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真珠のコルヌコピア  作者: 猫目石琥珀
飼い犬の回想譚
28/43

23話 聖ペテロと聖パウロ


 聖ペテロと聖パウロの日。

 神々しいほどの朝焼けを迎えた佳き日に、聖人のための盛大なミサが上げられた。

 ミサが終われば、エドガーさまとジョンは旅支度を整えられる。お揃いの羽根付き帽(バイカケット)と、お揃いのマントを纏っておられた。

 そして揃いのマント留め。

 宝石と銀細工で拵えられたどんぐりだ。紅褐色のルビーで実を模し、青灰色のサファイアで葉を形どっている。

 ふたりは偉大なる樫のどんぐりだ。

 これからひとりずつ庇護の枝から落ち、風に吹かれて大地を旅し、力強き根を張るのだ。

「お揃いだな。この世にふたつきり、おれとジョンの宝」

「えへへ。エドガーさまとお揃い」

 エドガーさまとジョンは、揃いの至宝に嬉しそうだ。お可愛らしいご様子だ。

 ご領主さまはしばらく言葉に詰まっていたが、出立の刻は迫っている。見送らねばならぬのだ。

 大樹の枝の如き腕が、ふたりの小さな肩を抱く。

「努々、弛むでないぞ。貴族(ノブレス)騎士(シュヴァルリ)に発し、騎士(シュヴァルリ)に帰するのだ」

「承知しました、父上」

「畏まりました、ご領主さま」

 餞の言葉を受け取り、別々の修行先に旅立った。

 何よりも大切なふたつの宝石。

 この世に産声を上げた時から、いや、産まれる前から愛していた俺の弟。そして忠義を捧げるべき若君。そのふたりが手の届かないところへ行ってしまったのだ。

 手から離れてしまえば、もはや祈るしかない。

 喜ばしいのに、涙が溢れてきた。

 

 





 ご領主さまはマーガレットさまと母さんを連れて、ゆるりと城へ帰還なさる。シャルウッドベリの城の屋根の吹き替えが終わるまでは、他の荘園や街道を視察していかれる。

 俺は狩猟館で荷物をまとめを手伝い、村々に養われていた荷馬や驢馬を連れてくる。

 聖ペテロと聖パウロの日の翌日、俺たちは出立した。

 聖人の加護は通り過ぎてしまったのか、狩猟館を経ってほどなく、雲行きは怪しく翳ってきた。

 

 エドカーさまとジョンの旅は順調だろうか。 

 今頃どのあたりを旅していらっしゃるのだろうか。

 そんなことばかり頭に過ってくる。

 暗雲が旅を覆ってきた。たちまち雨粒も。視界が悪くなって、足元がぬかるむが、それでも荷を運ぶ速度を緩めるわけにはいかない。息を切らし、進む。

 街道に聳える大樹の木陰で、馬たちに水を飲ませる。


「うわっ」


 レナルドが叫ぶ。

 足に蛇が纏わりついていた。

 草を掃って、蛇が飛び出してきたのか。

 俺は蛇のしっぽを鷲掴みにして、力いっぱい頭を地面にたたきつけた。蛇の頭が吹き飛んだ。蛇の死骸を捨て、レナルドの足を掴む。

「噛まれたんですか、傷跡を見せて下さい」

 靴を脱がせれば、足首に浅く噛み跡がある。

「あれは毒のない蛇ですし、このくらいなら塗り薬でなんとかなります」

「ほんとに毒無しだった?」

 俺は千切れた蛇の頭を拾って、レナルドの眼前に差し出す。

「この牙のところが……」

「分かった。そいつは毒のない蛇!」

「飲み水でまず拭きますよ」

 革水筒の水で傷口を洗っていく。

 煎じ液を落とす。ヘンルーダとセージの煎じ液だ。

 これは蜂や蜘蛛、蛇に咬まれた傷に染み込ませるのだ。

 垂れないよう清潔なリネンを圧し当てる。 

 ロジャーがやってきた。

「ジェイデン。手当に時間がかるなら、おれらは先に出立する。お前さんらは後で追いついてきてくれ」

「こんくらい大丈夫」

 レナルドは本気でそう言っていたが、俺は首を横に振った。

「毒のない蛇でも、足の腫れが長引くと厄介です。休息を先払いできるなら、そうした方がいい」

 先に出立といっても、雨に阻まれて馬車も櫃もそれほど進まないだろう。荷物を持ってない俺とレナルドなら、距離を詰めるのは容易い。

 大樹の木陰で休むのは、俺とレナルド、それから焦げ茶の乗用馬(ポルフリー)

 体格は痩せ気味だが、賢そうな馬だ。茶色い瞳は穏やかで、レナルドの茶髪に鼻面を寄せた。

「悪いな、10ポンド」

 レナルドは愛情を込めて囁きながら、乗用馬(ポルフリー)の鼻面を撫でる。

「10ポンド?」

「ほんとは買値1ポンドだったけど、こいつは10ポンドくらい将来性がありそうだろう! だから10ポンドって名付けた」

 ……名づけの感性が独特だな。

 普通は(モレル)とか………いや、他人の名づけに口を挟むのも見苦しいか。

 レナルドは素足を投げ出し、大樹に凭れかかった。

 これ見よがしに大きなため息が、雨音に波紋する。

「あーあ、不注意だった。飲み水と薬を無駄にするなんて、馬鹿みたいだな。かっこ悪い」

「蛇のせいですよ」

「でも蛇がいそうな草むらだったし。気を付けりゃよかったんだ。絶対にリチェンダさんにカッコ悪いって思われる」

 リチェンダ?

 どうしてマーガレットさまの侍女の名前が出てくるのだろう。

「なあ、ジェイデン。リチェンダ・リトリントンさんだけどさ……その、言い交わした相手がいるかな?」

「いるとは伺っていませんが……」

 この話の流れは予想外だった。

「リチェンダさんは物静かでいいよな。立ち振る舞いから何から慎ましくて、仕事ぶりも見てて気持ちいいし。声も高くなくてさ。耳に心地よい低さだよな」

「はぁ……指弾琴(プサルテリウム)より抱えオルガン(ポルタティーフ)の方が心地よいという気持ちでしょうか」

「そう。うん、ジェイデンは巧いな。その口説き文句、使わせてくれないか」

「え、ええ。ご自由に」 

 口説き文句のつもりではなかったのだが。

「うちは瘦せっぽちの小荘園しかない。厩にいる馬だって、年寄りの輓馬(ストット)に、騎士が跨るには貧相な汎馬(ラウンシー)ばっかりだ。武具と軍馬をそろえて儀礼したら、うちの三年分の年収が飛ぶ。おれひとり騎士に叙するために、家族みんな切り詰めて働いてるんだ」

 小荘園の主なら、よく聞く話だ。

 裕福ではない騎士の家では、長男ただひとりを叙してもらうために、他の家族は身を粉にして働く。

「だから騎士として叙任されたら、相続が期待できる令嬢とか、寡婦産どっさり抱え込んだ未亡人を狙うのが正しいんだろう。でもいざ自分の家庭を想像した時、落ち着いて針仕事してるリチェンダさんがしっくりきたんだよ」

「良い組み合わせかと」

「だよな!」

 レナルドが鼻穴広げる。

 おべっかではなく、本気で良縁だと思う。お仕えする主家が同じなら、政略的に引き裂かれはしないだろう。

 年齢はリチェンダの方がいくつか年上だった。とはいえ問題になるほど年の差があるわけではない。

「……ま、うちの家族はいい顔しそうにないけど。持参金は望み薄だし」

「最も得難き財産は、良妻です。リチェンダは真面目で忠義深く、女の罪たるお喋りに耽らない。財産を抱えた悪妻より、理知を宿した賢婦人。そうではありませんか?」

「だよな!」

 

 羨ましい。


 ………羨ましい?

 俺は、いったい何を羨んだのだろうか。

 望みの妻を見出したレナルドが羨ましいのか。俺も妻が欲しいのか。

 いつかは俺も結婚するだろう。

 自由民になって仕事が安定していれば、誰かは嫁いでくれるだろう。そして子供を成して、俺は父になり、母は祖母になる。ジョンはきっと甥や姪を可愛がってくれるだろう。

 慎ましい幸福を想像したというのに、何故か口の中は渋く乾き、枯葉をかみ砕いているようだった。

   

「ジェイデン。そろそろ出発しないと、追いつけないんじゃないか?」

「……そうだな」

 雨は途切れてきた。

 俺たちは靴を履きなおして、レナルドは愛馬に跨り、雨で緩んだ道を進んだ。 

 遥か遠方から馬のいななきが、曇天に響く。

 うちの馬の声。しかも悲痛さが含まれていた。

 まさかぬかるみのせいで足でも挫いたか。

「俺が先に走ります。レナルドはゆっくりと無理せずに!」

 泥飛沫の中、走っていく。

 肺腑を空っぽにして、丘陵を越える。その彼方、ひときわ雨が溜まってぬかるんだ道に、馬車たちが立ち往生していた。荷が崩れて、古びた縄と石ころが散らばっている。

 弓兵のひとりが俺に気づいた。

「ジェイデン! 山賊だ!」

 大声を張り上げたのは、弓兵のベネット。額から血を流していた。深く切れて、片目を塗るほどの量だ。止血に急ぐ。

「簡易の血止めします。ロジャーは?」

「ロジャーさんは混乱した馬車馬を御している」

「他に怪我人は……」

「んなもんどうでもいい! それより聖具だ! 聖具がひと抱え、持っていかれた!」

 リモージュ七宝の聖具が。

 周囲を見回す。窪地から西に下れば、茂みと影の濃い浅瀬があった。あそこに身を潜ませていたのか。

 荷馬車がぬかるみで足取りが遅くなり、列が伸びてしまったところを狙われた。他の馬に石を投擲して隊を乱し、高価そうなものをかっさらう。

 あまりにも山賊に都合のいい天候と地形。計画的か?

 練られた計画ならば、食い詰めた浮浪者でも、逃亡した農奴でもない。

 おそらく頭目がいる。分け前を分配する必要があるはずだ。隠れ家に集まる。

 荷物を解いて、弓矢と革水筒だけ携えた。

「俺は山賊を追います! レナルドはあと少しで追いつくので頼みます」

「待……ッ! 固まって行かねぇと、危ないだろうが。もし待ち伏せされてたら……」

「雨で足跡が流れてしまう!」

 浅瀬は雨のせいで嵩ましている。

 それでも強引に突っ切った。

 水を含んだ大地には、何人もの足跡が深く刻まれている。聖具を盗んだのだ。罪と荷の重さで、足跡も深くて当然。

 雨で打ち流される前に追わなくては。

 神と諸聖人に祈りを捧げ、足跡を辿った。

   

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