年七年ぶりに再会した時は真っ直ぐに降ろしていた。


それまでの空白には、あの事件が起因している。


あゆとの事件から七年間、俺は水瀬家の敷地に足を踏み入れる事はなかった。


木から落ちたあゆ。白銀を染める朱色。その突然の出来事から俺は逃げ出してしまい、以来雪の降るこの街に行く事を避けていたからだ。


俺が来なくなってから名雪に何があったかは分からない。分からないが、従兄妹を慰めようとして拒絶され、急に来なくなってしまい、手紙を出しても無視し続けられた気持ちは分かる。


自分がした事だけに、余計に。


そんな最低な俺と再会した時に、名雪は笑顔で迎えてくれた。俺の事情を察して、昔のように接してくれた。


その影には、言うまでもなく母親の存在──秋子さんがいるという事は言うまでもない。


何せ母子家庭。名雪の物心が付く前から父親は他界しており、名雪の拠り所は秋子さんしかいなかった。


家事の一切を担っていた。家計も支えていた。そして何より、仲が良かった従兄妹に無視され続け、傷ついた名雪の心を支え続けた。


大黒柱。水瀬家にとって、名雪にとって、秋子さんは紛れもなく支柱なのだ。


だから。


支柱が壊れてしまうと、何もかもが壊れてしまう。



あれから病院に行くと、あゆは居たもののそこに名雪の姿はなかった。


あゆが言うには、「たとえ助かったとしても、意識が回復する見込みは……」と聞いた瞬間、どこかへ走り去ってしまったらしい。


心の支えが無くなってしまうかもしれない、そんな不安からそれ以上の話を聞くのが耐えられなかったのだろう。



「あゆはここに居てくれ」


「……うん、ここは任せて。秋子さんも一人は嫌だろうしね」



身寄りのなかった自分を引き取ってくれた、誰より信頼できる『母親』。


そのショックは名雪とさほど変わらないはずだが、その姿は妙に落ち着いて見えた。


恐らく、自らも植物状態だったことが影響しているのだろう。何をするでもないのに、その『任せて』は妙に説得力があった。



「香里、行くぞ。名雪が心配だ」


「……」


「香里?」



あゆとは手術室前で別れ、すぐにでも病院を出て名雪を探しに行きたかったが、香里の様子がおかしい。


俯いて、何か考え事をしている。


俺の声が聞こえてない訳ではないだろう。また親友の事が心配でないはずがない。


だが。



「私は、行けない」



聞こえてきたのは、予想外の言葉だった。



「……理由を聞こうか」



歩みを止める。


名雪は今一番危ない状況だ。支えを失う恐怖から、自暴自棄になって最悪の事態が起こってもおかしくない。


だが。


それでも、俺には香里の言葉の真意を問い正さなければならない。


親友。


香里と名雪の間には、その言葉通りの絆がある。


栞の死を、知らないままに支えてきた名雪に、香里が感謝していないはずがない。


その香里から出た、『行けない』という言葉。


その言葉の真理を、俺は知る義務がある。



「栞が死んで、その悲しみから立ち直らせてくれたのは、他でもない相沢君よ」



俺としては、ただお節介をしたぐらいにしか思っていない。


ただ、香里がそんな俺に深く感謝している事は、その態度から分かっていた。



「貴方は、私と栞の橋渡しをしてくれたから。貴方が最期まで栞の傍に居てくれなかったら。最期の言葉を聞いて、私に伝えてくれなかったら。私は、今でも後悔していたわ」



橋渡し。この役目は、俺にしかできなかった。


栞の死を看取った。俺にしか。


香里の叫びを聞いた、俺にしか。



「私は、秋子さんのことを『名雪の母親』という事ぐらいしか知らない。そんな私の言葉なんて、今の名雪には届かないわ」



秋子さんがもし、このまま目を覚まさなかったとしても。


名雪が自分のせいで自暴自棄になるのを、望んでいるはずがない。


だが、そんなこと名雪にも分かっている。分かっていても、一人では信じきれない。


香里も同じ。栞が自分に望んだ事なんて分かっていた。自分を恨んでいない事なんて、分かり切っていた。


それでも、信じられない。一人で自己完結しても、どうしても不安が残る。


人の心なんて分からない。通じ合えたと思っていても、本心では別かもしれない。


だから、橋渡しが必要なのだ。


そして、秋子さんと名雪の壊れた橋を、再び架ける事ができるのは。



「貴方しか、いないの」



俺しか、いない。



「相沢君しか、名雪を助ける事は出来ないのよ」



親友の危機を、他人に任せる事しか出来ない。



「……だから、」



そんな不甲斐なさを押し殺し、手を固く握り締め、かすかに震えながら。


頬から伝う雫を拭う事もなく、香里は俺にそう告げた。



「お願い……名雪を……救ってあげて……!!」



それが限界だったのだろう。崩れ落ち、開かれた手で顔を覆う。


祈りだけでは、人は助からない。


だけど、祈る事しか自分に出来る事はない。


香里は祈り続けてきた。そして、それは尽く裏切られてきた。


なのに、なぜまた祈らなければいけない?


祈ったって、仕方が無いのに。


奇跡なんて──起きないのに。



「……違う」



違う。



「あい、ざわ……君?」



だが香里、それは違う。


今のお前は、こんな所で泣いている場合じゃない。



「香里、勘違いするな。お前には架けるべき橋がある」


「……どう言う事? 私と秋子さんとは……」


「だから違うって言ってるだろ!」



どうして分からない。


一年前、お前はどうだったんだ?



「お前には、大事な人を、それも肉親を失った事があるんだろ!?」


「──!!」



確かに香里と秋子さんの間には、深い繋がりは無いのかもしれない。


名雪がいなければ、二人は出会いすらしなかったのかもしれない。


だけど。



「お前と栞、名雪と秋子さん、何が違う! お前は名雪の気持ちが分かるからこそ、俺に助けを求めたんだろうが!!」



秋子さんの気持ちは分からないかもしれない。


秋子さんが望んでいる事なんて、分からないかもしれない。


居なくなる人の事なんて、分からないかもしれない。


けれど。


けれど、亡くす側気持ちなら。


栞と言う、最愛の肉親を亡くした香里なら。


秋子さんを失おうとする名雪の気持ちを、誰よりも分かる筈だ。


そして、掛ける言葉も。



「……わたし、は」



ふらつきながら、立ち上がる。


顔は涙で濡れ、いつもの端正な顔はくちゃくちゃ。


それでも、香里は真っ直ぐ俺を見る。


決意の火を、灯して。



「行くぞ香里。この一年間の総決算だ」


「……そうね。秋子さんのためにも。──栞のためにも」



隣同士で、歩き出す。



「立ち直れるって事を、教えてあげなきゃね」


「ああ」



今見えるのは暗闇だとしても。


歩き続ければ、いつか光が見えてくる事を、教えてやらなければいけない。


それが、残された俺達の責務なのだから。





辿り着いたのは、水瀬家。


確信がある訳ではなかった。名雪を探すのに、本来は多くの人手を借りて手分けして探すべきだった。


けれども。俺達はそうせず、最低限の人にだけ声を掛ける事に留めて、真っ直ぐに水瀬家へ向かった。


検討は、付いていた。


失うものの恐怖。


それに耐えるには、ここしか無いと思った。



「……」



階段を上がり、『名雪』とプレートが掛かった部屋の前へ。


まずはノック一つ。返事はない。


ドアノブに手を掛けると、すんなり回った。



「名雪、入るぞ」



一言断って、中へ。


陽は落ち、明かりの付いていない部屋は、真っ暗だった。


何度か部屋に入った事はあるが、その時は名雪の性格がにじみ出ている様な、明るく暖かい部屋だった。


それが今は、寒々と重い空気で満ちている。


まるで別世界。


その中に、名雪は居た。


部屋の隅、よく見ればカーテンの隙間から微かに漏れる月光の下に。


ベッドを背に、膝を固く抱え、目は虚ろに、ガチガチと震えながら。


恐怖に、耐えていた。



「……」



名雪は視線を少し動かし、何かに気付いてまた戻す。


それは一瞬の動作だったが。


確かにその目は、香里を捉えていた。



「何しに、きたの?」



何の感情も灯っていない声。


部屋の空気をそのまま吐き出すように、寒く重い声だった。



「あゆから聞いてな。お前を探しに来た」


「ふうん。で、これからどうするの?」



相変わらずの声色だったが、今度は確実に感情が灯っていた。


それは、侮蔑。


名雪は、はっきりと蔑んだ目でこちらを見据えた。



「安心して。別に自殺なんかしないよ。だから祐一は、香里と楽しんできて」


「……名雪」


「何? 私の無事を確認しに来たんでしょ。だったらもういいじゃない」



どこまでも暗く。どこまでも寒い声で。



「もう来ないで」



拒絶する。



「もう……笑えないよ……」



俺達を。



「もう……香里の事……笑って祝福できないよ……」



俺と、香里を。



「私はね、ずっとずっと、ずーっと祐一の事を好きだったんだよ。分かるよね香里」


「……」



以前、聞いた事がある。俺がこの街に来る直前、名雪は香里に俺の事ばかり話していたと。


香里は、以前から知っていた筈だ。


知っていて、俺に近付いた。


事実は多少違うとは言え、名雪からはこう見える訳だ。



「それでもね、しょうがないと思った。香里の事も好きだし、祐一が選んだならしょうがない。そう思った」



親友同士の絆。


そして何より、名雪の優しい性格が、そう思わせたんだろう。


だが。



「お母さんが居たから、そう思えたんだよ……」



四月、新学期を迎えた日に、俺は、名雪にはっきりと断りを入れた。


悲しく無かった筈がない。


それを支えたのが、秋子さんだった。


秋子さんが居たから、名雪は強くなれた。


秋子さんの慈愛を受け継いでいるからこそ、名雪はそう思えたんだ。


その秋子さんは。



「お母さんがいないと……私、強くなれないよ……嫌な子になっちゃうよ……」


「まだ居なくなっていない。秋子さんは今、必死に生きようとしてるじゃないか」


「……」



口を紡ぐ。名雪の頭には、先ほどの病院での言葉が響いているのだろう。


心臓が動いていても、脳が動いていなければ死んだも同じ。


意識が戻らないという事は、死と同義である事に他ならない。


だけど。



「あゆは、生きてる。生きて、今は病院で手術が成功することを祈ってる。お前は、どうするんだ?」


「……だったら、お母さんは目を覚ますの?」


「そうじゃない。でも、辛い日々を乗り越えて、やっと心の拠り所ができて、けれどまた失おうとしているんだ。それでもあゆは、病院にいる。逃げ出した名雪とは違ってな」



七年間眠り続けて、目が覚めたら天涯孤独。


それを秋子さんは、姉の子供である俺のせいと言うだけで、快く家に迎え入れた。


真琴だって、行きずりの記憶喪失、覚えているのは名前と俺への恨みだけ。それでも秋子さんは、記憶が戻るまでいつまでも居ていいと言った。


そんな、秋子さんが。



「秋子さんが、今のお前の姿を望んでいるとは思えない」


「……」


「立てよ名雪。秋子さんも、名雪の元気な姿を見たいと思ってる」


「……だったら」



俺の目を、ジッと見つめ。


しかし、相変わらず暗く虚ろで。



「それまで、祐一が支えてくれる?」


「それは……」



けれども、はっきりと。



「香里じゃなくて、私を選んでくれる?」



残酷な言葉を、呟いた。



「名雪……」


「祐一が居るなら、立ち上がれる。祐一が居るなら、頑張れる。お母さんが居なくなっても、祐一が居てくれるなら、また私は強くなるよ」


「名雪!」



それは違う。


そんなもの、断じて強さじゃない。


俺の断りに傷つき、それでも気丈に振舞った名雪は、そんな強さじゃなかった。


喩えそれが、秋子さんのお蔭だとしても。


あの名雪の強さは、それだけじゃない。


押されても倒れず、支柱すら必要とせず。


少しの後押しで、更に強くなれるぐらいの。


美しい強さが、名雪にはあった。



「名雪」



凛とした声。


それまで何も言わず、黙って聞いていた香里が、部屋に入って初めて口を開いた。



「……何、香里。今私は祐一と話をしてるんだよ。間に入ってこないで」


「いいえ、入らせて貰うわ。名雪の勘違いを正す為に」


「……何が違うの? 香里だって一緒でしょ? 香里だって、祐一に助けて貰ったんでしょ?」


「そうね。名雪と同じ様な状況で逃げ出しもしたし。確かに相沢君にはお世話になったわ」


「だったら!」


「でも」



言葉を留める。


あの頃を思い出すように。


栞を失い、学園に来て、どうしたかを。



「相沢君は、そんな私を許してくれなかったわ」


「……え?」


「泣いて、止んだらそれで終わり。悲しむだけ悲しんだら、あとは自分の仕事だってね」



後ろを少し押して。


倒れそうになって、少し支えて。


それだけ。


俺がした事は、本当にそれだけだ。



「ちょっと未練を見せたら叱って。自分だって未練たらたらだっていうのにね」



二月十四日。


『栞からのチョコレート』と言われて、俺は怒った。


過去に囚われている暇はないと。


結果として、それは杞憂だったが。



「重荷は背負って貰っているけれど、それは相沢君が望んだ事。それ以上の事はしてくれないし、道筋が分からなくても先に歩いてなんかくれない」



隣同士で。


意識せずとも、俺と香里はそうして歩いてきた。


手も繋がず。


一定の距離を保って。



「相沢君は、神様でも仏様でも聖人でもない。それどころか、一度支えたらもう二度と支えてくれない酷い人。酷くてひねくれてて優柔不断な──普通の人よ」



そう、俺は普通。


人一人支える事すらままならない、自分自身それほど強くもなく、一人でに倒れそうになるぐらいの。



「奇跡も何も起こせない、普通の人よ」



起きない奇跡は、起こせない。


普通の、人だ。



「名雪。相沢君はね、そう言う人なの。だから、そこから立ち上がらせて、一度だけ泣かせてくれて、重荷も背負ってくれるけど、それまで。それ以上したら自分が倒れてしまうから」



それが精一杯。


重荷を必死に背負って、何でもないと振舞うことぐらいはできる。


けれど、それだけ。


それ以上は、耐えられない。



「相沢君」



俺を呼ぶ声。


どうやら、出番が来たようだ。


強がる、出番が。



「私の重荷、降ろしていいわよ。そうじゃないと、名雪を支えれないだろうから」



そりゃ有り難い。


実は名雪の分まで背負ったら、もう支えれないと思ってた所なんだ。



「その代わり、終わったらまた背負って貰うわよ。勿論名雪の分も」



うへぇ。そりゃ大変だ。


これまで以上に強がる必要があるようだ。



「大丈夫。名雪の分は、私も背負ってあげる。そうじゃないと立ってられないでしょ?」



こりゃまた有り難い。


持つべきものは、親友だな。



「俺を忘れてもらっちゃ困るぜ」



ドアに立つのは、金髪を一本逆立たせた男。


暗い部屋に対して廊下の光が差し込まれ、無駄に格好良い。



「……そうだな。皆で、背負っていこう」



無理に俺だけが背負う必要はない。


香里の分だって、俺だけが背負ったわけでもない。


事情は知らなくても、名雪が、北川が、普通に接してくれる。それだけで充分重荷は軽くなった。


だから。



「立てよ、名雪」



右手を取り、引っ張る。


ほら、こんなに軽い。



「そうよ名雪」



香里が、左手を取る。


もっと軽くなった。



「そうだぞ水瀬。……ほんとに軽いなー。何食ってんだ」


「北川君、台無しな上にセクハラ」


「だ、だって他に掴む場所ないじゃん!」



北川が、後ろから腰を持つ。


暗くてよく見えないが、なぜか卑猥に見える。北川だからか。



「……うん、立つ」



目を閉じ、しかし安らかに。


固く閉ざしていた身体を解き。


ゆっくりと、立ち上がる。



「支えなくてもいいのか?」


「うん。それにはまだ早いからね」


「そっか」



晴れやかな、以前と同じ美しい笑顔。


そして、



「祐一、好き」



唐突に。


二度目の、告白をした。


香里は表情変わらず、北川はひゃーと小さく声を出して驚く。うぜぇ。



「すまん。その告白には応えられない」


「どうして? 従兄妹としか見えないから? それとも家族としか見えないから? それとも──」



次に来る言葉を待つ。


勿論、何が来るかは分かっていた。



「香里の事が、好きだから?」



先ほどの蔑んだ口調ではなく、穏やかに。


恋敵とも言える名前を、自らにとって残酷な筈の言葉を。


事実を確認するかの様に、名雪は口にした。


だから。



「ああ」



俺は、答えた。



「俺は、香里の事が、好きだ」



自分の気持ちを、素直に。誤魔化さずに。


あれこれ考えず、ただその問いに対して、ありのままに返答した。


それが出来たのは、他でもない名雪のお陰で、名雪の為でもある。


少し引き上げただけで、立派に自立出来る名雪の強さが。


俺に、この言葉を引き出させた。



「そっか」



頷く。目を伏せ、少し考え込むように。


その言葉を、噛み締めるように。



「……うん。ありがとう祐一、素直に答えてくれて」



また笑顔で、そう言った。



「祐一。香里。北川君。これからも、宜しくね。お母さんも重態で、香里には祐一を取られちゃったけど」



一言一言噛み締め、それでも笑顔で。



「私は、大丈夫」



力強く、美しく。



「私は、お母さんの、水瀬秋子の娘なんだから」



そうして、名雪はまた歩き出した──








喩え結末が最悪でも。


その後の物語が、最悪とは限らない。


全ては残された人次第。


今見えている視界が暗闇でも。


進み続ければ、いつかは光が見えるかもしれない。


それが徒労になるかもしれないけれど。



「そういや香里、返事を聞いてないが」



舞は独りで、孤独な時を過ごした。


あゆは木から落ちて、植物状態になった。


真琴は居なくなって、そのまま戻って来ない。


栞は死んで、二度と戻ってこない。


不幸続き。結末は最悪。真琴も未だ戻って来ない。



けれど。



舞は佐祐理さんと出会い、一人ではなくなった。今では魔物も出ない。


あゆは目が覚め、商店街を走り回れるまでに回復した。家族も出来た。


何も悪い事ばかりではない。


舞が佐祐理さんと出会えたのも、あゆが目を覚ましたのも、偶然かもしれない。奇跡的かもしれない。


けれど、それが『現実』。


栞の病気が治らなかった事も、真琴が戻って来ない事も、『現実』。


祈っても祈らなくても関係ない。やる事をやって、その結果がそうなだけ。


起こるべき事は起こらず、起こるべき事が起こった結果、それが『現実』というのなら。



「遅いわよ、馬鹿」



空模様は、雲一つない快晴。



病院で、目を覚ました秋子さんと、泣き崩れる名雪やあゆを前にして。



初めて、手と手を取り合い。



三月一日。



栞が死んで一年と一ヶ月。



美坂香里の誕生日に。



俺達は、幸せな『現実』を手に入れた。









Bad End After Care,


Happy End.

これにて完結です。


ご愛読ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ