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真珠のコルヌコピア  作者: 猫目石琥珀
猟犬の武勲譚
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3話 夜食に興じて、毒を語らば



「は?」

 俺の喉から間抜けた声が出る。

 濡れ衣だと唐突に断じられても、意識がついていけなかった。

「いやな、これさっきおれんちの厩舎頭が報告してくれたんだが、あのサースタン・ウォーターズな、毒を盛られてたんだわ」

「毒?」

「砒素」

 州長官(シャイアリーヴ)は驚くほど気楽な口調だった。

 まるで畑に植えたものでも教える農夫ではないか。

「検死はおれんちの厩舎頭にやらせてるんだよ。あいつは腕のいい獣医で、モンペリエ大学の医学部を出てる」

「それで毒が検出されたと」

「外傷無しで、死因は毒。しかも砒素ときたもんだ。知らんか、砒素」

 聞いたことのない毒だ。

 トリカブトやマンドラゴラ、狼茄子といった毒草は語れるが、そんな毒は耳にした記憶がない。

「ケルンで発見された鉱石毒でな。無味無臭で盛りやすいが、皮膚に痕跡が残りやすい」

 毒殺されたのか。

 たしかに月明りに照らされていたのは、苦悶の形相だった。

「これが殴り倒されたとか刺し殺されていたんだったら、お前さん縛り首にすりゃ解決しそうだが、毒殺じゃあ違うな。海外の毒、しかも数年にわたって盛られていた可能性があるって、厩舎頭に指摘されてな。メンティスが裏切るまで囚われていた兵士が、毒は盛れねぇわな」

 濡れ衣の可能性を、地下牢に入った時から懸念していたのか。

 スコットランド絡みでの会話で探りを入れ、俺の言い分に嘘は無いと断じたのだろう。

 この州長官、思慮が深い。安直な答えに縋りついたりしない。

「……だが俺は、あの老人に殺意を抱いたのだ」

「ほお」

 静かに相槌だけ打った。

 州長官(シャイアリーヴ)ギルス・ファウラーか。

 この男なら、信じるに足るのではないか?

 どうせ縛り首になってもおかしくない身の上だ。ならばこの州長官の知性と善性に賭けよう。博打は愚かだが、分が悪いとは思えない。

「殺そうと、屋敷に入った」

「………」

 さすがに相槌はなかった。

 無言の空気に舌が縮こまりそうになるが、呼吸をひとつしてみればそれは嫌な空気ではなかった。農奴の言葉を無視しているわけではなく、俺の発言を吟味しているのだ。

 気力を揮って言葉を紡いだ。 

「だが、とうに死んでいた。ただその指には金の指輪がはまっていた」

「あの老商人自慢の指輪?」

「そう。夜明け前に忍び込んだ時は、たしかにあった。金線細工と粒金細工を組み合わせた、波模様の意匠だった」

「殺人犯と窃盗犯は別か? ………いや、毒殺だ。殺した後に奪ったか」

 別かもしれぬし、同じかもしれぬ。

「殺した後で行き掛けの駄賃にしちまったか、あるいは指輪こそ目的で毒を盛っていたか………また難儀な事件だな、こいつは」

 州長官は粗雑な動作で、八つ当たりするように扉を開ける。

 タペストリーに区切られた空間には、テーブルが架けられて、暖かな食事が用意されていた。

 いちごを潰したポタージュで、挽肉団子がごろごろ入っている。ガランガルの刺激的な香りが、たっぷりと立ち上っていた。添えられているのはみっしりとした濃さのチーズと、小麦粉のパン。

 胃から這い出た暴食の悪魔が、脳髄まで支配しそうだった。

 胸の内側で十字を切って、食欲を払う。

「おれも飯を食いっぱぐれてな。付き合え」

 食卓には確かに二人前用意されていた。

 流れのまま椅子に腰を下ろしたものの、戸惑ってしまう。

 挽肉なんて手の込んだご馳走、領主の食卓に並んでいるのを遠巻きに眺めるだけなのに。それにガランガルの他にも、シナモンや胡椒といった香辛料の恵みが漂っている。

「ガランガルは初めてか? おれは十字軍だった頃に、現地で食って病みつきになってな。これ無しだと、気分が腑抜けになっちまうんだよ」 

「これほどの厚意を受ける理由はない」

「そうさな。最近は吟遊詩人や曲芸師が来なくて、気晴らしが無ぇ。お前さんがどうしてご領主の一人娘を……おっと、ええと、ほら、あれだ、恋物語を紡ぐことになったか聞きたいもんだ」 

「吹聴する話ではない」

 俺のことなら白日に晒すが、貴婦人の秘密を口に出すなど罪深い。いや、貴婦人でなくとも女性との閨事を誰が語れようか。

 たとえ親愛する友人でも、尊敬する修道士でも話せやしない。

 聴罪司祭以外には言えぬ。

 生意気な態度だったにも関わらず、州長官は満足そうに口角を上げた。

「なるほど、なるほど。あのペトロニラって婆さまは、お前さんを馬鹿だと罵ってはいたが、クズだと侮らなかったな」

 ペトロニラとの会話はすべて聞いていたのか。当然だが。

「惚れ抜いているみたいだな」

「俺の世俗的崇拝は、マーガレットさまに捧げている」

「浪漫だな。とにかく食えよ」

 州長官は頷きながら、挽肉団子を頬張る。

 躊躇いながら俺は祈り、食事にありつく。柔らかな挽肉を噛めば、いちごの酸味と香辛料の刺激が溢れた。何年ぶりの香辛料だろうか。

 給仕がやってきて、熱い香辛の葡萄酒(イポクラス)を供する。

 気力や精がつき、血液のもととなる飲み物だ。

 夜だというのに仕事に取り掛からねばならない州長官には欠かせない飲み物だろう。

 その仕事の内容は、俺への尋問だ。

 州長官は友好的な笑みで食事を出してくれているが、これは尋問の場だ。

 俺の分まで、臙脂の酒が注がれた。

「尋問する側に飲ませてどうする?」

「ただ飯に付き合えって言ってんだよ」

 俺は盃に口を付けた。

 香辛の葡萄酒(イポクラス)の高い温度と熱性を、舌で味わい、喉に流し込み、腹におさめる。ペトロニラが仕込むものより腹が燃える。そして血が増す酩酊感。

 給仕が去って、足音も遠ざかって、さらに数秒、州長官はやっと口を開く。

「あの老商人は好かれてはいなかった。商売敵は数知れねえし、身内からも厭われていた。だが毒殺して最も役得なのは、妻だろう」

「寡婦産か」

「つーか、聞き及んでいる噂と、お前さんらの話から総合すりゃ、疑わしいのは薬師のペトロニラだな」

 当然の帰結だ。

 毒殺された老人の近くに、動機を抱えた薬師がいる。

「ペトロニラは数日前から、市場へ薬の材料だのなんだのを買い付けていた。商人の館に近づかなかったとはいえ、数年に渡って飲まされていたって話だ。んなこと出来るのは、あの薬師だろう」

「理屈としては納得できますが、ペトロニラはまことの癒し手です。気性は荒く誤解されやすいのですが、思慮深く、心遣いは厚い。誰かを毒殺するなど俺には信じられません」

 州長官は頷く。

 俺の意見に納得したのか、あるいは聞き流しているのか判断つかない。

「なるほどな。あと怪しいのは、エドマンド・オヴ・シャルウッドベリ」

「若君が毒殺? それはないでしょう……何かを成すということに関して、甚だ不得手であらせられる」

「何も出来ないってことは、悪逆も阻めねぇってこったな」

 香辛の葡萄酒(イポクラス)を呷りながら語る。

「城に巣食っているごろつき騎士どもが主犯だと?」

 シャルウッドベリの城にいかがわしい騎士たちが住みついてしまったのは、ペトロニラから聞いたばかりだ。

 エドマンドの若君に取り入って、我が物顔らしい。

 想像するだけで怒りと吐き気がこみ上げる。

「ごろつき騎士が何度も、商人の館を訪ねたのは把握している。はした金で奉公人を買収するって手もあるしな。金持ち老商人に嫁がせたらさっさと毒殺して、妹から寡婦産を奪って、また別の金持ち老人と娶せてようって魂胆かもしれんな」

 怖気の走る計画だった。

 エドマンドの若君はいさめるべきご領主がお倒れになって、もはやそこまで堕ちたのか。

「そこまで考えるのはちと悪意に取り過ぎだが、調べる必要性は高いな。だが領主の城に踏み込めねぇ」

 州長官の声は苛立ちを含んでいた。

「だがなぁ、おれが司法を守る範囲で毒殺して逃げ切ろうなんて舐めた真似、許さねぇんだよ」

 猛禽じみた眼差しが強くなる。

「だからジェイデン。お前さん、おれの猟犬になっちゃくれねぇか」



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