4話 猟犬は放たれた
「猟犬………密偵になれと?」
「そうだ。シャルウッドベリが不味い事態になってやがるのは、実感してんだよ。ここ数か月で、おれが動産占有回復令状を何枚通達したと思ってんだ。ヤバい量だぞ」
領主の差し押さえが不当だと、州長官まで訴えが何件も届いているのか。
税の取り立てが厳しくなって、領主の名において裁判を経ていない家畜や家財の差し押さえが始まっている。
だが訴えが出せるのは、余暇と学識のある自由民だけだ。そもそも農奴は領主を訴えられない。
「圧政の一歩手前だな」
「とはいってもな、直臣領主の城に、州長官が令状なしで踏み込めると思うか?」
「まず不可能だ」
領主権を侵す振る舞いを、国王の役人ができるはずかない。
貴族と国王を敵対させる行為だ。
「向こうさんも税収の動産差し押さえが過酷になっちゃいるが、法には触れていねぇんだよ。いやな、不当な差し押さえはあるんだが、違法じゃねぇんだ。差し押さえ自体は必ず城代官が実行する。ごろつき騎士は後ろに控えているが、城代官がいるんだよ。おれが動産占有回復令状を出しゃ従うし。いっそ領主権で差し押さえた動産を横流しにでもしてくれりゃ、法に背いた咎で踏み込めるんだがな。それもない」
「ごろつき騎士どもは法を犯していないのか」
問いかけに返ってきたのは、重い首肯だ。
「ああ、令状送達も滞っていねぇ。動産占有回復令状を一度でも滞らせやがったら、特権領だろうが強制送達してやって特権剥奪してやろうって狙ってたんだがな」
強制送達で領主特権が剥奪されたら、永久に特権は回復しない。最終手段だ。
そこまで考えるほど手詰まりか。
「法律に詳しいやつが付いている」
悪党の巣窟になっているが、踏み込める正当な法がない。なんとも歯がゆい話だ。
国王の役人さえ手をこまねく膠着状態で、州長官は俺に何をさせたいのだろう。
真正面から踏み込めない城。
この俺に何が出来る?
己自身に問いてみれば、答えはするりと現れた。
「俺に『共犯告発人』になれと?」
「なるほど、それもひとつの案だな。手詰まりだったら悪くはない」
州長官は頷き香辛の葡萄酒を飲み干す。
『共犯告発人』以外の手段を思いつかない。
俺がごろつき騎士らの共犯だと偽り、俺から老商人毒殺を告訴させるのだ。
城に巣食っているごろつき騎士を、裁きの場に引きずり出せる。
「つーか、お前さんよっぽど腕っぷしに自信があるんだな」
「少なくとも裁きの場に出頭させられる。そのあと俺が決闘裁判で勝利できるかは、神慮による」
「分かってんのか、『共犯告発人』が何しなきゃならねえのか。五度の決闘裁判に勝って、陪審どもを認めさせ、そしてお前さんが得るのはイングランドからの永久追放だ」
「それでマーガレットさまが安らかになれるならば、俺は百の戦も臆さない」
拳を握る。
百の戦が千になろうと、否や万になろうとも、マーガレットさまとジャスパーのために勝ってみせよう。
「見上げた覚悟だ。だが勝てるか勝てねぇかって問題以前に、昨今、『共犯告発人』は王座裁判所の印象が悪ぃ。個人的には取りたくねぇ手段だ」
「では俺に何をさせるつもりだ?」
「領主ライオネル・オブ・シャルウッドベリに繋ぎを取ってもらいたい。シャルウッドベリの城に忍び込んで」
「………ご領主さまに」
「老商人の屋敷に忍び込むより厄介だが、そこらへんは慣れた城だろ。なんとか領主に繋ぎを取ってくれ」
あのお方に会わねばならぬのか。
ご領主さまの心労と苦難を思えば、胃に差し込む痛みを覚える。元凶の俺が姿を見せて、言葉を交わして頂けるだろうか。
不安に埋もれそうだが、州長官は話を続ける。
「おれの耳目として、行商や旅芸人を使っている。共連れとして城に入り込んで、領主からの一筆貰って、おれの元に持ってきちゃくれねぇか」
「猟犬が水鳥を回収してくるようにか」
皮肉を返せば、州長官は笑みを含んで頷く。
つまり俺を尋問するのではなく、懐柔するためのテーブルだったのか。
計画は理解できたし、納得もできる。
城に忍び込むにしても、シャルウッドベリ城は広大だ。内部を良く知っている人間が適任だろう。
この男の猟犬になるのも構わない。
野性的な外見と粗野な言動をしているが、州長官の第一条件をこの上なく満たしている。
求められるのは、血筋でも武勇でもない。『王国の法を熟知し、それを遵守するもの』、それが国王の役人として、大憲章に記された第一条件だ。
従う相手として異論はない。
「巧くいく自信はないが……」
「下手こいたら最悪、お前さんの言う通り『共犯告発人』になってもらうしかねぇな」
「それは最悪ではないな。俺が考える最悪の事態は、ペトロニラが処罰され、マーガレットさまに醜聞が湧くことだ」
「お前さんにとっちゃそうさな」
きっとこの州長官は、エドマンドの若君を疑いつつも、ペトロニラも疑っている。
どちらも疑わしく、決め手がないのだ。
俺が城に向かっている間に、ペトロニラに不利な証言か証拠が挙がってしまえばおしまいだ。
ペトロニラに罪があるとは思えない。
だが敵を作りやすい性格のペトロニラが不利な立場におかれたら、偽証する悪辣な人間のひとりふたり現れてしまう。
そしてそれはマーガレットさまの醜聞になる。
「すぐにシャルウッドベリの城へ赴こう。ご領主さまからのお言葉を、必ず持ち帰る」
すぐに、とはいなかった。
戦争と長旅で行き倒れかけた俺の肉体は、ペトロニラの癒し手でも回復にしばらくかかった。
何より魂も。
聴聞司祭に懺悔をして、魂の安寧を得る。
癒されれば、次は傷みだ。
クサノオウの乳汁は肌を爛れさせる。
俺は黄の乳汁を顔に塗り、醜い傷跡をこしらえた。眉を乱暴に抜き、瞼を腫れさせる。薬草と硼砂を溶かした熱湯を何度も浴びせ、髪の色も明るく褪せさせた。
変装だ。
施してくれたペトロニラは、不満そうだった。
「馬鹿だね。こんな面の皮一枚の爛れで、あんたの色男っぷりが落ちるわけがないよ」
「でも城のまともな連中は、別の荘園に逃げたんだろう。知り合いがいないんだったら、なんとかなるんじゃないかな」
半分くらい己に言い聞かせている。
俺の顔を知っている人間は少なくない。もし悪党への媚び売りとして、密告されたらおしまいだ。媚でなくともアミーリアみたいに口の軽い人間は、シラミのようにどこでもいる。
「城の連中だけじゃなくて、悪党どもにも気を付けな」
「うん?」
「あいつらはメアリの顔を知ってる。あんたはメアリにそっくりって自覚が薄いんだよ」
母さんと似ているとは思っていない。
だがジャスパーが俺を見つけられたのは、母親譲りの顔があったからこそだ。他人の目からは似ているのだろう。
「特に首領の男には、くれぐれも注意しな」
「………どんな男だ?」
問いかけにペトロニラは、視線を重くする。
沈黙に閉ざされた。
まさかペトロニラが戸惑っている?
罵詈雑言で鼓膜が割れると覚悟していたのに、戸惑いを見せられるとは、凄まじく拍子抜けだった。
「ユーグ・ドゥレートル」
「フランス人か?」
「ああ、発音も顔つきも、いかにも大陸の人間さ。でもサラセンの血が入っているらしくって、膚は浅黒い。髪は磨かれたばかりの銀器みたいで、腰まで伸ばしている。背丈はあんたより少し高いね。貫禄は有り余ってるけど、まだ三十路を越したばかりってとこかね」
銀髪に褐色膚とは珍しい。
しかも俺より長身。
そんな男がいたら、一目で分かるだろう。
「薔薇みたいな男だよ」
予想だにしていない単語だった。
聞き間違えたのかと思って脳内で反芻してみたが、たしかにペトロニラは薔薇と告げた。
薔薇?
水薬の材料としてではなく、形容として薔薇を使うとは。
「修道院で育ててる一重の赤薔薇や、薬に使う野薔薇じゃないよ。そんな清楚な薔薇じゃない。エルサレムに咲いている匂い立つ大輪、ダマスカスの薔薇みたいな美丈夫さ。惑わされるんじゃないよ」
「いくら綺麗な相手でも油断しないよ。悪党どもをまとめているんだから腕は立つんだろう」
「あんたは馬鹿だからいまひとつ信用できないね。頭に血が昇ったら何しでかすやら」
「ペトロニラこそ役人への言葉遣いには気を付けて」
つい余計な釘を差してしまう。俺の忠告ひとつやふたつで口を慎めるのだったら、とっくに毒舌は収まっている。
だけど言わずにはいられなかった。
ペトロニラは州長官の監視下に留められる。
容疑者なのだ。
「分かってるよ、とっととお行き」
「ああ………」
ジャスパーはどうしているのか気がかりだ。
ペトロニラが俺の世話をしている間、ジャスパーの存在を一言も洩らさなかった。誰が耳を欹てているか分からぬのだから、当然だ。
とはいえ遠目からでも、息子の姿を見たかった。
いや、俺の治療にかかりっきりになっていたから、マーガレットさまの元に戻されたのやもしれぬ。
「なんだい? まだ言い足りないのかい?」
言い足り無さそうなのはペトロニラだ。
「そういうわけではなくて……」
あれこれと問いたいが、俺は我が子の存在を知っていてはならない。
今更、父親として遇されようとは、我ながら厚かましい。
「歯磨き粉があるなら欲しい」
「いい心がけだね。軟膏といっしょに入れておいてやるよ」
もどかしくとも、行かねばならぬ。
十年ぶりの帰還だ。




