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真珠のコルヌコピア  作者: 猫目石琥珀
飼い犬の回想譚
25/43

20話 歓待の宴



「エドガーさま、ジョン。そろそろ館に戻って遊びましょう」

 名残惜しそうなふたりだが、最終的に俺と手を繋いでくれた。やや金を帯びて傾いた太陽に照らされて、帰路を歩いていく。

「ジェイデン。姉上は先に戻られたけど、つまんなかったの?」

「深窓の姫君にとって、森歩きは疲れるものです」

 あんな華奢なおみ足で歩くなんて。

 また白い爪先を思い出し、俺の顔が熱くなる。

「疲れただけ?」

「ええ。お疲れではありましたが、マーガレットさまも楽しまれておられましたよ」

 エドガーさまは納得なさったのか笑顔になる。

「よかった。兄上がつまんないと面白いけど、姉上がつまんないのは悲しいもん」

「………そ、う、ですか」

 返しに困る。

 樫の老樹の森から狩猟館へと戻れば、厩から蹄が砂利を弾く音が聞こえてきた。それと嘶きも。あれはうちの馬の声とは違う気がする。

 客が訪れたのか。

 覗いてみれば、ご領主さま自ら客人らを歓迎して、心からの笑顔を浮かべておられた。

 従弟たるデレク卿だ。

 近くでお目にかかるのは初めてだが、すぐデレク卿と分かった。

 あれほどの駿馬(クルシエ)に鞍を置き、手綱を御せる方が身分卑しかろうはずがない。身なりは旅装束ゆえ簡素だったが、馬上の風格は威風堂々たるものだった。

 何よりご領主さまが親しげだ。

 デレク卿は樫色の髪と瞳。人の良さそうな笑顔に、恰幅の良い体躯をしておられた。頬から肩から腹に至るまで、何もかもが丸みを帯びており威圧感は無い。なんとも和やかな雰囲気だ。

 この方の館で、ジョンが修行するのか。

 我が事のように心臓が早鐘を打つ。

 もちろん俺より、ジョンこそ緊張しているだろう。表情も挙措も強張っている。

 ご領主さまが俺たちに気づく。

「おお、ジョン。帰ってきたか。わしの従弟にして、そなたを導いてくれるデレクだ。挨拶するといい」

「ジョンです。よろしくお願いします」

 ご領主さまに促されれば、礼儀正しく挨拶をする。エドガーさまがひょこっと嘴を突っ込んだ。

「ジョンはおれの忠臣になるんだ。いじめないでよ」

 不遜な物言いだ。

 お叱りを受けるのではないかと背筋が凍ったが、デレク卿はおおらかに笑った。その恰幅の豊かさに相応しい笑いだ。

「これはこれは、若君はなんとも勇ましい。なかなかの気骨と見受けましたぞ。家臣想いとは善い騎士になるでしょうな」

「真面目に聞いて!」

「これは失敬。ご安心めされよ、若君。ジョンは大切にお預かりします。誰が無下になどできますか。これほど利発そうな少年を預からせて頂けるならば、このデレクも期待に応えんと」

 親類としての情愛細やかな口調であった。

「パウルズ伯に謁見する折には、必ずや従者の列に加え、若君とお話できるよう努めましょうぞ」

 デレク卿の返答に、エドガーさまは満足げな笑顔になる。

「しかしおふたりはよく似ておいでだ。アミとアミルほどではないにしろ、これで双子でないのも不思議ですな」

「アミとアミルって誰?」

「デレク卿のご子息?」

 エドガーさまとジョンは同時に首を傾げる。

「フランスの騎士譚ですぞ。うちの吟遊詩人(トルヴェール)の得手はシャンパーニュ系でしてな。連れてきておりますので、よろしければ今宵、奏でさせましょうぞ」

 




 大広間で歓待の宴が催される。

 香りからしてとびきり上等なシェリー酒(サック)が供され、肥えた家禽がサラセン風に焼き上げられた。

 皿用のパン(トレンチャー)に盛られている料理は、聖地から齎された香辛料とドライフルーツをふんだんに使って味付けされた鶏肉だ。エドガーさまの大好物であるが、ご領主さまやデレク卿も満面で舌鼓を打っておられる。

 しかし裏方は大忙しだ。

「蜜蝋の包みはどこに置いた? 暗くなる前に見つからんと悲惨だぞ」

香辛スプレッド(ラペ)はまだかい! 先にニワトコのチーズタ(サンボケード)ルトができちまうだろう」

 人手が足りぬため、俺も駆り出され、厨房小屋から大広間へ料理を運ぶ。エドガーさまとジョンは母さんが見ているから安心だ。

 マーガレットさまは、楚々と鶏肉を摘んでおられた。

 そのお姿はなんとも瑞々しかった。特に湯あみなされ、梳かれた金髪の輝きと言ったら!

 金の房飾りの揺れるビザンティン風の帯さえ、波打つ金髪の美しさに及ばぬ。

 視線を奪われそうになるのを、なんとか押しとどめ、俺は仕事を続ける。

 料理が冷めぬうちに小姓へと渡していった。次から次へと料理が振る舞われる。湯気まで香るほど香辛料を効かされた羊の背骨肉(チャイン)は、冷めぬうちに食卓に届けねば期待は落胆になってしまう。

 忙しい俺の袖を、盾持ちのレナルドが引っ張った。

「ジェイデン、給仕に回ってくれないか。人手が足りない。他のやつは蝋燭つけに回っちまった」

「俺は酌が出来る身分ではない」

 農奴の俺は厨房から料理や酒を運び、小姓に渡すまでしか許されない。

 給仕は毒を容易く入れられる立場なのだから。

「いつも若君の世話をしているんだ、最低限は平気だろ」

「しかし身分が……」

「ほどほどに酒が回って薄暗くなってきたし、デレク卿のご家来衆は大らかだから、誰も気にしないよ!」

 レナルドが、良く言えば楽天的な、悪く言えば無責任な発言を投げてきた。

 躊躇っていると、紅葡萄酒の瓶を渡される。むしろ鳩尾にぶつけられたと言った方が正確か。

 仕方ない。僭越だが給仕役を務めよう。

 俺が作法を間違えていようが、粗忽な失敗をしようが、騎士たちは意に介さぬ。デレク卿の供回りたちが大らかというより、マーガレットさまから視線を外せないのだ。

 年かさの騎士たちは、エドガーさまたちを見ている。どんな立派な若者に育つかの品定めか。

 いや、視線の先は、エドガーさまとジョンの後ろに控えている母だ。

「小姓や。小姓」

 禿かかった騎士に手招きされた。デレク卿の騎士だ。

「俺ですか?」

「うむ。ちと尋ねるが、若君たちに付き添っている麗しい乳母殿は、どこかの騎士の奥方かね。もし未亡人であれば……」

 年甲斐もない質問を飛ばしてきた。よりによって俺に。

「未亡人ではありますが、ジョン・フィッツライオネルさまの母君です」

「そ、そうか。うむ、うむむ。ライオネルの庶子たるジジョン・フィッツライオネルョンのご母堂とな。あれほど美しい貴婦人を日陰に留め置くとは、罪作りな……」

 年かさの騎士は、未練がましく俺の母を目で追う。その禿かかった後頭部に瓶を落としてやりたい衝動を堪えて、俺は酌周りを務めた。

 次に小太りの書記に呼び止められた。

「そこもとは若君の乳母の弟御かな? あの乳母君は未亡人らしい装いをしておるが、もし頼りになる殿方を探しておられるのであれば、是非……」

「ジョン・フィッツライオネルさまの母君におなり遊ばしてから、不自由は一切ございません」

 喋っている途中で口を挟む。

 礼儀知らずな態度をしてしまったが、これ以上の戯言を聞いていられなかった。

 小太り書記は鼻白んだが、俺の無礼が原因ではないようだった。

「ま、そんなものか。あれほど際立った美女に手を付けぬなどありえぬからな」

 ぶちぶちと繰り返し、ねちっこい視線で俺の母を追っている。

 苛立たしい気持ちを噛み殺していると、レナルドが酌を追加してきた。

「ジェイデン。さっきのはフランスの紅葡萄酒(ボルドー)だったけど、これはイタリアの甘葡萄酒(バーネイジ)。聞かれたらそうお答えしてくれ」

「まだ忙しいのか」

「そうなんだよ。ほら、リチェンダさんの方もてんてこ舞いだし、いろいろ頼むな」

 酌を続行する。

 馳走と美酒が行き渡って満足げな空気になれば、吟遊詩人がフィドルの弦に弓を置いた。

 弦に乗せられ語られる武勲譚は、アミとアミル。


 アミとアミルは同じ日に生まれ、まこと奇蹟に瓜二つ。

 洗礼の折、揃いの祝福の杯を頂いた。

 ふたりは騎士になり、同じ王に仕えた。


 エドガーさまとジョンは吟遊詩人に引っ付いていた。

 アミとアミルの騎士物語を大層お気に召して、さんざんもう一度、もう一度とせがむ。通しではなく王女との恋のシーンは飛ばさせて、友情のシーンだけを繰り返させた。

 微笑ましいとはいえあまり同じ場面ばかりでは、お客人も退屈だろう。マーガレットさまが割って入る。

「エドガー、ジョン。他の歌も聞いてみませんか? 宴席で吟遊詩人を独り占めしてはいけませんよ」

 吟遊詩人もほっとして他の曲を弾き始めた。

 ふたりは残念そうだが、ご領主さまとデレク卿は相好を崩しておられる。

「ご子息おふたりは、アミとアミルの物語は気に入られたようですな。これはあとでお揃いの杯をねだられますな」

「杯ではないにせよ、揃いのものを職人に注文してある。明日か明後日には届くはずだ」 

「ご準備しておられましたか。愛息子の修行となれば、あれこれと手を尽くしても足りぬもの」

 デレク卿は朗らかに笑う。

「そなたと伯の元ならば、わが息子たちも健やかに育とう。それよりデレクよ、この荘園に意見を欲しい」

「緑麗しく善き地と見受けましたぞ。さらなるを求めるならば、昨今は羊毛がよいでしょうかな。シャンパーニュ大市でもイングランド羊毛は評判が良い。買い取りの価格は上がり続けておりますゆえに」

「課税されねばな」

「陛下は議会を重んじる。先代と違って、悪しき取り巻きの意のままにはならんでしょう」

「楽天家よの。陛下は先々代に匹敵するほどの野心家でもあらせられる」

 ご領主さまの周りでは政治の議論が交わされて、他の席でも地方の農作物の出来高や、街道の野盗の噂が行き交う。小姓たちは会話を耳にして、礼節のみならず政局や地理を学ぶのか。

 蜜蝋が灯り始める。

 フィドルの弦の響きが、酩酊を躍らせた。宴席の会話は、渓流の賑わしさ、あるいは夏の川面の静けさで流れていき、葡萄酒は飲み交わされる。

 音楽と蜜蝋と月明かりによって、夜が熟していった。



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