17話 我々を堕落させるがゆえに
団欒のための小広間には、フランドルのタペストリーが幾枚と飾られて、カーネーションのつぼみが膨らみ、色鮮やかだった。
エドガーさまとジョンは、狩猟柄のタペストリーを背景にして、さっそく叙任式の真似事をしていた。エドガーさまがおっしゃるには、真似事ではなく練習だ。
マーガレットさまが抱えオルガンを奏でられている。
鍵盤で指を踊らせるように、気随気ままに弾いておられた。
俺と猟犬が見守る中、清らかなる音色が響き、エドガーさまが小枝を振るって、ジョンの肩を打つ。肩打ち儀礼だ。
「貴公子よ、神が汝に勇気を与えん。汝は、えー、敵の前で、えっと……あー」
思い出しつつ、吶々と続ける。
しばらく待っていると、エドガーさまは完全に黙り込んでしまった。
即興で台詞を紡ぐのはお得意であらせられるが、正しい文言を暗記するのは不得手なのだ。
「えー……」
「エドガーさま。むずかしかったら「汝、勇敢たれ」だけの略式にしたら?」
「やだ。カッコイイのぜんぶ言う! ジョンはおれがかっこよく騎士にしてやるんだから」
なんとも飽きずに繰り返している。
「聖なるものと弱きもののために、血を流すこと臆するなかれ。汝を騎士に叙する!」
やっとエドガーさまが叙任の寿ぎを言い切った。
俺は拍手を送る。
「次は臣従の儀ね」
まだお続けになるらしい。
ジョンも飽きずによく付き合ってくれている。マーガレットさまも。
エドガーさまがジョンの手を、ぎゅっと握るように包み込んだ。
「えーと、おれの臣下になりたいの? ってかっこよく聞くんだよね」
「……汝」
「だめ!」
エドガーさまは大慌てで、口を開きかけたジョンのほっぺを両手で挟んだ。ぺちんと挟まれ、もごもごするジョン。
「最初と最後だけ言って!」
「……最初が「我が臣下となるを」で最後が「希望するや」だよ」
手がかりどころか、ほぼ答えである。
「汝、我が臣下となるを、心から希望するや?」
エドガーさまが言い終われば、ジョンが口を開く。
「我、かく望む。我が主君に従属する者となり、生命の身体にかけて我が主君に信義を尽くし、今命あり、やがて死ぬる他の誰でもなく我が主君に現世的崇敬を捧げん」
「それで祝福のちゅー」
「ちがう、ぼくがイングランドへの忠誠宣誓してから」
「要らなくない?」
「いるよ」
儀礼ごっこを続けていると、ご領主さまがやってこられた。
マントも袖も解いたくつろいだ姿で、背もたれに腰を下ろす。
「父上、いまジョンを騎士にする練習していたんだよ」
「良き心がけだ」
ご領主さまはエドガーさまの頬に祝福のキスを贈り、ジョンにも同じくキスを贈る。
ご領主というお立場としてふたりをまったく等しく扱えぬが、それでも折々に垣間見せる息子への親愛は分け隔てなかった。
母が夜食を運んでくる。馥郁とした香辛の葡萄酒。それからクルミ蜂蜜のヌガーに、棗椰子の盛り合わせだ。
「それ父上だけ?」
「美味しそう」
エドガーさまとジョンがお夜食に目をつける。
止めようとしたが、ご領主さまは鷹揚に微笑まれた。
「司祭に内緒にできるか?」
「出来るよ」
「得意!」
ふたりは自信たっぷりに宣言する。
夜食は堕落の始まりとはいえ、ご領主さまは我が子に甘い。ふたりに差し出しているヌガーより遥かに甘いのだ。そもそもこの蜂蜜の菓子はご自身のためでなく、我が子のために用意させたのかもしれない。
……歯磨きさせたあとなのにな。
一瞬だけよくない気持ちが膨らむが、ご領主さまの施しに異議を唱えられるはずもない。
俺としてもエドガーさまとジョンが菓子を頬張っている様子は、眺めているだけで幸せになる。俺が子供の時に、母さんが朝ごはんが無くても満足そうだった理由は、今さら実感できた。
「マーガレットは食さぬか?」
「父上。お心遣いは嬉しいのですが、遠慮いたしますわ。ヌガーは我々を堕落させるゆえに」
フランス語で言葉遊びを交え、優美に断る。
機知に富んだ返事に、ご領主さまは満足げだった。その微笑みが俺にまで向けられる。
「ジェイデン。騎士修行の話は聞き及んでおろう」
「伺っております」
「この子らの修行先は州を越えた遥か先。わしも領内巡視を兼ね、途中の狩猟館までは見送ろう」
ご領主さまは領内にいくつか屋敷を抱えていらっしゃる。
砦や荘園屋敷、狩猟するための館もあった。
そこまではご領主さまも同伴なさるのか。
「そなたには荷運びの一団に入ってもらいたい。狼や野盗を警戒する弓兵として、先んじて狩猟館に赴いてもらう」
ご領主さまの言葉に反応したのは、エドガーさまだった。
半分になったヌガーをぎゅっと握ったまま、ご領主さまへ詰め寄る。
「なんで? ジェイデンはおれらと同じ馬車じゃないの」
「そなたはジェイデンを弓兵長として抱えたいのであろう。ならば輜重隊に加わって、物資の運搬を学ばねばならぬ。いくら弓に長けていても、武芸だけでは兵長として足りぬゆえにな」
「そうなの? ジェイデンも修行するんだね」
エドガーさまは残念そうだが、納得してくれた。
「ジェイデン。そなたはエドガーたちの面倒をよく見てくれている。これは褒美だ」
干した棗椰子を賜る。
十字軍が聖地エルサレムより持ち帰った果実だ。
「旅で辛かろうと、この果実は精気を漲らせる。旅路に食すがよい」
「痛み入ります」
「マーガレットも干し棗椰子ならばよかろう。聖地より来たりし果実が、どうして堕落を齎そうか」
「ありがとうごさいます」
ご領主さまはマーガレットさまのオルガンをご所望され、音楽と紅葡萄酒を味う。
馨しく酩酊していく春の宵。数曲終わるころには、エドガーさまとジョンは犬と混ざってうつらうつらと眠りに誘われておられた。
俺はエドガーさまたちを、小部屋の寝床に運ぶ。
春の夜は毛布を重ねるか悩む。
あまり重ねて、のぼせても身体に悪い。
思案していると、マーガレットさまが手燭を片手にやってこられた。侍女も連れず身軽にチュニックを翻すご様子は、羽ばたきはじめた小鳥のようでもあった。
「わたくしも狩猟館へ参りますわ。滞在したことがありますが、小鳥のさえずりがいつも聞こえる閑静な屋敷でしたわ。天高く飛ぶ鳥の鳴き声は、青空に波紋するほど澄んでおりました」
「エドガーさまたちも喜ばれましょう」
「ジェイデン。さっきの棗椰子、旅糧として召すのでしょう」
マーガレットさまが一歩だけ、それでいて深く近づいた。お互いの体温さえ伝わるほど近く。
暗がりゆえに体温や吐息を、ひどく生々しく受け取ってしまう。
「わたくしも旅のおやつに致します。離れていても一緒に食べましょうね」
「畏まりました」
「約束ですよ、ジェイデン」
耳元で囁かれる。
棗椰子を食べていないのにも関わらす、喉の奥底に、濡れるような甘さが沁みていった。




