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聖女から聖獣になった私が、普通の人間として幸せになるまで

作者: いちのせ
掲載日:2026/11/01


 一度目の人生で、私は人間に絶望した。


「ちょっと人より浄化が出来るからって生意気なのよ。本当は私が持て囃されてしかるべきなのに」


 そんな言葉と共に、冷たい水を頭から浴びせられた。雪が降ろうかというこの時期に、拷問のような仕打ちだ。

 身を切るような寒さに震えるコレットを満足気に見下ろし、楽しそうに笑いながら取り巻きを連れて去っていく女は、元侯爵令嬢である。


(私だって、好きでこんな力を持って生まれたわけじゃないのに)


 この国では、浄化の力を持って生まれた女性を聖女と呼ぶ。

 聖女となれば国から依頼されて穢された大地を清めたり、魔物との戦いにより負傷した人、病にかかって苦しんでいる人を癒やさなければならない。


 力が発現するのは十才前後であることが多く、孤児院で育ったコレットもそうだった。

 転んで泣いていた年下の子のすり傷を院長の前で治癒したため、聖女と分かってしまったのだ。


 すぐさま国から遣わされた神官が来て、金銭と引き換えにコレットを協会へ連れて行った。

 それからはずっと搾取される日々だ。


 どれだけ身を削って貢献しても、聖女が働くのは当たり前だという認識から感謝すらされず、むしろ当たり前のことだと受け止められる。

 そして孤児院出身だからという理由で、同じ聖女達からの当たりも強かった。

 食事すらまともに与えられず、銀の髪は血色を失い、緑の瞳には生気が宿っていない。


(もう抵抗する気力もないわ。早くこの生が終わればいい)


 そんな風に諦めながらも生きているのは、死のうという勢いすらないからだ。

 死ぬにも気力がいるのだとつくづく思う。コレットに出来るのは、ただ無心で誰かの言う事に従い、時間が過ぎるのを待つことだけだった。

 しかしある日、それすらも唐突に奪われた。


「悪女コレット!侯爵様に呪いをかけた罪で死刑とする!」


 何の説明もされることなく、部屋へ入ってきた兵士達に連れ去られ、あっという間に広間の中心に立たされる。そこには急遽設営されたと思われる処刑台があった。


「お前の呪いのせいで公爵様の傷は悪化し、一時は死の淵を彷徨っておられたのだ!死をもって償うがいい!」


 その言葉でなんとなく事態を察した。

 浄化の力が弱い者が無理に傷や病気を癒そうとすると、逆に悪化させてしまうのだ。

 聖女の間では常識とされているものの、そのことは世間に広く周知されているわけではない。


(きっと自分の失敗を私のせいにしたのね)


 いつもコレットに辛く当たっていた侯爵令嬢は、一応聖女と認定されてはいるのだが、非常に力が弱かった。だから人を癒せるはずなどない。

 無理に治そうとしたが悪化させてしまい、それをコレットが呪ったからだと証言したのだろう。


(もう全部どうでもいい)


 コレットが動いたので、逃げ出すのかと兵士達が身構えているが、それにかまわず自分から処刑台に向かって進んでいく。それを見て集まっていた民衆達は騒ぎ始めた。


「あの子はうちの旦那が仕事で怪我した時、綺麗に治してくれた子だよ!そんな子が人を呪うなんてあるはずない!!」

「そうだそうだ、俺もその一人だ!人違いじゃねぇのか!?」

「大地を浄化してくれるのも人を治癒してくれるのも、いつもあの子だったじゃないか!」

「本当に人を呪うような女なら、処刑台を見て逃げ出すはずだ!犯人は他に―――」

「黙れっ!静かにしろ!騒ぐ奴は取り押さえるぞ!」


 騒ぐ民衆の声も、それを止める兵士の声も、コレットの耳には何一つ届かない。

 胸にあるのはようやく苦痛から解放されるという喜びと、ただ一つの祈り。


「もう二度と人間に生まれませんように」


 処刑台に首を乗せて、そっと目を閉じた。

 それがコレットとしての最後の記憶だった。









 二度目の生を受け、本当に神様はいるのかもしれないと、初めて思った。


『うぅ〜ん、今日の果物も美味しい!魔物って最高!』


 むしゃむしゃと木に成っている赤い果実を頬張りながら、コレットだった魔物が叫ぶ。

 なんと目を開けたら、前世の記憶を持ったまま魔物に生まれ変わっていたのだ。しかも強い魔力を持った希少種である。


 銀の毛並みに長い角を二本持ち、緑の目は三つある、四つ脚のケリュポスという種族だ。見た目は鹿に似ているが人語を解し、本気で走ると空も飛べる。

 コレット時代の記憶によると、ケリュポスは森の奥に住んでいてめったに人の前には姿を現さず、あまりに目撃数が少ないため絶滅したとも言われていた。

 その強さから森の主を司っており、先代の寿命が尽きると新たに次代が誕生するらしく、誕生と共にコレットの記憶を引き継いだ。


『好きな時に好きな物を食べられるし、眠れるし、誰にも何も言われない!神様ありがとう!』


 最初は人間時代の記憶が強くて心細さも感じていた。けれど森ではケリュポス以上に強い魔物がいないため皆が敬ってくれるし、何をしてもいいのだということに気づいてからは、毎日をめいっぱい満喫している。

 思いっきり飛んだら体が浮き上がって、空を飛べる楽しさも味わえる。思いっきり走ったら自分でも驚くほど速度が出て、どんなに遠くまででも行ける。

 制限しかなかったコレットとは大違いだ。


『私、この森を守って生きていく。もし人間共がここに足を踏み入れようものなら、皆殺しにしてやるわ!』


 鼻息荒く決意をかためる。二度と悲惨な目には遭いたくない。そして他者を悲惨な目に遭わせる人間も許さない。

 立派な森の主として生きるのだとそう決めて、元コレットはケリュポスとしての生を大いに満喫していた。






「ほら、うまいぞ」


 最近、森の奥までよく来る人間がいる。

 金の髪に青い瞳の、おそらく人間の中でも整った顔立ちの男だ。

 育ちが良さそうで、森の動物達にも乱暴なことはせず、ただ持ってきたパンや果物を食べたら帰るだけの変わり者。


 リスに似た魔物やネズミに似た魔物におこぼれをやり、ちゃんと散らかさずに帰る。なので無闇に攻撃することも出来ず、被害がないのならと見て見ぬふりをしていた。


「ここは本当に空気が澄んでいて心地良い。きっと森の主がちゃんと守って下さってるんだな」


(余計なお世話よ。そして食べたならさっさと帰れ)


 そう心の内で毒づきながら、今日こそはなにかするんじゃないかと毎回木陰から監視している。人間は信用出来ないから。

 けれどいくら監視しても、彼は森に何もしなかった。


「ずっとここにいられたら、どれだけいいだろう」


 ある日男が漏らした意外な呟きに、思わず体を動かしてしまった。木に角が当たり枝が折れる音がして、男の視線がこちらへ向く。


(しまった……!どうしよう、殺す!?でもさすがに何もしてない人間を殺すのは、森の主としてどうなんだろう!?)


 目撃者は消した方がいいだろうかと、あわあわと迷うケリュポスに対して、男は恭しく跪いた。


「あなたが森の主ですね。驚かせてしまい申し訳ありません。すぐここを立ち去りますので、どうかお許しを」

「!?」

「この森は、私の憩いの場所なのです。荒らすつもりなどございません。お詫びといってはなんですが、今度あなた様への供物を持って参ります。獣肉で良いでしょうか」


 ケリュポスは草食なので肉は好まない。しかし人間にはそんな知識などないだろう。

 このままでは肉を大量に持ってこられるかもしれない。それは大変困るので、致し方なく発言した。


『肉じゃなくて、野菜か果物がいい』

「えっ!?……は、はい!承知いたしました!では今日は失礼いたします!」


 何故か嬉しそうに一瞬微笑んだ男は、身を翻して街へ戻っていった。


(怯えられることも怖がられることもなかった。あの男、やっぱり変わってるのね)


 初めて人前で話したが当たり前のように受け入れられたのは、ケリュポスにとって衝撃だった。けれど何故か嫌ではなくて、そんな自分に戸惑ってしまう。

 おそらくコレットとして生きていた時は、閉鎖された世界の中にいた。その狭さが全てだと思っていたのだ。魔物になってからそれがよく分かった。


 ひょっとしたらコレットの時にも近くに善良な人はいたのかもしれない。自分が気づけなかっただけで。


(それでも人を信じたくない。私はこのまま自由な魔物でいたいの)


 だからあまり関わらないようにしようと、ケリュポスは決意を新たにした。






「どうぞお召し上がり下さい。主様が健やかであらせられますように」


 男は小さな祭壇を作ってくれて、そこにたくさんの供物を乗せて帰っていった。人の手で作られた野菜と果物は大きく瑞々しくて、森では味わえないものばかりだ。

 気配がなくなったのを見計らい、ケリュポスは遠慮なく供物を平らげていく。


『美味しい!こんなので絆されるわけじゃないけど、美味し〜い!』


 もぐもぐと行儀悪く頬いっぱいに頬張り、満足気に息を吐く。ここまでされては仕方ないので、男が森に足を運ぶのは許してやることにした。


(おかしいことをすれば気配ですぐ分かるし、そんなにこっちだつて暇じゃないからね)


 そう理由づけて、それから男をいちいち監視するのはやめた。


 そうやって男とは適度な距離を保ちながら、ケリュポスは楽しく生きていた。

 魔物の寿命は長いので、当分こうして穏やかに生きられるだろうと、そう思っていたのに。


 幸せな日々はすぐに終わりを告げてしまった。






「うわあああ!助けてくれ!」

『あの声は……それに、この気配、これはまさか……っ』


 森の奥にいるケリュポスの耳に届いたのは男の悲鳴。そして同じ方向から、不気味で禍々しい気配が漂ってくる。


 ―――森の平和を脅かす敵だ。


 本能が告げてくる。倒すべき敵が現れたのだと。


 ケリュポスは脚に力を入れて、全速力で駆け出した。

 近づくにつれ、血の臭いが強くなっていく。


(どうか無事でいて)


 その願いもむなしく、辿り着いた先で目にしたのは、腕を大きく切り裂かれて倒れている男の姿だった。出血がひどく息も絶え絶えで、このまま放っておけば命を落とすだろう。

 そして男の後ろには、脚から血を流してもがいている、猪のような魔物もいる。


『ヌシサマ、コノオトコ、イイヒト。ボクヲタスケヨウトシテクレタ』

『……そう。敵はどこ?』

『クモツ、ネライニキタ。アッチ』

『分かった。動かないで、傷を癒やすから』


 ケリュポスは浄化の力で猪の魔物を癒やしてやった。これで逃げられるだろう。


『私が敵を倒す。だからあなたは巣に隠れていなさい』


 そう言うと魔物は離れようとしたが、何故か再びこちらを見てくる。この人間が気になるようだ。


『この男も癒やして人里に帰すから』


 助けられたことに恩を感じているらしく、それを聞いた魔物は安心したかのように離れていった。言葉通り、男もちゃんと癒やしてやる。


『あの子を助けてくれてありがとう。……いつも供物をくれてありがとう。あの魔物は私が倒すよ』


 傷が塞がり呼吸が整ってきた男を見下ろし、そっとお礼を言った。聞こえたかどうかは分からない。


 ケリュポスは後ろを振り返ることなく祭壇へ向かった。






「主様……っ」


 男が泣いている。けれどもうケリュポスには、それに応える力は残っていなかった。


 対峙したのは巨大な三ツ首の蛇の魔物、ヒュドラ。数十年に一度の割合で現れる、生きた災害と呼ばれる存在だ。

 ケリュポスも人間時代に知識として学んでいたが、まさか自分が相見えるとは思っておらず、視界に捉えた時は一瞬怯んでしまった。


 それでも戦ったのは、森の主はこれと戦うために必要なのだという、天啓のようなものがあったから。

 小さく弱き森の仲間達を守るために、森を終わらせないためにケリュポスは生まれた。


 前世と違って役目を与えられて生まれたのなら、きっとここで死ぬのは運命なのだろう。

 そう思えるようになった自分が信じられなくて、そして満足だった。


「主様、私を助けるために力を使ってしまったから……私の、せいで……っ」


 溢れる涙が顔に降ってきて、ケリュポスの胸に不思議な感情が湧き上がった。何と名前を付けていいか分からない、暖かなこの気持ち。


 別に男を助けたから命が尽きようとしているわけではないのだが、その勘違いを解きたくても、もう長く話せない。

 なんとか泣き止んで欲しくて、残っている血まみれの脚で男に触れた。


『もうすぐ次の主が生まれる。だから泣かないで』


 両角は折れ、目も一つ潰され、脚も一本千切られて、それでもケリュポスは戦い続け、最後には三つとも蛇の頭を食い千切って絶命させた。


 そこまで頑張れたことが誇らしい。

 次に命を繋げるから。


「でも、次の主は、あなたではないのでしょう?」


 男の涙声に目を瞬いた。

 まさか自分の命を惜しんでくれる人が現れるなんて、前世でも今世でも考えたことがなかったから。


『……ありが、とう……』

 

 男が優しく背中の毛を撫でてくれて、そっと目を閉じた。


 それがケリュポスとしての最後の記憶だった。









「だからって、何でまた人間にするのよ!魔物で良かったのに〜!」


 ケリュポスだった私は、今世はステラというパン屋の娘として誕生して、先日十六歳を迎えていた。


 言葉を話せるようになってから、急に全ての記憶が頭の中に流れてきて、それからは異様に悟った幼児と化してしまった。


 しかし幸いなことに両親はとても優しい人達で、ちょっと変わった子供のステラを、愛情深く見守りながら育ててくれたのだ。

 そのおかげで今の人生に不満があるわけではないのだが、それでもやはり人は人。

 人間の嫌な面が見えた時には、魔物だった時代を懐かしく感じてしまう。


 ケリュポスとしての記憶はとても輝いていた。

 美しく厳しくもある自然に囲まれ、恵みを享受し、仲間と共に生きる。毎日が楽しくて気ままで、愛しかった。


 なぜかあの青年の顔を思い出そうとしても、靄がかかったかのようにどうしても浮かばないのだが、きっとケリュポスの中では大した存在じゃなかったのだろう。そう思って、自分の感情に蓋をした。


 さっきは店番をしている時に、以前からしつこくデートに誘ってくる村のおじさんに絡まれて、なんとか撃退したもののひどくうんざりした。

 それでつい叫んでしまったというわけだ。


「はあ、人間ってめんどくさい……」

「だからお前も人間だって。いつも言ってるだろ」


 休憩がてら気晴らしにやってきた街の広場に、幼馴染のカイルが現れた。

 彼は領主である男爵の一人息子なので、本来なら気軽に平民のステラと話せる立場ではないと思うのだが、同い年だというだけでやたらと顔を合わせることが多い。

 そして余計な気を遣わないで欲しいと小さい時に言われたので、ステラはカイルに対して気軽な幼馴染として接していた。軽口も叩けるし話していて楽しい。


 金の髪に青い瞳で顔立ちが整っており、さぞかし将来は美男子になるだろうと思っている。本人には言わないが。


「また来たの?勉強はどうしたのよ」

「ちゃんとやってる。休憩中なんだ。というか、何でステラも人間なのに人間は嫌だって言うんだ?生まれてきたものは仕方ないだろ」

「それはそうだけど……人間って、あまり自由がないでしょう。だから魔物が良かったなって思うの」


 コレットの時に比べれば、人への嫌悪感はだいふ薄れている。けれど人間になりたかったかと聞かれたら、けしてそうではない。

 ステラの中にもまだコレットはいて、全ての傷を無かったことになんて出来ないから。


「……確かに自由は限られてるかもしれないけど。俺はステラと同じ人間として生まれた事に感謝してる」


 思わず目を見開いた。カイルの言いたいことが分からない。


「どういう意味?」


 なぜか彼の耳が赤くなっている。

 流れている空気もいつもと違う。


「もうちょっと待って。俺が十六歳になったら、きちんと伝えるから」


 これはまさか、そういうことなのか。

 ひょっとして、ひょっとすると。

 三度目の人生で、初めての。


 ステラは動揺していた。そしてその理由は喜びでも嬉しさでもなくて、怯えに近かった。






(このままでいいの?私、普通の女の子じゃないのに)


 そう思ったステラは両親に休みをもらって、以前ケリュポスとして住んでいた森へとやってきた。

 今はきっと違う主に守られているだろう。会えたら会話出来るかもしれない。


(私がケリュポスだった頃も人と意思疎通は出来たのだし、たぶん大丈夫よね)


 住んでいた頃の記憶を辿り、迷いなく奥へと進んでいく。そういえばコレットとして住んでいた国は、かつて森の反対側に存在していたことが今世で分かった。

 もっともとっくに滅びていたらしく、現在は跡地しか残っていないのだが。


(何でも聖女制度に反対した国民達が暴動を起こし、それがきっかけで国が乱れてしまったと歴史書にはあったけれど。国が滅びるほどの大きな不幸が起こるなんて、何かの祟りだったのかしら)


 興味がないので詳しく調べてはいないのだが、ちょっとだけ胸がすっとしたのは確かだ。

 そんなことを思っていると、見覚えのある祭壇が目に入った。


「えっ!?」


 あれから百年以上経っているはずなのに、当時と変わらない祭壇がそのまま存在している。

 まるで誰かが手入れしているかのようで、近くには花も飾られていた。


「何で、そんな……」


 ステラの脳裏に蘇るのは、いつもここにたくさんの野菜や果物を持ってきてくれたあの青年の笑顔だ。


 そう、金の髪に青い瞳の―――。


「ステラ!?」


 思い出の青年とカイルの顔が重なり、一致する。

 ここにカイルが現れたことにも、面影が重なることにも、ステラは驚いた。


「カイル!?どうしてここに!?」

「ステラこそ、何で主様の祭壇の前にいるんだよ!びっくりしただろ!」


 そういうとカイルは、背負っていた荷を下ろして中身を見せてくれた。


「俺はうちの果実を主様に納めに来たんだ。今年は豊作で助かるよ。一つ食べるか?」


 赤い果実を手に取ってステラへ渡すと、残りは祭壇の前へ綺麗に並べていく。

 最後は手を合わせて祈りの言葉を述べた。


「主様、いつも森をお守りいただき、ありがとうございます。どうか主様が健やかであらせられますように」


 ―――遥か昔の記憶と、今が交差する。


 気がつけば、ステラの頬には幾筋もの涙が溢れていた。

 ステラとしてなのか、ケリュポスとしてなのか分からない涙は、とめどなく流れていく。


「うわっ、どうした!?」


 泣いているステラに気づいたカイルが慌て始めたが、何も答えられない。

 ただ分かっているのは、これは悲しさからくるものではなくて、嬉しさからくるものだ。


 呼びかけに答えないステラを、カイルは何も言わずぎゅっと抱きしめた。背中に回された手は少しだけ震えていたが、何度も優しく撫でてくれる。

 だからステラもカイルの背に手を回し、思いきりしがみついた。

 ステラが落ち着いて泣き止むまで、カイルはずっとそうしてくれていた。






 ゆっくり並んで街へと戻る。その間にカイルがどうして供物を捧げているのかを語り始めた。


「四代前の領主―――俺の先祖がまだ青年だった頃、よくこの森に来ていたそうだ。勉強が苦手で現実逃避がてら、軽食を持ってここに来て、気分転換していたんだと。そこで森の主様と出会った」

「…………」


 当時のケリュポスに供物を備えていたのは、なんと領主の息子だったらしい。

 どうりで身なりも良かったし、頻繁に供物を持ってこられたわけだ。

 裕福な生まれなのだろうと薄々思っていたが、まさか男爵子息だったなんて。ステラは口に出さず、そう内心で呟いた。


「一目見て分かるほどの魔力の強さ、そして神々しさ。この森はこの方が守っているのだと悟って、供物を捧げるようになった」


 祭壇を作ってくれた彼の顔を思い浮かべる。

 カイルとそっくりなその風貌を、ステラはきっと思い出したくなかった。

 だから今まで気づかなかったのだろう。


(泣いている顔を思い出すのがつらかったんだわ)


 最後に見たのが泣き顔だったから。

 笑顔だけ覚えていられれば良かったのに、そこだけ切り取ることが出来なくて、全て記憶から消そうとしたのかもしれない。

 彼のことを楽しい思い出と共に沈めようとしていたのだと気づいて、胸が痛んだ。


「ある日いつもと同じように森に入った時、脚を怪我していた小さな猪の魔物を見つけた。人間が仕掛けた罠に引っかかったのかと思って近づいたら、そこにはヒュドラという三つ首の蛇がいたんだ」


 ごくりと唾を呑む。

 ケリュポスの自分が対峙した時の恐ろしさを思い出したからだ。ステラが怯えたと思ったのか、カイルはそっと手を握ってくれた。


「軽装でヒュドラに太刀打ち出来るはずもない。いとも簡単に致命傷を負ってしまい、先祖は命を失う覚悟をした。けれどそこに主様が現れて、不思議な力で傷を癒やしてくれたんだ。それで先祖は気づいた。この方は魔物ではなく、聖獣なんだって」

「えっ?」

「魔物に癒やしの力なんて使えるはずないだろう。浄化は聖女か聖獣にしか使えない。だから森の主様は聖獣なんだ」


(まさか私、魔物じゃなかったの……?)


 今まで疑わなかった事実が揺らいで、ステラは激しく動揺した。

 どっちでもいいのかもしれないが、自分的にはよくない。

 聖獣って何?


「とにかく先祖は命を救ってもらったが、出血が激しくてしばらく動けなかった。遠くから主様とヒュドラが戦っている音が聞こえてきて、ただ祈ることしか出来なくて、ついに動けるようになった時には音が止んでいた」


 戸惑っているステラにかまわず、カイルは話を続ける。ここからが大事なのだと言わんばかりに、語る口調に熱がこもっていく。


「慌てて向かった先祖が目にしたのは、首と胴体がバラバラになって絶命していたヒュドラの死体と、見るも無惨な姿になっている主様の姿だった」


(そういえば巻き付かれて角を折られたんだった。それはあまり痛くなかったけど、目を毒で潰されたのはけっこう痛かったな。まあ三つもあったから一つなくなってもあまり支障なかったけどね)


 口には出さず相槌を打ちながら、ステラは真剣に頷いた。


「当然癒やすことなど出来ない先祖は、主様の命が尽きるのを最後まで見届けることしか出来なかった。泣いて泣いて、主様の亡骸を丁寧に埋葬し、折れていた角を一本持ち帰った」

「ぅえっ!?」

「うちの屋敷で家宝として扱われている大切なものだ。代々の領主がそれを引き継ぐことになっている」


 そんな大したものではないのに。

 そう言いたいが、ステラが言ってもおかしいことになるので言えない。


「そして必ず月に二度、森の主様に供物を捧げるんだ。主様は肉や魚ではなく、野菜か果物を好まれる。聖獣だから血生臭いのは禁止なんだろう」

「そうなの?」

「俺もよくは分からないけど、先祖はそう子孫に言い残しているんだ。直接、主様からそう言われたらしい」


 そこまで言ってないような。いや言ったっけ?さすがにそこまで覚えておらず首を傾げるが、確かに肉は苦手だった気がする。


「とにかくそんなわけで俺はここに来たんだよ。で、ステラは?遊びでこんな奥まで来たら駄目じゃないか」

「遊びじゃないわ!私も主様に会いたかったの。主様に会ったら、何か分かるかもしれないって思ったから……」


 手を離そうとするのに、カイルが離してくれない。

 痛くはないけれど振りほどけない強さだ。

 ステラは居た堪れなくなった。


「カイルも知ってるでしょう!私は変わってるのよ。人間に生まれなければ良かったって、魔物に生まれたかったって思ってるの」

「ステラ、落ち着いて」

「落ち着けないわ!私、カイルの気持ちには応えられない。だって、私、私は」

「俺のこと、嫌い?」


 問いかけられて息を呑んで、しまったと思った。

 ここで間髪入れずに嫌いだと言えたら良かったのに、そう出来なかった自分が憎い。


「俺はステラが好きだ。パンを買いに行ったら元気よく笑いかけてくれるところも、見かけと違ってガサツなところも、変わってるところも含めて、全部。だから別に変わろうとしなくていい。今のままで十分なんだよ」

「でも、私は」

「俺のこと嫌いじゃないなら、今はまだそれだけでいい。だから側にいてくれないか」


 言葉が出てこない。

 カイルの顔を見ることすら出来なくていっぱいいっぱいで、どうにか手を握り返すことだけ出来た。


「やっぱりステラが人間で良かった。こうして手を握れるからな」


 カイルの声が嬉しそうに弾んでいる。確かにケリュポスの脚では出来ない事だ。


「そうね……私も、カイルに出会えて、良かった」


 手の力が強くなる。それ以上言葉はいらなかった。


 とうとう過去の自分と決別する時が来たのかもしれない。


 ステラはやるべきことをやるために、両親に頼んでまた近い内にお休みを貰おうと考えながら歩き出す。


 その横顔をカイルが愛おしげに見つめていることには気づかなかった。






 街の図書館で調べた所によると、コレットが生まれ育った国の最後はとても酷いものだった。


 もともと聖女崇拝が行き過ぎており、協会は聖女の頭数を増やすために、誘拐や人身売買にも手を出していたらしい。

 そして献金や賄賂により高位貴族と繋がった神官達も、汚職をしていない者はほとんどいなかった。


 一部に集中していた権力と上がっていく税に国民の不満が高まっていた矢先、一人の聖女が処刑される。

 名前は歴史書に載っていないものの、ステラはそれが過去の自分―――コレットであることに気づいた。


 コレットが処刑された後、協会にはまともに浄化できる聖女がいなくなってしまった。

 力のない聖女による浄化の暴走は何人もの命を奪い、穢れた大地は汚染される一方で、協会は焦っていた。

 これを王に知られてはまずいと、代わりになる聖女を血眼で探していたが一向に見つからず、信仰は崩れていくばかり。

 そこを狙って民は蜂起したのだ。


『真の聖女を殺した者達よ、神の怒りを知るがいい!』


 最初は協会に、次はその怒りを王族に向けた民衆軍は、他国に力を借りるなどして兵を増やしていった。

 なんとか形だけ保っていた国は大した戦力も持っておらず、呆気なく滅んでしまったというわけだ。


 その顛末よりも、ステラが目を離せなくなった一文がある。


「真の聖女……」


 自分がそう呼ばれていたなんて知らなかった。


 思えばたくさんの人を治癒していたし、誰よりも大地の穢れを祓っていたから、民の中にはコレットのことを知っていた人もいたのだろう。

 けれどその時のコレットは自分のことで必死だった。周りに気づく余裕などなかったのだ。


(ごめんなさい。そしてありがとう)


 ステラの中のコレットが、少しずつ時間をかけて癒やされていく。

 記憶を引き継いだからこそ、それを実感できた。


 コレットの次は、ケリュポスだ。






 続いて訪れたのは、森の祭壇だ。


 今度は邪魔が入らないように、カイルが親の手伝いで他の領地へ行く日を狙って来た。

 今日こそは会える。そう確信のようなものがあった。跪いて大きな籠から中身を取り出して並べていく。


「森の主様、うちの自慢のサンドイッチを持ってきました。新鮮な野菜を使っているのできっと美味しいです。これを差し上げる代わりに、私と少し話をしてもらえませんか」


 大きめの声で語りかければ、奥の木が音を立てて揺れ、そこから大きな角が現れた。

 あれはかつて、ケリュポスだった時に生えていたもの。今見たらなかなか邪魔そうだ。


『……不思議な気配がする。お前は聖女か?』


 ステラは立ち上がり姿勢を正し、まっすぐ主様を見つめた。黒の毛並みに、赤く美しい瞳をしている。


「今は違うわ。遥か昔、私が私ではなかった頃、聖女をしていたことはあったけれど。生まれ変わってからは何の力もない、ただの人間よ」


 すると主様は驚いたように、目を大きく見開いた。三つの目が一気に開くと少し怖い。


『なんと……。そなたも前世の記憶があるのだな。実は我も、人であった時は、聖女だった』

「ええっ!?主様も!?」

『ここではない、もっと遠くの国でだがな。身分が高く力も強かったせいで、とても高慢だった。そのせいで恨みをかって殺されたよ』

「そんなことが……」


 ステラは衝撃の事実に絶句した。


(森の主になるのは、元聖女って決まりでもあるの?)


 自分が知らない世界の法則。

 神様が決めたのだろうか。


『だから聖獣にされたのかもしれない。人でないものに生まれ、違う目で周りを見つめてみろということだろう』

「魔物でなくて、聖獣なのですか?聖獣とはいったい」

『どちらも同じ種族だ。浄化を使えれば聖獣で、穢すことしか出来なければ魔物だと、我は前世でそう教わっていた』


 なるほど。

 その理屈なら確かに以前の自分も聖獣だったということになる。

 カイルは領主になるべくきちんとした教育を受けているので、それを知っていたのだろう。


『しかし我は今がとても楽しい。人の時には味わえなかった気持ちだ。人の記憶を持ったまま生まれたことで、よりいっそう感謝できるようになった』

「……!」


 ステラと全く同じことを主も感じている。

 やはりこれはきっと神様の仕業なのだろうと思った。

 記憶を保ったままなら次の生をより謳歌できる。そのおかげで以前より視野も広がり、考え方も変わっていく。

 

「この世界も捨てたものじゃないよって、神様が教えてくれているのでしょうか」


 ふと浮かんだ言葉を口にしたら、何だかしっくりきた。主もそれに同意してくれる。


『そうかもしれぬな。何ともありがたいことだ』


 私もこの主様も、辛い記憶があったから今世を穏やかに生きられるのかもしれない。


(私も森の主だった時代があったと伝えたら、どういう反応になるかしら)


 気が付けばだいぶ日が傾いてきたので、それはまた今度にしようとステラは帰り支度を始めた。

 時間はたっぷりあるから。


「主様、今日はたくさん教えていただきありがとうございました。どうかまたお話させてください。次は今日と違う美味しいものを持ってきますね」


 また供物を持ってくることを伝えて、ステラは森を離れる。

 ケリュポスとしての生に感じていた未練は、もうだいぶ薄らいでいた。







 なんとかカイルに頼みこみ、家宝だというケリュポスの角を見せてもらえることになった。

 以前の自分と決別するために必要だと思ったからだ。


 招かれた領主一族の屋敷は当然大きくて腰が引けたし、カイルのお母様や屋敷の使用人達がやたらにこにこと出迎えてくれたのにも戸惑った。


「私は平民だし、ただのパン屋の娘なのに」

「そんなこと気にしてるのはステラだけだから安心しろ。うちはみんな細かいこと気にしないから」


 ステラの両親も細かいことは気にしないので、カイルの家に行くと言っても気をつけてねとしか返ってこなかった。

 権力に阿らないのはいいことかもしれない。


 通された奥の部屋は、きちんと手入れされているのが分かるほど整然としていた。

 敷かれている絨毯も高級品だ。そして中心には大きな円形の台がある。


「これが主様の角だよ。大きいだろう?」


 仰々しく飾られた台の真ん中に絹が敷かれ、その上にはとても大事なものですと言わんばかりに角が乗っている。

 ステラはその飾り様にちょっと引いた。


(ここまでしてもらわなくてもただの角なのに……)


 あまりの持ち上げられ具合に申し訳なさすら覚えていると、角の奥には小さな石盤があった。

 そこに刻まれている言葉を、ステラは読み上げた。


「どうか来世は人間に生まれ変わって、幸せな生を歩めますように……」


 ケリュポスへの弔いの言葉。

 そこにあるのは優しさと、未来への希望。


「先祖の願いだよ。心から深く、主様に感謝していたから。助けられた先祖は勉強熱心で真面目な領主となり、この街を発展させることに生涯尽力した。俺の憧れなんだ」


 だからって、どうして人間に生まれ変わることを願ったんだろう。

 どうせならまた魔物に生まれたかったのに。

 少し前のステラならそんなことを思っていただろうが、今は違う。


 これはステラの解釈だから彼もそう思ってくれたかは分からないが、彼はケリュポスに、敵のいない所で生きて欲しかったんじゃないだろうか。


 森の主である以上、森を乱すものとは戦う必要がある。例え他の魔物に生まれたとしても、全く戦わずにいることは難しいだろう。

 けれど人間なら、生まれた環境によっては穏やかに生きられる可能性もあるから。


(だから人間に生まれ変われますようにだけじゃなくて、幸せな生を歩めますようにって付けてくれたのかな)


 そう考えると、その優しさに胸がいっぱいになる。

 ステラはケリュポスだった頃にも、こうして人の暖かさを受け取ることが出来たのだ。


「カイルのご先祖様は優しい人なんだね」

「そうかな?助けてもらったんだから感謝するのは当たり前だろ。むしろ主様の方が優しいと思う。だって勝手に森へ入り浸ってた先祖を許してくれて、傷まで治してくれたんだから」


 あっけらかんとそう言われて、ステラは息を呑んだ。

 しかし思い返してみたら森を荒らさない人間を殺していいのか分からなかっただけだし、小さい魔物を助けてくれたお礼として治癒したに過ぎないので、けしてただ優しくしたわけではないのに。

 そう事情を説明したくても出来ない。まだカイルに全てを話す覚悟はないので、気を取り直してお礼を言うことにする。


「貴重なものを見せてくれてありがとう。おかげで色々と整理がついたわ」

「整理って何の?」


 言葉にするのは何だか恥ずかしいが、自分のためにも宣言しないといけない気がした。


「きちんと人間として生きることにしたわ。もう魔物を羨ましがったりしない」


 カイルが目を見開いた。

 あんなに魔物がいいと言っていたステラが、どういう風の吹き回しだと言いたいのだろう。

 けれど角の方を一瞥して、納得したように頷いた。


(たぶん魔物になったら殺される可能性があることに気づいたんだなって思ってるんでしょうけど、違うのよね。でもいいわ。そう勘違いしててくれた方が都合がいいし)


「そうだよ、俺達は人間として生きていくんだ。ようやくステラがそう思ってくれて嬉しい」


 カイルが手を差し出してくる。

 そこにそっと自分の手を乗せれば、痛くない程度に強く握られた。


「そろそろお昼の時間だ。今日はステラが来るからって、みんな張り切ってたよ」

「歓迎してくれるのは嬉しいけど大げさじゃない?」

「そんなことないって」


 そう言いながら二人で食堂へ向かうと、いい匂いが漂ってくる。


「俺さ、初めて会った時からステラだけなんだ。この子だ!って思ったんだよ」


 カイルが嬉しそうに笑う。

 その笑顔は、ステラがかつてケリュポスだった頃に見たものと全く同じだ。

 だからといって急に関係性を変えられるわけではなくて、ステラは申し訳なくなってくる。


「ごめんなさい。家まで来ておいて何だけど、まだ恋愛とか結婚とか、具体的なことは考えられないわ」

「分かってるって!とりあえず今はそれでいいから、ゆっくり考えてくれ。悪い話じゃないだろ」


 そう言って笑うカイルを見て、いつか流されてしまいそうだと思いながら、ステラも笑った。

 





 三度目の生で、私はようやく、幸せを手に入れた。








ここまで読んでいただきありがとうございました。

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