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明日へ歩く

この段階で言えることではありませんが、色々と稚拙。

今思えば、俺は逃げていた。


認めたくない現実から、逃げていた。


不思議が起こっても知らぬ顔をして、真実を知ることから避けていた。


それでもいいと思っていた。下手な悲しみや絶望を知るぐらいなら、目を背けて生きていった方が楽なんじゃないかって。


当時はそれを逃げているとは思わず、ただ最良の選択をしたとした思えていなかった。


だけど。


俺は、もう決めたんだ。


前に、進むことを。


目を背け続けた現実に、知らぬふりを決めた臆病な心に、向き合うと決めたんだ。


そのためには、これは乗り越えなければいけない壁でもある。


でも、今なら大丈夫。


名雪が、香里が、そして栞が俺にはついている。


もう逃げない。



月宮あゆから、俺はもう逃げず、真正面から向かい合う。









明日へ歩く









月宮あゆ。


七年ぶりに再会した、雪の降る街にいた女の子。


泣き虫で、いじりがいがあって、困った時の口癖が「うぐぅ」。


タイヤキが大好きで、その理由は俺が買ってあげたから。



ここまでは俺がこの街に来た時にあった記憶でしかない。


そう、重大な記憶の欠陥があった。


忘れてはいけない、重大な。



あゆは。



七年前、木から落ちて意識不明の重体になっていた。



どうして忘れていたのか。


秋子さんは幼い心ゆえに深い傷を残すのを恐れ、本能が忘却した、と言っていた。


つまり自分が傷つくのを恐れて、本来避けれた事故で傷ついたあゆのことを忘れていたんだ。


そして、忘れたまま七年が経ち。


本来ならばそこにいてはいけないはずのあゆを見て、それでも思い出せなかった。


異変に気づいたのは、栞が死ぬ間際になって。


突然あゆが商店街から消えた。


だが俺はその頃それどころじゃなく、瀬戸際になった栞の最後を看取るために心と体の準備をしていた。


なぜいなくなったのかはわからない。


わからないまま、月日が流れていった。


何かとんでもない事を忘れている気がして、でも思い出さない方がいい気がして。


一方で忘れてはいけない記憶を刻み、もう一方で忘れてはいけない記憶を思い出すことを拒否していたわけだ。


心の中では、栞のことを整理することでいっぱいという言い訳をたてに。


あゆから、俺は逃げていた。



「……ここか」



今俺がいるのは付属病院。


あゆが運ばれ、植物状態をそのまま受け入れ続けた病院だ。


受付の人に聞き、階段を登って言われたとおりの階へ、言われたとおりの病室へ。


プレートに他の文字はなく、ただ『月宮 あゆ』とあるだけ。


どうやら特別部屋らしい。全く、あの泣き虫が立派になったもんだ。



「さて、と」



ドアの前で目を瞑り、一呼吸。


前に進むには、まず過去を断ち切らなければいけない。


自己完結で済まされるものは済ませて、終わりの形が明確ならばそれを模って。


あゆとの過去を断ち切るためには、どうしても俺はあゆと会わなければいけない。


それを示唆してくれたのは、他でもない秋子さんだった。





あゆの異変について詳しい事情を知るために、まず俺は秋子さんに説明を求めた。


忘却していた過去を思い出すと、茫然自失していた俺を助けてくれたのが秋子さんだったのだ。


夕暮れに起こったあの事故から、しばらく立ちすくんでいた俺を探しに来たのだろう。


気がつけばとっくに日は沈み、辺りはほとんど何も見えない状態だった。


恐らくすぐに救急車を呼べば、あゆはもっと軽い怪我ですんだのかもしれない。


しかし幼い俺は、起こった事実を認めたくないがために、あゆを見殺しにした。


秋子さんが俺達を見つけてすぐに救急車を呼び、あゆはこの病院へ運ばれ、辛うじて命は取り留めた。


だが俺は見殺しにしたも同然だ。あゆを助けたのは秋子さんで、秋子さんがいなければあゆは助かっていなかったに違いない。


自責。償っても償いきれないほどのその罪の重さに、俺は何度も押し潰されそうになった。



ナンデオモイダシタンダ



ワスレテイレバシアワセダッタノニ



オモイダサナケレバオモイナヤムコトモナカッタノニ



心が叫ぶ。思ってはいけないと知りつつも、幾度となく巡るどす黒い感情。



オマエハワルクナイ



ワルイノハアイツダ



トメタニモカカワラズキニノボッタアイツガワルイ



誰が悪いのかははっきりしている。


だが、それでも心は叫ぶ。



ナニモナヤムコトハナイ



マタワスレテシマエバイイ



ソウヤッテオマエハナナネンカンスゴシテキタジャナイカ



ああ。俺は事故を忘れ、自責を忘れ、あゆを忘れて生きてきた。



ナラバ



だけど。



ニゲロ



俺は。



ニゲロ



前に。



ニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロ────!!!



進む。





「……」



目を開け、ドアを開ける。


秋子さんは全てを知っていた。


知った上で、隠していた。


事実がなんであれ、俺があの時のこと思い出し、そして知ろうと思うまでは教える気はなかったらしい。


どうやら秋子さんは両親がいないあゆの事実上の保護者であり、入院費や手術代などを全て払っているという。


秋子さんの懐の厚さに大いなる感動と少しの驚愕を覚えつつも、詳しい事情を聞き、そこでまた驚愕することとなった。


今まで逃げていた自分が情けない。


でも。


これが前に進むということなのか。


それなら──



「あ、祐一君! 久しぶりだね!」



それなら、今までの苦悩も、全て消えると言うものだ。



「ああ、久しぶりだな、あゆ」



事実が時にどんなに残酷でも、また時にはこんな幸福もあるのなら、悪くない。


そう思った瞬間だった。





「ごめんね祐一君、病院から抜け出してるのバレちゃってて……」


「毎日抜け出したりするからだ。時々ならばれなかったかもしれないのにな」


「う、うぐぅ」



数年の時を経て目を覚ましたあゆは、その間身体を動かさず眠っていたため、まずリハビリをすることとなった。


リハビリのかいあって正常な体力を戻しつつあったあゆは、退屈な病院を度々抜け出し、街へ出ることもあったらしい。


本来病院を出ることもしないはずなので財布の中身もほとんどないため、その頻度は多くないものであったが。


最近になって、その頻度が極端に上がり、ほぼ毎日のものになっていたという。


その理由は、言うまでもない。



「でも、だって、祐一君に会いたかったんだもん…」



他でもない、俺という存在だ。


眠っている間流れた時間を把握していくのち、またリハビリをするだけの日々に、旧友にまた会えることがどれだけ嬉しいことか。


今までは退屈しのぎにただ街に出ていただけなのが、目的ができてしまったのだ。


ついつい頻度も増えてしまうだろう。


実際面と向かってそのことを言われてしまうと、俺はもう何も言えなくなってしまった。


病院内での寂しさ、退屈、自分の体への怒り。そして俺と会えた感動。


どれも俺には到底共感することのできない感情であり、だからこそ何も言えなくなる。



「でも、もうすぐ退院らしいよ! またボクも気兼ねなく祐一君と会えるよ!」


「そうか。よかったな」


「しかもボク、秋子さんに引き取られるらしいから祐一君とも住めちゃうよ!」


「そうか、そうなるのか……」



真琴の部屋でも使うことになるのだろうか。


そうすると真琴が帰ってきたときどうするんだろう。相部屋?


……まあ帰ってきてから考えるか。



「うぐぅ、祐一君があまり嬉しそうじゃない……」


「嬉しくないわけがあるか。ただ、複雑なんだ」


「複雑?」



複雑なのは、何も部屋に限っただけの話ではない。


本当に複雑なのは、他でもない。



「あゆに何もしてやれなかった俺が、こんなに幸せでいいんだろうか、ってな」



嬉しくないわけがない。


ただ、自分が許せないだけ。


今はまだ、こんなに幸せであっていいはずがない。


やるべきことをこなして、その上で訪れたものが、本当の幸福だ。



「祐一君……?」


「あゆ。お前に言わなきゃならないことがある」


「……何?」



恐らく、あゆは俺のことを責めてはないだろう。


自惚れでもない自信がある。あゆは、俺のことを責めてなんかはいない。


それは会ってみて確信が持てた。あゆは、俺が見舞いに来たことを心から喜んでくれている。


木から落ちたのだって、自分が悪かったせいだと考えるだろう。


俺が救急車を呼ばずただ呆けていたのも、しょうがないと考えるだろう。


でも、だからこそなんだ。



「あゆ。悪かった。七年間見舞いにもいかず、ただ現実から俺は逃げた。そしてお前に再会した後も、あゆが木から落ちたことなんて忘れていた」


「……」


「俺は、あゆのことを忘れようとしていたんだ。あゆを思い出すと、あの辛い日のことを思い出してしまうから。だから、」


「もういいよ、祐一君」


「いや、言わせてくれ。お前が俺のことを責めていようがいまいが、それとは関係ない。責めているのならまた違った形での謝罪をしよう。これは、ただ俺があゆに何もできなかったことへの謝罪なんだ」


「……」


「すまない、あゆ。お前を赤く染まった雪の中、俺は何もできず呆けてしまった。そして、その辛い事実を忘却するという最悪のことをしてしまった。このことはいくら謝罪してもしきれないほど重い罪だ」



謝っても謝りきれない、この犯罪。


あゆが目を覚ましたとかは関係ない。ただ、この罪を犯したことだけは、俺自身が許さない。


気がついてよかった、のレベルではない。死ななくてよかった、のレベルではない。


何より、助けることより逃げることという選択肢を選んだ、俺自身をどうしても許すことができない。


一生俺は自分を許すことはできないだろう。


だが。


そのまま自分を痛めつけて生きていくことに、意味なんてない。


過去を引きずったまま生きていくことに。何の意味もないことを、俺は知った。


だから、これはけじめ。


最悪の選択肢をとった、自分へのけじめ。


あゆはもしかしたら俺を許さないかもしれない。そんなことないと思いつつも、何度も自問自答した。


ひょっとしたら街で会った時は、俺を殺そうとしてたのかもしれない。本当は恨みをもちつつ、チャンスを伺っていたのかも知れない。


そんなあゆを疑うことまで何度も考えてしまった。


許してもらえないかもしれないのに、謝ってどうするんだろう。


どうなるかはわからない。許してもらえるかもしれない。だが、もし許してもらえなかった時は?


そう思うと、怖かった。


逃げ出したくなった。


でも、そんな考え自体が間違いなんだと気付いた。


許してもらうとかは関係ない。ただ、自分の犯したことを謝罪するということ自体が重要なんだ。


犯してしまった以上、もうそれは事実として残ってしまっている。


ならば、もうそんなことは二度としないように、二度としてしまわないように誓うだけ。


そのためには、相手に面と向かって自分の罪を認め、そして相手の悲しみを知り、それを心に留めて今後生きていくだけ。


自殺という選択肢も一時は考えた。だが、生きることを放棄することのおろかさはもう学んだ。


俺は生きなければならない。だから、生きていくうえで今後してはいけないことを、今ここで胸に刻んでいく必要があるんだ。



「じゃあ祐一君は、木から落ちたボクのことをほったらかしにして、七年間そのことを忘れたまま何の苦悩もなく生きて、今更になって謝りにきたって言うんだね」


「……ああ」


「しかもボクをこんな姿にしておいて、どうやら祐一君は性懲りもなく生きようとしているんだね」


「……そうだ」


「そっか……」



事実確認。ただありのまま起こったことを確認しているだけだが、これがたまらなく辛い。


これが、罪を背負うということ。


痛い。心が、たまらなく痛い。


だけど、これは決めたことだ。前に進み、後ろに留まるしかなくなった者のためにも生きるために、必要なことなんだ。


もう二度と、こんなことは起こさないように。


あゆのためにも、俺はもう逃げない。



「だけど祐一君。改めて言うけど、祐一君は何も悪くないよ」


「あゆ……」


「ひょっとしたらこの言葉が返って祐一君を傷つけてしまうかもしれないけど、でも言うね」



時には慰めでさえ心を痛めつけることを、あゆは知っていた。


その通り、かえって罵詈雑言を言われた方が楽なぐらいに、慰めの言葉は俺を痛めつける。


けれども。



「祐一君、辛い思いをさせてごめんなさい。ボクが、祐一君のいうことを聞いていればこんなことにはならなかった。本当に、本当にごめんなさい……!」



泣き崩れるあゆ。


あゆもまた、自責の念に駆られてしまっていたんだろう。


お互いが自分を責め、そしてこの謝罪もお互いを痛めつける。


このままだと無限に続くであろう、謝罪と自責。


お互いが悪いのかもしれないし、お互い悪くないのかもしれない。


傷は見てすぐに何が原因がわかるし、時期に治る。逆に心の傷は目に見えないからこそ、本質的原因がわからないし、いつ治るかさえわからない。


何が原因か。木から落ちたから。


誰が原因か。それは、わからない。


つまり、そういうことだ。


だからこそ、心の傷にはけじめが必要なんだ。



「じゃあ、おあいこだな」


「……え?」



塞がっていた顔をあげ、涙で濡れたあゆの顔が見える。



「自分が悪いと思うなら、二度としなければいい。罪は消えない。なら、その罪を二度と繰り返さないように、心に刻んでおくことが何より必要なんじゃないか?」


「あっ……」


「傷は誰かが原因なら、その人に治してもらえばいい。けど自分が原因なら、自分で治せばいいだろう?

 たとえ自分がどんなに悪くても、贖罪は今の自分にできることをするしかない。ならば今の俺達にできることといえば、何だったあゆ?」


「その罪を、二度と繰り返さないこと……」


「そう。それしかないとは思わないか?」



本当は、違うのかもしれない。


相手が望むことをしてあげることが一番なのかもしれない。


だけど、この場合は違う。


互いに自分が悪いと思うのなら、もうしないようにすればいい。


互いに責め合ってもしかたがない。それでは自責が積もるばかりだ。


ならば、これ以上罪を犯さないようにすること。それが何より相手のためになると、俺は思った。


それは、



「そう、だよね。そうだよね!」


「ああ。だから、俺達は心に留めておこう。二度とこんなことにならないようにな」



正しかった。


悩みぬいた結論が、正しいことが今証明された。


今、真に幸福が、訪れたんだ。



「悪くは、ないな」


「えっ?」


「悩んで悩んで悩みぬいて、その結果がこんなに嬉しいことなら、悪くは、ない……」


「祐一君……泣いて…」



涙もでる。


だって。


足掻き、苦しみ、それでも悩みぬいた末に。



やっと、わかったんだ。



やっと形になった。


背負うと言うこと。


生きていくと言うこと。


それが、やっとわかったんだ。



七年前、俺は月宮あゆに出会った。


それから時を経て、俺達は確かに再会を果たした。


だが、それは真の意味での再会ではなかった。


俺はあゆのことをちゃんと見つめていなかった。


ならば今、真の意味での再会を果たそう。


前に、進もう。



「ただいま、あゆ」



俺は七年間あゆから逃げていた。


それは、あの時から前に進むことを拒んでいたということ。


辛い過去を、断ち切るのではなく忘れるという逃避を選んだということ。


だから今、改めて過去を振り返り。


逃げるのではなく、今度はちゃんと向き合った上で。


俺は。


過去を。



「おかえり、祐一君っ!!」



断ち切る──





「じゃあな、あゆ」


「うん。今度はボクから祐一君に会いに行くよ!」



それからあゆとは長い間語り合った。


俺のこと、あゆのこと。


七年分気兼ねなしに語り合えた時間は、とてもとても幸福で。


これからも、期待のできる再会になっただろう。



あゆは退院したら水瀬家に住むことになるらしい。


今後の進路についてはこれから考える、とのこと。


焦る必要もないのだが、本人はやたら俺と一緒に学校に通いたがっているらしく、実際目を覚ましてすぐに通信教育は受け続けてきたらしく、今後の頑張り次第では春からの入学もありえるらしい。


入れたとしても一年生からで、俺と学年は当然違うことになるのだが、それでも本人は満足だそうだ。


要は俺と名雪と一緒に家を出て、学校まで着き、授業を受け、一緒に帰ることに意義があるんだろう。


朝は名雪を起こすのに苦労するし、学校に着くまで全力疾走、放課後も名雪は部活だと言うことは今は言わない方がよさそうだ。



「これから同棲だな」


「うぅ……ちょっと恥ずかしいけど、でも祐一君なら大丈夫だって信じてるからね?」


「何が大丈夫なのかは知らんが、性欲なら大絶賛貯蓄中だぞ。実は今もあゆを襲いたくてたまらないんだ」


「うぐぅ、貞操の危機!?」



軽口も交わしあい、気がつけば夕暮れ。


これからあゆはリハビリもある。もう大分終わりが近いそうだが、邪魔しちゃ悪い。


腹も減ったことだし、帰ることにした。



「次会う時は退院する時だな」


「退院祝いは鯛焼き十個で!!」


「糖尿病で逆戻りになっても知らんぞ」


「うぐぅ、そんなこという祐一君嫌い…」



どっかの誰かみたいなことを言う。


俺はそれに、軽く笑い。



「じゃあ、またな」


「またね、祐一君!」



あゆに別れを告げ、ドアを閉めた。


一呼吸して、俺は歩き出す。


明日に向かって。


未来に向かって。



俺は確かに、前へ一歩踏み出した。

最終話の構想が凍結中。


そしてこのペースだと今年中にはまず終わらないという。


まあ、頑張ります。

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