20話 歓待の宴
「エドガーさま、ジョン。そろそろ館に戻って遊びましょう」
名残惜しそうなふたりだが、最終的に俺と手を繋いでくれた。やや金を帯びて傾いた太陽に照らされて、帰路を歩いていく。
「ジェイデン。姉上は先に戻られたけど、つまんなかったの?」
「深窓の姫君にとって、森歩きは疲れるものです」
あんな華奢なおみ足で歩くなんて。
また白い爪先を思い出し、俺の顔が熱くなる。
「疲れただけ?」
「ええ。お疲れではありましたが、マーガレットさまも楽しまれておられましたよ」
エドガーさまは納得なさったのか笑顔になる。
「よかった。兄上がつまんないと面白いけど、姉上がつまんないのは悲しいもん」
「………そ、う、ですか」
返しに困る。
樫の老樹の森から狩猟館へと戻れば、厩から蹄が砂利を弾く音が聞こえてきた。それと嘶きも。あれはうちの馬の声とは違う気がする。
客が訪れたのか。
覗いてみれば、ご領主さま自ら客人らを歓迎して、心からの笑顔を浮かべておられた。
従弟たるデレク卿だ。
近くでお目にかかるのは初めてだが、すぐデレク卿と分かった。
あれほどの駿馬に鞍を置き、手綱を御せる方が身分卑しかろうはずがない。身なりは旅装束ゆえ簡素だったが、馬上の風格は威風堂々たるものだった。
何よりご領主さまが親しげだ。
デレク卿は樫色の髪と瞳。人の良さそうな笑顔に、恰幅の良い体躯をしておられた。頬から肩から腹に至るまで、何もかもが丸みを帯びており威圧感は無い。なんとも和やかな雰囲気だ。
この方の館で、ジョンが修行するのか。
我が事のように心臓が早鐘を打つ。
もちろん俺より、ジョンこそ緊張しているだろう。表情も挙措も強張っている。
ご領主さまが俺たちに気づく。
「おお、ジョン。帰ってきたか。わしの従弟にして、そなたを導いてくれるデレクだ。挨拶するといい」
「ジョンです。よろしくお願いします」
ご領主さまに促されれば、礼儀正しく挨拶をする。エドガーさまがひょこっと嘴を突っ込んだ。
「ジョンはおれの忠臣になるんだ。いじめないでよ」
不遜な物言いだ。
お叱りを受けるのではないかと背筋が凍ったが、デレク卿はおおらかに笑った。その恰幅の豊かさに相応しい笑いだ。
「これはこれは、若君はなんとも勇ましい。なかなかの気骨と見受けましたぞ。家臣想いとは善い騎士になるでしょうな」
「真面目に聞いて!」
「これは失敬。ご安心めされよ、若君。ジョンは大切にお預かりします。誰が無下になどできますか。これほど利発そうな少年を預からせて頂けるならば、このデレクも期待に応えんと」
親類としての情愛細やかな口調であった。
「パウルズ伯に謁見する折には、必ずや従者の列に加え、若君とお話できるよう努めましょうぞ」
デレク卿の返答に、エドガーさまは満足げな笑顔になる。
「しかしおふたりはよく似ておいでだ。アミとアミルほどではないにしろ、これで双子でないのも不思議ですな」
「アミとアミルって誰?」
「デレク卿のご子息?」
エドガーさまとジョンは同時に首を傾げる。
「フランスの騎士譚ですぞ。うちの吟遊詩人の得手はシャンパーニュ系でしてな。連れてきておりますので、よろしければ今宵、奏でさせましょうぞ」
大広間で歓待の宴が催される。
香りからしてとびきり上等なシェリー酒が供され、肥えた家禽がサラセン風に焼き上げられた。
皿用のパンに盛られている料理は、聖地から齎された香辛料とドライフルーツをふんだんに使って味付けされた鶏肉だ。エドガーさまの大好物であるが、ご領主さまやデレク卿も満面で舌鼓を打っておられる。
しかし裏方は大忙しだ。
「蜜蝋の包みはどこに置いた? 暗くなる前に見つからんと悲惨だぞ」
「香辛スプレッドはまだかい! 先にニワトコのチーズタルトができちまうだろう」
人手が足りぬため、俺も駆り出され、厨房小屋から大広間へ料理を運ぶ。エドガーさまとジョンは母さんが見ているから安心だ。
マーガレットさまは、楚々と鶏肉を摘んでおられた。
そのお姿はなんとも瑞々しかった。特に湯あみなされ、梳かれた金髪の輝きと言ったら!
金の房飾りの揺れるビザンティン風の帯さえ、波打つ金髪の美しさに及ばぬ。
視線を奪われそうになるのを、なんとか押しとどめ、俺は仕事を続ける。
料理が冷めぬうちに小姓へと渡していった。次から次へと料理が振る舞われる。湯気まで香るほど香辛料を効かされた羊の背骨肉は、冷めぬうちに食卓に届けねば期待は落胆になってしまう。
忙しい俺の袖を、盾持ちのレナルドが引っ張った。
「ジェイデン、給仕に回ってくれないか。人手が足りない。他のやつは蝋燭つけに回っちまった」
「俺は酌が出来る身分ではない」
農奴の俺は厨房から料理や酒を運び、小姓に渡すまでしか許されない。
給仕は毒を容易く入れられる立場なのだから。
「いつも若君の世話をしているんだ、最低限は平気だろ」
「しかし身分が……」
「ほどほどに酒が回って薄暗くなってきたし、デレク卿のご家来衆は大らかだから、誰も気にしないよ!」
レナルドが、良く言えば楽天的な、悪く言えば無責任な発言を投げてきた。
躊躇っていると、紅葡萄酒の瓶を渡される。むしろ鳩尾にぶつけられたと言った方が正確か。
仕方ない。僭越だが給仕役を務めよう。
俺が作法を間違えていようが、粗忽な失敗をしようが、騎士たちは意に介さぬ。デレク卿の供回りたちが大らかというより、マーガレットさまから視線を外せないのだ。
年かさの騎士たちは、エドガーさまたちを見ている。どんな立派な若者に育つかの品定めか。
いや、視線の先は、エドガーさまとジョンの後ろに控えている母だ。
「小姓や。小姓」
禿かかった騎士に手招きされた。デレク卿の騎士だ。
「俺ですか?」
「うむ。ちと尋ねるが、若君たちに付き添っている麗しい乳母殿は、どこかの騎士の奥方かね。もし未亡人であれば……」
年甲斐もない質問を飛ばしてきた。よりによって俺に。
「未亡人ではありますが、ジョン・フィッツライオネルさまの母君です」
「そ、そうか。うむ、うむむ。ライオネルの庶子たるジョンのご母堂とな。あれほど美しい貴婦人を日陰に留め置くとは、罪作りな……」
年かさの騎士は、未練がましく俺の母を目で追う。その禿かかった後頭部に瓶を落としてやりたい衝動を堪えて、俺は酌周りを務めた。
次に小太りの書記に呼び止められた。
「そこもとは若君の乳母の弟御かな? あの乳母君は未亡人らしい装いをしておるが、もし頼りになる殿方を探しておられるのであれば、是非……」
「ジョン・フィッツライオネルさまの母君におなり遊ばしてから、不自由は一切ございません」
喋っている途中で口を挟む。
礼儀知らずな態度をしてしまったが、これ以上の戯言を聞いていられなかった。
小太り書記は鼻白んだが、俺の無礼が原因ではないようだった。
「ま、そんなものか。あれほど際立った美女に手を付けぬなどありえぬからな」
ぶちぶちと繰り返し、ねちっこい視線で俺の母を追っている。
苛立たしい気持ちを噛み殺していると、レナルドが酌を追加してきた。
「ジェイデン。さっきのはフランスの紅葡萄酒だったけど、これはイタリアの甘葡萄酒。聞かれたらそうお答えしてくれ」
「まだ忙しいのか」
「そうなんだよ。ほら、リチェンダさんの方もてんてこ舞いだし、いろいろ頼むな」
酌を続行する。
馳走と美酒が行き渡って満足げな空気になれば、吟遊詩人がフィドルの弦に弓を置いた。
弦に乗せられ語られる武勲譚は、アミとアミル。
アミとアミルは同じ日に生まれ、まこと奇蹟に瓜二つ。
洗礼の折、揃いの祝福の杯を頂いた。
ふたりは騎士になり、同じ王に仕えた。
エドガーさまとジョンは吟遊詩人に引っ付いていた。
アミとアミルの騎士物語を大層お気に召して、さんざんもう一度、もう一度とせがむ。通しではなく王女との恋のシーンは飛ばさせて、友情のシーンだけを繰り返させた。
微笑ましいとはいえあまり同じ場面ばかりでは、お客人も退屈だろう。マーガレットさまが割って入る。
「エドガー、ジョン。他の歌も聞いてみませんか? 宴席で吟遊詩人を独り占めしてはいけませんよ」
吟遊詩人もほっとして他の曲を弾き始めた。
ふたりは残念そうだが、ご領主さまとデレク卿は相好を崩しておられる。
「ご子息おふたりは、アミとアミルの物語は気に入られたようですな。これはあとでお揃いの杯をねだられますな」
「杯ではないにせよ、揃いのものを職人に注文してある。明日か明後日には届くはずだ」
「ご準備しておられましたか。愛息子の修行となれば、あれこれと手を尽くしても足りぬもの」
デレク卿は朗らかに笑う。
「そなたと伯の元ならば、わが息子たちも健やかに育とう。それよりデレクよ、この荘園に意見を欲しい」
「緑麗しく善き地と見受けましたぞ。さらなるを求めるならば、昨今は羊毛がよいでしょうかな。シャンパーニュ大市でもイングランド羊毛は評判が良い。買い取りの価格は上がり続けておりますゆえに」
「課税されねばな」
「陛下は議会を重んじる。先代と違って、悪しき取り巻きの意のままにはならんでしょう」
「楽天家よの。陛下は先々代に匹敵するほどの野心家でもあらせられる」
ご領主さまの周りでは政治の議論が交わされて、他の席でも地方の農作物の出来高や、街道の野盗の噂が行き交う。小姓たちは会話を耳にして、礼節のみならず政局や地理を学ぶのか。
蜜蝋が灯り始める。
フィドルの弦の響きが、酩酊を躍らせた。宴席の会話は、渓流の賑わしさ、あるいは夏の川面の静けさで流れていき、葡萄酒は飲み交わされる。
音楽と蜜蝋と月明かりによって、夜が熟していった。




